365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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一寸先は闇の人生をどう生きるか?子供達の進路選択に「喜」

2020年10月29日(木)

今日は珍しく朝からひとりでした。
普段、夫と次女はそれぞれ仕事、学校と朝から出かけますが、大学生の長女は未だにリモートでの講義なので、コロナ以降はほぼ家にいます。

今日は講義がないからと、昨日から友達の家に遊びに行っていて、そのままお泊まりだったので、とても久しぶりに朝のひとり時間を持つことができました。


大学生に限らず、今年は多くの学生が新型コロナのために、当たり前のように期待していた学生生活を送ることができないでいます。

高校3年生の次女は、最後の運動会や学園祭がなくなりました。
リモート授業のため、友達と一緒に過ごす時間も持てず、本来の学園生活を謳歌できないことでかわいそうだなと思っていましたが、本人はケロリとしています。

学校行事に関しては、これまで毎年経験してきたのだから、一度くらいなくなっても悲観するようなことではないと言います。

でも、最後の運動会、学園祭でしょ?

そんな言葉にも、最初でも最後でも同じ。できないものは仕方ない。コロナが相手なんだからさ。

むしろ、学校へ行かないことで、受験の準備ができると、プラスに考えればいいでしょ!と。

そう、あっさりしたものです。





大学生の長女はと言えば、長い春休みに入る前に新型コロナの流行が始まったため、今年はほとんど学校へは行っていません。

大学によりけりなのでしょうが、娘の学校では早々に後期もリモートと決まり、未だにパソコン講義を受けています。

しかし、通常よりもレポートなど課題提出が多く、学校へ通うよりも大変だとこぼしていました。

しかし、それ以外は特に悲観した様子はありません。

今年は就職活動などにも影響は出ているようで、その辺の情報は友人知人などと情報共有していたようで、自分なりに進路の変更を決めたようです。

王道からは外れるけれど、ちょっと賭けをして、別の道を行くことにした。

などと言っていたので、きちんとリクルートスーツを着て、就職活動しようという路線からは、自ら外れることにしたようです。

もしや、それが茨の道になるかもしれない。

そう言いましたが、娘は揺るぎません。

ここまで新型コロナに揺さぶられたら、もうこれまでの常識は通用しないし、王道を行けるのは、限られた優秀な人だけ。それもかなり少数になるだろうと。
そんな予測を立てたようです。

私は子供達に上場企業など、安定とされる企業への就職を特には望んでいません。

好きにすればいいと思っています。

その代わり、王道へ行った人以上の成果をあげるくらいの気持ちでなければ、人と違う道へは行くべきではないと言っています。

法を犯さない限り、どんなことでも好きな仕事をして、自分で稼ぐことがでればそれで私は満足です。


私が子育ての真っ只中にいた頃、唯一目標としていたのが、子供を自立させることでした。

親の手を離れた時、自分の住む家、自分の着る服、自分の食べるものを、誰の世話にもならずに賄えるようになること。

つまり、しっかりと自分の足で立って、自立した人生を送れるようにすることが目標でした。

いい学校に入って、一流企業に就職してといったことは、まったく頭にありませんでした。

今もそれは同じです。

娘の進路に対しては、一切の口出しはしません。

次女の大学受験も、滑り止めなし、本命の国立一本勝負という無謀な試みも、内心では「無理かも」と思いながら、好きにすればいいと言っています。





人と同じ道を行ったからといって幸せが約束されるわけではありません。

人生は長いのです。その間、山あり谷あり、登ったり、落っこちたり、嵌ったり、転んだり、、、

誰もがそんな道を歩かねばならないのが人生というものです。

いい大学に入学したり、企業に就職したとしても、それで一生安泰というわけではありません。
人によっては、そこが思ったような所ではなく、そこで働くこと自体が苦痛となり挫折してしまう人もいます。


私が子供達にアドヴァイスしているのは、

自分が幸せだと思える人生に必要なのはなにか?

そして、その中で最も重要だと思うものを明確になさいということです。

それを道標に行くべき道を定めればいいと。


人生の目標を大学や企業へ入ることとせず、どんな時でも自分にとって何をすることが、どこにいることが幸せであるかを考え、そこを目標にしろということです。

人と違った道を行くことは、怖さもあります。その先に何があるかわからないのですから、不安もあるでしょう。
共に横を歩く人がいなければ、孤独を感じることもあると思います。

それでも行く価値はあります。
もしもその道の先に何もなかったとしても、その道中でさまざまな景色を見ることができるからです。
それが「学び」になり、本人次第では先の人生において大きな武器となる可能性だってあるのです。

一寸先は闇。。。

人生の厳しさ、無慈悲など、、、
これから嫌というほど経験していくでしょう。

しかし、その時に「こんなはずではなかった」と絶望するのではなく、まだまだ他に道はある!と、進んでいく気概と強さを持つことができるのなら、どうにでもなると話しています。

子供達が選ぼうとしている進路は、私が普段言っていることを理解した上での選択であると思って、黙って見守っていくつもりです。

もう私の子育ても最終段階のようです。
自分の手を必死に伸ばし、幸せを掴み取ろうとしている子供達の姿を見て、もう私にできることは、ほとんどなくなったのだと、嬉しく思うのでした。。。





ちなみに今日は、映画監督や演出家として知られる高畑勲さんの生まれた日です。

火垂るの墓』や『おもひでぽろぽろ』そして『かぐや姫の物語』を始め、多くのアニメーション映画の脚本、監督を務め、テレビアニメの演出なども手がけてきた方です。

私は特にアニメオタクではありませんが、高畑勲版『かぐや姫の物語』が大好きで、何度も観ました。

あの躍動感のあるアニメーションが、なんとも悲哀を感じさせ、『かぐや姫』という昔から馴染み深いストーリーがまた違ったものに生まれ変わったような気がしたものです。

静と動が同居したような作品と言えばいいのでしょうか。静かだけれどその内は激しく、観るものに何かしら訴えかけてくるものがあります。

本当に素晴らしい才能です。

残念ながら2018年にお亡くなりになっていますが、残された作品の数々は、今でも生き続けています。