365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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コロナ禍において必要なのは常識ではなく自己愛という母にロックダウン宣言された家族の「哀」

2021年1月9日(土)

今日から三連休です。
かなり腰痛の方もよくなってきたので、家の中でちょこまかと動いています。

お正月用に買っておいたお肉が消費さぬまま冷凍庫に詰まっているので、これをなんとか一掃しようと、メニューを考えていたところ、夫は「焼肉が食べたい!」と大騒ぎしたので、渋々ながら家族でお家焼肉をしました。

普段は家で焼肉は絶対にしません。気密性の高いマンションでは、部屋のカーテンや壁などに臭いがつきます。テーブル周りも飛んだ脂でペトペトになるので、食後のお掃除も面倒です。

焼肉は焼肉屋さんでのみ。

長年の決め事も緊急事態宣言下ではまっとうすることはできないようです。。。

飲食店の営業は8時まで。6時前に入店すればゆっくり食事ができないこともありませんが、緊急事態宣言中とあれば、やはり外食を控えるのが常識的な判断かなと思ったのです。


と、ここでふと、果たして私は「常識」だからと焼肉屋へ行くことをしなかったのだろうか?と考えたのでした。





常識とは社会を構成する上であたりまえとなっている社会的な知識、価値観、判断力のことだそうです。

しかし、かの著名な科学者、アインシュタインは「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのこと」とも言っています。

アインシュタインに傾倒していたわけではありませんが、若い頃から「常識」という言葉を聞くたびに、首を傾げることが多くありました。
今では大人になったので、人様に判るようなリアクションは避けていますが、事あるごとに「常識」と言われることに心の中で首を傾げています。

天邪鬼な性格ゆえ、これはもう治らないと思っていましたが、私もこのコロナ禍でようやく社会の一員として健全な考え方も持つようになったのかしら⁉︎ と、多少の安堵を覚えたものの。。。

よくよく考えてみれば、このコロナに関して言えば、常識というよりも、ただただ「自分が感染したくない!」そんな思いしかないような。。。

他人に感染させるリスクを考えよ!との言葉をこのコロナ禍ではたびたび耳にしました。
しかし、人は自分が一番大切なものです。どんなに心優しい人であろうとも、マザーテレサさながら自分に犠牲を強いてまで、他者に尽くそうと思う人は極々稀であるはずです。

ここまで感染が広がれば、誰もが感染するリスクを負っていると言えます。きちんと「常識」をもって生活していても、運悪く感染してしまう人もいるでしょう。

しかし、自らリスク承知の上で行動している人がいるから、ここまで感染が拡大しているとも言えます。

そんな方々を世間では「非常識」であると糾弾しますが、私が思うのは「自己愛が足りない」です。





「常識」というものに対して、普段から「えっ?」と思うことの多い私のような人間であれば、自粛することが常識だと言われても、あまり響きません。

なぜ自粛するかと言えば、前途した通り、自分が大切だからなのです。

感染し退屈な場所に閉じ込められる苦痛、最悪コロナによる症状によっては身体的苦痛も伴います。
そんなことを想像すると、なんとしてでもコロナ感染から自分を守らなければ!と思うのです。
つまり自粛する理由は「常識」ではなく、「自己愛」からといえます。

いま、自粛をせずに街で遊び歩いている人は、自分を大切にしてないのではないかとも思えます。
自分を大切にできない人であれば、当然のことながら他人に配慮などしないでしょう。

優先順位第一の自分にリスクを負わせる人が、他人に感染させるかも?などと気遣いをするわけがありません。

本当かどうかはわかりませんが、報道では若い方の感染者が多いと言われています。

我が家にも遊びたい盛りの20歳前後の子供が二人いますが、不要不急の外出は禁止しています。

「我が家は緊急事態宣言ではなく、ロックダウンよ!」

そんな母の鶴の一声によって、友達との約束もキャンセルし、家で大人しくしています。
それもこれも、子供達からの家族感染を恐れてのこと。

「みんな普通に遊んでるよ」

SNSで発信される楽しそうな様子を見ながら、大学生の娘からは不満の声が上がります。

周りが遊びまわっている中、自粛を強いるのは酷だと思いながらも、我が身が可愛い私。

「遊びたければ、一人暮らしをせよ。この家で暮らす者すべて、不要不急の外出は禁止!」

もはや、常識以前に自己愛全開でロックダウンを強行しているのです。





今日、ちょっとした治療のためにクリニックへ出かけた夫によると、街は以前の緊急事態宣言時とは違い、結構な人出だったとのこと。

やはり人の動きを止めるのは難しいようです。特に今回は学校も休校ではなく、受験生にとっては動かざるを得ない時期です。
我が家の受験生も学校はもちろん繁華街に近い予備校へも毎日通っています。

自己愛の強い母とはいえ、さすがに「行ってはならぬ」とまでは言えません。
人生の大きな岐路の一つである大学受験です。後悔なきようトライしてもらいたいと思っています。

緊急事態宣言下に外出している人の中には、仕事や学校、病院など、各々の事情で外出せざるを得ない人も多くいるのでしょう。

また緊急事態宣言でビジネスに影響が出たり、生活が困窮する可能性もあるという人もいるはずです。

そう考えると、このコロナ禍においての「常識」とは一体なんなのか、どうすることが正しいのかすらわからなくなります。

ただ思うのは、自己愛を貫ける自分は幸せだということです。
そして、結局のところ自分がどうすればいいのかは、常識に頼ることではなく、自分の置かれた立場で考え判断するしかないということなのです。

文句を言ったり、他人を非難したりせず、ただ自分が信じることをするしかないと思っています。

それにしても。。。

本当にどこに感染者がいるのでしょう?
今日も東京では2000人を超える新規感染者が報告されていましたが、相変わらず身近で感染の話は聞かれません。。。





ちなみに今日は、フランスの哲学者、作家、政治活動家、そしてフェミニストとして知られるシモーヌ・ド・ボーヴォワールさんの生まれた日です。

私はフェミニストではありませんが、若かりし頃にこの方の代表的な著書は一通り読みました。

「なるほど〜」と唸るような記述は数あれど、その思想に夢中になるほどには響きませんでした。
その証拠に、今ではそんな本の内容すらすっぽりと抜け落ち、ただ「ボーヴォワール夫人」という名前だけが残されているだけです。

そもそもフェミニズム!と声高に叫ばなければいけないような環境に身を置いたことがないせいかもしれません。
私の生まれた家では、性別関係なく強いものが権利を得るという家庭だったので、不平等を感じることなく成長しました。

加えて「女だから」というよりも、「女だからこそ」と小賢しく生きてきたせいもあるでしょう。

窮屈な思いを感じることなく、常に解放された状態でいれば、あえて自身の権利を主張する必要もありません。

我が家の子供達は2人とも女子ですが、解放されきっているせいか、「フェミ?興味なし」といった様子です。

しかし、ボーヴォワール夫人は数々の名言も残していて、思わず唸ってしまうような素晴らしい思想、面白い言葉をみることもできるので、女性のみならず、一度は読んでみるのもいいのではないでしょうか。。。