2020年11月10日(火)
今日も寒い一日でした。
まだ11月なのに、今から寒いなどと言っていては、この先が思いやられますが、最近はいよいよ冬がやってきたなと思えるほど寒くなってきました。
新型コロナも相変わらず感染者数は減りません。それどころか、北海道などは過去最高の感染者数を記録するなど、東京もこれから冬に向かってどうなるのかと、依然として明るい見通しは立たない状況です。
この冬はクリスマスやお正月といったイベントも、これまでとは違ったものになるのかなと想像しています。
そんな心配はあるものの、新しい季節を迎えるのは、どんなときでもワクワクします。
北の国ではもう雪が降り積もっている地域もあります。
そんな様子をニュースで見たりすると、「ああ、冬がきたな」と、なぜか嬉しくなるのです。
冬に限らず、春でも夏でも秋でも、新しい季節が巡ってきたと感じた時は、いつも心躍るような気持ちになります。
これは変わることで新しいなにかが生まれるのではないか?
そんな期待があるせいかも知れません。
つまり変化を求めているということです。
個人的には「変化」に対してポジティブなイメージを持っていますが、違った側面から見ると、かなりマイナスな言葉ともとれます。
特に日本ではそんな傾向が強い気がします。
例えば、変化の反対はなんだろうと考えて思い浮かぶのは「安定」です。
現状維持することで得られる安定は、多くの人が望むことでもあります。
一方で、変化を求めることは、ある意味賭け事のような側面もあると言えます。
よくサラリーマンなどが突然会社を辞めて起業するとか、ブロガーになってしまうとか(笑)
安定した収入が約束されず、苦労ばかりが多く失敗するかも。。。
そんな想像が嫌でも頭に浮かんできますね。
しかし、反対にサラリーマン時代よりも充実した生活、収入を得られる可能性もゼロではありません。
そこが賭けのようなものなのですが、きっとこのような変化を求める人は、そんなことも承知の上で、現状打破したいのだろうと思います。
本来、人間はホメオスタシス(恒常性)という現状維持機能が備わっているため、本能的に変化を食い止めようとする働きがあるそうです。
身体的な変化に対して、現状を保持しようと体温を上げたり下げたりという例が一番わかりやすいかと思いますが、現状維持することは自己防衛することでもあるのです。
そんな本能を持っているせいでしょうか、人は今が安泰であるなら、変わらないことこそが安全であると思うのでしょう。
確かに安心して生活できるのは、誰もが望むところで、私も平和な生活を求めています。
しかし、なんだかずっと同じ状態が続くと、どうもムズムズとしてくる性分のようで、突然自分の置かれている環境を変えたくなるのです。
若い頃に海外暮らしを選択したのも、このムズムズが原因です。
時はバブル期、仕事もうまくいっていて、収入も十分贅沢できるくらいにはありましたし、何一つ生活に不満はありませんでした。
しかし、だからこそなのでしょう。変わらない満ち足りた毎日が退屈に思え、変化が欲しくなったのです。
結婚に関しても、たまたま外国人の夫とご縁があったのだとは思いますが、ここでもまたちょっと面白い生活ができそうだなと、新しい経験を期待しました。
子供を産んだのも、仕事を辞めたのも、すべてそれまでとは違った生活がしてみたかったせいかも知れません。
それがよい結果を生んだか否かは別として、新しい変化のある生活を望んだという点では、思い通りの人生であったと言えます。
私は基本的に物事を深く考えません。小難しく考えていると、何が正解なのか余計にわからなくなるので、「物事は人が考えるよりもシンプルである」そう捉えるようにしています。
仕事はお金が入ってくればいい、結婚も一緒に難なく暮らせる相手ならいい、人間関係も不快でなければいい、ファッションなども年齢相応におかしくなければいいといった具合に、余計なオプションはつけず、極力シンプルに考えるようにしています。
そんなふうに、こだわりが薄いおかげで、変化に対しても強い拒絶反応が少ないようです。
こだわりがないからこそ、これがダメなら次はこれ、これよりもベターなものがありそうだから別の方へと、ぴょんぴょんと飛び回ることができるのです。
実際はそれに加えて、辛抱ができないという難もありますが。。。
子育てを経験して、かなり改善されましたが、「嫌だな」と思ったら、そこに止まっていることができない性格なのです。
少しでも「なんか違う。。。」そう思うと、すぐにそんな不快な環境を変えようと、動いてしまう癖があるのです。
これはいい時もあれば悪い時もあるので、一概にどちらがいいとは言えませんが、世の中には「しなくてもいい我慢、無駄な我慢」というものが溢れているものです。現状維持することが100%安全だとも言い切れません。
もしも変化を求めずに生きてきたら、ひょっとしてもっと素晴らしい人生を送れていたかも知れません。
しかし、そればかりは神のみぞ知るで、なんの確証もないのですから、考えたところで時間の無駄です。。。
変化を求めるにはリスクもあります。そのせいで失敗もたくさんしたので、もしかしたら安定こそが平和な人生かとも思えます。
ただ、変化を求める生活をしてきたからこそ、いまの自分に満足できているのかなとも感じます。
やりたいことを安定のために諦めるのは、それこそストレスフルなものです。
普通であれば50を過ぎて、そろそろ現状維持に向かう年齢にきたかなと感じ始める時期でしょうが、私にとってはこれからがまた変化を楽しむ時期だと思っています。
この20年、ずっと子育てをしてきて家族中心の生活でした。そんな中で自分だけが変化を求めるなどという勝手なこともできないので、渋々現状維持を選択したことも多くありました。
しかし、これからはまた第二の人生です。子供達が自立すれば、私の時間は私のものであり、自分の意思でなんでも好きなことを選択することができるのです。
何がしたいのか、何ができるのか、それはその時になってみないとわかりません。
大きな変化は無理でも、能動的に変化を起こそうと思えば、大小関わらず、選択肢は色々あります。
その時々、変化が欲しい!と思った時には、好きに動けるという自由があるのは、とても喜ばしいことです。
変わらないことを選択する可能性もありますが、きっと何かしら新しいものを探すことでしょう。
やっぱり新しいこと、違うこと、変化のある生活は楽しいもの。
昨日とは違う今日を!
ということで、昨日は外出だったので、今日は家にこもって年末歳費の予算について、あれこれと計画を立てたり、のんびりと過ごしたのでした。。。
ちなみに今日は、数々の映画音楽を手がけたイタリアの作曲家、エンニオ・モリコーネさんの生まれた日です。
日本では『シネマインパラダイス』『海の上のピアニスト』『ワンス・アポン・ア・イン・アメリカ』あたりがよく知られています。
きっと曲を聞けば、誰もが一度は耳にしたことがあるでしょう。それほど多くの映画音楽を世に送り出してきた方です。
モリコーネについては語りきれないほどの想いがあるほど大好きな音楽家です。
映画音楽の巨匠といってもいい方ですが、私にとっては長年究極の癒し音楽として、常にそばにありました。
その美しいメロディーは、まるで目に見えない夜露がそっと降りてくるように、少しずつ少しずつ魂に沁みてきます。
どんなに辛いことや悲しいこと、憤ることがあっても、モリコーネを聴くと気持ちが落ち着き、また頑張ろう!と思えるのです。
まさにヒーラーといってもいい稀有な才能を持った方なのです。
残念ながら、今年の7月にお亡くなりになってしまいましたが、モリコーネがこの世に残したメロディーは、永遠に人々の心を癒していくことと思います。
Love Morricone ......