2021年1月24日(日)
昨夜から、頭の中ではクリスマスでもないのに、達郎さんの声がリフレイン。。。
雨は夜更け過ぎに〜
雪へと変わるだろう〜
まさに夜更け過ぎから、今朝にかけて、東京でも雪の予報がでていました。
今朝も暗いうちから起きて、ベランダへ出てみましたが、ザーザーぶりの雨で、気温的にも雪にはならないだろうと思っていたところ、午後にはその雨もすっかり上がっていました。
そんな日曜日ですが、毎度のことながら週末は家族全員集合で、人口密度が非常に高くなります。家庭内「密」の状態です。
緊急事態宣言中だし、お天気も悪いしと、大の大人が家の中でウロウロ。。。
特に回遊魚体質の夫は、遊びに出られないストレスがマックスです。
「なにか買うものはないか?」
そう何度も尋ねてきます。
食材もたっぷりあるし、これといって買わなければいけないものなどありません。
ないと言っているのに、わざわざ近所のコンビニへ出掛けては、ドリンクやお菓子を大量に買ってきます。
お菓子なら私がお取り寄せしたものが、山ほどスタンバイしているのにです。
「お菓子なんか、ここにいくらでもあるでしょ?」
そう、無駄遣いを諌めると、途端に機嫌が悪くなります。
「あなたが買うお菓子とは値段も違いますからね〜」
などと、嫌味ったらしく返してきます。
つまりは、私が普段買うお菓子は高いということが言いたいのです。
自分だって、散々食べているのに!です。
しかし、こんな嫌味は序の口です。
コロナによる自粛が始まって以来、ストレスが溜まっているのか、事あるごとに皮肉や嫌味が飛んできます。
これが激しくカチンときます。
普段ならスルーするところですが、なんだかとても生意気そうにいうので、ついつい私も反応してしまいます。
Are you being sarcastic ?
(あなたは嫌味を言ってるの?)
普段は日本語で通していますが、時折英語で切り返すことがあります。
それはほとんどが夫婦喧嘩をするときで、日本語では相手にダイレトに伝える(ダメージを与える)ことができないとき、または日本語ではしっくりとこない単語を使うときです。
私がいくら日本語で捲し立てても、日本語のネイティブではない夫には響きません。
私がどんなに英語で愚弄されても、日本語で言われたときに感じるような、ダイレクトな怒りを感じないのと同じです。
息をするようにすっと入ってくる母国語と違い、大人になってから体得した語学は、頭の中の言語スイッチを入れ替えても、染み入るほどには心に響きません。
つまり、夫婦喧嘩において、相手によりダメージを与えるためには、相手の母国語を使って攻撃するのが一番ということです。
ただし、悪い言葉を使ってはいけません。これは万国共通で、このような場においては「慇懃無礼」であることが原則です。
さて、この「sarcastic」という言葉ですが、日本語に訳すと嫌味、皮肉、愚弄、諷刺といった意味になるのですが、我が家の夫はとても性格の悪い人の話をするときに、よくこの言葉を使うのです。
つまり、夫の大嫌いな捻くれた皮肉屋をディスるときに、夫自身が多様する言葉なのです。
そんな大嫌いな皮肉屋に、あなたもなっていますよ。
そんなメッセージを言葉の裏側に隠し、私は涼しい顔でその言葉を口にするのです。
もちろん、夫は激しく怒ります。
開き直りの逆ギレという、もっとも卑劣な行為で、さらに戦いを挑んできます。
しかし、いくら相手の言語であろうとも、口喧嘩となれば女性の方が優位です。
「過去の出来事」という引き出しを開ければ、攻めるべき急所はいくらでも出てきます。
そして、相手がどんなに大声で捲し立てようが、言語チャンネルの「英語」をオフにしてしまえば、私の耳にはただの騒音が流れ込んでくるだけ。
家の周りをぐるぐると回っている街宣車から聞こえてくる演説の方が、よほど耳に入ってきます。
そんな夫の撒き散らす騒音をものともせずに、淡々と皮肉や嫌味の応酬を仕掛けます。
それがさらにカチンとくるのか、どんどんエキサイトしていく夫。怒りは天をつくかと思うほどに最高潮に達した頃。。。
真打ち登場。子供達の出番です。
「ダディー、うるさいよ。落ち着いてよ」
「大人気ない!なんで外人ってすぐに感情的になるの⁉︎」
などと、娘達に激しく責められるのです。
どちらかと言えば、私の方が辛辣なことを言っているのですが、静かに淡々と畳みかけるように話しているので、大声で騒いでいる夫の方が悪者になります。
子供達が出てきたところで、私の役目は終わりです。
散々、嫌味や皮肉を言いまくり、スッキリしたので、私の中ではすでに完結です。
あとは子供達に任せて、私はそのまま日光東照宮の三猿の如し「見ざる、言わざる、聞かざる」です。
つまりは、無視です。
そのまま、ずっと三猿でいると、翌日には夫が「sorry」と謝罪してくる。というのがいつものパターンです。
もう何十年も同じことをやり続けているのだから、呆れてしまいます。
今宵も三猿の私。
私がこうなると、家の中はとても静かです。家庭内ヒエラルキー第一位の母が、耳にAirPodsを入れたまま、眉間に皺を寄せていると、誰も寄ってきません。
なんだか、コロナによるステイホームのおかげで、私が三猿になる頻度が増えた気がします。
本来は悪いことは「見ず、言わず、聞かず」という意味のお猿さんです。
「無視」をするのではなく、夫の嫌味や皮肉も三猿の如くスルーできるようになれればどんなにいいでしょうか。
50もとうに過ぎた歳なのに、まだ大人になれない自分が、哀しくもあります。。。
ちなみに今日は、ドイツ出身の女優であるナスターシャ・キンスキーさんの生まれた日です。
今はすっかりおばちゃんになってしまったナスターシャですが、若い頃の彼女はとんでもないくらいに美しかったものです。
ロマン・ポランスキー監督の『テス』で見せた妖艶な美しさは、今でも人々の記憶に残っていることでしょう。当時、16歳というのも信じ難いほどでしたが。。。
ストーリー自体はなんとも悲惨で、観ているのも苦しいような救いのないお話しでしたが、ナスターシャの美しさを観るだけでも価値ありです。
他にも私の大好きなヴィム・ヴェンダース作品、『パリ・テキサス』や『時の翼にのって』の天使役など、ちょっと変わった役柄もしっくりとくる、とても個性的な女優さんでもあります。
ネットでググると、いまでもあの美しかった頃のナスターシャ・キンスキーの姿を見ることができます。
あの女豹のような、それでいて透明感のある美しさ。なかなかお目にかかれるものではありません。
あの美が永遠のものでないのは、とても哀しいものです。。。