365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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『光陰矢の如し』を実感する「哀」

2020年10月12日(月)

今日は月曜日です。
週末ゆっくりした分、だいたい週の始まりはなんとなくバタバタするのですのが、今日もそうでした。

夫と子供を送り出した後、家事を済ませ、午後にちょっとした用事で子供の通う学校へ顔を出し、そのあと子供をクリニックに連れて行き、帰りがけに買い物と、子供の用事で動いた一日でした。

大きくなったとはいえ、高校を卒業するまでは、なにかとやらねばならぬことがあるものです。

帰宅する頃には、とっぷりと日が暮れていました。

最近、本当に時間の流れが倍速に過ぎているのではないかと思うほど、早く感じます。

気づくと一日が、一週間が、1ヶ月があっという間に終わっているのです。その間、何をしていたかと言えば、特別なことはなく、ただ同じようなことを繰り返しているだけ。。。

ちょっと虚しくなったりもします。





いつでも時間はあっという間に過ぎてしまう。。。

若い頃からそんな感覚を持っていましたが、ここ数年はこれまでとはちょっと違った感じがしています。

時間の流れに対する感覚の変化については諸説ありますが、私の中では説得力のあるものがあまりないのです。

年齢的に、体内時計に関するものでは?と言う人もいます。

これは代謝の衰えによって、体内時計が早く進み、時間の流れも早くなるという説です。

代謝が衰えると体温が低くなりますが、私は常に35度台半ばと低めです。
これは若い頃からなので、年齢とは関係がないようにも思えますが、代謝は確実に落ちているのは、贅肉のつき具合で実感しています。

思えば、若い頃からずっと時間の流れが早いと感じていたような気がします。
今ほどではないですが、「楽しい時はあっという間よね」なんてことをよく言っていたので、そう感じていたのでしょう。

楽しいこと、自分の好きなことをしていると、時間が早く過ぎると言いますが、そんな感じだったのでしょうか?

なんと言っても、若さと未来への希望に満ち溢れ、怖いものなしの頃です。何をやっても楽しかったのでしょう。

あれもこれもと欲張り、「1日せめて36時間欲しい!」と、口癖のように言っていました(笑)

いまだ、何かにつけて「時間の無駄」と考えるのも、時間があっという間に過ぎ去ってしまうと実感することが多かったたせいかも知れません。

そんな早く過ぎていく時間が、ここ数年でさらにスピードを増していると感じているのです。

なんにもしていないのに。。。

もう恐怖を感じるほど、猛スピードで、それはバスから飛行機に乗り換えたくらいの、大きな違いといってもいいくらい極端に感じ方が変わっています。

そのうち、瞬きをしただけで、翌日になっていた。。。なんてことになるかと思うと恐ろしくてたまりません。。。

また、別のお友達は、時間の経過に向けられる意識の頻度が高ければ高いほど、時間が長く感じられると言っていました。

私よりも若い友人です。。。

つまり私は時間を意識せずに行動しているということでしょうか?

それも違います。。。

主婦とは細切れの時間の中で、自分の人生を生きているようなものなので、常に時間には意識を向けています。

それならば、1日がもっと長くてもいいのに、忙しなく通り過ぎて行ってしまうのはどうしてなのでしょう?

もうこの時の流れに対する感覚は変わらないのでしょうか。

もっと歳をとって、窓際でお茶を飲みながら、外の景色をぼんやりと見ている。。。

そんな生活になれば、またゆったりと時が流れるようになるのでしょうか?

それとも、さらに猛スピードで過ぎていくのか。。。

ちょっと哀し過ぎます。。。

実際は誰でも平等に、1日24時間与えられています。
ただ感じ方違うだけ。。。
そうわかっていても、なす術がないというのは、困ったものです。





時間とは無限ではなく有限です。

早く過ぎていくと感じるのなら、それを阻止することができないのならば、そのスピードに追いつくほどに、走るしかないのでは?などと考えます。

しかし、言うは易し。。。

実際は走りたくても持久力も瞬発力も衰える一方です。

時間が早く過ぎていくと感じることは、それだけすごいスピードで老いに向かっているような気にさせられます。
最近は時の流れとセットで老いが頭に浮かぶようになりました。

見た目の劣化は仕方ないとしても、体のあちこち自由がきかなくなる未来を想像したくないのです。

一般的には、退屈を感じている時、何もしていない時は、時間がゆっくり過ぎていくように感じる。

そう言われています。

ということは、私もそんな何にもしない日々を送っていれば、また時が止まったように感じられるのでしょうか。。。

ちょっと試してみたい気もしますが、きっと「時間の無駄、時間の無駄」と、発狂しかねません(笑)

老いを感じながらも全力で走るか、それに目を背けるために何もしないで過ごすか。

難しい問題です。。。

「光陰矢の如し」

そう言った人も、同じように感じながら、矢のように過ぎていく時を生きていたのでしょうね。。。





ちなみに今日はイタリアの国宝とも言われる、オペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティさんの生まれた日です。

この「神に祝福された声」を私は若い頃に一度だけ聴いたことがあります。

1990年代初頭のロンドンでのことでした。
ハイドパークで行われたある催しに招聘されたパヴァロッティさんが、その歌声を披露したのです。

それはチケットや入場規制などはなく、公園にいる人であれば、誰でもフリーで観覧できるという夢のような催しでした。

どんな催しだったのか、具体的には思い出せないのですが、その日は老若男女問わず、多くの人が公園に集っていました。

みんなパヴァロッティさんの姿を一目見ようと集まってきた人々です。

私もこんな機会は一生に一度あるかないかだと、勇んで早くからその登場を待っていました。

他にも出演者がいたと思うのですが、パヴァロッティさん以外は残念ながら思い出せません。
それほどにパヴァロッティさんの存在感は突出したものだったのです。

公園の野外ステージに立ったパヴァロッティさんは大きくて、まるで天からオーロラ色のスポットライトを浴びているようでした。
いまでもその姿はよく覚えています。

公園を包み込むように響き渡るテノールは、まさに鳥肌が立つほどで、音響設備の良し悪しを超えたものでした。

貧富の差や人種、それらを取り払い、万人に最高の芸術に触れる機会を与えてくれるとは、なんとすごいことをやってのけるのか!
意地悪な英国人に辟易としながらも、この国の素晴らしい面を一つ発見した瞬間でした。

神に祝福された素晴らしい歌声は、人を選ばず、全ての人の耳に感動と共に響き渡ったのでした。。。