365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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他人とではなく自分自身と戦って得られる満足感と達成感こそが「喜」びになる。

2021年2月27日(土)

またまたあっという間に巡ってきた週末です。
しかし、今週はちょっと特別な週末でもあるのです。

それは次女の大学受験本番日が明日。

普通、受験前は縁起を担いでトンカツなどを食すご家庭が多いそうですが、娘にリクエストを聞いてみたところ、トンカツは嫌だと。。。

それなら何がいいかと言えば、返ってきた答えが「カオマンガイ」です(笑)

チキンのモモ肉をチキンブイヨンで炊いて、コリアンダーを散らし、さらにその煮汁で炊いたジャスミンライスと共にいただくというタイ料理です。

娘はこれが大好物。
そんなわけで、今夜は普段は買わないような上等な鶏肉を買い込み、カオマンガイを大量に作りました。

明日は朝から娘を試験会場まで送り、その足でまたお菓子を巡るお散歩でもしてこようかと思っているので、今日できることは今日やってしまおうと、カオマンガイ以外にもあれこれと朝からフル回転でした。

その中の一つにブログ書きがあります。





このブログは日記なので毎日投稿を目指していますが、メインブログはそんな縛りもないのでお休みしても問題はありません。
しかし、今月はほぼ皆勤賞。毎日毎日、時には一日3本も書いたほど頑張りました。ゆえに、今日と明日やりきれば、本当の皆勤賞となります。

学生時代、皆勤賞を目指すクラスメートを見て、なんのため?と冷めた視線を向けていた私ですが、今ならその気持ちがわかるというものです。
なんのため?だなんて愚問です。自己を満足させるために他なりません。

私にとって満足感、達成感、その二つを同時に味わうために必要なのがプロセスと結果です。

ブログで言えば、頑張った(プロセス)ことが、投稿数やアクセス数などに反映される(結果)こと。

受験で言えば、できることは全部やった(プロセス)末に、合格(結果)を手にするということ。

それは他人との競争ではなく、私の場合は自己の問題です。
自分の意思で満足感や達成感を得たいと思うことこそが、大きな原動力となるのです。

人によっては他者との比較によってモチベーションが上がる!という方もいるかもしれません。

人それぞれなので。。。

しかし、これだけは言えます。他者と自分は違う人間です。

違う特性を持ち、得手不得手も異なります。そんな中での競争は、不毛なのではないか?と若い頃から考えていました。

ある意味でそれは自分自身を守ることにも繋がっていて、何事においてもプレッシャーやストレスを感じることなく、まるで一人で高い山に挑む「孤高の人」のごとく心境で、物事に取り組むことができます。

実際はそこまでストイックではありませんが。。。(笑)





昨今では、小学校の運動会などでは順位づけをしない学校もあると聞いたことがありますが、他者と比較をしないというのは、そのような平和主義とは違います。

動機そのものが、他者に勝つためではなく、自己満足や達成感のためなので、他者がどんな過程を辿っているかには頓着しないものの、結果によって得られるのが達成感であるのなら、必然的に他者との勝敗が判断材料となることもあるからです。

子供の頃はとても負けず嫌いでした。
負けたと思うと悔しくて、夜も眠れないほどで、その片鱗はいまだに「悔しがり屋」という点で残っています。

若干の名残はあるものの、私の負けず嫌いは、ほぼ消滅しています。それは、20代での海外生活が大きく影響しています。

主に欧米の友人知人ですが、あちらの方は本当に自分のことしか見ていません(笑)

我が家の夫もそうですが、究極の自分至上主義と言えます(人にもよると思いますが)。

とにかく他人よりもまず自分の満足度が最優先。他の人が何をしているか、どう感じているかは二の次です。
時と場合によっては、礼賛できるものではありませんし、イラッとすることもありますが、見習うべき点は多いと思っています。

人からの評価や顔色を伺いながら行動すれば、楽しみも半減しますし、ストレスになります。

人目など気にせずに自分の好きなように振る舞うこと、好きなことを楽しむこと、世間一般でいうところの常識にとらわれないこと。

それが自分の人生をより豊かにすることだと気付いたのは、悪く言えばあの身勝手とも言える方々のおかげでしょう。





他人がどんな暮らしをしていようが、自分には全く関係のないことで、一番重要なのは、自分がいまどんな暮らしをしているか?

そこなのです。

人は生まれながらにして不平等の中を生きています。
スタート地点も走る道も全く平等ではないというのが現実です。

そんな中で、全く違う道を走る人と比較しても、はなっからお話になりません。

それならば、横を見ずに自分の内なるものに目を向けて、満足感と達成感を追い求める方が、その過程はより楽しくなるはずです。

ありきたりな言葉で言えば「自分自身との戦い」となるのでしょうか。

私のようにあわよくば楽をしたいと考える人間にとっては、自分との戦いはとてつもなく厳しいものです。

頑張れば「疲れた」
怠ければ「自己嫌悪」

そんな感じで日々、楽をしたい自分と、それを許さない自分という、相反する2つの感情に揺さぶられています。

こうしてブログを書いている間も、ソファーにゴロンとしながら韓流ドラマ三昧したい。。。などと考えているのですから。

辛い時を過ぎれば訪れる「満足感」と「達成感」を得るため、少しは頑張ってみましょうか。。。





ちなみに今日は、フランス文学者、随筆家であった朝吹登美子さんの生まれた日です。

初めてこの方の名前を知ったのは、フランスの作家である「フランソワーズ・サガン」の『悲しみよこんにちは』と出会った時でした。

そこに散りばめられた、まさに「センスの塊」と言える言葉の数々に、まだ10代だった私は大きな衝撃を受けました。

その時はサガンが素晴らしいのだと疑いもしませんでした。もちろん元々の小説を書いたのはサガンなので、素晴らしい才能であることには言うまでもありませんが、その時は翻訳というものが目に入っていなかったのです。

それから全てサガンの作品は読みました。

ところが途中で翻訳者が変わり、初めて翻訳者によってここまで変わるものなのか。。。と気づいたのでした。

今読み返しても、やっぱりサガンは朝吹登美子さんの翻訳が好きです。

ボーヴォワールを手に取ったのも、この方が翻訳を手がけていたからこそで、翻訳以外の著書もたくさん読みました。

10代の多感であった時期に、読書という形で美しい言葉と出会い、異文化の香りを思い切り感じられたことは、その後の人生に大きく影響したはずです。

サガンと出会ったというよりも、私にとっては朝吹登美子さんと出会ったと言ってもいいくらい、彼女の書く文章が好きでした。