365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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一週間の引きこもり生活で知った引きこもりの心境と、人は一人では生きられないという現実の「哀」

2021年1月6日(水)

今日もまだ動けず。。。

変わらずヨタヨタしながら、最低限の家事だけしつつ、あとはソファーに根っこが生えたような状態で過ごしました。

近くのコンビニくらいは行けるかな?と思いましたが、着替えをするのもつらいので、今日もまだ一歩も家から出られませんでした。

今年は仕事始めも早かったせいか、世の中お正月気分は抜けて、通常モードに戻っています。

そんな中、何もできずに引きこもっていると、いくら仕事をしていない身の上とはいえ、多少の不都合が生じ、自分一人では生活できない状態になってきます。

今はとりあえず食べることには困りませんが、それも家族が代わりにやってくれるからで、自分一人であったら、どうなっていたのだろうと思いました。

たくさんあると思っている食料品もやがては尽きます。手元にある現金も減り、そろそろ銀行にも行かないとなど、もしも一人であったら困ることがたくさん出てきそうです。

今はネットでお買い物をすれば、現金で決済する必要もありませんし、玄関先までなんでも品物を届けてもらえる時代ですが、玄関まで取りに行くことすらできない状態では、どうにもなりません。

普段は「ひとりになりたい」などと、お一人様礼賛!とばかりに語っていましたが、やはり人間一人で生きていくには、相当の覚悟が必要であると改めて感じました。

社会と断絶された世界で、たった一人で生きていくことは、ほとんど不可能ではないかとすら思います。

自立だなんだのと言っても、それは自分が元気だから言えることで、万が一の時は結局誰かに頼らずを得ないのです。

頼れる存在である家族がいない人などだって、ヘルパーさんなどにお願いして、自分のできないことをしてもらうという点では、誰かに手助けをしてもらっていることになります。





誰かに頼るのは、たとえそれが家族だとしても心苦しいものです。遠慮しているというのではなく、自分自身が何もできないことが苦しいのです。

自分のことは自分で面倒を見るべきと、自立!自立!と言ってきた自分が、誰かの世話にならないと普通の暮らしすらままならない状態がつらいのです。

しかし、そうは言っても、自分でやりたくてもできなのなら仕方がありません。不本意ながら誰かに頼るしかありません。。。

引きこもりというのも、そういう点でとてもつらいものなのだなと思います。

昨今問題となっている引きこもりも、誰かしら助けてくれる人がいるからこそできることなのでしょう。

私の遠い親類にも何十年も引きこもっている女性がいます。私は会ったことがありませんが、もう30年以上になるそうです。

毎日、年老いた親を買い物に行かせ、食事の用意をさせ、自分はただ部屋でお菓子を食べながら好きなことをして過ごしているそうです。

人と接するのが難しいのかと思えば、そうでもないらしく、親類の誰かが訪れた際には、なんだかんだと話をし、説教までしてくれるそうです(笑)
30年間引きこもっている間に、たくさんの本を読んだから、知識は人並み以上だと豪語しているらしく、親戚のおばさん相手に討論して論破することで優越感を得ている、なんて話も聞きました。

私のところにも、そんな論破された親戚のおばさんから、一度相手をして欲しいと頼まれたことがありました。

私は暇なので旅行がてら行ってもいいわよ!と快くお返事をしましたが、「あの人とは会いたくない」とお断りされたと言います。

親類縁者の中ではブラックシープ的存在として悪名高い私なら、きっと引きこもり批判をしてくるだろうとでも思ったのか、敬遠されてしまったようです(笑)
そんなわけで、30年もの間引きこもり生活を続けているその女性に興味を持ちながらも、未だに会ったことはないのです。

そんな女性の話を聞くたびに、先のことを考えて不安にならないのだろうかと思います。
そこに至るまで、なにかしらの理由あってのこととは思います。他人には理解できない心の問題など、一言で非難できるものではありません。





その女性の生活は、昨今問題とされている「8050問題」そのものです。
これは80代の親が50代の引きこもりの子供を抱えているという問題について言われている言葉です。

親類の女性も私と同じような年齢なので、すでに50代です。地方都市で持家、まだ両親ともに現在ですが、これといった資産があるわけでもなく、 80代の両親の年金に頼った暮らしです。

両親は自分亡き後の娘の生活を危惧し、色々な人に相談を持ちかけているようですが、当人から危機感は見えないといいます。

ほとんど働いた経験もなく、常に誰かに支えられて生きてきたせいか、誰かしらが面倒を見てくれると思っている節があると言う人もいます。

まだ結婚も諦めてはいないといいますが、一歩も外に出ず、毎日お菓子を食べてブクブクと太った、何も持たない50代の女性にそんな可能性は限りなく低いでしょう。

ただ思うのは、実は本人も引きこもっていることが辛いと感じているのではないかということです。

私などたった1週間、腰痛で引きこもらざるを得ないだけで、これほど悶々としてしまうのですから、30年間ともなればその苦悩はいくばかりかと思うのです。
自分では何もできないもどかしさ、苛立たしさなど、感じないわけはないはずです。

前述としたように、人はたった一人きりで生きていくのは難しいことです。
この引きこもりの女性も今は両親が健在なので生活はできますが、両親も80代となればいつ介護が必要になるか、また寿命が尽きるかもわかりません。

これまでは、自立しようとしなかったせいであり、どんな結果になろうとも自業自得!などと思っていました。

しかし、もしかしたら出たくでも出られなかったのかもしれない。。。とも思うようになりました。

健康とは身体だけでなく心も含めてのことです。

私はたまたま腰痛という体の不調によって外に出られない状態ですが、心の健康を損なって出られない人も当然いるはずです。

人と接することが辛いという理由で引きこもっているとすれば、こんな人はどうしたらいいのでしょうか。

「人は一人で生きられない」のだとすると、居場所はないも同然です。
それとも、どこかに救いの道はあるのでしょうか。。。





東京ではいよいよ2度目の緊急事態宣言が発出され、明日あたりからまた自粛生活に入ります。

コロナ禍で過ごした約一年の間、メンタルに不調をきたした人が多くいるといいます。
特に若い女性に顕著だと言いますが、人との繋がりが見えないことで、孤独を感じてしまうということなのでしょう。

人は誰しも人と繋がることを求めているのかもしれません。
私のように「ひとりで全然平気!」と言っている人間でさえも、ひとたび不自由になれば心弱くなるのですから。。。

何十年も引きこもりを続けている人も、ひとりで引きこもっているわけではなく、そこには家族がいるこそ何十年もそうしていられるのでしょう。

腰痛で引きこもっている私とは、まったく状況は違いますが、家に引きこもっている、外に出られないという点では同じです。

自分が似たような状況になって、初めてその心中を想像し、これまでとは少し違った目で見られるようになりました。

昭和のバブル期を生きてきた人間は、どこか尊大なところがあり、なんでも頑張りが足りない!自己責任!と威勢のいい厳しい言葉で片付けるようなところがなきにしもあらずですが、自分が弱って初めてそれがおごりであるとわかります。

家の中で動くのすら大変な状態で、自分一人では何もできず、ただソファーに座って日がな一日を過ごしているので、普段は考えないようなことまで考えます。

これはこれで、私のような人間には必要な時間だったのかも知れないと思うのでした。。。





ちなみに今日は、イギリスのコメディアンであるローワン・アトキンソンさんの生まれた日です。

私は昔から日本の「お笑い」というのがあまり好きではありません。というよりも、笑えないのです。。。

昨今ではTVをつければ、ほとんどの番組にお笑い芸人と呼ばれる人達がでていますが、ちっとも面白いと思えないので、TVもあまり観ません。

しかし、このイギリスのコメディアンだけは笑えます。

日本でも『Mr.ビーン』で一躍有名になったローワン・アトキンソンさんです。

かつてこの『Mr.ビーン』のビデオをたくさん並べて、毎日のように観ては大爆笑していたものです。

言葉は一切なし。ただその動きだけで笑いを誘うというサイレントなショートストーリーですが、なぜかこれがツボにハマり、何度観てもおかしくて、おかしくて(笑)

こんなコメディアン、日本にはいませんよね?