365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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DNAの奇跡に「喜」

2020年10月3日(土)

今日も暑いくらいに日差しの強い、よいお天気の東京でした。

家族がそれぞれ外出予定だというので、私も昨日逃したお菓子を買うついでに、少しふらふらしようと、久しぶりにウォーキングに出かけました。

40分ほどウォーキングをし、お菓子屋さんをのぞいてみると、開店前にも関わらず整理券を配布していました。
それを一枚いただいて、これで目的を達成したも同然!と、ようやく心に溜まった昨日からのモヤモヤを払拭したのでした。

どんな小さなことでも、目的を達成した時の晴々とした気持ちは、なんとも言えない爽快さがあります。
だからこそ、「目的をはっきりさせましょう!」ということが言われるのかも知れません。

私の場合は「目的」などという立派なことではなく、「欲求」ですが。。。

欲しいと思ったものは、あらゆる手を尽くして、なんとしてでも手に入れようと考える、ちょっと厄介なところが私にはあります。

もちろん、世の中には手に入らないものもあります。
ただ、自分の身の丈に合ったものを求めている限りは、大方手に入るものだと思っています。

若い頃から欲しいものは必ず手に入れる!そう思って、なりふり構わずそれを実現してきたせいか、今でも往生際悪く生きています。

最近は歳のせいか、以前ほどの貪欲さは薄れ、「仕方ないか」と諦めることも覚えました。
そして、そんなふうに諦められることが、どれだけ心安らかでいられるかも知りました。
歳をとって楽になることもあるのです。

そんな風に安心していましたが、思わぬところで余波が発生していることに気づいたのです。

それは我が子達です。

この娘達、かつての私のように、欲しいと思ったものは、なんとしてでも手に入れようと、あの手この手で自分の思いを通すことに、日々必死になっています。

そして手に入れては、また新たな獲物目掛けて猪突猛進。。。
見ていてもあまりに度が過ぎるので、

「少しは諦めることも覚えなさい」

そうもっともらしい顔で嗜めるのですが、思えばそれはかつての私の姿そのものです。

誰が教えたわけでもありません。むしろ、自分を反面教師として生きていって欲しいと願っているくらいなので、私とは似ても似つかない人格となるよう育ててきたつもりです。

しかし、そんな私の願いに反し、成長するうちに、2人ともがどんどん私のようになっていきます。

親の姿を見て育ったからといって、同じような人間になるわけではありません。
多少の影響はあるでしょうが、むしろ見ていて感じるのは、私から受け継がれた遺伝子というものです。


欲しいものは、なんとしてでも手に入れようと足掻く、その行動パターンなど、細かいところまで観察すると、DNAがそうさせているとしかおもえません。

あのスッポン並みの執着心、そして秋の長雨のごとき往生際の悪さは、紛れもなく私なのです。

彼女達の中に見るそれは、間違いなくこの母のDNAと言って間違いなさそうです。

諦めることができないということは、いつも心の中に空のエコバッグを持ち歩いているようなものです。手に入れた物を入れるためだけに持っているバッグは、その中が満たされなければ用をなさないのです。

バッグを満たすために、全力で手を伸ばし続ける気苦労は、安心とは真逆にあるもので、私が散々経験してきたことなのです。

親としては、そんな生き方はして欲しくないと思っていますが、こればかりは仕方がないと諦める他ないでしょう。





DNAとは不思議なものです。

まさに、丁と出るか、半と出るか、博打のようなものです。

丁(偶数)が前記のようなものであるなら、奇跡ともいえる半(奇数)が出ることもあります。

今日、偶然街で会った娘の姿を見た時、改めてそれを感じました。

それは、私がウォーキングから戻る途中の出来事でした。
向いから鮮やかなグリーンのワンピースを着た若い女の子が歩いてきました。

「おきれいね。若いっていいわぁ〜」

などと見ていると、その女の子がこちらに向かってひらひらと手を振ってくるではありませんか。

思い切り眉をしかめてフォーカスを合わせてみると、それは我が娘だったのです。

私はど近眼で、普段は眼科医が許すギリギリ過矯正コンタクトを使用していますが、ウォーキングの際は、コンタクトよりも度の緩い眼鏡を使用しているので、遠くがよく見えませんでした。。。

手前味噌ですが、外で見る娘は輝くばかりに美しく、これが本当に私の身体から出てきた人間なのか?と、自分でも出産時の記憶を掘り起こしてみるほどです。

成人してからは、私よりも高価なものを身につけ、私よりもずっと美味しいものを食べている娘に、「100年早い!」などと嫉妬半分お小言を言っていますが、この若さと美しさがあれば、そうなるのは必然かと、なんとなく納得してしまいました。

しかし、残念なことに、私に似ているわけではありません。私はごくごく普通の中年女です。

つまり、これは遠く離れた外国の遺伝子がミックスされたことによる悪戯のようなものなのです。

「ハーフ」と呼ばれる、外国人とのミックスは、今では珍しくありませんので、普段はあまり娘の容姿に注視することもないのですが。。。

今はテレビを見ていても、ハーフタレントをたくさん見かけますが、みなさんおキレイです。
先日も毒舌ハーフタレントの女の子とすれ違いましたが、目を見張るほどの美人さんでした。

「おっ!ここにもDNAの奇跡がいるわね」などと心の中で思いながら、ついついその美から目が離せませんでした。
一点凝視を決め込むとは、気持ち悪い人だわと思われたことでしょう。

我が家の娘も然りです。
あれは私の遺伝子などではなく、明らかにDNAの不思議が生み出した奇跡なのです。

私が差し出したのは、きっとハンバーグを作る際に加えるナツメグくらいのものでしょう。
透明感のある白い肌に亜麻色の髪、薄い瞳の色と整った顔立ち。さらに、腰位置の高さや膝下の長さなど、私的要素はどこにも見つけることができません。

よく、お友達から「お嬢さん、本当にキレイね」などとお褒めいただくのですが、その際に「私に似てるかしら?」と尋ねると、みなさん決まって、「雰囲気が」とか「仕草が」など、抽象的な言葉で誤魔化そうとします。

つまりは似ていないのです。

やはり私はナツメグで、肉や玉ねぎといったメインの素材はすべて夫側遺伝子によりもたらされたものなのです。

自分の子供を褒めていただければ、それは悪い気はしませんが、正直言えば、自分のことを褒めていただいた方が、よほど嬉しいです。

私の友人にやはりハーフの娘を持つ人がいるのですが、その人に至っては、自分の娘の美しさに本気で嫉妬して、常に敵視しているため、親子関係もあまりよくないといいます、

私はナツメグであると自覚しているので、娘に対してそのような感情をもったことはありません。むしろ、子供を授けてもらっただけで、幸運であると思っています。

このDNA、丁と出るか、半と出るか?

結果的には勝ったり負けたりといったところでしょうが、一際美しく成長した娘の姿を見るのは、ナツメグにとっても嬉しいものなのでした。。。





ちなみに、今日は女優である石田ゆり子さんの生まれた日です。

石田さんと言えば、もはや「アラフィフの星」といえるほど、中年女子憧れの存在ではないでしょうか。

元々美しい方ですが、加えてあの少女のような仕草と透明感は、我々中年女子が喉から手が出るほど欲しているものです。

芸能人は若い頃から時間もお金もかけ、メンテナンスをするのが普通です。それはビジュアル自体がビジネス、飯の種となるからであり、それは至極当然のことです。

しかし、50も近くなれば、さすがにメンテナンスバッチリだけでは、補正できなくなってくるものです。
スポットライトでギリギリ姿が見えるくらいまで真っ白にし、光でシワから何から何まですっ飛ばしてしまう女優さんも多くいます。

しかし、石田さんはそんなアーティフィシャルな小細工もせずに、時に目の下のクマを見せ、目尻のシワもこれが可愛いのよ!とばかりに露わにします。

同じアラフィフのシワなのに、同じクマなのに、何故こうも違うのか⁉︎

この説明のつかない自然美は、まさに先天的素材のよさという以外思いつきません。

これはいくら憧れようが、真似をしようが、到底手の届かないものと受け入れるが身のためです。

どんなにアンチエイジングに時間やお金を費やしたとしても、持って生まれた素材のよさには太刀打ちできません。

石田ゆり子」にはなれないのです。

それでも、石田ゆり子さんをウォッチングするのは決して無駄にはなりません。

あの透明感は無理だとしても、多少の清潔感を意識する気付け薬くらいにはなるはずです。

石田ゆり子さんのインスタでもたまにのぞけば、少しでも小綺麗なアラフィフでいるためのモチベーションにはなることでしょう。

前日のミスに祟られた「哀」

2020年10月2日(金)

今朝はいつもよりも忙しない朝でした。
娘がいつもより1時間早く学校へ行くというので、6時前にはお弁当と朝食の用意を完了しなけらばいけなかったからです。

いつも、家族が起きてくる2時間以上も前から一人で起きているので、特段いつもより早く起きる必要もないのですが、その時間は私にとって、のんびりと寛ぐ大切な朝時間なのです。

今日はそんな朝時間を短縮し、さっさと洗濯掃除など、家事も一通り済ませてしまいました。
これで、後の時間は完全なる自由です。


自由となると、すぐにデパ地下などへ行ってしまうのが、これまでのパターンでしたが、あまりにお菓子ばかり食べているので、メインブログの投稿が追いつかず、備忘録としてはかなり穴が空いた状態です。
これは都合が悪いと、すべてのお菓子をブログ記事として投稿するまでは、新しいお菓子は買うまい!という、過酷な決め事を自分に課すことにしていました。

しかし、そんな舌の根も乾かぬうちに、今日は密かに本日発売のお菓子をいの一番に買いに行こうという思いが、それとなく頭の隅にありました。

たまたま販売している店舗が近所にあるので、お財布だけポケットに入れ、マスクをして、まるで起き抜けのような格好で行くことのできる場所です。
ちょこっとコンビニにでも行く感覚で、話題のお菓子をゲットしてこようと画策していたのです。


ところが8時頃、今日2度目の朝食であるカレーうどんを食べている時、娘の担任の先生から突然電話がかかってきました。
うどんが伸びてしまう危機感を感じながらも電話をとると、用件は提出した大学共通テストの書類に不備があるという一大事でした。

3年前に上の子の大学受験で経験したにも関わらず、ミスをするとは。。。
これは完全なる私のケアレスミスです。

国立一本槍受験を目指す娘にとっては、これを受験できなければ大問題。

「今すぐ、行きます!」

学校はタクシーを飛ばせば10分程度の場所にあるので、大急ぎで支度を整え、家を出ました。

さすがに、本日発売のお菓子のことは頭から飛び出してしまいました。。。





学校で滞りなく必要なものを提出し、ことなきを得たのですが、その際に担任の先生が、こちらのミスにも関わらず「わざわざすみません」「ご足労おかけして申し訳ありません」と、何度も「ごめんなさい」を連発するので、ちょっと戸惑ってしまいました。

自分に非があってもそれを素直に認めることなく、常にディフェンス全開の姿勢で言い訳から入る外国人ばかり相手にしてきたせいでしょうか、日本人は自分のミスでもないのに、こうして謝るのは何故なのだろう?などと、つまらないことを考えながら、学校を出ました。


この時、すっかりお菓子のことを忘れていた私は、大慌ててざわついていた気持ちを落ち着かせるために、カフェでゆっくりお茶を飲みました。

そして、その後にたまたま通りかかったドンキホーテに迷い込んだのです。

ここにはお菓子の大袋がたくさんあります。普段はデパ地下でお菓子を調達していますが、コンビニスイーツだろうが、スーパーのお菓子だろうが、なんでも食べる雑食系スイーツおばさんです。ドンキホーテのお菓子も例外ではありません。

夫がおつまみがわりに食べるお菓子など、大きなエコバッグいっぱいに買い物をし、テクテクと歩いていると、突然思い出したのです!

本日発売のお菓子⁉︎

時計を見ると正午を少し回った時間でした。思いのほか、長くドンキホーテでフィーバーしていたようです。。。

11時が開店時間なので、まだ余裕だろうと、ちょうど通り道だったこともあり、そのお店に寄ってみたところ、なんと売り切れ⁉︎

聞いたところによると、開店15分で売り切れたというではありませんか!


はぁ。。。


ものすごく落ち込みました。

お菓子に限らず、私は自分が計画した通りに物事が運ばないと、とても気に病むという融通のきかないところがあるのです。

帰る道すがら考えました。

何故、このような事態になったのか?

遡れば昨日の朝です。まるでドラマ『24時間』のように、時計を巻き戻すと、ことの発端は昨日娘の付き添いで病院へ行き、それと同時進行でお菓子のネット販売に参戦したことにあります。

この一件で、普段は放任している怠け者の脳味噌を酷使してしまいました。
普段あまり動かない人がいきなり運動をするととても疲れるのと同じで、私の過保護な脳味噌もかなり疲れてしまったようです。
私は自分の中にほんの少しだけある集中力や判断力といったものを使い果たしてしまったのです。

何か大切なことをする時には必ず必要となる能力が失われ、それが完全チャージされない状態のまま新たなことに着手したのがいけませんでした。。。

あるべきものが抜け落ちた状態のまま、大切な書類をチェックしたせいで、本来であればあり得ないような単純なミスを犯してしまったのです。

さらには、この重大なミスが今朝の予定を狂わせるという事態を引き起こし、最終的に大切なお菓子の入荷日を忘れるという結果に至った。。。

めでたく原因解明です。


本来、女性はマルチタスクであるといいます。私もそれを疑ったことはありませんでしたが、身の回りにあるもの、起こること全てを上手にコンプリートするためには、心身両方の体力が必要であると、この度初めて知ることとなりました。


本日販売のお菓子を逃し、「哀」となった今日ですが、帰宅してみると、お取り寄せしていたお菓子が届いていました。
このお菓子は、世界中にある無数のお菓子の中で、「今一番食べたいお店のお菓子」として、この半年あまりトップの座に君臨し続けているお店のものです。

それが今日届くとは⁉︎


人生、山あり谷あり。。。


谷底に転落したと思ったら、次の瞬間にはお山の天辺です。

思えば、この人生そんなことの繰り返しでした。

お菓子云々などという生優しいものではなく、もうこの人生が終わるかもしれない、そんなふうに悲観する出来事もありました。。。

しかし、本当に悪いことばかりではありません。
悩んだり、落ち込んだりすることもありますが、それでも生きていれば必ず心が明るくなるような出来事にも出会えるものです。

諸行無常。。。

物事は常に移り変わっていくもの。

今日が最悪だと思っても、それは永遠に続くものではありません。

だから、、、

またチャレンジしてみましょう。

明日の朝は、今日逃したお菓子を絶対にゲットします。





ちなみに、今日はイギリスのミュージシャンであるSting(スティング)さんの生まれた日です。

Sting といえば、あの『Every Breath You Take』、邦題ですと『見つめていたい』で知られるPOLICE(ポリス)です。


この歌は今でも歌詞を暗唱できるくらい、過去に何度も歌わされた曲でちょっと思いいれがあります。
イギリスに渡ったばかりの頃、女教師が授業のたびにこの曲を流し、「さぁ!みんなで歌うわよ!」と、強制的に合唱させられた曲なのです。

まだ純粋だった若かりし頃の私は、「これも英語のお勉強のうち!」と、一生懸命に歌いましたが、今にして思えば、その女教師はスティングさんのファンで、ただ彼の曲を四六時中聴いていたかっただけなのかもしれません。


私がロンドンへ渡った頃、すでにポリスは閑散していましたが、スティングさんはソロでも大変な活躍していました。

中でも『English Man In New York 』は代表的な一曲と言ってもいいでしょう。

ロンドンの小雨降る、フォギーな街をひとり歩きながら、この『English Man In New York 』を、

「ジャパニーズガール イン ロンドン〜」

と、字余り上等とばかりに、替え歌を作り、ルンルンと歩いた頃が懐かしく思い出されます。

そんなスティングさん、もう69歳ですって⁉︎

自分も歳をとるわけだなと、つくづく時のうつろいを感じるのでした。。。

ヤマカンとタイミングで勝利した「喜」

2020年10月1日(木)

今日からいよいよ10月に突入しました。今年も残すところ3ヶ月と思うと、新しい手帳のことに始まり、クリスマスディナーの丸鶏の大きさ、大晦日の蕎麦は何割蕎麦か、さらには正月のお節はいくらのものにするかなど、数々の重要事項が頭に浮び、妙な焦りを覚えます。

どれだけ気が早いのか?と思われるでしょうが、アラフィフにとって、月日は光の速さに匹敵するスピードで過ぎていくのです。

ボヤボヤしてはいられません。。、


そんな10月の始まりですが、東京では「都民の日」ということで、学生などは祭日モードです。

あいにく朝から雨模様。低気圧の影響か若干の寝不足か、子供のお弁当を作らずに済む気楽さからか、爽やかとはほど遠い、とても気怠い目覚めでした。しかし、主婦にお休みはありません。

嘘です。休もうと思えば休めますが、今日は朝から娘を病院へ連れて行く予定があったので、のんびりしていられないだけでした。

もう一つ、心に引っかかっていた案件がありました。
それはお菓子です。





このブログを始める3年以上前から書き続けている『お菓子を巡る暮らしの雑記帖』というメインブログがあるのですが、そちらを見ていただければわかるように、私の生活は日々お菓子を食べることで成り立っていると言っても過言ではないほど、お菓子を食べまくっています。

当然、そんなお菓子は自分で調達するのですが、これが時に憂鬱なほどに困難を伴う事態となることがあるのです。

人気のお菓子、生産量の少ないお菓子などは、激しい争奪戦が繰り広げられることがよくあります。
お店まで足を運ぶのなら問題はありません。どうせ暇なのですから、どんなに早朝であろうが、開店前から並べは済むことです。
問題はネットでのお取り寄せです。


今時の若者は物心ついた時からネットとはお友達。我が家の子供達を見ても、小学生の時にはすでにiPhoneを持ち、パソコンを弄りまわしていました。
そんな若者と比較すると、こちらにはハンデが生じます。

なんと言ってもポケベルエイジ、パソコンではなくワープロ育ちですから。。。

タイピングひとつとっても、そのスピードは雲泥の差であり、ネットでの購買競争となると、かなり不利になることは過去の経験から重々承知しているのです。


今日は中部地方にある某洋菓子店が、月に一度お菓子の注文を受け付ける日でした。

私はその店のクッキーが大好きなので、新作が出ると購入するのですが、先月は外出していたため、争奪戦に敗れました。
新宿三丁目のカフェで参戦した4Gでの戦いでは、最初から勝ち目がないことはわかっていました。。。

次のチャンスを!とかたく心に誓ったのですが、その次のチャンスが今日だったのです。。。


自分の予定なら当然変更できますが、娘を病院へ連れて行くという突発的なものでは避けようがありません。

なぜ、それが今日なのか⁉︎
なぜ、お菓子の販売日と重なるのか⁉︎
恨めしい気持ちでした。

しかし、受験生である娘はいつも忙しく、都民の日である今日は、彼女にとっても病院へ行く唯一のチャンス日です。

高校3年生にもなれば、一人で病院くらい行けるだろう。当然そう考えるところですが、我が家行きつけのクリニックでは、18歳未満の学生は親同伴でないと診察はしてもらえないというルールがあるのです。

想像するに、外国人が多いエリアのせいでしょうか、責任問題が生じる可能性のある事案については、非常に神経質なのかもしれません。

そんなわけで、私とって月に一度、しかも今回は限定のハロウィン物が出るという唯一のチャンスである日に、娘の病院がかち合ってしまったのです。





お菓子VS子供

どんなに子供じみた母親でも、当然子供の用事を優先しないわけにはいきません。。。

そこでさらに作戦を練りました。

販売時間はサーバーの負荷を避けるため、特定されておらず、◯時から◯時までと決められた4時間内でゲリラ的に発売されるという、出し抜け戦法が適用されています。

つまり、その4時間の間、サイトにかじりついていない限りは、いつ販売が開始されるかわからないということです。

よし、運次第では誰にでもチャンスはありそうだわ。これはトライする価値あり。

私は運だけはいい人間です(前回はしくじりましたが)。

病院内でスマホをいじるのは、ご法度なケースが多いですが、幸いなことにこのクリニックでは、誰もがスマホを手にしています。スマホどころかマッカー(カフェなどでアップルPCを使用している人)までいるので問題はなさそうです。

こうして私は娘を連れ病院へ行きました。
待合室で待っている時もそのサイトを監視です。
ここからは、もはや「運」。

カートが開かぬまま、時間は過ぎていきます。

診察中にオープンしたら、完敗だ。。。
同じ画面をリロードしていると、ようやく娘の名が呼ばれました。

ここでスマホをバッグの中に収め、医師の話にもっともらしい顔で頷いているとき、ある閃きがありました。

10月といえばハロウィン!

10月31日。。。

これを時間にすると10時30分です。

わかったわ!今日の販売時間はその時間に違いない!

なんの根拠もないただの閃きでしたが、私は自分のヤマカンに従うことにしたのです。

その後、ちょうど診察が終わり、お会計の待ち合い室に腰を下ろしたのがちょうど10時30分少し前でした。

すかさずサイトを開いてみると!!!

販売が開始されていました。

脱兎の如くお目当てのお菓子をカートに入れ、購入決定へ向かいます。

購入手続き途中で、名前を呼ばれでもしたら、これまでの策も水の泡です。
いつもは、早くー!などと思うのですが、今日ばかりはゆっくり会計しておくれ!です。

サーバーはそれほど重くなく、4Gでも問題ないスピードです。

そして、とうとう「ありがとうございました」の文字と共に、確認の自動メールが届いたのでした。

次の瞬間、お会計のカウンターから名前が呼ばれました。

おお!なんというグッドタイミング!

ヤマカンが当たったわ。。。

ぴったりではなかったけど、ほぼ当たったと言ってもいいでしょう。

そして、何よりも診察中やお会計時などを避けることができたというタイミングのよさ!

運もいいけれど、感もいいと信じて疑わず生きてきましたが、そのエビデンスをまた一つ、クッキーと共にゲットしたのでした。

子供と天秤にかけては当然勝ち目はなしと、半分ダメ元のトライでしたが、


過剰な期待はしない。

できることはやる。

そして、運を天に任せる。


そんな、思えば我が人生そのものといったやり方で、欲しいものを手にしたのでした。

物事を深く考え過ぎず、できることは全力でやり、あとはどうとでもなれ。

そんな大雑把な生き方でも、50を過ぎたいま、これと言った不満もなく、なかなか幸せに暮らせている。

これからもそれは変わらないでしょう。

とりあえずは、また新しいお菓子が届く喜びをかみしめた一日でした。





ちなみに、今日はフリーアナウンサーであり、現在は衆議院議員小泉進次郎さんと結婚し一児の母となった、滝川クリステルさんの生まれた日です。

滝川さんはフランスと日本のミックスということから、同じミックスの子を持つ母として、「斜め45度」の頃から注目していました。

あの美貌で三カ国語を操り、「お・も・て・な・し」で、和の心とインターナショナルの融合を体現させて見せたクリステル。。。

挙げ句の果てに、元内閣総理大臣である小泉純一郎氏の次男で、これまた「セクシィー」な言動で注目の進次郎氏を射止めたという、大金星を上げたのです。
まさに天晴れといってもいいでしょう。

個人的には次男よりも、俳優である長男の孝太郎氏の方が好感が持てるので、こちらと一緒になってくれていたなら、さらに株が上がっただろうと思うのですが。。。
そう思うのはおそらく私だけか⁉︎

それはさておき、お子さんも生まれて幸せなのと同時に、今後も様々なことがあるでしょうが、違う国の血と文化を持って生まれた者の代表の一人として、輝いた姿を見せ続けて欲しいと思うのでした。

衣替えの「楽」

2020年9月30日(水)

早いもので今日で9月も終わりです。
明日からはもう暦の上では神無月、英語で言えばOctober 。そして、衣替えの月でもあります。

今朝、起きるととても寒くて、何か羽織るものはないかと探しましたが、秋冬に着られるものはまだ収納の中。
仕方がないので、プルプルと小さく震えながらお弁当を作ったのでした。

まだまだ暑い日があるだろうと油断していましたが、いきなりのカウンターパンチを食らった朝でした。
幸いなことに今日は秋晴れの良い天気ということで、早速衣替えをしました。


衣替えと言っても、所有している服はそう多くないので、割と簡単に済んでしまいます。
ここ数年、断捨離と称して余計だと思われる服はその都度処分していたので、秋冬物はトップスを入れ替える程度です。
アウターなど嵩張るものは、クローゼットの中にハンガーにかけて収納してあるので、扉を開けばすぐに着られます。


それにしても、私はいつからこんな質素な人間になったのか。。。





若い頃は人並みに溢れ返るほどの服を所有していました。
当時はデザイナーズブランドが全盛期で、国内海外のブランド問わず、誰彼もがブランドの服やバッグなどを身につけているような時代でした。

今から思えば、二十歳にも満たない子供が、なんという贅沢を!と思います。
しかし、当時本人にその自覚はありませんでした。日本においては、それが普通のことだったからです。

この認識が崩れたのは、海外へ出た時でした。旅行と違い、現地で暮らすということは、その土地で暮らす人々の価値観を共有するということです。

そこでは、年若い娘が何十万もするような服やバッグを身につけることは、普通ではありませんでした。
ブティックへ入っても、扱いは当然よくありません。お金のあるなしではなく、若いというだけで、それを身につける資格さえ与えてもらえないといった雰囲気がありました。


当時周りにいたヨーロピアンの友人達も、いつもTシャツにジーンズ、スニーカーという質素な格好をしていました。
しかし、そんな質素な出で立ちでも、何故かあちらの方がすると素敵に見えるのですから、ズルイものです。

とにかく、そんな友人達と過ごすうちに、私も以前のような激しい物欲にとらわれることが少なくなりました。

数年後に帰国したときには、かつての友人達が「どしたの⁉︎」というくらいに、野性味たっぷりな女になっていたのです。

その後、結婚し子供を持つようになると、再び少しはお洒落をしてみようという気になってきました。
人並みに小綺麗な服を着てと、また東京モードに戻り、もう年齢的にも許されるだろうと、再度ブランド品なども所有するようになりました。


しかし、ここで2度目の転機が訪れたのです。
40代になり、2度も立て続けに病気をしたのです。しかも、2度目の病気のときは、かなりの大病で、初めて己の死というものを意識した時でもありました。

そんな経験をしてからでしょうか、欲というものが消えていったのです。
ただ、健康で笑って暮らせればそれで御の字。そう考えるようになりました。





今でもそれは変わりません。
断じてミニマリストではありませんが、物を所有することに、それまでのような満足感を得られなくなっていたのです。

どんな物を身につけようが、幸せのレベルには大差がないと思うと同時に、自分が本当に求めているものは果たして何なのか?マテリアルで自身の幸せを買い集めることはできない!など、そんな悟り切ったことを語るようになっていました。

これで頭を丸坊主にし、白く長い髭でも生えていたら、まるで俗世の欲にまみれた後に改心した修行中の仙人もどきです。

とにかく、再び生きる権利を与えられた私には、自分が快適に暮らせるものさえあれば、それで充分だったのです。


洋服にしても、かつてのものは処分し、今は春夏は白か薄いベージュ、秋冬は黒かグレーの服しか着ません。
そしてデザインも同じようなものを何枚か揃えるか、基本的には同一デザインで白、グレー、黒の色違いを揃えるという、まるで面白味のない選び方をしています。

アップルの故スティーブン・ジョブスではありませんが、今日は何を着ていこうか?と朝からファッションショーをするのが面倒なのです。
決まっていれば、迷うことなく着替えるという行為を簡単にクリアできます。

ブランド物のバッグなども、状態のいいものは娘に全て譲り、あとは処分しました。

唯一、アクセサリーや腕時計など、宝飾品だけは現在も使用しています。
これはある意味保険でもあります。もしもお金に困ったときは、すかさず現金化できるために手元に置いているのです。





我が家の夫は未だに物欲全開で、一緒に買い物などへ行くと、あれもこれもとショッピングを楽しんでいます。男のくせに買い物が大好きなのです。
自分ばかりが浪費しているようで気がひけるのか、私にも「何か欲しいものがあれば買えばいいのに」と言います。

金の延棒でも買っていいのなら買いますが、服やバッグならいりません。それに必要なものは言われなくても買っています。つい先日も靴を買いました。
お菓子だって、欲しいだけ買っていますからね。

きっと、かつてあった物欲は全て食欲へと移行したのでしょう。昔から食欲は旺盛でしたが、ここ数年はもはや食欲以外の欲は全て消滅したか?というくらいに、食べることだけが楽しみになっています。

あれれ。。。?

何にも欲しいものはない!などと大きなことを言いましたが、前言撤回です。
私は毎週のようにデパ地下でフィーバーしているではありませんか⁉︎

食欲も「欲」の一つです。仙人どころか、食に関しては非常に強欲な人間です。

嘘を言ってすみません。。。


いずれにしても、衣替えをしても、太りすぎて着られる服がない!などということになると、欲しくもない服を買うことになるので、それだけは要注意

今回はコロナ太りはしたものの、なんとか秋までには戻すことができたので、今シーズンはクリアです。

私の衣替えは、寒くなったらこれが着られる!という「楽しみ」ではなく、簡単に終わったわという「楽」な衣替えなのでした。





ちなみに、今日はイギリスのミュージシャンであったMarc Bolanマーク・ボラン)の生まれた日です。

いまのお若い方にとっては、よほどグラムロックなどに傾倒していない限りは、きっとご存知ないミュージシャンだと思います。
それこそ、私がマーク・ボランの音楽に出会ったとき、すでに彼はこの世にいませんでしたから。

私にとってブリティッシュロックの入口はエルビス・コステロでしたが、その後デヴィッド・ボウイをしるところとなり、その流れでのTレックスマーク・ボランでした。

ビジュアル的にグラムロック系の方々のメイクなど、それがあの美しかったボウイでさえ、あまり好みとは言えませんでしたが、あのメロディアスでポップな音楽に10代の多感だった少女はすっかり夢中になりました。

横浜銀蠅命!な硬派なクラスメイト達から、「そんなの聴いてて面白いのか?」と、まるで変人でも見るような視線を送られていたのを思い出します。
いじめのようなことをしていた不良でさえも、極端な異端児は薄気味悪い存在だったようです(笑)

私が20代でイギリスへ渡ったのも、この音楽を肌で感じてみたいという、心の隅にあった願望を数年後に実現させたものだったのです。

今では全く聴くことなくなったマーク・ボランですが、今日久しぶりにTレックスを聴きました。

ただ、悲しいことに10代の頃のような熱狂を自分の中に感じることはありませんでした。

40年近くも経過していれば、感受性というアンテナも老朽化したのでしょう。。。

チューリップの球根を植える「楽」

2020年9月29日(火)

ここのところ毎日よいお天気が続いています。
あまり天気に気分を左右される方ではありませんが、スッキリとした秋晴れの日は気持ちよく、活力も出てきます。


今日はようやくチューリップの球根を植えました。

しばらく前に夫が買ってきたものです。
花束のプレゼントならまだわかりますが、球根を贈るなど聞いたことがありません。
しかし、長年連れ添った夫にはわかるのです。私が喜ぶのはどちらなのかが。

今年の猛暑で、ベランダ花畑計画(ベランダに並べたプランターに色とりどりの花を咲かせる)が思うようにいかないどころか、毎年しっかり咲いていた花さえ枯れる始末。

多肉植物には水をあげ過ぎたせいで根腐れさせと、もうにわかガーデナーはやめたわ。。。と、すっかり不貞腐れていたのですが、夫はベランダに花が咲いているのを見るのが好きだったようです。

「また、なにか種を植えたら?」

などと、持ちかけてきていましたが、こんなに暑くちゃどうせまた枯れるわよ。と、ベランダガーデニングを片付けてしまっていたのです。

ところが。。。

枯れたと思っていた金木犀が、なんと息を吹き返し、新しい青々とした新芽を古い幹から芽吹かせ始めたのです。

おお!なんという生命力!

これに気をよくした私は、枯れる寸前に採取しておいた「金の成る木」の葉を植えて、根付くのを待つことにしました。

そしてコスモスは時期を逃したから、冬にはどんな花を咲かせることができるだろうか?と、再びベランダお花畑計画に乗り出したのでした。

そんな時に夫がもってきてくれたのが、チューリップの球根でした。






大きすぎて持て余していた鉢植えに、球根を植え、話しかけます。

「冬の寒さに耐え、来年にはピンクか黄色のチューリップを咲かせておくれ」

何色の球根を買ったのだか、パッケージもありません。ただ裸の球根だけもらったのです。そして夫自身もチューリップということ以外は知らないといいます。
きっとどこかの園芸店でセール品として並んでいたのでしょう。

しかし、それは全く問題ありません。

何かを育てる醍醐味とは、その変化と成長の度合いを日々確認できるということ。そして、とりあえずの「ゴール」が用意されていることです。

このチューリップが何色であろうが、芽が出て、伸びて、蕾ができ、それが膨らみ、やがては花を咲かせる。そして、枯れる。

そのプロセスをつぶさに観察することこそ、私の求めるところなのです。

クライマックスはもちろん開花した時ですが、それがだんだんと萎れ、終わりを迎えたときこそが、ゴールの時。

まさに感無量となる瞬間です。

「育てる」という行為は、とても難しいものですが、それ以上にやりがいや喜びがあったりもします。

花でも子育てでもそれは同じ。
いいことばかりではないけれど、試行錯誤しながら進むプロセスの中で、とんでもない喜びを得ることもできます。

私はそろそろ子育て卒業なので、今度はのんびりと花や木でも育てながら楽しもうと思ったのでした。





ちなみに、今日は韓国人俳優であるウォンビンさんの生まれた日です。

「ビン」といえば、いまやヒョンビン。しかし、こちらはウォンビンです。

昔々、まだ韓流の大波がこの日本に押し寄せる前、そよそよと打ち寄せている程度だった頃でしょうか、友人が「この人のファンなの」と見せてくれたのがウォンビンさんでした。

韓流にはまるでうとかった私には、よくわからなかったのですが、その後「韓流四天王」の一人に数えられる存在となり、「韓国のキムタク」と言われるくらいの人気者となったそうです。

最近、遅ればせながら私も韓流ドラマを楽しむようになりました。コロナ禍の自粛期間中にどっぷりとハマりました。

しかし、人気のドラマにもはやウォンビンさんはいません。「四天王」と謳われた他の方々の姿も見えません。

世代交代という言葉が頭に浮かびます。
どんな世界でも、その時代を代表する顔は変わるもの。
ましてや、回転率の異常に早いと思われる韓国芸能界では尚更でしょう。

今更ながら、「ウォンビンのいま」を調べてみたところ、やはり目立った活動、つまりドラマや映画への出演はあまりないようです。

イケメンな若者を観るのも福眼ですが、男性にとっては40代も素敵な年齢です。
ウォンビンさんの全盛期を完全に逃した、乗り遅れた韓流ドラマファンにも、もう一度チャンスを!
ちょっと大人な姿を再び見せて欲しいものです。

追記
9月29日は韓国の旧暦によるもので、新暦だとウォンビンさんのお誕生日は11月10日になります。
プロフィールなどを見ると、ウォンビンさんの場合はどちらも出てきますが、今回は旧暦としましたので、あしからず。。。

見知らぬ街を歩く「楽」

2020年9月28日(月)

今日は月曜日。久しぶりにスッキリと晴れて気持ちのよい朝でした。

前々からお友達と約束をしていた通り、今日は朝から少し遠い街へ行きました。

ランチといえばいつも近隣にある馴染みの店で済ませることが多いのですが、たまには気分を変えて、少し離れた街まで遠征してみようというわけです。


東京といっても、それはそれは広く、生まれてから50年以上経った今でも、まだ一度も訪れたことのない街もあるくらいです。

若い時は、遊ぶと言えば、表参道、原宿、渋谷、新宿、六本木など、繁華街のようなところ、そして今は銀座や日本橋などもう少し落ち着いたエリアにも行くようになりましたが、毎度毎度そんなところばかりだと、さすがにマンネリ化は否めません。

そこで、たまには気分を変えて、行ったことのない街を歩いてみるのも楽しいかも!と、最近はちょっと足を延ばして、色々な場所に行くようになりました。


エリアも変われば住んでいる人のタイプも、街の雰囲気もまったく違い、戸惑いながらも妙な新鮮さもありで、なかなか楽しいものです。

こんな時、いつも細かいプランニングはしません。とりあえず、メインとなるランチの店くらいは、あらかじめネットなどで情報収集しておきますが、後は行き当たりばったり。

お茶を飲むのも、買い物をするのも、その場で見つけたお店に入ります。

ただ、都心部のように、どこにでもお店があるわけではありません。

時にはショッピングを楽しむ店もなく、一休みするカフェすらなく、駅のすぐそばは線路と住宅のみ、なんてところもあり、困ることもあります。

それでも、それはそれでOKです。
ここがダメなら、隣の駅まで行けばあるかも?と、テクテクと移動したり。。。

別に急ぐ旅でもあるまいし。。。とばかりに、フットワーク軽くあちこち歩き回るのです。





歳をとればとるほどに、楽をしようと、勝手知ったるエリアで安心して過ごしたいと思うものですが、たまには見知らぬ街に降り立って、不便な思いをするのも、一つの新しい経験です。

未知の物事を恐れるのではなく、面白がれる。そんな老人になれれば、どんなに老いても生きていくのも楽しいものだと思えるようになる気がします。

幾つになっても、躊躇することなく、それこそ海外の見知らぬ国でも、思い立ったら一人でポンと行けるくらいの気力を持っていたいものです。


今日訪れた街は、何にもありませんでした。
たまたまあった和食屋さんで、お魚のランチを食べ、あとはぶらぶら。歩き疲れたら、カフェのありそうな場所までまた移動して一休み。

お買い物もしたいところでしたが、何もないので、結局はお昼を食べて、お茶を飲んで帰ってきました。

それだけでも、とても楽しい一日でした。

さて、次はどこの街を歩いてみようか?

東京ぶらり旅はまだまだ続きそうです。





ちなみに、今日は歌手である内藤やす子さんの生まれた日です。

きっとお若い方は見たことも聞いたこともないと思う方がほとんどでしょうが、昭和真っ只中を生きてきた人には懐かしく思われる歌い手さんです。

ちょっと蓮っ葉な雰囲気に時にドギツイメイク、そしてしゃがれたようなハスキーボイスのワイルド系。
昭和の頃には、たまに見かけたタイプですが、今はもう滅多にみることはありません。

アラフィフの私でも、「少し古い?」というくらい、昔に活躍した方ですが、私は彼女の持ち歌である『六本木ララバイ』という曲がとても好きで、カラオケといえば、決まって『六本木ララバイ』でした。

今ではカラオケボックスなどが当たり前ですが、昔々はカラオケといえばスナックでした。

今の私は「カラオケなんて絶対無理、大嫌い」と言って、もう何十年と歌など歌ったことはありませんが、昔はスナックで地元民というオーディエンスの前で、恥ずかしげもなく熱唱していたのです。
見ず知らずの他人が見守る中、平気でマイク片手に熱唱できるのもすごいですが、ピューピュー!っと場を盛り上げられたりなどすると、もう自分がとんでもなく歌の上手い人間になったと錯覚してしまうのです。

この客観性のなさは、まさに若さゆえだったのか?

とにかく、そんな時に歌っていたのが『六本木ララバイ』でした。まさに私のオハコと言われた曲。。。

今でもテレビなどで「昭和の名曲」など特集番組があるときは、この歌が流れてきたりします。

羞恥を知らぬ若かりし頃の自分と、よき昭和の時代を思い出し、ちょっとメランコリックな気持ちになるのでした。。。

姉妹の姿に「喜」

2020年9月27日(日)


久しぶりに晴れ間の見えた日曜日です。
朝からシーツなど大物のお洗濯をし、ブログ2本書いて、昼前にお買い物へ出かけました。

週末は家にいることが多いのですが、今日は珍しく子供達が姉妹2人でお出かけするというので、私も一人でぶらぶらしてこようと思ったのです。

新型コロナ以降、家族が共に過ごす時間が増えました。とりわけ大学生である長女は、それまでの忙しい生活はなんだったのだろう?というくらいに毎日家にいます。

友達との夜遊びもまったくなし、バイトも休眠状態で、週に一度友達とランチなどに出かけるか、美容院やネールなどに行くくらいで、あとはずっと家にいます。

次女はといえば、大学受験を控えているため週のうち6日は予備校通いですが、高校の方はいまだにリモートの日も多く、それ以外は家から出ることはありません。

若い彼女たちがこんな生活で大丈夫なのだろうか?

自分の若い頃を思い出して、少し心配になることもあります。
若さの持つエネルギーの行き場がなくなった時の弊害とはどんなものか?常に発散してきた人間には想像がつきません。

わからないこその怖さがあります。





最近、若い人の自死が増えているという記事を見ました。
このような窮屈極まりない社会を当たり前として生きていれば、心が疲弊してくるのは想像に難くありません。

私のように50も過ぎた年齢になれば、開き直ったりと、ふてぶてしくもなれますが、若い人にとっては暗い洞穴の中にいるような感じなのかもしれません。
声を上げても誰にも届かないのではという絶望、真っ暗などん詰まり状態で逃げ場もなく、諦めることだけが唯一の道としか思えなくなるという。。。

私は人生を諦めるほど、真面目に生きてきた人間ではないので、絶望するということが感覚的にはわかりません。

しかし、わからないことに目を背けていたら、きっと見落とすこともあるだろうと、なるべく周囲に目を向けるよう意識するようになりました。
しかし、それも家族のためです。

自分がいくら幸せだと思っていても、家族が苦しんでいるとしたら、それは私にとっての不幸も同然です。

自分の決断で子を産み、育てている以上は、最低限子供達が幸せに暮らせるように努力するのが親の務めです。

それは経済的なことのみならず、心身の健康をも守ることも含めてです。

しかし、親としての責任を全うするのも簡単ではありません。

家族といえども、自分とはまったく違った個性をもった人間の集合体です。
毎日自分と同じものを食べているからといって、家族が私と同じように感じ、心を動かすことはないのです。

それは、いつも娘たちが言われていることで気付かされたことでもあります。

「誰もがマミーのような人間じゃないから」

辛いこと、嫌なことがあればなんでも大声で口にして、不満があればすべて吐き出す、ジタバタと足掻いてどうにもならなければ、お腹いっぱい食べて、寝てしまう。
そして、翌朝にはきれいさっぱり忘れてしまえる人。。。

子供達の目に映る私は、まるで傍若無人なライオンのようです。
反論したい部分もありますが、大方間違ってはいないので黙っているほかありませんが。

こんな繊細さとは無縁と思われる私だからこそ、家族の心がどのように揺れているのかがわからず、不安になることがあるのです。

特に子供達のことは、常に心配しています。こんなライオンでも我が子は幾つになっても、最も大切な存在なのです。

子供達の心が健全に保たれ、ささやかでも「自分は幸せだ」と思えるようできることはしたいのです。

時に、一緒に買い物へ行ったり、ランチを食べに行こうと誘ったり、一緒に家でNetflixなんかを楽しんだり、少しでも楽しいと思える時間を増やそうと、あれこれ画策していますが、親とそんなことをしていて楽しいのかな?と思わないでもありません。

さりとて、無理やり「お友達と夜遊びでもしてきなさい!」とも言えません。

コロナの脅威が完全に去ったわけでもないので、もしも感染したら、「ふらふら遊んでるからでしょ!」と、劣化の如く怒り狂う自分が想像できます。

難しいものです。。。

ただ、思うことは、立派な人間になるよりも、幸せな人間になってほしいということです。


今日は姉妹二人でお出かけする姿を見て、少し嬉しくなりました。
まるでタイプも性格も好みも違う2人ですが、気兼ねなく一緒にいられるという点では、やはり姉妹なのでしょう。

私も安心して、お買い物へ出かけましたが、なんの予定もなく暇だったのか、夫が荷物持つとしてついてきました。

いつもなら、連れていきませんが、まだ肩の痛みが回復していませんでしたし、キャベツ丸ごと、ジャガイモやフルーツなど重量のあるものが買えるので、同行してもらいました。

ランチはタイ料理のお店で、私はパッタイ、夫はガパオライスと生春巻を食べて帰りました。





ちなみに、今日はイラストレーターである西村玲子さんの生まれた日です。

名前を聞いてもピンとこないという方も、イラストを見れば、なんとなく見たことあるわ。。。と思う人も多いでしょう。

アラフィフ世代に我々にとっては、丁寧な暮らしを意識しだすと、必ず視界に入ってくるのが、この人の感性です。

クロワッサン的なお洒落さ、抜け感なども適度にあって、そのくせ計算し尽くされてる感がチラホラ見え隠れする、上級シニアの好むところがこの西村玲子さん的なものなのです。

若さが邪魔になるお洒落、そんなものを目指し、

ちょっと他のおばちゃんとは違うよのよ。わたし。。。

そんな中年を目指したい人には、西村玲子さんのファッション指南書やエッセイが最高のバイブルとなるでしょう。

あと10歳くらい歳を重ねたら、私も手にとってみようかと思っています。