365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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『光陰矢の如し』を実感する「哀」

2020年10月12日(月)

今日は月曜日です。
週末ゆっくりした分、だいたい週の始まりはなんとなくバタバタするのですのが、今日もそうでした。

夫と子供を送り出した後、家事を済ませ、午後にちょっとした用事で子供の通う学校へ顔を出し、そのあと子供をクリニックに連れて行き、帰りがけに買い物と、子供の用事で動いた一日でした。

大きくなったとはいえ、高校を卒業するまでは、なにかとやらねばならぬことがあるものです。

帰宅する頃には、とっぷりと日が暮れていました。

最近、本当に時間の流れが倍速に過ぎているのではないかと思うほど、早く感じます。

気づくと一日が、一週間が、1ヶ月があっという間に終わっているのです。その間、何をしていたかと言えば、特別なことはなく、ただ同じようなことを繰り返しているだけ。。。

ちょっと虚しくなったりもします。





いつでも時間はあっという間に過ぎてしまう。。。

若い頃からそんな感覚を持っていましたが、ここ数年はこれまでとはちょっと違った感じがしています。

時間の流れに対する感覚の変化については諸説ありますが、私の中では説得力のあるものがあまりないのです。

年齢的に、体内時計に関するものでは?と言う人もいます。

これは代謝の衰えによって、体内時計が早く進み、時間の流れも早くなるという説です。

代謝が衰えると体温が低くなりますが、私は常に35度台半ばと低めです。
これは若い頃からなので、年齢とは関係がないようにも思えますが、代謝は確実に落ちているのは、贅肉のつき具合で実感しています。

思えば、若い頃からずっと時間の流れが早いと感じていたような気がします。
今ほどではないですが、「楽しい時はあっという間よね」なんてことをよく言っていたので、そう感じていたのでしょう。

楽しいこと、自分の好きなことをしていると、時間が早く過ぎると言いますが、そんな感じだったのでしょうか?

なんと言っても、若さと未来への希望に満ち溢れ、怖いものなしの頃です。何をやっても楽しかったのでしょう。

あれもこれもと欲張り、「1日せめて36時間欲しい!」と、口癖のように言っていました(笑)

いまだ、何かにつけて「時間の無駄」と考えるのも、時間があっという間に過ぎ去ってしまうと実感することが多かったたせいかも知れません。

そんな早く過ぎていく時間が、ここ数年でさらにスピードを増していると感じているのです。

なんにもしていないのに。。。

もう恐怖を感じるほど、猛スピードで、それはバスから飛行機に乗り換えたくらいの、大きな違いといってもいいくらい極端に感じ方が変わっています。

そのうち、瞬きをしただけで、翌日になっていた。。。なんてことになるかと思うと恐ろしくてたまりません。。。

また、別のお友達は、時間の経過に向けられる意識の頻度が高ければ高いほど、時間が長く感じられると言っていました。

私よりも若い友人です。。。

つまり私は時間を意識せずに行動しているということでしょうか?

それも違います。。。

主婦とは細切れの時間の中で、自分の人生を生きているようなものなので、常に時間には意識を向けています。

それならば、1日がもっと長くてもいいのに、忙しなく通り過ぎて行ってしまうのはどうしてなのでしょう?

もうこの時の流れに対する感覚は変わらないのでしょうか。

もっと歳をとって、窓際でお茶を飲みながら、外の景色をぼんやりと見ている。。。

そんな生活になれば、またゆったりと時が流れるようになるのでしょうか?

それとも、さらに猛スピードで過ぎていくのか。。。

ちょっと哀し過ぎます。。。

実際は誰でも平等に、1日24時間与えられています。
ただ感じ方違うだけ。。。
そうわかっていても、なす術がないというのは、困ったものです。





時間とは無限ではなく有限です。

早く過ぎていくと感じるのなら、それを阻止することができないのならば、そのスピードに追いつくほどに、走るしかないのでは?などと考えます。

しかし、言うは易し。。。

実際は走りたくても持久力も瞬発力も衰える一方です。

時間が早く過ぎていくと感じることは、それだけすごいスピードで老いに向かっているような気にさせられます。
最近は時の流れとセットで老いが頭に浮かぶようになりました。

見た目の劣化は仕方ないとしても、体のあちこち自由がきかなくなる未来を想像したくないのです。

一般的には、退屈を感じている時、何もしていない時は、時間がゆっくり過ぎていくように感じる。

そう言われています。

ということは、私もそんな何にもしない日々を送っていれば、また時が止まったように感じられるのでしょうか。。。

ちょっと試してみたい気もしますが、きっと「時間の無駄、時間の無駄」と、発狂しかねません(笑)

老いを感じながらも全力で走るか、それに目を背けるために何もしないで過ごすか。

難しい問題です。。。

「光陰矢の如し」

そう言った人も、同じように感じながら、矢のように過ぎていく時を生きていたのでしょうね。。。





ちなみに今日はイタリアの国宝とも言われる、オペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティさんの生まれた日です。

この「神に祝福された声」を私は若い頃に一度だけ聴いたことがあります。

1990年代初頭のロンドンでのことでした。
ハイドパークで行われたある催しに招聘されたパヴァロッティさんが、その歌声を披露したのです。

それはチケットや入場規制などはなく、公園にいる人であれば、誰でもフリーで観覧できるという夢のような催しでした。

どんな催しだったのか、具体的には思い出せないのですが、その日は老若男女問わず、多くの人が公園に集っていました。

みんなパヴァロッティさんの姿を一目見ようと集まってきた人々です。

私もこんな機会は一生に一度あるかないかだと、勇んで早くからその登場を待っていました。

他にも出演者がいたと思うのですが、パヴァロッティさん以外は残念ながら思い出せません。
それほどにパヴァロッティさんの存在感は突出したものだったのです。

公園の野外ステージに立ったパヴァロッティさんは大きくて、まるで天からオーロラ色のスポットライトを浴びているようでした。
いまでもその姿はよく覚えています。

公園を包み込むように響き渡るテノールは、まさに鳥肌が立つほどで、音響設備の良し悪しを超えたものでした。

貧富の差や人種、それらを取り払い、万人に最高の芸術に触れる機会を与えてくれるとは、なんとすごいことをやってのけるのか!
意地悪な英国人に辟易としながらも、この国の素晴らしい面を一つ発見した瞬間でした。

神に祝福された素晴らしい歌声は、人を選ばず、全ての人の耳に感動と共に響き渡ったのでした。。。

往生際の悪さ=諦めないことで得られる「喜」

2020年10月11日(日)

今日は朝から大変嬉しいことがありました。

こんな日は一日中ご機嫌に過ごせるので、共に暮らす家族にとっても喜ばしいことです。

いつもお菓子のことばかりで、我ながら他に考えることはないのか?と思わないでもありませんが、趣味のようなものなので仕方ありません。
家族も諦めています。

そんなお菓子脳主婦は、今朝も早くから、いつものようにお菓子のオンライン散歩をしていました。

これは新規開拓及び、購入困難品をゲットするチャンスを得るための網張り行為です。

購入困難品は不定期で販売されるものが多いのですが、出たと思ったらすぐ「完売」となってしまうため、タイミングが重要といえます。しかし、昨今ではお店がSNSなどを使い事前に情報発信することも多いので、日々の情報収集も不可欠です。

とはいえ、誰もが一日中ネットに張り付いていられるわけではありません。FXを生業とでもしているなら別ですが、主婦には家事労働というミッションもあるため、情報を得るタイミングを逸してしまうこともよくあります。

そんなわけで、無駄な早起きばかりしている私にとって、朝のひと時はお菓子狩りには最適な時間なのです。





今朝は、昨日「完売」とされていたお菓子をどうにかゲットできないものかと、パトロールに出かけました。

昨日は販売情報を得るのが遅かったため、涙を飲みましたが、そんな塩辛い水をちょこっと飲んだところで、諦められるものではありません。
このお菓子に関しては、これまで数えきれないほど繰り返してきたことで、ある意味「完売」が普通の状態なのです。

なんと言っても、私が今世界で一番食べたいお菓子として、殿堂入りしている逸品なのですから。

以前もこのブログで書いたことがありましたが、私は往生際が悪いのです。

どんなものでも、欲しいものがあれば、手に入るまで追い続けるという、ストレス多き性分なのです。

まだ単身で自由であった若い頃には、欲しい服1着のために、わざわざパリまで飛行機に乗り探しに行き、友人たちから狂人扱いされたなんてこともありました。
当時はネット通販などなかった時代なので、手に入れるためには現地へ行くしかなかったのです。

何事も度を過ぎてはいけませんので、このような困った性分は本来なら直すべきなのですが、持って生まれた気質なのでどうにもなりません。

しかしながら、こんな困った性分が功を成すこともあります。それも改善されない要因の一つなのでしょう。

悪あがきの末に、自分にとって最高な結果が得られる。。。そんな経験をしてしまったら、直りませんね。。。

諦めたらそこで終わりです。終わりにしたくなければ、往生際悪くも食らいついていくほかありません。

そんな心意気で、一度は「完売」となったお菓子のサイトを何度でも訪問し、もう数え切れないほどの「完売」表示を見てもなお、毎日パトロールへ行くのです。

そんなことを繰り返すと、ある日幸運が巡ってくることが、人生には往々にしてあるもの。

これはお菓子に限ったことではなく、何事にも言えることです。

今朝はそんな幸運に恵まれた日でした。

一度「完売」とされたお目当てのお菓子が、こっそりと再販されていたのです。

すかさずクリック!

ですが、そのサイトからのお買い物は初めてだったので、会員登録がまだでした。

しくじったわ。。。

そう思いながらも、再び「完売」の二文字から逃れたいがため、必死でスマホに指を踊らせました。

このゲリラ的な販売が幸いし、無事にこのお菓子を手に入れることができたのです。

このお菓子に対する執念をこの何ヶ月も温かい目で見守ってきた家族からは、

「congratulations !」(おめでとう)

「well done !」(でかしたぞ!)

そんな声が飛び交ったのでした。

なんと幸せで幸運な朝だったでしょうか。





ここでまた、私の往生際の悪さ、諦めの悪さに拍車がかかったのは間違いありません。

諦めなかったことで得られることも多くあります。一つのことを延々と続けていくことで、それが成功に結びつくといった例はいくつもあります。

先日、ある番組で誰も見向きもしないようなことを好きだからと、延々と続けていた結果、それがビジネスとして成立したというケースが紹介されていました。

他人にとっては馬鹿げたことでも、自分にとってそれが尊いものであれば、それを追い続け、その結果誰もが想像し得なかった成功を手に入れたという、まさに諦めずにやり続けたことによる良い事例です。

しかし、反対に失うものもあります。
その事柄に夢中になり、とらわれすぎた結果、それ以外のことに対する好奇心を失い、別のチャンスを逃すこともあります。

成功に結びつけば、それは良い例となりますが、もしもなんの結果も得られなければ、それは時間を無駄にしただけの悪あがきで終わってしまいます。

どちらを選択するか?

往生際悪く、一つのことに執着するのか、潔く見切りをつけ、新しいことにチャレンジするのか?

迷うことも多いものですが、結局のところ、その判断基準は自分の欲求と生まれながらに備わった性分というものが、大きなキーとなるでしょう。

私は「諦めない」ことを選択し続けてきた人生ですが、勝率からいえば五分五分といったところ。

ただ、「心のままに」、「自分の思うままに」生きてこられた。
そう考えると、この選択は悪くなかったと思っています。

しかし、そんな選択を自分の子供達にしてほしいかと言えば、ノーとも言えます。

よく芸能人などが「自分の子供も芸能人になることを勧めますか?」と、そんな質問に対して、ほとんどの方がノーと言います。

それは目に見えない苦労があること、努力だけでなく様々な運が必要なことを承知しているからなのでしょう。

諦めない人生というのも、それと同じです。
一つのことに心をとらわれている生活はストレスにもなりますし、前述したとおり、運が良ければ良い結果が得られるけれど、運に見放されたままなら、何も得るものがないという結果になるのです。

さて、どちらがいいのでしょうか。。。

正直、私にもわかりませんが、やはり思いを遂げた時の喜びは、数々の失敗や無駄な時間をリセットし、まるで大きな花束でも貰った時のように、晴れ晴れとした気持ちになります。

花より団子なので、これはあくまでもたとえですが、とにかく今朝はこの往生際悪き性分が、喜びをもたらしてくれました。

なので、今日のところは「諦めない」ことに1票!といたしましょう。

Awesome !





ちなみに、今日のは『ビバリーヒルズ高校白書』でクールなイケメン「ディラン」役を演じたLuke Perry(ルーク・ペリー)さんの生まれた日です。

残念ながら、ルークさんは昨年3月にお亡くなりになっています。享年52歳という早すぎる死に、多くのビバヒルファンが涙したことでしょう。

なにぶん古い話で記憶も定かではないのですが、私がこの番組を観たのは多分ビデオか、友人が録画しておいたものを借りたか。。。ちょっとよく思い出せないのですが、全話しっかり観たのは確かです。

ストーリーは田舎町からビバリーヒルズに引っ越してきた双子の兄弟ブランドンとブレンダが、転校したビバヒルの高校でわちゃわちゃやるという学園もの。

今でいうところの、『ハイスクール・ミュージカル』?
これも少し古いですね。。。

とにかく、とっても人気のある番組でした。
私は主人公のブランドンよりも、ちょっとばかりワルでニヒルなディラン(ルーク・ペリー)の方が好きでした。
当時は、「ジェームス・ディーンの再来」などと言われていたくらい、素敵だったのです。

また、女の子の方もブランドンの双子の姉妹、シャナン・ドハーティー演じるブレンダよりも、ジェニー・ガース演じるケリー派というように、私は常に脇役好みなのでした。

しかし、その脇役(ルーク・ペリーとジェニー・ガース)が主役以上にゴージャスで、アメリカの高校生ってすごいわ!などドラマを真に受けて興奮したものです。

同じ仲良しグループ内でばかり、相手を変えて恋愛するという気持ち悪いことをしながらも、何故かそれが面白く感じられるという稀有なドラマ。

きっと今みても十分楽しめることでしょう。

ルークは亡くなってしまいましたが、ジェニー・ガースはちょっとおばちゃんにはなってしまいましたが、かつての美しさに目をつぶれば、まだまだ十分にイケています。
あの頃がある意味で美し過ぎたのです。。。

どんな些末なことに対しても後悔を残さない、丁寧な生き方は「喜」

2020年10月10日(土)

今日も朝から雨の東京。
どうやら台風はそれて、完全に上陸の恐れはなくなったようです。

一安心。

私は今日も終日家に閉じ籠っていますが、家族は違います。
夫はふらふらお出かけ、長女は久しぶりのバイト、そして次女は学校から予備校へと、なにやら忙しい様子。
他人事ながら(他人ではないけど)、天候は気になります。


一人閉じ籠っている私ですが、今日は家にいるべき理由がありました。

・予約しておいたお菓子が宅配便で届く。

・正午からお菓子の予約電話をしなければならない。


この二つの用事のため、家を空けることができなかったのです!

まさにお菓子に支配されています。。。


それもこれも、すべては「後悔」しないためです。

どんな小さなことでも、やりたかったこと、やろうと思っていたことを逃すと、後々後悔することになります。

「後悔」とは人によってかなり感じ方が違うものともいえます。

過ぎたことはクヨクヨせず、きれいさっぱり忘れて前に進める人。

後悔がいつまでも心の中に残り、それが澱のように溜まってしまう人。

私はいつだって「後ろは振り返らない」と、自分に言い聞かせて生きてきました。

後ろにも目がついているからでしょ?

などと、友人からは笑われていますが、ついているわけではありません。ただ、ちょとばかり小賢しいだけです。





とにかく、そのおかげで数々の失敗にもめげず、自分の中ではわりと上出来と思える今を生きていますが、それは「後悔を残さない」ということに、並々ならぬ情熱を持ってきたからなのです。

「後悔」というのは、やらなかった後悔と、やってしまったばかりに失敗した。。。という後悔があります。

私の場合はやらなかったことによって、その後悔が心の中で黒い霧のようにモヤモヤと自分の心を曇らせることがわかっているのです。
つまり、後に残る後悔です。

だからこそ、いつも一か八かでやってみるのです。その結果、失敗も数知れず。。。
もう、安易になんでもやろうとせずに、やらない選択というのもしてみるべき。。。
そう思っていた時期もあります。

しかし、それは私にとっては間違っていました。

それは、やったことによって生じる後悔は、やらなかった後悔よりも遥かに軽症で、すぐに忘れられるということが、長年の経験で分かってきたのです。

ただし、これは人によって答えは違うように思います。
人の性格、持って生まれた資質は千差万別。そうしたことを加味すれば、どうしたら後悔を残さずにすむか?その答えもまた異なるということなのです。

どうしたら、自分にとって最善の方法を知ることができるか?と言えば、やはり自分で経験するしかないでしょう。

失敗しても、後悔しても、一度経験することで、自分の心がどんなふうに揺れ動くか、よくわかるはずです。

自分のことは自分が1番よく分かっている。

よくそんなことを言う人がいますが、案外わからないものです。しかし、経験することによって、自分自身をより知ることができます。





人生とはまさに「選択」の連続です。
どちらの道をとるか?
それによって、自分の運命は変わるのか否か?

そんなことは誰にもわかりません。神様でさえ、人間のそんな些末に頓着はしていないでしょう。

ただ、見えない未来に、なんの保証もない未来に対して、私達はなんのヒントもなく、ただ予想だけで選択をしなければいけないのです。

その結果、自分が幸せになるか、不幸になるか、その責任すら自分に課せられるのですから、生きるとは大変なことです。。。

ただ、自分が責任を負うのなら、自分で生きる道を決める「自由」があるということです。

自由に選択した結果の後悔なら、ありがたく受け入れ、さっさとポイ捨て。
どんなにたくさんの後悔に見舞われようが、私にとってはやったことに対する後悔は、ゴミ同然です。

そうとはいえ、後悔など誰もしたくはありません。それは私も同じことです。

そのためには、どんな些細なことでも、きちんと考えて選択すること。
ミスをしないよう、全力を尽くすしかありません。

全力を尽くすというのも、ものすごく大層な感じですが、自分自身が「やれるだけはやった」と、感じられればOKなのです。

だからこそ、私は家にいたのです!


この雨の中、配達をしてくれる業者さんから、いち早くお菓子を受け取ること。

そして、かつてのチケットピア並みに繋がらないであろう、人気菓子の電話予約を制するために。





お菓子案件は、人の人生を語るほどの一大事ではありませんが、この小さき一つ一つのことを丁寧に選択していくことこそ、意味があるのです。

私達の一日は言ってみれば小さな出来事の集合体のようなものなのですから。

人というのは慣れる生き物です。その一つ一つをおざなりにしていると、やがてそれが習慣となり、細かいことに目がいかなくなるものです。

お掃除に例えれば、大きなゴミばかりを拾っているうちに、塵や埃が薄っすらと積もって、やがてひどい汚れに変化すると言った感じでしょうか。

それと同じで、些細なことでの後悔を繰り返していると、それに慣れてしまうのです。

慣れてしまえば、そもそも後悔を感じるほど心に痛手を負うこともないだろう。

そう考えられる人は、それでOKです!

しかし、そうでない人もいます。
どんな小さなことでも「悔しい」と後悔してしまう私のような人間にとっては、その都度「悔しい!」とイギーッとなること自体がダメージになるのです。

こんなイギーッとなる瞬間を少しでも減らすために、私はたかがお菓子に全力を尽くすのです。


そんなわけでは、本日はたとえ小さな後悔もするまい!と、一日家でお菓子を待ったり、電話をしたり、その合間にブログを書いたりして過ごしました。

一人だったので、お腹は空いていたものの、お昼を食べ損なってしまったので、夕方には力尽きましたが、ちょうど帰宅した夫が、空腹のためにグッタリとしている私を見て、

「これはまずい!機嫌が悪くなる前にどうにかしなければ!」

そう思って逃げ出したと思ったら、近所のインド人のおじさんがやっているレストランから私の好きなマトンのカレーとナンを大量にテイクアウトしてきました。

そのおかげで、晩ご飯作りからも解放され、お腹も満たされ、よい気分で1日を終えることができました。

欲しかったお菓子も無事に予約完了、宅急便もこの悪天候の中、しっかりと届けて頂きました。

なにはともあれ、嬉しい一日でした。

Thank you





ちなみに今日は元ZELDAのヴォーカル、高橋佐代子さんの生まれた日です。

この名前を聞いて「ああ、あの人ね」とわかる人はそう多くないと思います。

私も最初は「?」聞き覚えはあるけれど、誰だったかしら?と思ったほどですから。
それほど遠い記憶だったのです。

まだ10代のはじめ、歳上の友達に連れて行ってもらったライブで初めて『ZELDA』を知りました。

ニューウェーブにカテゴライズされるのか?なんだかよくわからないジャンルの音楽で、戸惑ったのを覚えています。
そして、それを演奏していたのが、全員女性だったというのも驚きでした。

今でこそ珍しくはありませんが、80年代初頭は女性だけで構成されたロックバンドはとても珍しかったのです。

その中にいた一人が高橋佐代子さんでした。

黒いつばのあるフェルト帽子を被り、その脇から2本の細い三つ編みの髪が垂れていました。

服も真っ黒で、暗く揺蕩うような音楽に合わせ、声を張り上げたかと思ったら、突然裏返ったり、とても不思議で印象的でした。

私よりもいくつか歳上の人でしたが、その姿は少女のようで、可愛いなぁと思った記憶があります。

今の彼女の年齢から遡ってみると、当時まだ高校生くらいだったのでしょう。
どうりで他のメンバーと比較して可愛かったわけです。

懐かしさからググってみたところ、いまだに音楽活動は継続しているようですね。
しかも、娘さんまでが音楽の道に進んだと。。。

ここでもまた、時の流れを感じます。

青春とも言える十代のある一日を切り取った記憶は、最終的に自分の老いを再確認することになったのでした(泣)

私流ブログの「楽」しみ方、書き方。

2020年10月9日(金)

早いものでもう金曜日⁉︎
時の流れとは、なんと早いことか。。。

今日の東京は朝から雨。台風が近づいていてこの週末もお天気はよくなさそうなので、予定は入れず、ガッツリと家で過ごすことにしました。

今日はちょこっとブログと、韓流ドラマ鑑賞の日でした。


普段、ブログを書く時間は決めていません。毎日朝早くから起きているので、朝に書くことが多いのですが、それ以外の隙間時間にスマホを開いては、ちょこ、ちょこ、ちょこっと、書いたりしています。

私のメインブログはこちらではなく、お菓子トピックのブログになるので、その日のお三時にいただくお菓子の写真を、ランチの後に撮ったりもしています。

一度に複数の記事を書くことが多いのですが、一通り文章を書き、そこに写真を差し込むまでの作業を終わらせ、あとは下書きに入れておきます。

その中から、その日投稿する記事を選び、推敲するのですが、おそらくはそれが一番時間のかかる作業です。

メインブログはそうしていますが、サブブログに関しては、ちょっと違います。

特にこのブログは、そこまでしっかり推敲はしません。情報発信ではなく、あくまでも個人の日記なので、せいぜい誤字脱字をチェックする程度で、投稿する前にちゃちゃっと書いてアップです。

もう一つのサブブログに関しては、わりと感情的なトピックも多かったりするので、書きたいことがある時だけ、ザーッと書いて、あとは下書きに入れておき、しばらくクールダウンしてから読み直すようにしています。
もっと更新頻度を上げたいとは思っていますが、なかなか3つのブログとなると手が回らないのです(笑)





どのブログを書くときでも共通しているのは、無理やりトピックを捻り出したりはしないということです。

このブログは日記なので、日々起こることの全てがネタになるといえばなるわけで、基本的に毎日更新ですが、それでも特に書きたいことがなければ無理やり文章を長引かせたりはしません。

それこそ、なにもなければ、

「今日はなにもなかったので、寝ていました」

そんな一文になる可能性だってあるのです。

でも、それでいいのです。長ければいいというものではありませんので。

ただ、中年の主婦というのは、元々饒舌な生き物なのでしょう。
あれも書きたい!これも、そういえばあれもあったわ!

そんな風に次から次へと、まるで井戸端会議でもするように、言葉が走り出してしまうのです。

もしこれが文字数の限定された紙媒体などであったら、増刊号を出さねばならないほどでしょう。

そんな感じなので、今時の若者のようにTwitterなどは苦手なのです。
一応はアカウントを持っていますが、ツイート内容はすべて、「お菓子記事アップしました。#はてなブログ」です(笑)





今日は主婦のデイリーワークである家事を午前中に済ませ、その後はメインブログを5本ほど書きました。

そして、子供たちのリモート授業が始まるタイミングで、ソファーにどっかりと寝そべり、夕方までNetflix三昧でした。

ドラマ鑑賞が過ぎると、ブログに割く時間がなくなります。
まぁ、たまにはそんな日があってもいいでしょう。

ブログは「書かなければいけないもの」ではなく、「書きたいから書く」、それが一番の楽しみ方なのです。

今日のような雨の日は、暗い部屋でのんびりドラマ鑑賞するにはうってつけ。時間があるからとブログばかり書いていたら老眼に響くので(笑)

Take it easy





ちなみに今日は、イギリスのロックグループ、ビートルズのメンバーであったジョン・レノンさんの生まれた日です。

説明不要のビッグネームですが、ちょっと「イマジン」しただけで、今でも老若男女問わず、彼の名を知らない人はいないというくらい有名な方です。

ジョンが暗殺された日、朝学校へ行くとコアなビートルズファンであったクラスメートが泣き崩れていたのをいまだに思い出します。

私はビートルズよりもラズベリーズ派だったので、あまりよく知りはしませんでしたが。。。

数年前にニューヨークへ行った際、ダコタハウスの近く、セントラルパーク内の「ストロベリーフィールズ」を訪れたことがありました。

彼がいなくなってから何十年と経っても、たくさんのファンが、いまだ彼の不在を悲しんでいるのを見て、ちょっとビックリしたものです。。。

そういえば、私が知る数少ないビートルズの楽曲の中で、一番好きな曲が『Strawberry Fields Forever』でしたっけ。

気象病と睡眠負債の「怒」

2020年10月8日(木)

昨日からの台風の影響で、今日も雨模様の一日でしたが、朝の目覚めよろしく、いつも通り家事を一気に済ませました。
しかし、外出の予定がキャンセルとなったせいか、カクンとそれまでの勢いはどうした?というくらい、突然の睡魔に襲われたのでした。

たまにあるのです。とても眠くてたまらなくなることが。

最近よく言われている「気象病」という病があります。
台風などの影響で低気圧が押し寄せてくることによって、体調が悪くなるというもので、主に頭痛や倦怠感、吐き気、関節痛、喘息など身体症状がでたり、メンタル面でもわけもなく落ち込む、鬱などの症状が出てくると言われています。

今日、会う予定だったお友達もそんな「気象病」のせいで、昨夜から頭痛が治らず、すこぶる体調不良とのことで、ではキャンセルしましょうとなったのです。

私の睡魔も実は「気象病」の一症状では?と、常々思っていたのですが、お友達から言わせると、「あなたのは違う」と言います。

私が冬眠した熊のような症状になるのは、必ず暇ができた時であり、やることさえあれば、どんな低気圧もものともせず、動き回っているではないか!と。。。

そんなことはない!と反論するも、多勢に無勢でいつだって反論の余地さえ与えてもらえないのです。

中年のおばさんが集まると怖い。。。

私だってお天気が悪かったりすると、古傷が痛んだり、怠いな。。。と、感じることくらいはあります。
滅多にはありませんが、もしかしたら過去の頭痛だってそうしたことが原因かもしれないのです。

ただ、それを表に出さないだけです。
小動物のように、少しでも弱っていると気づかれたら、お腹を空かせたハイエナの餌食になるかもしれない⁉︎
そんな危機意識によって、あえて元気に振る舞っているのです。

そんな心のうちを知らぬ友人たちは、まるで私がゲリラ豪雨並みの強い雨に打たれようが、風速60メートルの暴風に煽られようが、『雨に唄えば』のジーン・ケリーさながら、雨の中を歌いながら踊っているというイメージを持っています。

断じてそんなことはないのに。。。

みんなの言うように、私を時折襲う争い難いまでの睡魔が気象病と認められないのなら、一体その正体はなんなのよ⁉︎

そう尋ねたところ、「借金の返済」という思わぬ答えが返ってきました。

これは「睡眠」を「借金」に置き換えたもので、つまりはこれまでの睡眠不足を補って(返済)いるのでは?と、そんな考察でした。





確かに昔から睡眠時間は短い方でした。

40代で大病を経験するまでは、睡眠など無駄、時間の浪費だなどと思っていたところがあります。
しかし、病気になった原因を自分で色々と考えた結果、それはストレス多き生活と睡眠不足によるものだと思い至ったのでした。以降、なるべくしっかり睡眠をとるように心がけ、とりわけ50を過ぎてからは、睡眠時間は多ければ多いほど免疫が上がるなどと考えるようになりました。

いずれにしても、我ながら極端だなと思いますが、とにかく睡眠を重視するようにはなりました。

あの、突然カクンと眠りに落ちるという症状が現れたのも、考えてみればその頃からでしょうか。。。


同じような年齢の友人達は、みんな口々に「眠れない」と言います。
ただでさえ、夜寝ていて何度も目覚めてしまうのに、お昼寝などした日には入眠すら難しくなると。

それに引き換え私はといえば、夜は一度寝たら朝まで目を覚ますことはなく、昼間に4時間、5時間の昼寝をしても、夜はまたいつも通り22時を過ぎると睡魔に襲われる。
つまり、寝ようと思えば、いつでも眠れるのです。

なるほど、これでは「気象病」には当てはまらない。。。

しかし、みんなの頭痛だとか気分が落ち込むとか、そんなことだって、言ってみれば低気圧に関係なく起きる時は起きるもの。

そうです!「気象病」の諸症状とは、どんな天候でも起こり得るものばかりです。それでもみんなは「気象病」という病気として認められているのに、私だけ「借金の返済」だなんて、ちょっと心外ではありませんか⁉︎

憤りを覚えます。。。

みんなは不可抗力、私は自業自得だと言われているようなものですからね。

なんとかして、私の睡魔も「気象病」の仲間入りをさせることはできないものか⁉︎

認めさせるには、ジーン・ケリー的なイメージを払拭し、まるで生まれたての小鹿みたいに、儚げなイメージを与えるしかないのか?

どうにかして、この睡魔を「気象病」にしたい!

そう思っていたところ、今朝娘が「ああ、低気圧だから軽く頭痛がする。。。」などと、ここにも一人「気象病」を訴える人間がいました。

「私も低気圧のせいで眠い」

当たり前のような顔して言ってみたところ。。。

「マミーのは違うでしょ?どこだって、いつだって眠ちゃうじゃん」

娘にまで、私は低気圧にすら相手にされていないと宣言されたのです。

やはり、これは自分の弱さをことごとく隠し通してきた自縄自縛状態。。。

もはや手遅れなのでしょうか?

いや。。。

できることはあるはずです。
長年みんなの心に染み込んだイメージは、重曹を使っても、さらには強烈なウタマロクリーナーを用いても、決して白くなることはないでしょう。

ただでさえ、50年以上も経過し、すっかり枯れ葉のように茶色く変色した中年女達の心です。
一筋縄ではいきません。

そうなると。。。

古きを捨て、新たな人間関係の構築。

私のことを全く知らない人であれば、そもそも既存のイメージは存在しません。

しかし、たかが「気象病」が認められないという理由で、あの愉快な仲間たちを失うのは、それ以上の損失です。。。

この友人関係もまた、ウタマロクリーナーでは手に負えないほど強固なものなのです。

それにしても眠い。
やはりこの睡魔は普通とは違う。。。
病気に違いない。。。

なぜわかってもらえないのだ⁉︎

そんな、くだらないことに軽く怒りながら、うつらうつら過ごした一日なのでした。。。





ちなみに、今日は最近スポーツ庁長官に抜擢されたことでニュースにもなった、元ハンマー投げ金メダリストである室伏広治さんが生まれた日です。

この方、お父様がやはり有名なハンマー投げの選手で、お母様は外国の方というように、ハンマー投げをやるために生まれてきたきたような、筋骨隆々な体躯はまさにDNAの為せる技といってもいいでしょう。

最近はスポーツの世界もハーフのアスリートが大活躍しています。
身体的条件に優劣を左右されるスポーツにおいては、外国の強靭な遺伝子は大きなメリットになるのかもしれません。

もちろん、一流のアスリートになるためには、遺伝子以前に、相応の鍛錬が必要になります。
その人並みならぬ努力に加え、先天的要素が加わるとなれば、これはかなり有利になるのではと想像できます。

室伏氏も然りで、立派に結果を残され、果てはスポーツ庁長官という大役を担うまでになりました。

コロナの影響次第では、いまだどうなるかわからない東京オリンピックですが、なんとなく決行されそうな雰囲気がありますね。

室伏氏を抜擢したのも、オリンピックを見据えてのことでしょう。

実績、知名度、そしてルックス的にも文句なしの室伏広治さん。
これからますますの活動を期待したいと思います。

『国勢調査』締め切り日にスマホでチャチャチャチャーの「楽」

2020年10月7日(水)

今日は朝から友人達と食事に出かけていました。
買い物、食事の後、いつまでもお茶を飲みながらお喋りしていたせいで、すっかり遅くなり、帰りは雨に降られてしまいました。

普段なら、少しくらいの雨なら、打たれて歩きましょう!と思うところですが、おろし立ての白い靴が汚れやしないかと、駅の売店で欲しくもない大きなビニール傘を買うはめに。。。

いつまでものんびり遊んでいたことを少し後悔したのでした。。。

なんとか靴を汚さずに帰宅すると、ダイニングテーブルの上に『国勢調査』の封書が置いてありました。
今朝、家を出る前に自分で置いていったものです。

昨夜、夫のデスクに置きっぱなしになっているのを回収してきたもので、当然のことながら未回答。

いつ出すか?とギリギリまで待ちましたが、今日が締め切りです。
これはやはり私がやることになるのね。。。と、帰宅したらやるつもりで、忘れぬようにテーブルへ出しておいたのです。





昨今、この『国勢調査』を拒否する人が増えていると言います。
プライバシーに対する意識の高まりかららしいのですが、この調査は任意ではなく「義務」です。

我が家の夫も、何故そんなことをわざわざお知らせする必要がある?どんなことに使われるか想像すると、協力する気にはなれないと、常に消極的です。

しかし、協力もなにも、義務だというのなら、やるしかありません。

私は外国人である夫が日本で居住する上での責任者という役割を担っているのです!
法令遵守、義務の履行がしっかり行われるよう、監督する責任が!

国勢調査』を拒否したところで、特に罰則を受けたという話はこれまで聞いたことはありません。

それでも、やらねばならぬのです。

人の国で暮らしている限りは、自国にいる時以上にきちんとしなければいけません。
一般の日本人と比較すれば、当然のことながら信用のない外国人です。ただでさえうがった見方をされることが多いのですから、一点の曇りもあってはならないのです。

外国人はすぐに「プライバシー!」と騒ぎますが、そもそもこの『国勢調査』にある質問は、全て国が把握していることばかりです。

家族構成や勤め先など、区役所や税務署の皆さんならご存知なのですから、今更調査に協力したところで、こちらにデメリットが生じるとも思えません。

へそくりの額を嘘偽りなく申告せよ!

結婚前に付き合った男性の数は?

月にお菓子代にいくら注ぎ込んでいる?

そんな質問でもあれば、さすがの私も「プラパシー!」と叫ぶでしょうが、お国はそんなことが知りたい訳ではないようです。





調査内容に関しては、隠し立てするようなことはなにもないのですから、どこに問題があるなだろう?と思うのですが、夫にとっては、家族の項目や住んでいるところなど、詳細に知らせることに抵抗があるといいます。


私からすれば、家だって会社だって変わってしまえばそれまで。いつだって一度差し出した情報を無にすることもできるのです。

実際に我が家はもう何十年と日本で暮らしていますが、家を買う気もありません。家を所有することよりも、その時々で住みたい場所に移動する遊牧民的な自由を選択してきたからです。

仕事にしても然りで、夫は何度転職してきたことでしょう⁉︎
ヘッドハンティングなど、よい話があればその都度横に縦にと移動して、アラフィフとなった今でも落ち着く気配はありません。

私も同様で基本専業主婦ですが、気が向くと働いたり、数年おきにやっていることも変わっています。

まるで根無草のように生きてきた我が家にとっては、環境を変えることは非常に容易いことなのです。

調査に差し出した回答も、半年後には全く違ったものになっている可能性だってありますし、意図的にしようと思えばいつでもできます。

こんな状況でもまだプライバシー云々言っているのが、不思議です。。。

国勢調査』で差し出す情報など、義務を怠ってまで守り通すような秘密には値しません。


そんな訳で、外国人夫に対し監督責任を持った私が、最終日ギリギリセーフでしっかりと解答しておきました!

今はネットでも回答を送ることができるので、これはとっても楽です。

私は初めてスマホでやってみたのですが、たったの5分程度、チャチャチャチャーっと簡単に終わってしまいました。

わざわざ郵便ポストに出しに行ったりする手間を考えると、なんと便利になったことでしょう!

これで、未回答者リストからは外れ、いきなりピンポンの督促訪問を受けずに済みます。

国勢調査』を拒否したがために、ピンポンピンポン尋ねてこられて鬱陶しい思いをするくらいなら、さっさとスマホで処理する方が、私にとってはよほど楽なことなのです。





ちなみに今日は、チェロ奏者であるヨー・ヨー・マさんの生まれた日です。

私はクラシック音楽には明るくありませんが、唯一聴くのがこの方の音楽です。

チョロなど自分で弾いたことはおろか、触ったことすらありませんが、何故かこの方のチェロの音に魅了されたのです。

あれはかれこれ20年以上も前のことです。当時よく通っていた代官山のバーで、突然流れてきた重低音のタンゴ調楽曲に思わず耳を奪われました。

もちろん、その時はその音に耳がダンボになりつつも、どのような弦楽器が使用されているのか、誰が演奏しているのか、まったく知りませんでした。

「これ、すごく好きだわ」

バーテンダーに言った私の一言を聞いていた、常連の男性が、それは自分の持参したCDであると言い、これはヨー・ヨー・マという演奏家の弾く『リベルタンゴ』だと教えてくれたのです。

当時、すでにウィスキーのCMなどで使用されていたらしいのですが、元々ほとんどテレビを見ない上、日本と海外を行ったり来たりしていた頃で、私は観たことがなかったのです。

翌日、私はCDショップへ赴き、「ヨー・ヨー・マ」と記された数枚のCDを買いました。

ストレスや悩み多き私の魂を、浄化してくれるような静かで、力強い彼のチェロに、この何十年、どれだけ心癒されたことでしょうか。

それから数年後、一時期海外の田舎町で暮らしていたことがあります。
ちょうどその時、少し前に他界した映画音楽の巨匠であるエンニオ・モリコーネ氏とのコラボCDが発売されました。
しかし、田舎町ゆえ在庫もなく、取り寄せをお願いしかなり待たされたものでした。

しかし、苦難の多かったその国での暮らしに、力を与えてくれたのも、まさにそのCDだったのです。

傷だらけになった心をまるで魔法のように癒してしまう。それは心のお薬と言ってもいいほどでした。
ヨー・ヨー・マのチェロがなかったら、あの苦しかった日々を乗り越えられなかったことでしょう。
それほどに力を与えられたのです。

今でも心が疲れた時は、ヨー・ヨー・マのチョロを聴いています。

何十年経っても、その効き目は衰えることなく、私を救い続けてくれる稀有な存在なのです。

YoYoMa Forever

子供ではなく、未熟な大人であるという気づきの「哀」

2020年10月6日(火)

今朝は昨日と打って変わって朝からスッキリとした秋晴れ。

いつものように早起きをし、いつものように家事をしていたら、あっという間に昼近くになっていました。

先週は外出続きで、一日中家にいることが少なかったので、たかが掃除や洗濯でも、やり切れていない感ありで、、、というか、早く言えば手抜きだったので、今日はその分気合を入れました。


そもそも専業主婦の分際で、なぜ家事がやりきれないほど忙しいのだろう?

いいえ、「忙しい」というのはちょっと語弊があります。まったく忙しくありません。ただ勝手に出歩いて、そのような状況を自ら作り出しているだけです。。。

コロナ自粛中はほとんどステイホームでしたが、なんの不便もありませんでしたし、本来専業主婦などこんなものだろうと思っていました。

しかし、自分の中から自粛ムードが抜けた途端に、またふらふら。。。
家で過ごすのも快適なので、とても好きなのですが、どうして家にいられないか?


これは我慢が苦手という、性格のせいかもしれません。
なにか心の中にわだかまっていることがあると、それをどうにか解決しようとジタバタするのです。


物事は自分が動かない限りは山の如し。


アクションを起こさなければリアクションはなし。


若い頃からそう信じ、とにかく何かしら行動することで道はひらける。そうやって生きてきた癖が未だ抜けず、「待つ」ということができないのです。

時鳥を鳴くまで待った徳川家康ではなく、鳴かせてみせようとした豊臣秀吉みたいなものか?織田信長のように殺しちゃうぞ!くらいの気持ちもあったかもしれません。

今では自然の流れに任せ、待つことで結果が出ることもあると、過去の経験からわかるようになりました。

まるでブルドーザーのように山を切り崩していかなくても、雨や風、季節の移ろいなど自然の流れで形を変えていくこともあると。

分かっていても、待つことができないのは、「思い立ったら吉日」という気質も一因ではないかと思われます。

なにか思いつきがあると、すぐにやらなければ気が済まないのです。

例えば、家族での会話でも「こういうのがあると便利」などという話がでると、お店の開いている時間なら、そのまま出かけて持って帰ってきたり、お店が閉まっている時間帯であればネットでサクッとお買い物です。

買い物ならそれでいいのですが、家族で「ここに行きたいね」などという話題のときも、「いいわね〜。いきましょう!」と、いそいそ支度を始める私に、

「えっ⁉︎ いま?今日?」

そう言って、家族が戸惑いを見せるということも珍しくありません。

もう少し思慮深く、落ち着いで物事を考えてから行動しようと反省はするのですが、どうも気がつくと身体の方が先に動いてしまうのです。





今の忙しない生活も、買いたいものが一つでもあれば、わざわざ電車に乗って買いに行き、食べたいものがあればすぐに食べにいく、お友達からお茶や食事の誘いがあれば、時間の空いている限りは出かけていきます。
自分のことのみならず、夫や子供に係ることも「私、時間あるから代わりにやっておくわ」と、肩代わりできるものは一手に引き受けるので、その分用事も増えるという訳です。

手帳になにも書かれていない日でさえ、まだ手付かずのものはないだろうかと、頭の中にある記憶をゴソゴソと漁り、「おっ!これやりたかったのよね!」と、無理矢理引っ張り出してきて、ゆっくりできるはずの時間を潰していくのです。


コロナのおかげで、家でのんびりと過ごす楽しみを知ったので、以前に比べればまだマシになりましたが、もう少し余裕があってもと思います。。。

コロナ以前はそれこそ、毎日のように外出していたものですが、最近はあえて家でゆっくりする日を設けようと意識するようになりました。

それというのも、最近は外出が続くと疲れが溜まっていると感じることが増えたのです。
普段から無駄な早起きによって睡眠時間も多くないので、時に目が回ることもあるほどです。
更年期の影響かもしれませんが、まるで回転木馬に乗っているように、周りの景色が軽快にぐるぐる、ぐるぐる廻ります。

たまに回転木馬ライディング状態の私を見ているせいでしょうか、夫は毎日のように「少しは寝なさい」「少しはゆっくりしなさい」と言い残し、仕事へ出かけます。

いつも夫より寝るのが遅く、夫よりも早く起きるので、私がいつ寝ているか分からないといいます。
ちゃんと寝ているのですけど。。。

若い頃、よく「私はナポレオン・ボナパルトと同じ睡眠時間で十分!」というのが口癖だったので、夫は未だに私が4時間しか寝ていないと思っているようです。

夫にとって、私は朝早くから夜遅くまで家事に勤しむ良妻と見えているのかもしれません。。。
しかし、実態は違います。起きているほとんどの時間は、必ずしもやらなくていいどうでもいいことに費やされているのですから。
そして、毎日ナポレオンよりもずっと長い睡眠をとっています。

健康であるためには、睡眠も最も大切なことの一つであり、決しておざなりにしてはいけないものです。

睡眠時間が少ないと感じた時は、朝であろうが夕方であろうが横になるようにしています。
しかし、そんな姿を夫が見ることはないので、余計に心配するのでしょう。





私の一日の行動は、あらかじめ予定がある時以外は朝に決定されます。

起きてから、ゆっくりコーヒーなどを飲みながら、その日一日をどう過ごすか、つまり出かけるか、家で過ごすかを決定するのですが、あくまでも予定は未定。。。

たとえ、今日はゆっくり家で過ごそうと決めても、突発的な思いつきや家族の肩代わり、突然のお誘いなどで、その決定が覆ることも多々あります。

しかし、それではいけないのです。

よく「今できることは、今やろう」などと言いますが、私に必要なのは、

「明日でいいことは明日に回そう」です。

なんでもかんでもすぐに行動することが、良い結果を生むとは限りません。

周りの成功した人たちを見ると、確かに行動力がある人ばかりです。ほぼ全員フットワークが軽く、どんなこともすぐに行動に移す能動的なタイプの方々ですが、そこには衝動性とは真逆な計画性も伴っています。

私はまさに衝動だけで動くために、非効率で無駄が多いのだと、そのような方々を見ているとよくわかります。

「思い立ったら吉日」も衝動であってはいけないのです。きちんとした計画性があって、初めて形をなすものなのです。

だからこそ、私はその呆れるまでの衝動性を抑え込むために、「明日でいいことは明日やる」という時間的猶予を自分に与え、その間に動けない辛さを抱えながら、悶々と考えて思考の整理をする状況を無理矢理作り出すのです。

本来の衝動的な気質により、そうそう上手くはいきませんが。。。

私は一度しっかり計画したことが崩れると、ものすごく気を病むと言いますか、イライラと精神が不安定になるようなところがあります。

だからこそ、あまりきっちりとした決め事はしないのかもしれません。

いきあたりばったりの刹那主義。

そう思っていた方がストレスを抱えずに済むからです。

そのせいで生まれた衝動的な行動によって、過去失敗したことも数知れず。もちろんラッキーなことに良い方向に転がったこともなきにしもあらずですが、勝率からいえば限りなく低いと言えます。
だからこそ改めたいとあれこれ考えているのです。





アラフィフという年齢になっても、まだ改善すべきところばかりで、私は一体いつになったら完全なる大人になれるのだろうか?と思ってしまいます。
正直言えば、大人になれる自信がないのです。

あれ?
あれ?

子供の頃からの私の夢は、まさにそれ?

卒業文集などに必ずある、「将来の夢」という欄に、


「大人になりたくありません。一生子供のままでいたいのです」


そう書いていたのは誰だ?


つまり、大人になれない私は、子供の頃からの夢を実現したということ⁉︎

いや。。。

ちょっと違う。。。

私の夢は子供のようになんの責任も負うことなく、自由に生きていくこと。

そういう意味での「子供」です。

今の私は子供ではなく「未熟な大人」というのが一番しっくりくるような。。。

理想とはかなり違います。
夢は果たせませんでした。。。


今日はお疲れ休みとして家で一日ゆっくり過ごしましたが、ゆっくりしすぎて己の未熟さを知るきっかけになってしまいました。。。

あまりにも、未熟過ぎて少し哀しい。。。





ちなみに、今日はタレントであり漫才師の西川きよしさんの奥様としても知られている西川ヘレンさんの生まれた日です。

お名前から分かる通り、ハーフのヘレンさん。今なら家にいても街に出てもハーフだらけという日本ですが、ヘレンさんのお生まれになった74年前は、かなり珍しい存在だったことでしょう。きっと様々な苦労があったことと思います。

日本人男性とご結婚なさり、そのお相手が芸人です。
もう昭和の人間にとってお笑いといえば、漫才師「やすきよ」です。
破天荒な相方と比べ、穏やかな印象の西川きよしさんですが、のちに政治の世界に打って出るなど、意外な転身もみせています。
そんな日本人夫と共に歩むのは、奥様にとっても、なかなか大変だったのでは?と想像します。

さらには介護なども経験したそうで、その明るい様子からは想像できない、波乱万丈な人生だったのではないでしょうか。

現在は講演なども行っているといいます。元々人前に出るお仕事をなさっていた上、人一倍経験値の高い方なので、きっと面白い講演なのでしょうね。

お年を召してさらにおきれいになられたヘレンさん、今後ますますのご活躍をお祈りしています。