365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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見知らぬ街を歩く「楽」

2020年9月28日(月)

今日は月曜日。久しぶりにスッキリと晴れて気持ちのよい朝でした。

前々からお友達と約束をしていた通り、今日は朝から少し遠い街へ行きました。

ランチといえばいつも近隣にある馴染みの店で済ませることが多いのですが、たまには気分を変えて、少し離れた街まで遠征してみようというわけです。


東京といっても、それはそれは広く、生まれてから50年以上経った今でも、まだ一度も訪れたことのない街もあるくらいです。

若い時は、遊ぶと言えば、表参道、原宿、渋谷、新宿、六本木など、繁華街のようなところ、そして今は銀座や日本橋などもう少し落ち着いたエリアにも行くようになりましたが、毎度毎度そんなところばかりだと、さすがにマンネリ化は否めません。

そこで、たまには気分を変えて、行ったことのない街を歩いてみるのも楽しいかも!と、最近はちょっと足を延ばして、色々な場所に行くようになりました。


エリアも変われば住んでいる人のタイプも、街の雰囲気もまったく違い、戸惑いながらも妙な新鮮さもありで、なかなか楽しいものです。

こんな時、いつも細かいプランニングはしません。とりあえず、メインとなるランチの店くらいは、あらかじめネットなどで情報収集しておきますが、後は行き当たりばったり。

お茶を飲むのも、買い物をするのも、その場で見つけたお店に入ります。

ただ、都心部のように、どこにでもお店があるわけではありません。

時にはショッピングを楽しむ店もなく、一休みするカフェすらなく、駅のすぐそばは線路と住宅のみ、なんてところもあり、困ることもあります。

それでも、それはそれでOKです。
ここがダメなら、隣の駅まで行けばあるかも?と、テクテクと移動したり。。。

別に急ぐ旅でもあるまいし。。。とばかりに、フットワーク軽くあちこち歩き回るのです。





歳をとればとるほどに、楽をしようと、勝手知ったるエリアで安心して過ごしたいと思うものですが、たまには見知らぬ街に降り立って、不便な思いをするのも、一つの新しい経験です。

未知の物事を恐れるのではなく、面白がれる。そんな老人になれれば、どんなに老いても生きていくのも楽しいものだと思えるようになる気がします。

幾つになっても、躊躇することなく、それこそ海外の見知らぬ国でも、思い立ったら一人でポンと行けるくらいの気力を持っていたいものです。


今日訪れた街は、何にもありませんでした。
たまたまあった和食屋さんで、お魚のランチを食べ、あとはぶらぶら。歩き疲れたら、カフェのありそうな場所までまた移動して一休み。

お買い物もしたいところでしたが、何もないので、結局はお昼を食べて、お茶を飲んで帰ってきました。

それだけでも、とても楽しい一日でした。

さて、次はどこの街を歩いてみようか?

東京ぶらり旅はまだまだ続きそうです。





ちなみに、今日は歌手である内藤やす子さんの生まれた日です。

きっとお若い方は見たことも聞いたこともないと思う方がほとんどでしょうが、昭和真っ只中を生きてきた人には懐かしく思われる歌い手さんです。

ちょっと蓮っ葉な雰囲気に時にドギツイメイク、そしてしゃがれたようなハスキーボイスのワイルド系。
昭和の頃には、たまに見かけたタイプですが、今はもう滅多にみることはありません。

アラフィフの私でも、「少し古い?」というくらい、昔に活躍した方ですが、私は彼女の持ち歌である『六本木ララバイ』という曲がとても好きで、カラオケといえば、決まって『六本木ララバイ』でした。

今ではカラオケボックスなどが当たり前ですが、昔々はカラオケといえばスナックでした。

今の私は「カラオケなんて絶対無理、大嫌い」と言って、もう何十年と歌など歌ったことはありませんが、昔はスナックで地元民というオーディエンスの前で、恥ずかしげもなく熱唱していたのです。
見ず知らずの他人が見守る中、平気でマイク片手に熱唱できるのもすごいですが、ピューピュー!っと場を盛り上げられたりなどすると、もう自分がとんでもなく歌の上手い人間になったと錯覚してしまうのです。

この客観性のなさは、まさに若さゆえだったのか?

とにかく、そんな時に歌っていたのが『六本木ララバイ』でした。まさに私のオハコと言われた曲。。。

今でもテレビなどで「昭和の名曲」など特集番組があるときは、この歌が流れてきたりします。

羞恥を知らぬ若かりし頃の自分と、よき昭和の時代を思い出し、ちょっとメランコリックな気持ちになるのでした。。。

姉妹の姿に「喜」

2020年9月27日(日)


久しぶりに晴れ間の見えた日曜日です。
朝からシーツなど大物のお洗濯をし、ブログ2本書いて、昼前にお買い物へ出かけました。

週末は家にいることが多いのですが、今日は珍しく子供達が姉妹2人でお出かけするというので、私も一人でぶらぶらしてこようと思ったのです。

新型コロナ以降、家族が共に過ごす時間が増えました。とりわけ大学生である長女は、それまでの忙しい生活はなんだったのだろう?というくらいに毎日家にいます。

友達との夜遊びもまったくなし、バイトも休眠状態で、週に一度友達とランチなどに出かけるか、美容院やネールなどに行くくらいで、あとはずっと家にいます。

次女はといえば、大学受験を控えているため週のうち6日は予備校通いですが、高校の方はいまだにリモートの日も多く、それ以外は家から出ることはありません。

若い彼女たちがこんな生活で大丈夫なのだろうか?

自分の若い頃を思い出して、少し心配になることもあります。
若さの持つエネルギーの行き場がなくなった時の弊害とはどんなものか?常に発散してきた人間には想像がつきません。

わからないこその怖さがあります。





最近、若い人の自死が増えているという記事を見ました。
このような窮屈極まりない社会を当たり前として生きていれば、心が疲弊してくるのは想像に難くありません。

私のように50も過ぎた年齢になれば、開き直ったりと、ふてぶてしくもなれますが、若い人にとっては暗い洞穴の中にいるような感じなのかもしれません。
声を上げても誰にも届かないのではという絶望、真っ暗などん詰まり状態で逃げ場もなく、諦めることだけが唯一の道としか思えなくなるという。。。

私は人生を諦めるほど、真面目に生きてきた人間ではないので、絶望するということが感覚的にはわかりません。

しかし、わからないことに目を背けていたら、きっと見落とすこともあるだろうと、なるべく周囲に目を向けるよう意識するようになりました。
しかし、それも家族のためです。

自分がいくら幸せだと思っていても、家族が苦しんでいるとしたら、それは私にとっての不幸も同然です。

自分の決断で子を産み、育てている以上は、最低限子供達が幸せに暮らせるように努力するのが親の務めです。

それは経済的なことのみならず、心身の健康をも守ることも含めてです。

しかし、親としての責任を全うするのも簡単ではありません。

家族といえども、自分とはまったく違った個性をもった人間の集合体です。
毎日自分と同じものを食べているからといって、家族が私と同じように感じ、心を動かすことはないのです。

それは、いつも娘たちが言われていることで気付かされたことでもあります。

「誰もがマミーのような人間じゃないから」

辛いこと、嫌なことがあればなんでも大声で口にして、不満があればすべて吐き出す、ジタバタと足掻いてどうにもならなければ、お腹いっぱい食べて、寝てしまう。
そして、翌朝にはきれいさっぱり忘れてしまえる人。。。

子供達の目に映る私は、まるで傍若無人なライオンのようです。
反論したい部分もありますが、大方間違ってはいないので黙っているほかありませんが。

こんな繊細さとは無縁と思われる私だからこそ、家族の心がどのように揺れているのかがわからず、不安になることがあるのです。

特に子供達のことは、常に心配しています。こんなライオンでも我が子は幾つになっても、最も大切な存在なのです。

子供達の心が健全に保たれ、ささやかでも「自分は幸せだ」と思えるようできることはしたいのです。

時に、一緒に買い物へ行ったり、ランチを食べに行こうと誘ったり、一緒に家でNetflixなんかを楽しんだり、少しでも楽しいと思える時間を増やそうと、あれこれ画策していますが、親とそんなことをしていて楽しいのかな?と思わないでもありません。

さりとて、無理やり「お友達と夜遊びでもしてきなさい!」とも言えません。

コロナの脅威が完全に去ったわけでもないので、もしも感染したら、「ふらふら遊んでるからでしょ!」と、劣化の如く怒り狂う自分が想像できます。

難しいものです。。。

ただ、思うことは、立派な人間になるよりも、幸せな人間になってほしいということです。


今日は姉妹二人でお出かけする姿を見て、少し嬉しくなりました。
まるでタイプも性格も好みも違う2人ですが、気兼ねなく一緒にいられるという点では、やはり姉妹なのでしょう。

私も安心して、お買い物へ出かけましたが、なんの予定もなく暇だったのか、夫が荷物持つとしてついてきました。

いつもなら、連れていきませんが、まだ肩の痛みが回復していませんでしたし、キャベツ丸ごと、ジャガイモやフルーツなど重量のあるものが買えるので、同行してもらいました。

ランチはタイ料理のお店で、私はパッタイ、夫はガパオライスと生春巻を食べて帰りました。





ちなみに、今日はイラストレーターである西村玲子さんの生まれた日です。

名前を聞いてもピンとこないという方も、イラストを見れば、なんとなく見たことあるわ。。。と思う人も多いでしょう。

アラフィフ世代に我々にとっては、丁寧な暮らしを意識しだすと、必ず視界に入ってくるのが、この人の感性です。

クロワッサン的なお洒落さ、抜け感なども適度にあって、そのくせ計算し尽くされてる感がチラホラ見え隠れする、上級シニアの好むところがこの西村玲子さん的なものなのです。

若さが邪魔になるお洒落、そんなものを目指し、

ちょっと他のおばちゃんとは違うよのよ。わたし。。。

そんな中年を目指したい人には、西村玲子さんのファッション指南書やエッセイが最高のバイブルとなるでしょう。

あと10歳くらい歳を重ねたら、私も手にとってみようかと思っています。

外国人夫の優しさに「楽」

2020年9月26日(土)

今朝も朝からぐずついたお天気。まるで冬のように寒く、気持ちまでもが温かい毛布の中に隠れてしまいたくなるような日でした。

おまけに昨日はお買い物をしすぎ、重たい荷物を肩から提げていたせいか、肩が痛くてたまりません。

治ったと思っていた五十肩ですが、まだしぶとくチャンスを伺っているようで、ちょっとでも無理をすると、「隙あり!」とばかりに痛みが出てきます。

私は痛みに強い方ですが、お産の時を除いては、わりと「痛い!痛い!」と騒ぐタイプの人間です。

それを承知している夫は、まったく心配する風でもなく、「Hello!」と同じ感覚で、「大丈夫?」と明後日の方を向いて言います。尋ねるのではなく、言うだけです。

それが不満な私はさらに「痛い!痛い!」と騒ぎ、子供たちに至っては、完全無視。

しかし、よほど鬱陶しいのでしょうか。夫は渋々「ご飯は私が作るので、あなたはゆっくり休んで下さい」と私を黙らせるためだけに家事を肩代わりしてくれます。

こうして今日も、夫が食事を作ってくれました。

これは割と日常茶飯事のことで、稀に友達などに話すと、決まって「やっぱり外国人の旦那さんは優しい」などと、夫が聞いたらそれこそ鼻が天まで届くほどに鼻高々となるようなことを真剣な顔で言います。

日本人の旦那さまがいる人には、わからない「外国人の優しさ」は、私にとってもはや優しさの部類には入りません。
私からすれば、日本人男性の方が、よほど思いやりの心を持っていると思っています。

詳しく言えば、外国人男性の優しさとは、ドアを開けてくれるとか、バッグや荷物を持ってくれるとか、甘い言葉を日常的に吐くとか、そんな表面的なことなのです。

若い頃はそれを優しさとははき違えてしまうものですが、歳を重ねるごとに、本当の優しさとは、陰ながら支え見守ってくれ、いざという時は身体を張って守ってくれる。つまり、自分が一番必要としている時にこそ、その優しさを発揮してくれることなのです。

このような心の動きを汲み取らねばならぬような繊細な優しさを外国人に求めるのは無理なことでしょう。

それは、基本的に相手を思いやる前に、自分の損得を考えるという習慣、習性を持っているからに他なりません。





外国人というのは、徹底した個人主義です。妻や家族よりもまずは自分ありきで行動する傾向にあるので、いざという時にも身体を張ってなどというのは、期待できません。
日本人の美徳とする義理や人情などを求めると、落胆させられるのがおちです。

それはあなたの旦那さんだけじゃない?

そういう声もあるかと想像しますが、幸いなことに私の周りには検証サンプルがたくさんいます。

友人知人を見渡せば、その半分以上が国際結婚です。みなさん結婚してから20年以上も外国人夫と暮らしてきた人たちです。
そんな国際結婚ベテラン主婦たちが、こぞって私のいうことに、首がもぎれるのではないかというほど「うん!うん!」と同意するので、これは我が家の夫だけではないことがわかります。

私の夫はそんなことない!という方、最低でも20年以上は連れ添ってから、もう一度考えてみてください。
それでも尚「私の夫は優しい」と言えるなら、当たりくじを引いたのです。

ただし、以上の見解は日本に住んでいる外国人夫と限定させていただきます。環境が変われば人間性も多少なり変化するものなので、この限りではないと言わせて頂きます。





昨日、お給料のことで感謝していると言った同じ口で、優しくない!とダメ出しをしていますが、夫婦の関係性とは一面だけを見て判断できるものではありません。そこには少なからず相性というものがあるものです。

私も夫ほどではないにしろ、個人主義なところがあり、なんでも一人でやることが気楽という性格です。

そんな私にとって、外国人の表面的な優しさは鬱陶しいだけですが、同時に身勝手とも思える個人主義も時には気楽に思えるのです。

日本では定年退職した男性が何をしていいか時間を持て余し、妻の後をついて回るなどという話も聞きます。
これは私にとっては拷問に等しいものです。その点、我が家の夫は私の自由行動を当然の権利として認めています。

いざというときには、ポイッとゴミ屑扱いされるリスクをはらみながらも、この保証された自由は私にとっては必要不可欠なものです。

どんなに義理人情に深く、思いやりあふれる夫でも、金魚の●のように終生ついて廻られたらたまりません。

パートナーに何を求めるか?

そこを明確にすることは大切ですが、やはりお互いに相手に対して求めすぎない、期待しすぎないことが一番です。

いざというとき、とんでもない冷酷さを見せる夫ですが、これはアングロサクソン系外国人にはありがちだと言った友人がいます。DNAの為せる技だそうです。

血がそうさせるのなら、これ仕方がありません。

とりあえずは「痛い!と騒いだときに、たいして心配もせず、とりあえずはと家事を肩代わりし、私を黙らせようとする外国人夫の優しさを理解し、そして感謝せねばならないでしょう。

今日は家事から解放され、「楽しい」ではなく、「楽」をさせてもらった一日でした。





ちなみに今日はアメリカの女優でありシンガーであったジュリー・ロンドン(Julie London)さんの生まれた日です。

もう20年も前にお亡くなりになられた方ではありますが、いまでもYouTubeなどでその姿を拝見することができます。

往年のハリウッド女優のように、姿が美しいのはもちろんですが、なんといってもこの方は歌です。

ちょっとかすれた気怠い感じが、大人のムーディーな曲と溶け合い、それはそれはロマンチックな響きとなって私達をうっとりとさせます。

有名な『Fry Me To The Moon』を始め、『Cry Me A River 『More』や『The End Of The World』といった名曲を聴いていただければ、その魅力がどれほどのものかわかることでしょう。

もう塵一つ残さないかのように、無機質に修正された音ではなく、当時はレコードであったため、ノイズはもちろんその声も素朴な響きを持っていました。

これがまた彼女の生まれたての声と融合し、私たちを惹きつけて離さない磁石のような役割をしています。

レトロ感覚満載ではありますが、何年、何十年経とうが、素敵なものは素敵ですし、美しいものも変わらず美しいのです。

今はもうニュースを見るのさえ嫌ですが、昔のアメリカは、素敵なものがたくさんあり、子供だった私は憧れたものでした。

京和菓子とお給料の「喜」

2020年9月25日(金)

今日の東京は朝からシトシト雨降り、肌寒い一日でした。

25日といえばお給料日です。毎月この日は朝から銀行回りをします。
お給料といっても私は働いていないので、夫の稼いできたお金です。

毎日毎日、雨でも雪でも猛暑でも、そしてコロナ禍の中でも、頑張って働いてくれるおかげで、家族はなに不足ない生活を送れます。

どんなに「怒」カテゴリーの主役でも、それだけは変わらず感謝しています。

と、そんな風に感謝する日でもあるのです。

しかし、そんなお給料もおそらくは半分近く税金や保険、年金で差し引かれ、さらには家賃、光熱費、子供達の学費、通信費、食費、貯蓄、私のお菓子代などを差し引くと、残りはそう多くはありません。

それでも、私はそれで十分です。
屋根のあるところで眠れて、好きなものがお腹いっぱい食べられて、ちゃんとお洗濯をした清潔な身なりをして、家族みんなが健康であれば、それで満足です。

欲を言えばキリがないので、昔からそう思うようにしています。
多くを望まなければ、いまが幸せに感じられるものです。
欲張ってもろくなことはありません。

でも、それは私が50を過ぎたおばさんだから思うことで、若い人はもっと野心を持つべきです。

欲しいものを手に入れるために、どんどん行動することです。そんな風に生きていけば、きっと50歳くらいになったときには、幸せだと思う日々を送れることでしょう(多分。。。)。



さて、25日の給料日ですが、いつもは銀行が混み合う前にと、朝一番で行くのですが、今日は午後から外出予定があったので、出掛けたついで済ませようと遅くに家を出ました。

混んでいると思っていた銀行は、ガラガラで思ったよりも早く終わったので、そのまま日本橋へGOです。

乗り換えがあるので少し面倒ですが、割と近い日本橋

まずは「三越前」で下車し、日本橋三越のデパ地下を攻め、美味しそうなものをいくつか買いました。
時間があったので、次はCOREDO室町です。ここでもお菓子と晩のおかずを買いました。

本当は近隣の和菓子屋さんでも回りたいところでしたが、天気もよろしくない上、今日は高島屋さんで予約してある京都の和菓子を取りに行く予定になっていたので、デパ地下巡りだけで我慢しました。

ちょうど雨も止んだので、テクテクと歩いて高島屋さんへ移動。

ここでもデパ地下攻めです。あれこれ欲しいお菓子はありましたが、生菓子などは今日中に消費できそうにないので諦め、日持ちのするものを少しだけ買いました。

4時半から予約した和菓子の引き渡しがあるので、少し早めに売り場を覗いてみると、すでに人が並んでいました。

おっと!遅れをとっては帰りが遅くなる!

今日は5時までには家に帰りたかったので、そのまま並び、めでたくお菓子をピックアップ。ダッシュで帰宅したのでした。

本日の戦利品であるお菓子を並べると、自然と笑がこぼれます。

嬉しい。。。

予約したお菓子受け取りの日が給料日と重なったことで、ちょっと気が大きくなり、いつも以上にデパ地下フィーバーすることができました。

本当に嬉しい。。。

消費期限順に、どれから食べるか並べてみます。

まずは、当日消費分の京都の和菓子です。

遠路遥々やってきた和菓子たち、遠いところ東京まできてくれてありがとう!

お疲れ様です!

そして、ごちそうさまでした。。。





ちなみに、今日は韓国人俳優であるヒョンビンさんの生まれた日です。

ヒョンビンさんと言えば、今年は主演作である『愛の不時着』というは韓流ドラマが大ヒットしました。

私も観ました。ちょうどコロナによる自粛が始まった頃でしょうか、Netflixにある韓流ドラマを片っ端から観ていたのです。

その中の一つが『愛の不時着』でした。

特にヒョンビンさんファンというわけではありませんが、あの長身に小顔というボディーバランス、引き締まった体躯は、「あら、素敵。。。」と、思うに十分過ぎるものでした。

ドラマでの役柄もヒョンビンさんを素敵に見せるのに大いに役立っていたように思います。

木訥で真面目でシャイ。優しくて、惚れた女には一途、おまけに頭も良く、音楽の才能もあり(ピアノ弾き)、戦闘をさせれば敵なしに強いという、まるで絵に描いたような理想的な男性です。

こんな人いないわよ!と思いながらも、ここまで極端に素敵過ぎるキャラクターを作ってしまうところが、韓流ドラマの中毒性と密接な関係があるのは間違いありません。

私達はそんな実在しない素敵過ぎる主人公を見て、現実からしばし逃避し、甘い夢を見るのです。

所詮ドラマです。とことん夢を見させていただきましょう。

素敵なヒョンビンさん、とても落ち着いて見えますが、まだ38歳とお若いのですね。

今後もとんでもなく素敵な役柄をゲットして、世の女性を楽しませて欲しいものです。

私を太らせるありがた迷惑の「怒」

2020年9月24日(木)

今日の東京は台風の影響で朝から雨。
進路がそれたとのことで、それほど荒れた天気にはなりませんでしたが、一日中シトシト。。。低気圧のおかげでとても気怠い一日でした。

そんな朝でもいつも通り5時前に起床。

起きたらまずやるのは、コロナ太りを解消すべくダイエットを始めてから日課となった朝の計量。
これまで体重よりも体型重視だったので、あまり体重を測ることはなかったのですが、コロナ禍では尋常ではない太り方、まさに5キロ増という、自分でもビックリの増量を経験し、さすがに計量を始めました。

幸いなことに、今では元の体型に戻すことができましたが、朝の体重測定は日課となり、依然として監視の目を光らせています。


今朝、しばらく安定していた体重が1.5キロも増えていました。

この歳になると、1キロ太るのは息をするように容易いものですが、その1キロを落とすには、想像を絶する苦労が伴います。

たかが1キロとあなどるなかれ。。。

これはお彼岸を理由に食べ続けていた連日のおはぎが原因か?

いやいや、よくよく考えてみると、もっと大きな理由があるではないか⁉︎

昨夜の出来事を思い出し、恨めしい気持ちになりました。。。

それは夫からもてなされる、ありがた迷惑な夜中のスイーツたち。

BMAL1軽視の恐ろしい行為のこと。


時計遺伝子とも言われるタンパク質の一種であるBMAL1は、糖質の吸収を高め、脂肪を蓄積される働きがあるとされています。

私はこの原理を利用し、太りやすい時間を避け、BMAL1がもっとも活発になる夜はなるべく食べず、逆に甘いものはBMAL1がもっともおとなしくなる時間、午後3時に食べるという、テクニックを実践していたのです。

しかし、早いうちに晩ご飯を済ませてしまうと、当然夜になるとお腹が空きます。
ちょっと何かつまみたくなりますが、ここで食べてしまうと確実に脂肪が増えるので、そんな時は早く寝てしまうことに決めていました。

自分自身の身体へ少なからずの気遣いをしているというわけです。


ところが、ダイエットのために全ての生活をコントロールするのもどうなのか?という思いもあります。
色々とやりたいことなどがあり、いつまでも起きていたい夜もあるのです。

そんな時は「今日はチートデーよ!」と、少しだけ、ナッツなんかを摘んで、グーグーと文句を言う胃袋をなだめます。

こんなに一生懸命に摂生しているのに、この精神を崩壊させようと、夜ごと甘いものを持って、私をダメにしようとする人がいます。


もちろん夫です。。。

もはや、「怒」カテゴリーの常連になりつつある我が家の要注意人物。

外国人である夫はとにかく甘いものでも底無しに食べます。

彼の生まれ育ったフードカルチャーは、現代の日本人にとっては、もはや当たり前に浸透しているケーキ、クッキー、チョコレート、そしてアイスクリームといったものですが、私も大好きなものばかり。。。

昨夜も私がソファーで本などパラパラとめくっていると、目の前に黙ってクッキーを置いていった夫。。。

眉をしかめながらも、ちょうど小腹が空いていたので、とりあえず「Thank you」と、その好意を受けることにしました。

少しなら大丈夫だろう。。。

しかし、それでは終わりませんでした。

少しすると、今度はアイスクリームをまた目の前に置いていったのです。

さすがに「太るからいらない」と言いましたが、「あなたの大好きなあずきペーストが入った新発売のアイスですよ!」と。。。

もはや理性崩壊。

まったりと濃厚なあずきペーストにミルキーでこってりとしたアイスクリーム。。。

「いらない」とは言ったものの、その後は無言でアイスクリームを食べてしまったのです。

夜中に食べる禁断のスイーツは、この上なく美味しく、止まりません。

ここまでくると、もうどうでもよくなります。
その後に運ばれてきたポッキーや柿の種、もうなんでもごされで全て食べ尽くしました。


なければないで食べずに済んだものを、わざわざ目の前に置いていくという、その悪魔の所業!

その美味しさに比例するとんでもないカロリーを肩代わりしてくれるのなら、いくらでも食べましょう!
しかし、それは不可能なのです。美味しい思いをしたら、その代償は全て自分の身体で払わねばなりません。

だからこそ我慢しているというのに!


夫にとっては私の「太った、痩せた」などとるに足らないことなのです。
彼の従姉妹など親類の女性達は、若い頃の美しさをどこへ置き去りにしてきたのか、中年になったいま、まわしをつければ横綱かと見間違うほど立派に成長してしまっています。

日本人は実際にそこまで太るのは難しいというくらい、アングロサクソンというのは尋常ではない太り方をします。

あの従姉妹達と比較すれば、私など小鳥のごとき華奢な身体と映るのでしょう。

比較対象を思い浮かべると、なにも最低なものと比べることはないじゃないのよ!と、失礼承知で悪態をつきたくなります。


夫はと言えば、エクセサイズオタクと言ってもいいくらいの運動好きです。毎日仕事を終えて帰宅すると、必ず運動しに出かけます。
そして、定期的に徹底した食事摂生で、若い頃と大して変わらない体型を維持しているのです。

そんな人間と同じように、夜中にスイーツなど食べていたら、たまったものではありません。

私は運動などしたくないので、軽いウォーキング以外は、食べないことで体型維持してきたのですから。

結局、自分が強い意志をもって拒否すればいいことなので、この怒りは理不尽とも言えないことはありませんが、まるで私のダイエットを妨害するかのような、夜のアイスクリーム、チョコレート攻撃は、翌朝の体重測定で大きな怒りとなるのでした。

もう絶対に食べない!

そして、今度生まれ変わってきたときは、食べても太らない体質、もしくは無類の運動好きに生まれてきたいと思うのでした。





ちなみに、今日は大御所SF作家である筒井康隆さんの生まれた日です。

アラフィフエイジにとっては、誰もが一度は通る読書道ではないでしょうか。

数多くの作品を世に送り出してきた筒井康隆さんですが、私にとってもっとも印象に残っているのが、「七瀬三部作」です。

家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』という3冊からなるストーリーは、人の心が読めるという超能力をもった火田七瀬を主人公としたSF小説です。

これがまたよくできたストーリーで、超能力否定派だった私を大いに迷わせました。

親兄弟、友達、街ですれ違う人にさえも、

「もしや、私の心を読んでいるではないのか⁉︎」

など疑心暗鬼になったくらいです。

私は信じ始めていました。実際にそんな超能力を持った人間が存在するのではないかと。。。

つまり、疑うことを忘れるほどに夢中になってしまったのです。

小学生であったか、中学に上がってすぐのころか、とにかくそれくらいの年齢だったため、こんな私でもまだまだ純粋な心というものを持っていたのです。

アラフィフになったいまでは、

「はぁ?心を読む?別に読んでもいいけどさ、あなた本当はそんなことできやしないんでしょ?」

などと、冷ややかに笑い飛ばすでしょう。

ああ、汚れた心。

今でも何年かにいっぺんくらいは、この「七瀬三部作」を読み返すことがあります。
年がら年中断捨離している私ですが、表紙に至るまで紙がすっかり変色してしまったその文庫本を捨てることはできません。

何冊かある永久保存本として、何十年もの間、本棚に鎮座している、まさに大御所なのです。

お菓子お取り寄せ争奪戦快勝の「喜」

2020年9月23日(水)

今日は台風の影響か、朝から一日中雨模様の東京でした。

ようやく4連休も終わり、我が家の面々も仕事や学校といういつもの生活に戻りました。
同じなのは無職の私だけ。。。

しかし、今日はちょっとしたイベントがある日でした。どんなイベントかといえば、お菓子のお取り寄せです。


メインブログを見れば一目瞭然ですが、毎日お菓子ばかり食べていて、暇さえあれば和菓子屋さん、洋菓子屋さん、デパ地下、お取り寄せと、めぼしいお菓子を買っては、楽しむのがライフワークとなっています。


好きなお菓子はそれこそ数え上げたら片手では足りないくらい、いえ両手の指、さらには足の指まで使っても足りないくらいです。

しかし、自分の中で「殿堂入り」としているお菓子はほんのわずかです。

その中でも、トップに君臨するお菓子が、本日某お取り寄せサイトに出てくるというので、私は朝からソワソワ。その時間に合わせ、スマホ片手に待機していたのです。


販売開始は16時ジャストです。
しかし、開始と同時に目的の商品を買い物カゴに入れることができなければ、逃すこと間違いなし。まさに瞬殺なのです。

限定150個。。。

一見多そうに思えますが、どれほどのライバルがパソコンの前に、またスマホの画面を凝視しているのかわかりません。

これまでも、人気店のお菓子などを気楽な気持ちでお取り寄せしようと思っていたら、あっという間に完売、完敗したということが何度かあったのです。

その苦い過去を思えば、油断は禁物です。

しかも、今回は「殿堂入り」「食べたいお菓子No.1」に君臨するお菓子です。
決して失敗は許されません。


そのお店のお菓子を食べたのはもう3ヶ月前です。あれ以来、すっかりその店のお菓子に魅了された私は、毎日インスタにアップされる美しくも美味しそうなお菓子を指をくわえて見ているしかありませんでした。

いっそのこと、新幹線に乗ってその店まで行きたいくらいでしたが、新型コロナのせいで、身動きもできませんでした。

あの日から今日まで、たった一度だけその店のお菓子を購入するチャンスがありました。しかし、生憎なことに所用があり外出中だったため、ネット争奪戦に加わることができませんでした。

あの時の悔しい気持ちといったら!

しかし、お菓子を食べるためだけに生きているわけでもなく、お菓子ファーストの生活を送っているわけでもありません。

次のチャンスを待つべし。。。

そのチャンスが今日だったのです。


そして、16時ジャスト、販売開始のゴングが鳴りました。

スマホの画面をタップするも、重たいです。。。
うんともすんとも画面が動きません。
多くの人が同時にアクセスしているのでしょう。まさにサーバーは火を噴く寸前か⁉︎

しかし、ここで焦ってはいけません。過去の数々の失敗を思い出します。

動かない画面に苛立って、前ページに戻ったり、余計なことをしたばかりに遅れをとったことを。

昔を思い出すのだ!あの頃のように辛抱強く!
遡れば30年以上前、チケットぴあでライブチケット争奪戦に参戦した時もそうでした。トライ&エラーで冷静にダイヤルし続けたではありませんか。

ただ、今回は電話ではありません。ネットです。IT時代に生まれ育った若い方々に比べれば、アラフィフのアナログ世代はハンデがあります。
しかし、すぐ諦めず、なんでも前向きにチャレンジするという強さや無鉄砲さは人一倍です。

為せば成る!何事も!の精神です。


待つことは苦手ですが、ジリジリと私の指先が示した指令をネットが汲み取ってくれるのを待ちます。。。

やっとのことで、次の画面に。
すでに配達先住所や支払い方法は登録済み。
すかさず「購入」をタップ!

またしても固まる私のスマホ。。。

ここからは神のみぞ知る領域です。

誰の送った指令がいち早くそのサイトに潜り込むことができるか。。。

次に現れる画面が「売り切れました」か、「ありがとうございます」か。

プリーズ!

心で何故か英語で懇願してしまいます。混乱の証でしょう。

そして、ようやく画面が変わりました。

そこには。。。

「ありがとうございます。ご注文をお受けしました」

そんな一文が表示されたのです。


やったわ。勝った。。。


念願のお菓子は来月早々に届きます。

1日15個ずつの発送ですが、私に割り振られたのは初日でした。

これは快勝といってもいい出来です。


ほくそ笑みながら、他のお菓子でも見ようとホーム画面に戻った時には、そのお菓子はすでに売り切れ表示になっていました。

まさに一瞬の完売でした。


喉から手が出るほど食べたいと切望したお店のお菓子です。これほど嬉しいことはありません。

今日はよい一日でした。





ちなみに、今日は叶姉妹の妹さん、叶美香さんの生まれた日です。

最近はコミケなどアニメ方面で話題になることも多い叶姉妹ですが、妹の美香さんはとうに50を超えていたのですね。

あの方と自分が同じような年齢とは。。。

以前、西麻布の某レストランの前でお見かけしたことがありましたが、それはそれはお綺麗でした。

テレビで見る豊満な印象とは裏腹に、思ったよりもプチ。しかし、メリハリボディーという、体型だけで言えば外国人が好む日本人女性と言った感じでした。

別に誰からも好まれなくてもいいから、自分自身がうれしくなるような、あんなボディーが欲しいものだと思ったのでした。。。

真夜中にクッキーやおはぎを食べてたら、無理ですが。。。

ガスコンロのSiセンサーの「哀」

2020年9月22日(火)

今日は連休最終日。お疲れ休みということで、家族揃って在宅でした。

そうなると、当然家事も発生するわけで、主婦は連休と言えど休んでいるわけにはいきません。

せめて食事くらいは外食かデリバリーで済ませようかと考えていましたが、冷蔵庫の中には食材がたくさん入っています。

買ったものは必ず使い切る!をモットーとしているので、腐らせて廃棄などもってのほか。

そんなわけで、昼ごはんに昨日秋葉原で買ってきたナスと唐辛子を使い焼きナスカレーを作ることにしたのです。

手順は飴色玉ねぎを作り、そこに微塵切りにしたニンニク、生姜、青唐辛子丸ごと数本を加えます。

同時進行でナスを焼きます。皮が真っ黒に焦げ、ふつふつと中までしっかり火が通るまで焼かねばなりません。

そして、焼いたナスを水の中に水没させ、スルスルと皮を剥き、水気を切って炒めた前記の玉ねぎなどの入ったフライパンに投入。

最後に塩、そしてクミンやカルダモン、コリアンダーなどなど、お好みスパイスを加え、ぐつぐつしたら出来上がり。

このレシピは今から30年ほど前、私がロンドンで暮らしていた頃に、友達の友達の、またその友達という中東出身のよくわからない人から教えてもらったものです。

以来、レシピに忠実とはいかないまでも(スパイスの調合が難しいため)、我が家では定番のカレーとして、たびたび食卓に登場しています。

さて、問題は「ナスを焼く」という、作業です。
本来なら飴色玉ねぎができる前には焼き上がっているはずのナスですが、ガスコンロのSiセンサーなる安全装置のため、たびたびピーッ!という音と共に火が消えてしまうのです。

つい最近、ガスコンロを最新型に変更したせいで、感度がこれまで以上によくなっていたのです。
本来なら喜ぶべきところでしょうが、焼きナスカレーにとっては敵です。

強火で思い切り焼くせいで、高温になり過ぎるようです。しかし、高温でこんがりと焦がすくらいに焼かなければいけないのです。

これは上のコンロではなく、魚焼き用コンロを使った方がよさそうだと判断し、ナスを移動させたものの、大きなナス6本も入らないので3本ずつ焼くことに。

ここでもまたあの「ピーッ!」が鳴ります。

上のコンロよりは幾分マシですが、下もまたSiセンサーの管理下にあるのです。
どれだけ幅をきかせているのでしょうか⁉︎

いつになってもまる焦げにならないナス。。。

時間がかかり過ぎる。。。

「ピーッ」が鳴ったら、コンロを止め、また火をつける。まるでSiセンサーと根比べをしているように、この動作を何度も繰り返し、ようやく3本が焼き上がりましたが、ナスはもう3本控えています。

次の3本も同じように、打倒Siセンサー!で消えてはつけるを繰り返し、どうにか6本のナスをまる焦げにしたのでした。

おかげで12時に出来上がるはずのランチが30分近くも遅れてしまいました。

予定通りに事が運ばなかったことに対する敗北感。。。
私はとても苦手です。エゴイストなのか、自分の計画した通りに物事が決着しないと、ものすごく気を病みます。

Siセンサーさえなければ、すべてはうまくいったはずなのに。。。

Siセンサー、このありがた迷惑ともいえる装置のおかげで、調理がより困難に、不便になったのは紛れもない事実です。

怒りに任せ、「こんなもの必要ない!」と取り外してしまうこともできそうですが、よくよくその存在意義を考えてみれば、それは危険な行為です。

私も中年になり、時折ものが思い出せないということがあります。
そう考えると、いつかこのSiセンサーは私を守る大切なものになり得ることは大いに想像できます。

料理が捗らないのも哀しい。

歳をとり、物忘れをするようになるのも哀しい。

なにより、食事の時間が予定通りいかないのが哀しい。

いくつもの「哀しい」をもたらしたSiセンサーですが、どうやらその効力を消し去る道具もあるようです。

一瞬、やった!とすぐさま購入しようと思ったものの、それは取り外すか、取り付けるかの違いだけで、結局のところ安全を脅かす行為には変わりないと考え、哀しいけれど購入案は却下することにしました。

いつか私にもSiセンサーに感謝する日がくるのでしょうか?

それは自分自身の老化をまるごと認めるということです。素直に白旗を上げるのは癪ですが、安全には変えられません。

それもまた哀しいものです。。。





ちなみに、今日は米米CLUBのヴォーカル、カールスモーキー石井さんの生まれた日です。

このグループも石井さんのことも、私はよく知りませんが、一曲だけ昔よく聴いていた曲があります。

1990年にリリースされた『浪漫飛行』という曲です。

当時、私は海外で暮らしていました。そんな私に「異国の地で一人、寂しかろう」と、日本にいる友人が流行りの曲を録音したカセットテープを送ってきてくれたのです。

そのカセットに入っていた曲の中に『浪漫飛行』がありました。

まるで英語も話せない状態での渡英だったため、最初の頃は普通に生活するのも大変でした。
英語ばかりの生活に心が疲れ切ってしまうこともありました。
そんな時、日本から届いたカセットテープを聞いては、癒されていたものです。

とりわけ『浪漫飛行』は優しくも清々しい曲調で、気持ちを前向きに保つことに適していました。

そのせいか、たくさんの曲が入っていたカセットテープの中で、唯一記憶に残っている曲なのです。

今でもごくごくたまに、テレビなどからこの曲が流れてくることがあります。その度に思い出すのは異国の地の小さな部屋の中で、必死に英和辞典を引きまくる自分なのでした。。。