365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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諦めないこと、諦めること、人生にはどちらも必要であると分かっていながら反く「哀」

2020年11月7日(土)

今朝も肌寒い一日でした。
昨日も朝から一日中外出していたので、今日はゆっくりしようと思っていたのですが、冷蔵庫を開けた時、大切なものが残りわずかとなっていたのを発見してしまい、大慌てでお買い物へ行きました。

昨日はまだ未開封の袋があったはずなのに。。。

また夫が勝手に使ったのでしょう。

私の「あげ玉」を!

そうです。私にとって「あげ玉」はなくてはならないものなのです。
常に未開封のものが常備されていないと、気になって仕方がありません。

とにかく、ご飯、おにぎり、蕎麦、うどん、味噌汁、豆腐、納豆、炒飯、サラダ etc
なんでもかんでもあげ玉をインします。

つまり、大好きなのです。。。

「油の旨味」の虜になった者にとって、あげ玉はまさに「食べられる宝玉」と言っていいほどのもの。

それがなければ食欲も減退する。。。というほどに、不可欠なものです。

しかし、あげ玉ならなんでもいいというわけではありません。
味、形状、歯応え、見栄え、買いやすさ、そして価格と、厳しいマイ基準を満たしたものでなければならないのです。

過去、何年もあげ玉ジプシーをしてきましたが、かれこれ一年ほど前に「これ!」という理想のあげ玉と出会いました。

それは灯台下暗しと言えるくらい、近くのスーパーにひっそりと、しかも大量にあったのでした。

以来、私は週に何度もその店に通い、以前よりもさらにあげ玉に依存するようになりました。

これに影響されてか、あげ玉マジックにハマったのか、最近では夫が勝手に私のあげ玉を使っているようなのです。

私はよく、あげ玉、塩昆布、刻んだ大葉を使った醤油味のおにぎりを作って食べているのですが、いまのあげ玉を使うようになってから、夫の食いつきが尋常ではなくなりました。

大きなおにぎり一気に5個食べてしまうほど、好きなようです。

昨日の夜もおにぎりを作っておいてくれと言われたので用意しておいたのですが、私の寝た後でしっかりあげ玉を増量してから食べた痕跡が見られました。





そんなわけで、今日はわざわざあげ玉を買うためだけに出かけたのですが、そのあげ玉を扱うスーパーはある商業施設の中にあるため、揚げ玉ついでについつい洋菓子やら和菓子やらをお持ち帰りしてしまうのが難点です。

今がいま、必要なわけでもないので、何かのついでにでも買いに行けば、余計な散財もしなくて済んだものの。。。

いつもそう思うのですが、ダメなのです。常備品に限らず、どうしても欲しいと思うと、たとえ一瞬でも諦めるということができません。
非常に困った性格だなと思いつつも、どんな些細なことにも、ちっぽけなものに対しても、それを必死で得ようとする自分が嫌いではありません。

性格的なものもありますが、欲しいものが手に入るまであがき続けることが、ある意味で「諦めない」というクセに拍車をかけている気がします。

「諦めない」、また反対の「諦める」という行為はクセになります。
思考のパターンとして、物事の岐路に立ったとき、いつもそうするように、意思は自然と慣れた方へと流れていくものなので。

ただ、「諦める」ことも決してマイナスであるわけではありません。
ダメなら仕方ないという見切りも時に大切です。





私は株式投資のようなことは一切してはいけないと、亡き父から言われてきました。それはこの性格上、損切りができないからです。
私のように「いつか上がる可能性はある」などと、諦めずにかじりついているうち、どんどん損失が膨らみ、やがて破産という未来が見えるからです。
どんなに学んでも、性格がそれを邪魔するであろうことを父はわかっていたのです。

海外にいた頃ですが、カジノに行ったときもそうです。大勝ちしたのにも関わらず、私は無一文になるまでゲームを続けます。

なぜならば、
目指すところはアメリカンドリーム。
億万長者になるまで諦めない!

そして、いつもすっからかんになるのです(笑)

これまで投資話などは色々ありましたが、私は父の言われた通り、何一つとして手を出していません。
おかげで今も破産せずにすんでいます(笑)

諦めない癖は別のところで発揮すればいいと思っています。
例えば、あげ玉探しとか。。。(笑)


諦めることも、諦めないことも、人生においてはどちらも必要なことです。
分かっていながら、極端な行動をとってしまうため、失敗多き人生を送ってきたとも言えますが、いろいろな可能性を試す前に諦めてしまうのはもったいないことだと私は思ってしまうのです。

自身の破滅を招くほどの頑固さは命取りですが、なんでも簡単に諦めてしまうのも味気ない人生です。

つまりは、ほどほどにということでしょうか。。。

わかっているのに諦めることをよしとしない自分が哀しくもあります。

あげ玉も油の塊のようなものなので、その使用はほどほどにしなければいけません。
とりわけ50代にもなれば、さまざまな成人病が虎視眈々とこの身を狙っているのです。

そこもまたあげ玉ラブァーにとっては哀しみの一つとなるのでした。。。





ちなみに今日は、フランスの作家、アルベール・カミュさんの生まれた日です。

「今日、ママンが死んだ」という、なんとも悲壮感あふれる書き出しで始まる『異邦人』の著者として知られるカミュですが、私はあまりこの方のストーリーは好みでありませんでした。

しかし、2冊だけとても大切にしている文庫本があります。

『太陽の讃歌ーカミュの手帖1』
『反抗の倫理ーカミュの手帖2』

そんなタイトルの散文集です。

これは「手帖」というように、カミュが作品の素となる散文を書き綴ったノートのようなもので、『異邦人』をはじめ、『ペスト』などの代表作に見られる断章が突然出てきたりする、非常に読み応えのある散文集です。

現在は絶版になっていますが、ちょっとamazonで見てみたところ、中古などでは当時の10倍くらいの値段で売られていたりします。

かれこれ40年も読み続けてきたものですが、10代の頃に読んだ時の感動と、50代となったいまでは、当然感じ方も異なります。

それでも、なお本を開くたびに、宝石のように散りばめられたカミュの感性に触れることができる、私にとっては貴重な本なのです。

そういえば、コロナ禍でカミュの『ペスト』がにわかに話題になっていたといいます。
奇しくも今年はカミュ没60周年に当たる年なのでした。。。

住む街が人を変える。多様性ある東京で暮らす「楽」

2020年11月6日(金)

今日はまた朝からお友達と遊びに出かけていました。

いつもは近場で集まることが多いのですが、今日は電車で30分ほど離れた街まで遠征でした。

自分が普段暮らしている街とはまったく違った景色、雰囲気、そして人々の様子などを見て、東京も色々なのよね。。。と改めて感じました。

東京はとても広い街です。

その中でさまざまなエリアが点在していて、その場所によって独特の雰囲気があります。

しかし、ずっと同じ場所で暮らしていると、そこがまるで「東京」そのものであるかのように思え、その多様性に気づかないことも多いものです。

私は海外生活から日本に戻ったとき、改めて東京の広さを実感したものです。

ロンドンもニューヨークもパリも、重厚な歴史やエネルギーを感じることはできますが、東京ほど多様な姿を見ることはありませんでした。

故郷のよさは、一度離れてみるとわかる。

そう言いますが、なるほど本当だわ。。。と思ったものです。


人はどんなことを基準にして、住む街を決めるのでしょうか。。。

私は日本に限って言えば、「この街で暮らしたい」と積極的に住む場所を選んだことがありません。

いつも、なんとなく成り行きで暮らし始めていた。。。そんなことばかりなのです。
実際に今暮らしている街も、外国人夫が自分の暮らしやすい場所を選んだだけのことで、私は「どこでもいいわ」と、積極的に住む街を選んではいません。





人は住む街によって運命自体が変わることもあります。

街が人を変えるのです。

私は「自分を変えたい」「生活を変えたい」と現状に不満を抱えている人を見ると「住む街を変えてみては?」と言ってみることにしています。

どんな街で暮らすかは、生活スタイルや人間関係に大きく影響することを、自分自身が経験してきたからです。

意識高い系の人達と交流し、プチセレブ的生活を目指すのが幸せであるなら、都心暮らしをすればいいでしょう。
家賃の高さは難ですが、それも投資のうちです。

あくせく暮らすのはもうたくさんというのであれば、地方移住せずともとも東京都下(23区外)ではまだまだ自然の豊かなところもあります。

一方で大きな望みはないけれど、ただ呑んで楽しくワイワイ暮らしたいのなら、浅草や上野といった下町で暮らすのもいいでしょう。昼間から普通に呑んでいる人がたくさんいます(笑)





東京は自分の望むライフスタイルに合わせて、住む街を選ぶのにとても適した街であると思っています。

私は一つの所にいるのが苦手なようで、子供達が中学生になるまでは、必ず2年に一度は引っ越しをしていました。
違う街への引っ越しは家族の反対があったので、せめてもと同じ街の中で転々と住まいを変えていました(笑)

子供がいると学校のことなどもあるので、なかなか移動も難しく、かれこれ1 5年以上は同じ街にとどまっていますが、今でも別の街で暮らしてみたいという気持ちは変わりません。

少し離れた街に行くと、いつもそこで暮らす自分を想像してみます。

案外、楽しいかも。。。

そう思う街もあり、「そろそろ住む街を変えてみない?」と提案してみるのですが、家族の答えは未だに「ノー」です。

外国人夫にとっては人口の10%を外国人が占めるといわれるいまの街は、とても快適なのでしょう。

そして、子供達にとっても同じ価値観を有する地元の友達と離れること、どこへ行くにも便利という立地から、わざわざ不便になるところへは行きたくないといいます。

しかし、私にとってはどんなに便利でよい街でも、もしかしたらそれ以上に快適に暮らせるところがあるのでは?との期待を捨てられません。

風天の虎さん願望というのか、どこか根無草のように、ふわふわと漂うように暮らしてみたいという思いがあるのです。

世間体などなんのその、自分の人生好きに生きるわ。。。と生きている人を見ると、ちょっと羨ましくもあります。

以前、アメ横あたりで見た光景ですが、鼠の額ほどの小さな店で、昼前から宴会さながらワイワイとやっている人がたくさんいて驚いたものです。
店の外に並べられたテーブルで、知らぬ同士肩を並べてワイワイと飲んで過ごすという人生もあるのだなと。。。

それは我が街では見られない東京の姿でしたが、街の多様性と同時に、人生に何を求め、何を幸せとするのかも、また人それぞれなのだなと思ったのでした。





ちなみに今日は、俳優の伊原剛志さんの生まれた日です。

私は特にこの方のファンというわけではありませんし、世間で言われているほどイケメンとも思っていませんでした。

ところが、数年前に都内某所で伊原剛志さんとすれ違ったことがありまして、その際あまりの格好よさに思わず瞬きを忘れたほどです。

細身の長身にくっついたマスクメロンほどのお顔、そのボディーバランスは普段見ることない種類の人間でした。
素敵な皮のジャケットにジーンズ姿というラフなファッションであったと思いますが、まるでそこはパリコレのランウェイのようでした。

広い横断歩道をこちらへ向かって歩いてくる姿は、大勢の人の中にあっても、まるでそこだけがスポットライトに照らされているかの如く光り輝いていたものです。

その時、つくづく思いました。
俳優になるような方は、やはり私たちとは違うのだと。

俳優さんに限らず、女優さんなどもそうですが、すっぴんの部屋着のような姿でも、やっぱり美しいのです。

このような方々が表に出る仕事につくというのは、生まれながらにして決まっていたのかと思わされます。

テレビの画面越しに見ていて、「なんかこの人普通だよね」などと思っても、実物はやっぱり普通ではなかった。。。
そんなものなのです。

「運がいい人」について。誰もがラッキーパーソンになれる脳内自動変換説の「喜」

2020年11月5日(木)

今日は一日家で過ごしました。
昨日も終日外出、また明日も外出予定なので、あまりふらふらしてばかりいると、さすがに主婦の役割をまっとうできないので、今日は家事の日としました。

そんな家事の合間、私は暇ができるとパトロールと称して、ネットでお菓子屋さん巡りをしているのですが、入手困難と言われるお菓子も、割と運よく購入できてしまうことが多いのです。

今日もまたタイミングよくというか、運よくも、争奪戦といわれるお菓子を難なくゲットしました。

この「運がいい」という意味合いの言葉、私は頻繁に使います。

「運がよかったわ!」
「やっぱり運があったのね」

もう「運がいい」の連発です。

しかし、実際にそう感じることが多いので、そう口から出るのも仕方ありません。

自らラッキーパーソンを宣伝しているようなものだからか、周りの人からも「あなたは本当に運がいいわね」などと言われます。これはある種の洗脳といってもいいのかも知れません。





この「運がいい」発言も度が過ぎると、自分だけではなくごく近しい人間にまで伝染するようになります。しかも、その感染力はかなり強烈です。

一番近しい人といえば、やはり家族でしょう。新型コロナも今や家族内感染の割合が半数近くにも上るといいます。
それと同じで、いつも密に接している家族という存在は、何かというとその影響を与え合うことになるのです。

「運がいい」も然りで、我が家の子供達も、何かにつけて「運がよかった!」と口にします。
時にそれは運というよりも、それ以外の要素が大きいのでは?と思うこともしばしばですが、それは決して口にはしません。

「運がいい」発言とは、すなわちポジティブ思考の表れですから、水を差すようなことを言って、ズドンとネガティブになられても面倒だからです。

客観的に見ると「運がいい」と思っている人間は、頭の中で都合のよい脳内自動変換システムを持っているようなものではないかと思えてきます。

よくある例えですが、怪我をしたとき、

「こんなことになって運がなかった」

そう思うか、

「この程度で済んで運がよかった」

そんなニ通りの考え方があります。

「運がいい」と思っている人にとっては、どんな悲惨なことでも、それがとんでもなく最低最悪の結果にでもならない限りは、「運がよかった」と脳内変換されるのです。

逆に「運がない」と思っている人は、怪我をした事実だけが変換されぬまま伝わるため「運悪く怪我をした」とダイレクトに受けとる。。。と、そんなところではないかと。

以上のことをふまえると、脳内変換さえなされれば、すべての人が「運のいい人」になり得るということになります。

これが遺伝であるのか、親による洗脳の如き刷り込みかは定かではありませんが、気づけば家族みんながこのシステムを有するようになっていました。





ただし、この脳内自動変換システムを作動させるためには、ある種の条件が必要となるのではないかと考えています。

それは、「運がいい」と思える根拠のようなものが、少なからず用意されていることです。

わかりやすい言葉で言えば、「準備」「心構え」「努力」あたりでしょうか。

過去を振り返り、よくよく考えてみれば、何もせずに幸運だけが降って湧いてくることばかりではありませんでした。

運を掴むためのきっかけを常に探し、少しでもそんな糸口を見つけたら、あの手この手でそれを掴む努力をしてきた末、運を掴んだとも言える気がします。

もちろん、何もせずに本当の意味でラッキーだったということも皆無ではありません。
しかし、9割方はそんな都合のよいものではなかったでしょう。

例えば、空から数量限定で美味しいお団子が落ちてくるかも知れないという情報があるとします。そんな時、私はそれをいち早く手に入れるため屋根に登ります。

落ちてこないこともありますが、落ちて来れば確実に地上にいる人よりも早く食べられます。

たまたま下を歩いていて、落ちてきたものを食べたのなら、100%運がいいと言えますが、わざわざ屋根に登っていくという努力を考えると、それは運だけではないのです。

普段から注意を払い、もしも少しでもチャンスがあるならと、それこそ手ぐすね引いて待っているからこそ、「幸運」と出会うことも多いのかも知れないと思うのです。

自分ででき得ることをした結果であれば、例え思うような事態にならずとも、それは「運がよかった」と良し悪しに関わらず、脳が自動変換してくれるのでしょう。

もしも「自分は運が悪い」そう思っているのなら、脳内自動変換システムを作動させるため、ジタバタしてみるのもいいかもしれません。

50も過ぎ、ゆったり暮らしていこうと心がけていますが、いまだに「運がいい」などと豪語しているということは、私もまだジタバタしているということなのかも知れません。

いずれにしても、この脳内自動変換説が当たらずも遠からずであるとしたなら、試してみる価値はあるのではないでしょうか。

誰もが「運のいい人」になることができるなんて、とっても喜ばしいことではありませんか⁉︎

但し、これはあくまでも私説です。
心理学者でもカウンセラーでもない、なんでもない主婦の言うことなので、その辺りご承知おきくださいませね。






ちなみに今日は、アメリカの劇作家兼俳優でもあるサム・シェパードさんの生まれた日です。

私が初めてこの方を知ったのが、1984年に製作された『パリ、テキサス』という映画でした。
監督のヴィム・ベンダースが大好きだったことから出会った映画でしたが、これがものすごくよかったのです。

そして、この映画の脚本を手掛けたのがサム・シェパードさんでした。

この方、劇作家でありながら、その長身、イケメンなルックスからか、時折俳優としてもチラチラと映画の中に出てきたります。

有名なところでは『ペリカン文書』『マグノリアの花たち』『ヒマラヤ杉に降る雪』などなど。
他にもたくさんの映画に、チラッチラッと顔を出してくる方でした。

残念ながら3年ほど前にこの世を去ってしまいましたが、若い頃のサムは本当に素敵だったな。。。と、昔を懐かしく思い出したのでした。。。

オタク急増の時代。ライトに好きを追いかける「楽」

2020年11月4日(水)

今日はアメリカ大統領選挙ですね。
メディアも朝からそんな話題で持ちきりですが、私は新宿へ行っていました。

本当はお友達と銀座で会う約束だったのですが、どうしても食べたいお菓子の催事が新宿の百貨店であったので、急遽待ち合わせ場所を新宿に変更してもらい、ランチの前にサクッとお買い物をしてきました。

百貨店オープンが10時ですが、それよりも1時間以上前から並びました。
人気店の催事の場合、行列はお約束です。

かつての私なら、

何時間も前から並ぶなどあり得ない!

私はそんなに暇じゃない!

そう思っていましたが、子供も大きくなり、文字通り暇になったのです。
加えて、どうしても食べたい!という食欲に打ち勝つことができず、何度かそんな行列に交わるうち、2時間くらいなら平気で待てるようになりました。





この「行列に並び、待つ」という行為ですが、娘曰く、オタクの専売特許だそうです。

アニメオタク、アイドルオタク、鉄道オタクなどなど、色々オタクと呼ばれる分野はありますが、グッズなどの販売があれば、何時間も前から待つのなど当たり前だと言います。
そういえば、ニュースでコミケの様子などを観ると、前日から並んだりしているを見たことがありました。

この情熱は一体どこから来るものなのか?

これほどまでに熱を注げる「好き」があることが、羨ましく思ったほどです。

昭和の時代においては、オタクというと、ちょっと陰キャな特殊な人々というイメージがありましたが、今はまったく違います。

もう誰も彼もがオタクになり得る社会になっているといってもいいのではないでしょうか。


そもそも「オタク」となにかといえば、嗜好性の強い趣味の愛好者であるといいます。

昔に比べて現在オタクが増加しているように見えるのは、「嗜好性の強い趣味」を持った人が多くなったということなのでしょうか?

自分を例にとってみれば、若い頃は「これ!」というほどの趣味もありませんでした。
と言いますか、今でもブログとお菓子以外に趣味と言えるようなものはありません。

それでも、側から見ると「お菓子オタク」と映るようです。。。

自分では、オタクと言えるほど、強い思いはありません。にも関わらず、オタクカテに入るといいますから、オタクの定義自体が揺らいできています。


かつては「オタク」といえば、ほとんどの場合「アニメオタク」を指していたものだったように記憶しています。

秋葉原あたりにいるペーズリー柄のバンダナにチェック柄のシャツという『電車男』イメージで、ちょっと特別感を漂わせていたものですが、いまはそんなイメージは皆無となっています。

巷で話題の『鬼滅の刃』からも言えるように、もはやアニメはオタクのものだけに止まらず、誰もが「私、アニオタだから〜」と堂々と言える社会になっています。

しかし、それはただ流行に乗ってのものだろ?と、古参と呼ばれる元祖アニオタ達は鼻で笑っていることが想像されますが。。。

この『鬼滅の刃』現象から考えられるのは、「ライトなオタク」が急増しているのでは?ということです。

アニメに限らず、漫画でもアイドルでも、なんでも、従来のコアなファンに比べて、かなりライトな印象を受けます。

コアなオタクは好きな趣味に人生の全てを捧げるが如くですが、一方のライトなオタクはそれが一番好きだけれど、それ以外にも楽しめるものもあります!

そんな違いが見えるのです。

つまり、オタクは増えているものの、そのほとんどが「ライトなオタク」というものではないかと。。。





私も子供達からは「お菓子オタク」などと言われますが、お菓子に全ては捧げません。

これは趣味というよりも、「食欲」と密接に関係していることだけに複雑です。

それでも、もし私がお菓子のオタクであるとすれば、それは「ライトなオタク」というものであるのでしょう。

オタクに限らず、この平成から令和にかけての時代、物事はどんどんライト化されているように感じます。

ライトの反対はヘビーです。
重たいのはごめんだとばかりに、ツナ缶さえもライトが主流に。。。おまけに減塩とか、ローカーボとか、軽い方へ軽い方へと流れています。

趣味にしても、人間関係にしても、食にしても、生活にしても、ベタベタのヘビーなものは敬遠され、社会はサラリとよりライトな方向へ疾走しているように感じます。

どっちがいいのやら。。。

昭和の時代から、ヘビーとライトの両方を持ち合わせてきた身としては、なんともいえないところですが、ライトであろうと、ヘビーであろうと、好きなものを追いかけるのは楽しいものです。





ちなみに今日は、作家の泉鏡花さんの生まれた日です。

私の大好きな作家で、10代の多感であった時期に出会ったこの方の作品は、今でも色褪せることはありません。
何十年もの長きに渡り、私の本棚にあり、いまだたびたび手に取っています。

中でも『外科室』という作品が大好きで、その匂い立つような美しき世界観に、完全に魂を奪われています。

もう、あちらこちらで「究極のラブストーリーよ!」と、その浮世離れしたストーリーと描写の宣伝マンになっているほど(笑)

この作品は吉永小百合さんと加藤昌也さんが主演で映画化もされています。
おまけにメガホンを取ったのが、歌舞伎界の重鎮である玉三郎さんです。

原作が素晴らしい故、映像化されてがっかりということも少なくありませんが、こちらは映画も素晴らしく、当時何度も映画館に通ったほどです。

小説の方は、話し言葉など時代を感じさせますが、それでもなお感動でウルウルとします。

内容的には、特に若い方などは時代錯誤かと思うかもしれませんが、こんな純愛がせめて物語の中だけでもあってもいいのではないかと、50過ぎて未だに浪漫を求め、読むたびにうっとりしているのでした。。。

60代になった時の理想の暮らしを想像して過ごす休日の「楽」

2020年11月3日(火)

ようやく週が明けたと思ったら、また祭日です。

主婦にとっては休みでもなんでも、朝のルーティーンは変わりませんが、その後の過ごし方は大きく変わります。

子供達はバイトや模試などで朝から出かけてしまいますが、夫がおります。。。

コロナ以降、すっかり家にいることの増えた夫ですが、「亭主元気で留守がいい」の言葉通り、主婦にとっては仕事が増える種になっているのが正直なところ。。。

自立心を徹底して養われてきた外国人でも、人生の半分以上を日本で過ごしていれば朱に交われば赤くなるというように、日の丸の如き真っ赤っかになってしまうようです。。。

あれはどこにある?

今日のお菓子はまだ?

昼ごはんどうするの?

晩御飯、なに食べるの?

まるで小さい子供でもいるようです。

主婦にとって、休日とはなんなのでしょう?
いつもよりむしろやることが多いのですが。。。

しかし、こんなことでイライラしてもいられないので、少しでも自分の世界に没頭できる環境を作るのです。

こんな時手っ取り早いのは、やはり読書でしょうか。
歳のせいか最近はとりわけ静かな環境を好むようになりました。

しかし、昨日は睡魔に負けてなにもできなかったので、今日はもっとアクティブにとキッチンの掃除をしていました。

換気扇、コンロ周り、ガスオーブン、電子レンジ、トースターなど、ゴシゴシと磨き上げ、古くなったタッパーや食器を処分と、まるで大掃除さながら。
とってもスッキリしました。





私は毎年11月に入ると大掃除を開始することにしています。
小さく、ゴソゴソとできるところからやっていくと、年末にはさっとやるだけでいいのでとても楽です。

そして、粗大ゴミなど大きな物を処分するときなども、すぐ予約が取れるわけでもなく、ほとんどの場合は2週間以上先というケースが多いので、年末になってからでは年を跨いでしまうことになります。

12月は後半にもなると、クリスマスだ、忘年会だ、お正月料理の買い出しだと、なんだかんだ忙しくなってくるので、その前にはすっかり大掃除を終え、30日か大晦日の朝、子供達が家中の窓拭きをして大掃除終了というのが恒例となっています。

そうしてスッキリと迎えた新年も、日を重ねるうちに、またその様相が変わってきます。

多趣味ゆえに、どんどん家の中に物を増やしていく夫と長女によって、保たれていたスッキリ空間が少しずつ埋められていきます。

まるで陣取りゲームのように、彼らの自室にとどまらず、リビングやダイニングルーム、バス、トイレにまで物が押し寄せてくるのです。


これに対して、いつも苦々しい思いを抱いている私と次女ですが、家族で暮らしている限りは、自分の思うような家を作るのには限界があります。

最近よく50代、60代の方が日々の生活を綴るブログなどを見るのですが、スッキリと素敵に暮らしている方って、一人暮らしか、子供が独立しているご家庭が多いような気がします。

やはり家族が多ければそれだけ物も増えます。そして好みも多様化するので、なかなか自分の好みとはいきません。。。





そんな中、キッチンだけが私の城といいますか、「私のお部屋」なのです。

子供と夫は各自、自由に使える自室を持っていますが、私にはありません。。。

服やバッグ、本棚は夫の部屋に置いてありますが、それ以外は大して物を持たないので、特に不便は感じません。

本を読むのも、ブログを書くのも、ネットショッピングも、全てキッチンです。
それこそ、寝る時と韓流ドラマ鑑賞以外は、ずっとキッチンに居るといってもいいくらい、キッチンに引きこもっています。

手元にお茶か珈琲、美味しいクッキーなどを置いて、傍に積んである本などをペラペラとめくっていると、とても幸せです。


時々、どこかに小さなワンルームマンションを買うとか、近所のウィークリーマンションの一室を借りるとか、そんなことをしてみてもいいかも。。。

そう考えることもありますが、まだ子供達も家にいるので、なかなか実現にはいたりません。

願わくば、若い頃のように、もう一度くらい一人暮らしを楽しんでみたいと思うのですが。。。

やってみたいことを実際にやってしまうと一悶着起きそうな我が家ですが、想像するだけであれば、誰にも迷惑をかけることもありません。

とりあえず、あと10年もしないうちに私も還暦となります。60代になったときの「理想の暮らし」について、あれこれ考えることを楽しむに留めておきましょう。。。





ちなみに今日は、テレビドラマ及び映画プロデューサーである大多亮さんの生まれた日です。

我らバブル世代にとって、この方の名前を知らない人はいないでしょう。
なんといっても「トレンディードラマ」というジャンルの立役者ですから。

このお名前にピンとこなくても、『東京ラブストーリー』、『愛という名のものに』、『101回目のプロポーズ』あたりをあげれば「ああ!」とお分かりになるかと思います。

とか言いつつ、私はリアルタイムで観たことがありません。
トレンディードラマ全盛期であった1990年代、私はほとんど日本にいなかったので、この当時に流行したものに関しては、かなりうといのです。

ドラマに限らずティラミスとかパンナコッタの流行も知らなかった浦島太郎状態だったので。。。

しかし、帰国後にたまたま友人宅でビデオなどを観て、これはなかなか面白い!と数年後に一人盛り上がっていたのを思い出します。

あのうるさいくらいに濃密な人と人との繋がりを描いたドラマは、実際に自分がその中に入ったらうんざりするだろうと眉間に皺の寄るところではありましたが、ドラマだと思うからこそ、そのわちゃわちゃ感がとても面白く感じたのです。

最近はこのような鬱陶しいけれどなぜかハマってしまうドラマは少なくなりました。
(実はほとんど観ていませんが)

その代わり、世間の流れにのって韓流ドラマを楽しんでおります。
韓流ドラマと大多亮氏の作り出す世界は、鬱陶しいほどにベタベタな人間関係を描くという点で、多くの共通点を見つけることができます。

昭和の人間にとっては、現代のミニマル化した人間関係よりも、鬱陶しいくらいの刺激がないと物足りないのかもしれません。

身体が欲するものを与えて健康を得る「喜」

2020年11月2日(月)

今日は雨の予報でしたが、夕方くらいまではなんとかお天気ももちました。
洗濯物を部屋干しにしたのを少し後悔したくらい、陽射しの出ていた時間もありましたが、午後にはどんよりしてきて、やはり部屋干しで正解だったようです。

そんなお天気に影響されたわけではありませんが、今日は不調でした。

なぜか朝から一日中、猛烈な睡魔に襲われていたのです。

この睡魔はまさに「魔」というにふさわしい、一服誰かに盛られた?というくらいに、抗い難き眠気のことです。

年に一度あるかないかという程度なのですが、突然なんの前触れもなくこんな睡魔が訪れることがあります。

特に寝不足だという自覚はありません。睡眠に関しては、日頃から少し足りないかなとは思っていますが、無理をしているということもなく、本人はいたって元気です。

低気圧に体調を強く左右される娘などからは、その影響ではないかと言われたりもしますが、台風の時でも元気な時は元気なので、そんなこともなさそうです。

とにかく、原因不明の睡魔で洗濯を干していても、料理をしていても、とにかくグラグラとしている状態なのです。

あまりに眠くて耐えられなかったので、少しだけ休もうとソファーに横になると。。。
そのまま爆睡状態に突入です。

3時間後くらいに目覚めたものの、眠くて眠くて起き上がれません。

こんな時は、とにかく寝るしかないと過去の経験からわかっていましたが、いくら暇な主婦とはいえ、一日中寝ているわけにもいきません。

泥のような身体を引き摺るようにして、なんとか身を起こしたものの、まったく動けません。

そしてまた、深い眠りの中に引き摺り込まれていったのでした。。。





これは、もう身体が求めているとしか思えません。
原因はわかりませんが、身体が休息を求めているにも関わらず、それを無視されっぱなしのため、怒りで激しい睡魔を見舞ってきたのかと思いました。


「自分の身体のことは、自分の身体が一番よく知っている」


これは私が妊娠中に知人のお医者様から言われたことです。

初めての妊娠、出産で訳の分からなかった私がその医師に、どんな食生活を心がけたらいいかとアドバイスを求めた時に言われた言葉です。

つまり、その時「食べたい」と思ったものが、身体に必要なものだから、好きなものを食べなさい。
そうすれば、栄養に関する問題は起きないでしょう。

と、そんなアドバイスをいただいたのでした。

その方はイタリア人のお医者様だったので、日本人とはまた違った考え方をするのだろうと思いますが、私はそのアドバイス通りに、栄養のことなどほとんど考えずに、その時々「食べたい」と思ったもの、「美味しい」と思ったものを食べていました。

それが功をなしたのかどうかはわかりませんが、妊娠中に失われがちなカルシウムや鉄分なども不足することなく、超安産の元気な子供を出産しました。





身体の水分が奪われれば喉が乾いて水が飲みたくなりますし、疲れると甘いものが食べたくなったりと、身体が必要なものを教えてくれることはあるのだと思います。

ただし、それは身体が正常に機能しているからこそ出すことのできるサインだとも言います。

よくダイエットなどで聞く話ですが、必要以上に食べてしまうのは、脳のコンピューターが誤作動を起こしている状態であり、つまり満腹中枢が壊れた状態だからであると言います。

脳の働きに司られた身体ですから、その核となるべきところがポンコツでは、きちんとした指令を出すことはできません。

「身体の声を聞く」というのは、正しく働いている時のみに有効なことなのでしょう。

では、私の睡魔は?
睡眠と覚醒のバランスがうまく取れていないということは、脳の誤作動か⁉︎

それとも、「眠れ」という正しい脳からの指令なのか?

知る術はありませんが、単純に考えて、眠い時は眠ればいいのかなとも思います。
お腹が空いたら美味しいものを食べ、眠くなったらぬくぬくと温かいお布団の中で眠る。。。

そんなストレスのない生活こそが、健康への道なのではとも思います。

あれこれ考えて無理をするのも身体に悪そうなので、今日のところはそう都合よく解釈しておきましょう。

そんな感じで、一日中ウトウトとしていましたが、晩御飯の支度など主婦としてのミッションもあるので、景気づけにとっておきのご褒美クッキーを開け、モグモグしているうちに、いつの間にかあの激しかった睡魔が去ったのでした。。。

おかげで、こうして今日もブログが書けましたとさ。。。





ちなみに今日は、フランス国王ルイ16世の王妃、マリー・アントワネット妃の生まれた日です。

オーストリアの名門ハプスブルグ家の出身であり、同国大公であるマリア・テレジアの十一女に生まれたマリーですが、14歳という若さでフランス、ルイ16世にお輿入れ。
栄華を極めた暮らしからギロチン送りになるという、なんともすごい人生を生きた女性です。

贅沢三昧な逸話が多く「赤字夫人」などとも呼ばれていますが、ベルサイユ宮殿の中を歩いていると、あまりの豪華絢爛さに「マリーだけのせいじゃないでしょ?」などと思ったのは私だけでしょうか(笑)

「パンがなければお菓子(ブリオッシュ)を食べればいいでしょ」

そんな有名なお話も、実はマリーの言葉ではないとされていますしね。

そんなマリーですが、未だに女性達の心を強く惹きつけているのは間違いありません。

古くは池田理代子先生の漫画『ベルサイユのバラ』や、宝塚公演、そしてどこかでマリー関連の催しでもあれば、たちまち行列ができるという人気ぶり。

数年前に六本木ヒルズで催された『マリー・アントワネット展』も大盛況でした。
私も足を運びましたが、もう若い女性からお婆ちゃんまで、女子でいっぱい!
グッズも飛ぶように売れていました。

なぜにそこまで女性達の心を惹きつけるのか?

家柄よろしく、玉の輿、ファッションリーダーであり、若い貴族との浮気なんかも楽しんでしまったり、おまけに素晴らしい美肌を持っていたとも言われています。

一般市民が明日食べるパンさえもないという中で、美味しいお菓子をたらふく食べていられる身の上。。。

この極端なまでの人生こそが、平凡な日々を生きる私達にとっては、素敵なお伽話と映るのかもしれません。

ギロチン送りは避けたいけれど、こんな暮らしに憧れることを誰が責められましょうか(笑)

私も一度でいいからベルサイユ宮殿で暮らし、素敵なドレスを着て、周りにイケメン貴族の若者を侍らせ、美味しいフランス菓子を嫌というほど食べる。。。

そんな経験をしてみたいものです(笑)

人生を変えるほどの本と出会うこと。それもまた縁なりの「楽」

2020年11月1日(日)

今日はゾロ目です。1が3つのゾロ目。
昔から、なぜかゾロ目には反応してしまいますが、なんのことはない、ただの11月1日でした。

11月ともなると朝晩はかなり冷え込みます。今朝も朝一番にベランダへ出て、植えてある花の様子などを見ていましたが、プルっと震えるほど冷えていました。

これからどんどん冬に向かっていくのですね。。。


そんな日曜日ですが、朝から子供達は出かけてしまったため、とても静かな一日でした。

仕事がお休みの夫は居ましたが、先だっての喧嘩で未だ私の機嫌が直らないとでも思っているのか、触らぬ神に祟りなしと、大人しくなにかしていたようです。
時折出かけては、また戻り、少しするとまた出ていくという、まるで働き蟻か蜜蜂のような行動をとっていましたが、なにかを持ち帰って来るわけではありません。

さて、そんな静かな一日でしたが、私は探し物をしていました。

数年前に読んだある本が、どうしても読み返したくなったのです。

題名も作者も思い出せないのですが、これはある意味で特別な一冊になり得ると当時は危険視していた本でもあります。

「この本は読む時を選ばなければいけない。。。」

そう思って、いつでも手に取れる本棚には収めず、どこかへしまっておいたのです。





作者は多分20代、同性愛者の男の子で、日々の出来事や心の動きを淡々と綴ってある日記のような文庫本でした。

内容は特に感銘を受けるようなものではなかったのですが、その方の書く文章、また言葉の選び方などがものすごく好きで、当時他の著書を探したりしたのですが、マイナーなのか、見つかりませんでした。

マイノリティーゆえの感受性の豊かさか、その視点はどこかいつも違うところに注がれているのに加え、感性を言葉に置き換える能力に優れた、「これは参りました!」というくらい、感動した本でもあったのです。

ただ、ちょっと毒があるというのか、あまりに発せられる言葉が魅力的過ぎて、その感情に自分を持っていかれるかもといった危うさも同時に感じたのでした。

そんな感じの本だったので、何年も忘れて過ごしていたのですが、最近になって時折思い出すことがあり、またあの世界に触れるべき時がきたか?
そう思ったわけなのです。

ところが、どこを探しても本は出てきません。。。
しょっちゅう断捨離などをしているので、間違って捨てた?
いや、本だけは注意して選別するようにしているので、それはありません。

結構長い間、思い当たるところを探しましたが、結局は見つけることはできませんでした。


いま読むべきではないから、姿を現さなかった。。。
そう思って探すのをやめました。

ポジティブです!

子供の頃、父親の本棚にあった『マーフィーの黄金律』をこっそり読んで以来、私にはなんでも都合よく解釈するという術が身についてしまいました。

子供だったせいでしょう、本の内容を正確には理解していなかったはずです。
それはゴールデンルールからは少し外れた、エクスキューズルールというものに、自動変換されてしまったようです。。。 

しかし、それは後々私の人生に多大なる影響を与えました。
このご都合主義は私の核となり、人生のどの岐路においても、ひょっこりと顔を出しては、反省とは別の道へと誘うのでした。





本とはすごいものです。
ただの紙の束ではなく、時に人の人生を変えてしまうほどの力も持っています。

「この本を読んで人生が変わった」

そう自覚している人も多いでしょう。

私も知らず知らずのうちに、紙の束にその後の人生を変えられてしまったのかも知れません。

あの幼かった日、もしマーフィー博士の言葉に出会いさえしなければ、私はもっと思慮深く生きてくることができたことでしょう。。。


「本は旬の物」といいます。
イムリーに読まなければ、鮮度は落ちると。。。

確かに大方の本はそうでしょうが、実は「いつ読むか?」そのタイミングは人それぞれではないかなとも思います。

縁が結ばれた時に読む。

人と人との関係同様に、物との出会いもまた然り。

人生を変えるほどの出会いなら、なおさらそんなものなのかも知れません。。。

つまりは、私とマーフィー博士との出会いもまた、そうしたご縁によって結ばれたものだったということなのでしょう。

巷には読みきれないほどの書物が溢れていますが、その中で自分の人生を変えてしまうほどの本と、あとどれだけ出会えるでしょうか。。。

あわよくば、これまでの人生を大きく軌道修正するきっかけとなるくらいインパクトの強い本に出会えたら。。。

そんなことを考えていると、本を読む楽しさも倍増してくるのでした。。。





ちなみに今日は、エッセイストの木村治美さんの生まれた日です。

この方のエッセイは過去に2冊だけ読んだことがあります。

1980年代の終わりごろ、私がイギリスへ渡ろうかと考え始めた時に、リサーチとしてこの方のエッセイを手に取ったのでした。

『黄昏のロンドンから』
『静かに流れよテムズ川

この2冊は、当時私にとってはガイドブックのような役割を果たしてくれました。

まだ今のようにインターネットの普及していない時代です。旅や留学などの情報収集は、関連機関へ赴くか、市販されている書物くらいのものでした。

実際にそこへ行き、暮らしたことのある人が綴った日常は、その街での生活を知る上で当時はとても参考になりましたし、自身のモチベーションアップにも役立ちました。

近年、あまり名前を聞くこともなくなりましたが、88歳の高齢ともなれば、のんびりと余生を過ごしているのかもしれません。

いずれにしても、今よりもずっとハードルの高かったあの時代の海外での暮らしに、この方の著書が一つの道標となったことを感謝したいと思います。。。