2020年11月12日(木)
今日は朝から薄曇りの一日でした。
寒いので昨日に引き続き引きこもりたいなと思いながら、卵もパンもハムも切れているし、買い物くらいは出なければダメか?
寒いし、出るとまた散財するだろうし。。。
朝からそんなことでモタモタしていたら、バイトへ出かける長女が、帰りに買い物をしてきてあげるから、家でNet Felix でも観ながらのんびりしていろといいます。
せっかくのオファーなので、ありがたく受け、めでたく在宅となった一日でした。
子育てを夢中でしている頃は、こんな日が来ようとは考えたこともありませんでした。
とにかく学校を卒業したら、親や周りに頼らず、自分の足で歩いていけるよう自立して欲しい。
そんな思いしかありませんでした。
長女はいま大学生なので、学費は親がかり、自宅通学なので食費、光熱費など生活費も必要ありません。
しかし、それ以外は基本的にバイト代でまかなっています。
お洋服や化粧品、お友達との交友費など、若いので欲しいものも多いでしょうが、身分不相応な物を持ったり、したりしない限りは、週何度かのバイトで事足りるようです。
多少は貯金をする余裕もあるらしく、私が元気のない時などは、美味しそうなお菓子を買ってきてくれたり、欲しがっていたものをプレゼントしてくれたりもします。
こんな時、人のことまで気遣えるような年齢になったのだなと、しみじみ感じます。
小さな頃は、人並みにわけのわからない宇宙人のような存在であった子供達も、今はすっかりまともな大人になりつつあります。
もちろん手放しで「素晴らしい我が子達よ!」などと思っているわけではありません。
いまだに小言も言えば、怒りで感情的になることもあります。
それでも、あまり子供達の人生に口出しはしないようにしています。
子供達への不満は、それこそそう育てた自分の不出来によるものでもあるのです。
子供は親の姿を見て、それをお手本にしたり、反面教師にしたり、親という存在の影響を色濃く受けるものです。
もしも子供に問題があるなら、その根本は自分にあると思っています。
自分の子育てに評価が下るのは、20年という長きに渡る後の事です。
その渦中にいる時は、そんな先のことなどに思い及ばずで、時には怠けてしまったり、おざなりにしてしまうこともあります。
毎日毎日、20年間全力で子育てに向かうなど、無理なことです。
親もひとりの人間です。体調が悪い時もあれば、イライラと気持ちが落ち着かないこともあります。
人生がうまく行っていない時などは、子供に気を配る余裕さえ失ってしまうことが、私にもありました。
それでも、なによりも大切なのが子供でした。
30年以上も自由気ままに生きてきたので、子供を抱えた生活は、言葉は悪いですが、両足にがっしりと足枷がついたようなものでした。
しかしその足枷は、わたしにとっては同時に幸せや喜びの足枷と言ってもいいものでした。
子供がいなければ、きっと存分に好きな仕事に打ち込み、世界中を旅して生きていただろうなと想像することがあります。
しかし、子供と一緒に生きるという人生もまた楽しいものです。
どちらがいいということではなく、どんな状況であっても一生懸命に生きることを楽しむ。それが大切なのだろうと思います。
「子供、子供」と言っていても、たった20年ばかりのこと。長いようでいて、過ぎてしまえば、人生のたった4分の1に過ぎません。
子供が巣立てば、また昔のようにひとりに戻るのです。
夫はいますが、大人なのでお互いに依存しなくてもいい、相手に対して責任を持つ必要がないという点では子供とは違います。
老後は誰に気兼ねすることなく、お互いに好きなことをしましょうと話しています。そんな中で、共有できる部分があれば一緒に楽しめばいいと。
人はひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。
それこそが、よき人生を送るヒントです。
夫や子供達はいるけれど、みんなそれぞれの人生があり、歩きたい道も異なります。
ある一時期、共に過ごしても、最後はまたひとりに戻るのです。
ひとりであることは孤独ではなく、自由の獲得であると思っています。
そう思えば、子供達が巣立ったあと、空の巣症候群のようになったり、子供に依存することもないでしょう。
経済的にはもちろんですが、精神的にも絶対に子供には依存してはいけないと思っています。
自分が実母から精神的な依存を受け続けてきたからこそ、余計にそう感じるのです。
「マミーはいまどこにいるのかしら?何してるんだろう?」
子供達の方がそう思うくらいに、自由闊達な老後を目指しています。
もし、それができたとしたら、私の子育ても成功、自分の人生も100点満点です。
ちなみに今日は、フランスの映画監督、脚本家であるパトリス・ルコントさんの生まれた日です。
80年代後半、この方の映画に傾倒していました。
特に『髪結の亭主』という作品が大好きで、何度も繰り返し観た記憶があります。
映画評ではないので内容などは割愛しますが、映像の美しさと、ともすると病的な人生観を持つ登場人物たちが織りなす日常が静かに描かれています。
ところが、実のところ静かでも平凡でもない現実離れしたストーリー。
好きだけれども理解ができないという、ちょっと厄介なところが魅力でもあったのかも知れません。
フランス映画だからこそ、それを美しく見せることができるのか。。。
文化の違いという垣根がある限り、この世界観を完全に理解することはできないのだろうと今でも思っています。
ご興味のある方は、ネットであらすじなどを検索してみては?
きっと「意味不明。。。」と思うかもしれませんが(笑)
若い頃は興行的に成功したような映画よりも、映画祭で評価されるような作品を多く観ていました。
若者特有の嗜好へのこだわりとでもいうのか、難解なものを求める傾向にあったのですね。。。
しかし、いまはなんでもOKです。アニメーション映画だって韓流だって、なんでも観ちゃいます。
もはや、楽しければなんでもいいのです!