365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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外国人夫の優しさに「楽」

2020年9月26日(土)

今朝も朝からぐずついたお天気。まるで冬のように寒く、気持ちまでもが温かい毛布の中に隠れてしまいたくなるような日でした。

おまけに昨日はお買い物をしすぎ、重たい荷物を肩から提げていたせいか、肩が痛くてたまりません。

治ったと思っていた五十肩ですが、まだしぶとくチャンスを伺っているようで、ちょっとでも無理をすると、「隙あり!」とばかりに痛みが出てきます。

私は痛みに強い方ですが、お産の時を除いては、わりと「痛い!痛い!」と騒ぐタイプの人間です。

それを承知している夫は、まったく心配する風でもなく、「Hello!」と同じ感覚で、「大丈夫?」と明後日の方を向いて言います。尋ねるのではなく、言うだけです。

それが不満な私はさらに「痛い!痛い!」と騒ぎ、子供たちに至っては、完全無視。

しかし、よほど鬱陶しいのでしょうか。夫は渋々「ご飯は私が作るので、あなたはゆっくり休んで下さい」と私を黙らせるためだけに家事を肩代わりしてくれます。

こうして今日も、夫が食事を作ってくれました。

これは割と日常茶飯事のことで、稀に友達などに話すと、決まって「やっぱり外国人の旦那さんは優しい」などと、夫が聞いたらそれこそ鼻が天まで届くほどに鼻高々となるようなことを真剣な顔で言います。

日本人の旦那さまがいる人には、わからない「外国人の優しさ」は、私にとってもはや優しさの部類には入りません。
私からすれば、日本人男性の方が、よほど思いやりの心を持っていると思っています。

詳しく言えば、外国人男性の優しさとは、ドアを開けてくれるとか、バッグや荷物を持ってくれるとか、甘い言葉を日常的に吐くとか、そんな表面的なことなのです。

若い頃はそれを優しさとははき違えてしまうものですが、歳を重ねるごとに、本当の優しさとは、陰ながら支え見守ってくれ、いざという時は身体を張って守ってくれる。つまり、自分が一番必要としている時にこそ、その優しさを発揮してくれることなのです。

このような心の動きを汲み取らねばならぬような繊細な優しさを外国人に求めるのは無理なことでしょう。

それは、基本的に相手を思いやる前に、自分の損得を考えるという習慣、習性を持っているからに他なりません。





外国人というのは、徹底した個人主義です。妻や家族よりもまずは自分ありきで行動する傾向にあるので、いざという時にも身体を張ってなどというのは、期待できません。
日本人の美徳とする義理や人情などを求めると、落胆させられるのがおちです。

それはあなたの旦那さんだけじゃない?

そういう声もあるかと想像しますが、幸いなことに私の周りには検証サンプルがたくさんいます。

友人知人を見渡せば、その半分以上が国際結婚です。みなさん結婚してから20年以上も外国人夫と暮らしてきた人たちです。
そんな国際結婚ベテラン主婦たちが、こぞって私のいうことに、首がもぎれるのではないかというほど「うん!うん!」と同意するので、これは我が家の夫だけではないことがわかります。

私の夫はそんなことない!という方、最低でも20年以上は連れ添ってから、もう一度考えてみてください。
それでも尚「私の夫は優しい」と言えるなら、当たりくじを引いたのです。

ただし、以上の見解は日本に住んでいる外国人夫と限定させていただきます。環境が変われば人間性も多少なり変化するものなので、この限りではないと言わせて頂きます。





昨日、お給料のことで感謝していると言った同じ口で、優しくない!とダメ出しをしていますが、夫婦の関係性とは一面だけを見て判断できるものではありません。そこには少なからず相性というものがあるものです。

私も夫ほどではないにしろ、個人主義なところがあり、なんでも一人でやることが気楽という性格です。

そんな私にとって、外国人の表面的な優しさは鬱陶しいだけですが、同時に身勝手とも思える個人主義も時には気楽に思えるのです。

日本では定年退職した男性が何をしていいか時間を持て余し、妻の後をついて回るなどという話も聞きます。
これは私にとっては拷問に等しいものです。その点、我が家の夫は私の自由行動を当然の権利として認めています。

いざというときには、ポイッとゴミ屑扱いされるリスクをはらみながらも、この保証された自由は私にとっては必要不可欠なものです。

どんなに義理人情に深く、思いやりあふれる夫でも、金魚の●のように終生ついて廻られたらたまりません。

パートナーに何を求めるか?

そこを明確にすることは大切ですが、やはりお互いに相手に対して求めすぎない、期待しすぎないことが一番です。

いざというとき、とんでもない冷酷さを見せる夫ですが、これはアングロサクソン系外国人にはありがちだと言った友人がいます。DNAの為せる技だそうです。

血がそうさせるのなら、これ仕方がありません。

とりあえずは「痛い!と騒いだときに、たいして心配もせず、とりあえずはと家事を肩代わりし、私を黙らせようとする外国人夫の優しさを理解し、そして感謝せねばならないでしょう。

今日は家事から解放され、「楽しい」ではなく、「楽」をさせてもらった一日でした。





ちなみに今日はアメリカの女優でありシンガーであったジュリー・ロンドン(Julie London)さんの生まれた日です。

もう20年も前にお亡くなりになられた方ではありますが、いまでもYouTubeなどでその姿を拝見することができます。

往年のハリウッド女優のように、姿が美しいのはもちろんですが、なんといってもこの方は歌です。

ちょっとかすれた気怠い感じが、大人のムーディーな曲と溶け合い、それはそれはロマンチックな響きとなって私達をうっとりとさせます。

有名な『Fry Me To The Moon』を始め、『Cry Me A River 『More』や『The End Of The World』といった名曲を聴いていただければ、その魅力がどれほどのものかわかることでしょう。

もう塵一つ残さないかのように、無機質に修正された音ではなく、当時はレコードであったため、ノイズはもちろんその声も素朴な響きを持っていました。

これがまた彼女の生まれたての声と融合し、私たちを惹きつけて離さない磁石のような役割をしています。

レトロ感覚満載ではありますが、何年、何十年経とうが、素敵なものは素敵ですし、美しいものも変わらず美しいのです。

今はもうニュースを見るのさえ嫌ですが、昔のアメリカは、素敵なものがたくさんあり、子供だった私は憧れたものでした。