365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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懸命に勉強した英語の教材を断捨離し、新たな情熱を持って向かう未来を想像する「楽」

2021年4月11日(日)

今日もとってよいお天気の東京でしたが、私は昨日に引き続き、断捨離をしていたのですが、勢いづいて模様替えに発展してしまい、まだ終わりません。。。

夫や子供達はそんな私を横目で見ながら、

「すごいね〜、いつになったら満足するんだろうね〜」

「家の中、空っぽになっちゃう勢いだね〜」

などと、茶化しながら通り過ぎていますが、いいのです。楽しいのですから!

あれこれと断捨離をすると、当然その物があった場所にスペースができます。
そうなると、まるでルービックキューブでもするように、よりマッチする配置を考えようとし、模様替えに発展してしまうのです。

もう引っ込みはつきません(笑)

ところで、今日は思い切って英語教材を断捨離しました。30年以上前から後生大事に持っていたものです。


20代のはじめに英国へ渡り、初めて本気で英語を勉強しました。あれほどまでに一生懸命に勉強をしたのは、後にも先にも初めてでした。

とにかく、一日でも早く英語が話せるようになりたいと、毎日毎日必死で勉強しました。
朝学校へ行き、その後はバイトに行きましたが、そのバイトもお金のためではなく、英会話上達のためでした。
そんなバイトが終わると、今度は夕方からまた別の英語クラスをとり、帰宅してからさらに5時間の自主勉強。それを1年間、ほぼ毎日やりました。

その結果、一年でなんとか自分で納得できる語学力をつけることができたのです。

その後、外国人と結婚し、日常会話が英語になったこともあり、さらに勉強をしました。
特に日本に帰国してからは、英語を話す機会も、ぐっと少なくなったので、少しでもキープできるようにと頑張っていましたが、子供が産まれたことで、英語に向かっていた情熱が子育てに置き換わり、以来英語の勉強とは遠ざかっていました。





子育てに夢中になっているうちに、いつの間にか自分の英語力が錆びきってしまったと気づいたのは、子供達が私の語学力よりも上にいったと認めた時でした。

子供達が小さい頃は、ボキャブラリーも少なく、当然話し方も稚拙でしたが、成長するに従い、夫とも対等に話せるようになっていました。

かたや、私はといえば、ヒヤリング、スピーキング、リーディング、ライティング、全てにおいて、衰え錆びきってしまっていました。

夫が日本語を理解するようになってから、「ここは日本だからね!」と、日本語にどっぷりと浸かり、まったく英語に触れる努力をしなかったのです。

話していても、昔のようにスラスラと言葉が出てきません。ニュースなどを観ていても、「今なんて言った?」などと、聞き取れずに家族に質問する始末です。。。

言葉も道具と同じで、使わなければ錆びつき、使い物にならなくなるのです。

子供達が大きくなったら、また勉強し直せばいい。そう思っていました。
だからこそ、全ての教材を取っておいたのです。
文法など全て英語で書かれた教材、英英辞典、それ以外にも、英会話関連の書籍、雑誌の切り抜き、、、あらゆる英語学習の教材が、きちんと整理され、大きな箱2つに収まっていました。

いつでも勉強を再開できる状態になっていたのです。





これを処分するべきか否か、大変悩みました。。。

子供達も成長し、自分の時間はたっぷりあります。再び英語を学び直すのなら、今がその時です。

しかし、なんのために?

そう思うと、勉強する気など起きません。

一度でも人並みに英語が話せるくらい勉強しておけば、たとえ錆びきっていても、日常会話や海外旅行などで困ることはありません。

英語を使って仕事をしようと思えば無理でしょうが、話をすることくらいはできます。

自分にとって英語とは、暮らしをより楽しくするもの、自分を守るためのものでした。
だからこそ、必死で勉強できたのです。

しかし、今はもうそんな必要はありません。海外へ行ったり、夫の両親や親戚、外国の方と会った時に、コミュニケーションがとれれば、それだけで十分。それ以上のことは、極端な話、必要ありません。

もう、英語の勉強をすることはない。

そう改めて思ったのですが、それでも断捨離することには抵抗がありました。

学生時代の卒業アルバムも、結婚前に夫からもらった手紙なども簡単に捨てられるのに、なぜかこの英語教材だけは捨てられなかったのです。

多分、自分の人生の中で、もっとも濃密な時間だったせいなのかもしれません。

その2つの箱の中には、教材だけでなく、若い頃に頑張った自分への愛おしさが詰まっているからです。

辛かったり、楽しかったり、さまざまな人との出会いなど、英語を学ぶと同時に、私自身を成長させてくれることがたくさんありました。

そんなことを思い出すと、ついつい躊躇してしまうのです。





しかし、私にとって大切なのは、過去などではなく、いま、そしてそこから続く未来です。

過去がどんなに輝かしいものであったとしても、いまが輝いていなければ何の意味もありません。

そう考えていたら、思い出は自分が覚えていられることだけで十分だと思えました。

過去より未来だとしたら、私が学ぶべきは英語ではなく韓国語だわ!

韓国語をあの時と同じ情熱をもって勉強したら、きっと半年で韓流ドラマを字幕なしで観られるはず!

そう思ったら、2つの思い出たっぷりの箱が邪魔な箱に変わりました(笑)

考えてみれば、昔を懐かしみ、何でもかんでもとってもおこうとするメランコリックさんは、夫一人で十分です。

やはり過去を振り返るよりも、未来のことをあれこれと考える方が楽しいもの。

捨ててスッキリ、いよいよ弾みがついて、断捨離のつぎは部屋の模様替えです。
また明日から頑張りましょう。





ちなみに今日は、歌手でありシンガーソングライターでもある森高千里さんの生まれた日です。

「私がおばさんになっても〜」と歌っていた森高千里さんも、なんと52歳です。

しかし、まったく「おばさん」には見えません。
ちょうど50を過ぎた頃、某本屋さんでお見かけしたことがありますが、それはそれはお綺麗な、お顔なんぞはマスクメロンほどしかない、なんとも可愛らしいアラフィフでした。

旦那様はかつてのトレンディードラマでも活躍、現在も一線で頑張っている俳優の江口洋介さんです。

お子さんも大きくなったのでしょう。最近は高森千里さんも時折メディアに登場するようになりました。
相変わらず脚が綺麗で、若かりし頃のアニメ体型も健在です。

ビジュアルのみならず、素敵な歌もたくさん聴かせてくれるシンガーとしても素晴らしい才能を持った方なので、これからの更なる活躍を期待しています。