365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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ワールドワイドなオンライン家族パーティーで知った英語力の限界と、時差による寝不足で疲弊した「哀」

2021年5月20日(木)

今日もジメジメとしたお天気で、お洗濯物が乾かず、スッキリしない気分です。
おまけにまた寝不足で、朝から一日中頭がボーッとしております。。。

昨夜は、夫の親類縁者一同介してのオンラインパーティーでした。
義母のお誕生日ということで、世界各地に散らばる親類縁者が同時刻にオンライン上に集い、ワイワイやるという日だったのです。

これがまた大変で、こちらは極東の日本、北アメリカ、ヨーロッパ、オセアニア、アフリカと、あらゆるところから参加者がいるため、時差なども考えた上で開催時刻が決められるのです。

そして決まった時間が、日本時間の23時。
多分、お年寄り参加者に負担のかからない時間帯を選んだのだろうと思います。

夜の11時から始まったオンラインパーティーは、約2時間以上も続きました。

何十人も集まっていたので、仕事へ行く者、明日の朝早いものは途中で抜けたり、逆に途中から参加してくる人がいたり。。。

とにかくわちゃわちゃと喋りまくり、大変な騒ぎでした。

その中で、唯一英語を母国語としないのが私でした。





イギリス英語やアメリカ英語、南半球特有のアクセントなど、違いはあれど、そこにいたのは全員が英語のネイティブです。

そんな中、錆び切った英語力で会話についていくのは、とても大変でした。

話す内容も年配者が多いため、私には全くちんぷんかんぷんなこともあったり、私の知らない人の話題も頻繁に出てきたりで、頭の中に「?」が何度浮かんだことか。。。

それでも、久しぶりにみんなの顔を見られたのは、嬉しかったです。

結婚する前から何度も夫の家族や親戚と会ったことがあるので、それなりに共有できる思い出もあります。

20年ぶりに顔をみた人達などもいて、とても懐かしく思ったり、「あら、ずいぶんと歳をとったわね」と、自分を棚に上げて意地悪なことを思ったり(笑)

なかなか楽しかったのですが、夜が更けるにつれ、私の頭の動きはどんどん鈍くなってきます。

若い頃から、夜10時を過ぎると英語が頭に入らなくなるという、癖のようなものがありましたが、それは今も変わりません。

それが夜11時スタートで、日付が変わるまで続くのですから、疲弊して当然です。

最後の方は、もう眠くて、まったく話の内容も頭に入らず。。。話す代わりに笑い声でなんとか誤魔化していました(笑)





そんなこんなで、就寝したのが午前2時を過ぎていました。
遅くても毎朝5時に起床しているのですが、さすがに今朝は7時まで寝ていました。
一度、いつもの時間に目覚めたのですが、3時間睡眠など病気の元なので、あえて二度寝です。

しかし、さすがにいつまでも寝ているわけにもいかず、5時間睡眠で起きましたが、やはり頭がスッキリしません。

夫と娘を送り出してから、また少し寝ようかしらとソファーに横になったものの。。。

いつものように宅急便のピンポン!にたびたび起こされ、結局は寝ることができませんでした。

実母がきているので、お昼寝をするわけにもいかず、怠い身体を引きずりながら動いた一日でした。。。

今夜こそは早寝をしよう!と、昼間のうちに別ブログの投稿記事は仕上げておきました。

何があっても今夜は早く寝ます。

もう寝ます。





ちなみに今日は、フランスの偉大なパティシエ、ガストン・ルノートルさんの生まれた日です。

フランス菓子の礎を築いたとされる「現代フランス菓子界の至宝」とも言われるパティシエで、日本でも大変人気のある、ピエール・エルメさんもお弟子さんでした。

1957年創業されたパティスリー『remoter(ルノートル)』ですが、数年前に日本にも出店され、現在は銀座三越店に常設店舗があります。

日本ではサロンドショコラなどの影響で、チョコレートが有名ですが、生菓子や焼き菓子も美味しいのですよね。。。

日本にいながらして本場のフランス菓子が簡単に手に入るなんて、昭和の時代では考えられなかったことです。

苦労して海を渡り、現地のお店へ足を運ぶ苦労を考えると、ちょっと簡単すぎてつまらない気もしますが、このコロナ禍では、お菓子を求めてヨーロッパへ!などということは無理なので、やっぱり日本進出はありがたいことです。

朝から晩までテレビから流れるノイズを韓流ドラマの「楽」でかき消す一日。

2021年5月19日(水)

今日も雨降りの一日でした。
シトシトだったり、ザーザーだったり、身体が怠くなるような陽気でした。

実母が滞在中なので、平日でもあまり落ち着けません。
食事の時間や内容も全くペースが違うので、様子を見ながら用意したり、お3時おやつにまで気を遣います。
まるで、実母ではなくお姑さんをお迎えしているようです。。。

いつも平日は家族が出払っているため、とても静かに過ごせるのですが、実母がいる時は違います。

ペラペラとお喋りをするわけではありません。
音の元凶はテレビです。。。

私はほとんどテレビを観ません。朝晩のニュースくらいは観ていましたが、最近ではそれすらもあまり観なくなりました。

これまで、テレビをつけるのは目的があってこそでした。
ニュースを観るためだったり、お気に入りの俳優さんが出演するとか、観たい特集番組があるとか。。。





しかし、最近はニュースも不快になるので観ないようにしていますし、お気に入りの俳優さんも、その俳優さんは好きでも出演ドラマがこの上なくつまらなかったり、特に興味を惹く特集番組もなく。。。
そんな具合で、すっかりテレビから離れています。

しかし、実母は朝から晩までずっとテレビを観ているのです。
こっくりこっくりとお昼寝をしている時でさえ、テレビがついていないとダメなのです。

朝起きてお茶を飲む時も、食事の時も、昼寝の時も、夜寝るまでの間、ずっとテレビはつけっぱなしです。

テレビの音に慣れていない者にとって、一日中テレビから音が垂れ流されているのは、耐え難いものがあります。

観たい番組があって観るのなら、まだ理解できますが、内容が退屈なのか、チャンネルをたびたび変えながらずっとテレビの前にいるのですから、よくわかりません。。。





私がまだ実家にいた頃は、お稽古ごとや美容メンテナンスにと、家事の傍ら専業主婦でも忙しそうにしていた実母ですが、歳をとってからはそんな趣味からも遠ざかり、人付き合いもほとんどしなくなったようです。

時々、自分の姉妹達と集ってはいるようですが、それ以外は、いつも家にこもってテレビの前で過ごしているといいます。

実母が我が家に来る目的は、孫の顔を見るためだといいますが、孫も小さな頃とは違います。
ずっと家にいられるわけでもないので、朝と晩に顔を合わせる程度です。

このコロナ禍では、たとえ近所でも、年寄りを連れて食事やお買い物へは行けませんし、なにが楽しくてわざわざ来るのか?と不思議です。

我が家に来ても、テレビを観る以外にやることはないのですから。。。

週末は夫の垂れ流す音楽に耐え、ようやくそんな週末を乗り切ったかと思ったら、今度はテレビの音に悩まされ。。。です。

落ち着かずに過ごしていますが、いつものように、「これが永遠に続くわけではない」と、自分に言い聞かせながら、耐えています。

たまらなくなった時は、スマホ片手にキッチンで韓流ドラマを観ます。
愛憎渦巻く韓流ワールドにどっぷりと浸かっていると、余計なノイズも気にならなくなり、楽しい気分を取り戻すことができるのでした。。。





ちなみに今日は、小説家でありエッセイストでもある横森理香さんの生まれた日です。

現代女性を主人公に掲げた小説や、そんな「大人女子」を題材としたエッセイで知られる横森理香さんですが、残念ながら私は彼女の著書を読んだことがありません。

同じ50代とあって、あちらの方がお姉様ではありますが、生きてきた時代背景は同じようなものだったと思います。

だからこそ、余計に手が出なかったのかも知れません。
共感を得るために本を開く必要はないという、まったく可愛くない理由です。

最近では年齢相応に更年期など、健康や美容をトピックとした本も書かれているようで、「大人女子」的な話題より、こちらの方が私向きと言えましょう。

ようやく横森理香さんを読める年齢になったということかも知れません。。。

相性の悪い実母との関係。罪悪感を回避するために受け入れた自己犠牲の「哀」

2021年5月18日(火)

今日の東京は、昨日ほど蒸し蒸しとした感じもなく、どちらかと言えばひんやりとした肌寒い一日でした。

昨日は朝から絶不調でしたが、昨夜早寝をして、たっぷりと睡眠をとったせいか、今日は通常モードに戻りました。

今週後半は、なにかとやることがあり、バタバタとしそうなので、回復してよかったです。

しかし、一つストレスの種が。。。

以前もこの日記で散々愚痴った実家問題です。
今日からまた実母が我が家に来ています。
昨日来ると言っていたのですが、お天気が悪くて億劫になったのか、今日突然現れました。

本当なら緊急事態宣言中ですし、高齢のため外出は控えるべきであると言ってきました。
また、今週は私も予定があるため遠慮していただきたかったのですが、相変わらずこちらの都合は関係がないようです。

これから一週間、またストレスフルな時間を過ごすことになるでしょう。

実の親子でも相性というものはあります。
性格的に合わない親子というものです。

過去の日記でも散々書いているので、詳しくは語りませんが、子供は自分の生活を犠牲にしてでも、親のために尽くすべき。そんな価値観を無理矢理押し通し、依存してくる実母が私のストレスの種なのです。





若い頃は大いに反発したものですが、母が80を過ぎた頃に、私は考えを変えることにしました。

どんなにイライラしても、些細な言葉で傷つけられたとしても、酷い扱いを受けようとも、親に対する情は簡単に捨てられるものではありません。

「なんて身勝手な人なのだろう。。。」
そう思いながらも、そんな母に背中を向けることの罪悪感は小さいものではありませんでした。

その罪悪感に耐え続けるよりも、自分が傷つく方がずっと気持ちが軽いと気づいたのです。

以来、実母の望むようにしています。
何も期待せず、ただ母が満足するよう、言われたことはやり、どんな無理難題も理不尽なことも受け入れることにしました。

ストレスは大いに感じますが、おかげで罪悪感はなくなりました。

もしも私がそんな母に反発し続けていたら、きっといつの日か大きな後悔が残ると思います。

なぜ、もっと優しくできなかったのだろう?

なぜ、もっと面倒をみてあげなかった?

なぜ、もっといい関係を築く努力をしなかった?

そんなことを延々と回想しては後悔することがわかりきっているのです。





あと何年、実母が元気でいるかはわかりませんが、そう遠くない将来、必ずお別れの日はきます。

その時に、取り返しのつかないことで苦しむことがないように、自分の気持ちは別のところに置いておくことにしました。

そう決めてから、以前よりも少しずつですがストレスも軽減してきているように感じます。

80歳をとうに過ぎていますが、まだ自分の身の回りのこともできますし、同居してくれている家族もいます。

年に何度かは面倒をみなければいけないことはありますが、つきっきりで介護生活をすることもなく、その点では恵まれていると思わなければいけないと思っています。

世の中には、子育てが終わったと思ったら、今度は介護。。。そんな生活をしている人はたくさんいます。
私の周りでもそんな声が聞こえてくるようになりました。

実母のその身勝手さは、自分を大切にし過ぎるくらいしているようにも映ります。
つらいこと、大変なことはすべて娘に丸投げ。面倒なこと、厄介事も娘に送りつけ、あらゆるストレスを回避してきました。そして今もそれは変わりません。

私にとっては腹立たしいことこの上ありませんが、考え方を変えてみれば、そのおかげで母はストレスを抱えることもなく、元気でいられるとも考えられます。

色々と思うところはありますが、今はそれだけで充分だと、感謝しなければいけないと思えるようになりました。

今日から一週間、なんとか頑張ります。。。





ちなみに今日は、ロシアのフィギュアスケーターアリーナ・ザギトワさんの生まれた日です。

ご存知のとおり、数々のタイトルを総なめにした、歴史に残るフィギュアスケート選手の一人です。

また秋田犬好きを公言したことで、秋田犬保存会会長さんから、秋田犬を贈られ、「マサル」と名付けたことも大きなニュースになっていました。

マサル」なぜ、「マサル」なのか?

「勝る」からとったようです。。。
さすが勝つか負けるの勝負の世界で生きてきた方ですね。

どれだけの努力を重ねてきたか、スケーティングの美しさを見ていると忘れてしまいそうになりますが、「マサル」がそれを物語っているようです。

19歳になったザキトワさん、まだまだその美しい姿を楽しませてくれることでしょう。

主婦だって元気な時ばかりじゃない。不調の時は無理せず「楽」に質素なお夕飯。

2021年5月17日(月)

待ちに待った月曜日ですが、朝からお天気も悪く、雨だけならまだしも、風も強く、おまけに蒸し蒸しとした、不快指数マックスな一日でした。。。

夜になった今もまだ、部屋の中はなんとなくジメジメとしています。

そんな陽気のせいか、今日はすこぶる体調悪く、身体が動きませんでした。

食事の支度をするのも億劫だったので、デリバリーに頼ろうかとも思いましたが、昨晩も夫が近所のインド料理の店から、あれこれとケータリングしてきて、ちょっとヘビーなお食事だったのです。

連日そんな感じだと、胃腸にも負担がかかりそうなので、デリバリーには頼らず、なんとか食事の支度をしました。

こんな時、手の込んだものは作る気力がありません。
作り置きなども好きではないので、常備菜もありません。

どうしたものか。。。

結局、冷蔵庫の中を物色し、探し出しました。





茹でたブロッコリー、ナムル、ツナ、カットした冷やしトマト、ちくわがあったのできゅうりちくわ、海苔フレーク。。。

これだけあれば、白米のお供としては上等だわ!と思ったものの、温かいものがありません。

とっても面倒でしたが、渾身の力を振り絞り、ニラとひき肉でオムレツを作りました。

もう限界です。。。

そんな質素な食事でしたが、意外なことに子供達には好評だったのです。

ちょっと拍子抜けするぐらいに、よく食べてくれ、「なぁーんだ!そんなに一生懸命作らなくても、粗食でも満足できるのね!」と、新しい発見をしました。

これで夫がいたら、無理でしたが、女3人ならこんな風に簡単に済ませてしまってもいいのね!
そう気持ちが楽になったのでした。。。

明日から訳あって、また大変な週になりそうなので、今日は不調を理由に早寝することにします。。。





ちなみに今日は、アイルランドの歌手である、エンヤさんの生まれた日です。

彼女の曲は誰もが一度は聴いたことがあるというほどポピュラーです。

教会音楽のような荘厳な雰囲気と、神秘的を思わせる曲調、そして透き通るような歌声は、まさに癒しの世界。。。
ヒーリングミュージックとしても、多くの人の心を癒していることだと思います。

特にエンヤさんのファンでもなく、好んで聴くわけでもありませんが、なぜか耳に入ってくると、厳かな気持ちにさせられます。

ライブなどを行わないことで有名な方ですが、あの神秘を思わせる歌声は、姿が映らないことで、より深く沁みる気がします。

今日は体調もよろしくないので、癒しとして、ゆっくりエンヤさんでも聴いてみようかしら。。。

友人とのLINEチャットで思い出した「哀」しい友人関係の終わり。形あるものは変わっていくもの。

2021年5月16日(日)

朝からの曇り空は、午後になると雨に変わった日曜日。
本日も安定のステイホームでした。

家にいると、毎日やることはほぼ同じで、基本的には家事の隙間に自分の好きなことをするのですが、週末は家族もいるのでなかなかマイペースとはいきません。

あれやこれやと横槍を入れられながらも、今日は少しだけ古い友達とLINEでチャットをしていました。
10代の半ば頃から付き合いのある、とても古い友人です。

ちょっと離れたところに住んでいるので、会えるのは年に数回。そして電話やLINEで近況報告をし合うのも、数えるほどしかありません。

それでも友人関係は変わることなく続いていて、それは私にとってはとても稀なことです。
よほど相性がいいのでしょう。。。

若い頃は行動範囲も広く、あちらこちらへ顔を出す機会も多かったので、当然のことながら「友達」と呼べるような人もたくさんいました。

しかし、そんな関係のおそらく98%はすでに消滅しているのが現状です。

自分から関係を絶った人もいれば、向こうから離れていった人もいます。

50も過ぎれば、それは普通のことでは?と、私は思っていますが、どうなのでしょう。





年齢によって、付き合う人も変わり、その交友関係が変わってしまうのも、その時々で自分にとって一緒にいて心地よいと感じる人を選んでいるせいです。

友達は古ければいいというわけではない。私はそう思っています。
確かに長い付き合いの方が、お互いのことをよく理解している分、ベターであるのはわかります。しかし、人は変わります。

特に女性の場合は結婚する相手、また子供によって、その人生がガラリと変わってしまうもの。

言い換えれば、格差が生まれるといってもいいでしょう。

自分よりも下だと思っていた人間が、いつしか遙か上の方にいた。。。

そんな場合は、そこに妬みといったマイナスの感情が生まれることも珍しくありません。

これは双方にとって、あまりよい関係とは言えません。

私にもそんなことが原因で疎遠になった友人がいました。
10代の頃から30年以上の長い付き合いをしてきた友人です。
若い頃はお互いの家に泊まり、一緒に国内海外など旅行もしました。結婚してからも家族ぐるみでの付き合いをし、子供達までもが幼馴染と呼んでいいくらいの関係でした。

そんな長年の関係が崩れたのは、格差の逆転によるものでした。





若い頃、比較的裕福な家庭の子息と結婚した友人は、とても贅沢で余裕のある生活をしていました。
一方、リュックサック一つ分の荷物しか持っていない外国人と結婚した私は、学生だった夫を養うために自分も働き、贅沢することもなく質素に生活していました。

それが40代半ばを過ぎた頃、気づけばその格差が逆転していました。

友人の家庭は旦那さんの病気や義父母との不仲などで、経済的な傾きが出てきてしまったため、友人は朝から晩までパートに出る生活を余儀なくされることになりました。
贅沢をしていたために、安心できる財産もないと、人伝に聞きました。

一方で、我が家は夫も頑張って安定した収入を得られるようになり、私は好きなことをして日々の生活を楽しめるようになっていました。
(とはいえ、そんなお金持ちといいうわけではないのですが 笑)

やがて友人からは、妬みともとれるような発言が聞かれるようになったのです。

「そのレベルで都心の一等地で暮らすなんて、舐めてない?」

「平凡な子供にいくら教育費をかけても無駄じゃない?」

「いつまでもそんな暮らしは続かない」

そんなことを平気で口にするようになったのです。

ここまでは私も聞き流していました。

物事がうまく運んでいる時は、とても優しかった友人だったので、気持ちが少しささくれ立っているのだろうと思ったからです。
生活や気持ちの余裕を取り戻した時は、きっと前のようになるだろうという期待が、まだその頃にはありました。

しかし、付き合いを断ち切ることになる、決定的な出来事が起こったのです。





それは私の病気です。
40代の半ばに2度の手術を受けました。
一度目はそれほど大した病気でもなかったのですが、二度目は今生きていることが幸運であると思えるほどの大病でした。

その時、友人からお見舞いに来たいという連絡を受けたのですが、術後間もなくで身体がとても辛かったこと、そして親しい友人以外には病気のことも知らせていなかったので、一人の例外もなくお見舞いなどは断っていました。

しかし、その友人はどうしても「この日に行く!」と譲りません。

無理と言っているにも関わらず、なぜそんなに来たいのか?

私はそう尋ねました。

そして帰ってきた答えをきいて、「もうダメだな」と思ったのです。

その友人が言った言葉は忘れません。

「だって、お見舞いって、面白そうじゃない?それに私はその日しかダメなんだから合わせてくれてもいいでしょ?」

私の病状を詳しく知りながらも、そんな言葉が出てくるということは、順風満帆だった私が病気によって不幸になったということが、嬉しかったのかと思えたのです。

「人の不幸は蜜の味」

そんな言葉が思い浮かびました。

のちに別の共通の友人から聞いた話では、「お見舞いにもくるなって、何様⁉︎」と憤慨していたそうです。





こんな経験をしたせいか、友達付き合いに古い新しいは、まったく関係がないと思うようになりました。

付き合いが長いとか短いとか、お金があるとか、ないとか、美人だとかそうでないとか、そんなことは友達を選ぶ基準にはなりません。

自分に付属するものひっくるめて判断しがちですが、自分という人間だけをみて付き合える人であればいいと思えるようになりました。

ただ、そんな関係を断ち切ってしまった人たちとの出会いが、悪縁であったとは、今は考えていません。

長い人生の中、そのステージごとに必要な関係だったはずです。
実際に、その友人ともたくさんのいい思い出があります。たくさん助けてもらったり、お世話にもなりました。その逆も然りですが。。。

どんな友人関係でも、一度でも「友達」であったのなら、そこには悪いことだけがあるわけではないのです。

ただ、人は変わっていくものです。その考え方も生活も、一生同じままという人はいません。

だからこそ、どんな出会いも、無駄な出会いなど一つもないのです。

自分にとって、そのステージで必要であった出会いだったと思っています。

自分も含め、人間は変わっていくものです。人間のみならず、形あるものは変わっていくものなのです。。。

だからこそ、いまある関係を、今この時に大切にしていこうと思ったのでした。。。





ちなみに今日は、アメリカの女優であるデブラ・ウィンガーさんの生まれた日です。

その昔、私がまだ10代の頃、若くて素敵だったリチャード・ギアさんとデブラ・ウィンガーさんが共演した『愛と青春の旅立ち』という映画がありました。

男の子みたいな帽子を被った、工場勤務の女の子を演じていたデブラは、とても魅力的でした。リチャードじゃなくても、すり寄っていきたくなります。。。

とても好きな映画で、当時は何度となく観ては、デブラのその美しくも強さをたくわえた姿に憧れたものです。

とにかく美しいうえに、可愛らしさも持ち合わせ、ふわふわの茶褐色のカールヘアーも真似したいくらいに素敵でした。。。

2000年以降に公開された『デブラ・ウィンガーを探して』という映画で久しぶりにデブラを観た時、変わらないお姿に、やっぱり「好きだわ。。。」と思ったものです。

現在66歳。かつての美しさ、若さは失われていますが、私はいつまで覚えています。あの頃のデブラを!

夫からのピント外れな贈り物にも感謝して、美味しくケーキをいただく「喜」

2021年5月15日(土)

今日は土曜日です。。。
瞬く間に一週間が経ち、あまりの時の早さに「これでは歳もとるわけだわ」などと、ため息とともに激しく納得した週末。

お天気はそこそこよかったのですが、相変わらずのステイホーム。
私は家に閉じこもり、代わりにお買い物は夫に頼みました。

夫にお買い物をお願いすると、いつも必要のないものまで買ってきて散財するので、なるべく自分で行きたいのですが、週末はスーパーなども人が多いので、感染予防のためになるべく人混みに出ることは避けています。

夫は私よりも数倍は免疫力が高そうなので、代わりに行ってもらっているというわけです。

今日もまた、頼んだもの以外のものを抱えて帰ってきました。

私の好きな洋菓子屋さんのケーキです。

本来なら小躍りして喜ぶところですが、夫の買ってきたケーキは、私が散々食べて食べ飽きたというものでした。。。





次にその店のケーキを買うことがあれば、絶対にこれをお試ししたい!

そう思っていたものがありました。

それにはブログネタという意味もあって、どうせお菓子を楽しむのなら、ブログにも使えるものがいいと常に考えながら、日々のおやつ選びをしているのです。

それは日頃から言っていることで、娘達などはそのあたりをとてもよく心得ていて、お菓子のお土産を選ぶ際には、まだ食べたことないものを選んできてくれます。

しかし、夫は普段から私の話を聞いていないのか、一度聞いてもすぐに忘れてしまうのか、お菓子を買ってくると、必ず不発という結果になるのです。。。

今回も、「このケーキ、食べたことないだろ⁉︎」などと得意満面で言ってきました。

ここで一言なにか言ってやりたい気持ちはありましたが、夫は私を喜ばせようとお土産を買ってきてくれたのです。
いくらなんでも、それに文句をつけることなどできません。

そこで躍り出てきた子供達。

「そのケーキさ、以前散々食べて、マミーはもう飽きたって言ってたよね?それにブログネタとしても登場済みで使えないし」

子供達が私の心のうちをそっくり代弁してくれたのでした。





夫は初めて知ったとばかりに「そうだったの?」と腑に落ちない様子でした。

「どうして買う前に確認してくれなかったの?」

私も我慢できずに口を挟むと。。。

「だって、サプライズ!だも〜ん!」

ですってさ。。。

サプライズするのなら、もう少し考えてチョイスするものでは?

そう思いましたが、この夫にそのような言い草は通用しません。
なんと言っても、行き当たりばったり、その時の気分で物事を決定、即実行の人ですから。

仕事などではそんな思い切ったところが功を成すこともあるようですが、家ではまったく評価されません。

可哀想です。。。

正直言えば、食べ飽きて、もう見るだけでお腹いっぱい。。。そう思うようなケーキでしたが、「喜ばせたい」と思う気持ちは、とてもありがたいものです。

ちょっと、といいますか、かなりピントは外れていますが、その心遣いには感謝しています。

きっと相手にとっては、私の方とてピント外れなことをしているかもしれませんし、今日のところは謙虚な気持ちで美味しくケーキをいただくこととしました。。。





ちなみに今日は、シャンソン歌手、タレント、霊能者としても知られる美輪明宏さんの生まれた日です。

真っ黄色なロングヘアのおばさまといった風貌の美輪明宏さんですが、私の好きな故三島由紀さんとの交友でもたびたび話題になっていました。

最近はあまりお見かけしませんが、以前はTVなどの露出も多く、子供達にも知られていたのか、数十年前には、携帯電話の待受を美輪明宏さんにすると、運が良くなる!と、黄金色に輝く美輪明宏さんが多くの人の待ち受け画面になっていたのを思い出します。
確かに、いかにも金運が上がりそうな、真っ黄色な画面でした。

数年前の紅白では『ヨイトマケの唄』が話題になりましたが、私はやはり『愛の讃歌』推しです。なんといってもシャンソンの方ですからね!

花を愛でるのは、心に余裕があるから?コロナ禍で「楽」しむベランダ園芸。

2021年5月14日(金)

今日は朝からとってもよいお天気でした。
代謝がいいのか、掃除をしているだけで、朝から汗だく。。。暑苦しい姿であったと思います。

そんな汗だくついでに、ベランダの模様替えをしました。
先日、紫陽花の鉢が3つも加わったので、狭いベランダではうまく配置しないと、ジャングルのようになってしまいます。

夫がいつの間にか放置していたガラクタを片付け、レイアウトも変えてみたところ、ちょっとしたスペースができました。

空いているプランターがあったので、花の種蒔きでもしようと、昨年収穫しておいたマリーゴールドの種を仕込んだのですが、どんなものか。。。
時期的には悪くありませんが、気温もお天気も安定しないので、発芽するかわかりません。

発芽しても花を咲かせるのはまだまだ先です。

もう少し、この空間にピンク系の花があれば。。。

そう思ったら、居ても立っても居られなくなり、近所のお花屋さんへ行ってきました。





私の住む街は多くの飲食店が集まっているので、お祝い事やパーティー需要のためか、お花屋さんがたくさんあります。

しかし、ゴージャスな切り花は種類も豊富でよりどりみどりですが、私の求める「園芸」といった花の苗はあまり売られていません。

普段はネットなどで買ったりするのですが、いますぐ!今日欲しい!と、暑い中、少し離れたお花屋さんまでとことこ歩いて行きました。

徒歩で10分くらいでしょうか、初老のご夫婦が営んでいるお花屋さんがあり、そこでは種類は多くないものの、花の苗が買えるのです。

並べられた苗にはすでに、花が咲いています。
その中から、薄ピンク、白、赤、三色の百日草を選びました。

綺麗な花をつけた百日草をぶら下げて、また10分かけて家に戻った時には、背中もびっしょり、汗だくになりました。。。

汚くなったついでです。そのまま、買ってきた百日草をプンターに植え替えて完了!

いい感じです。

白、青、黄色、オレンジ、赤、ピンク。。。

色とりどりの花が並んだベランダは、見違えたように華やかになりました。

ここまでやって、もう今日のお仕事は終わりです。

シャワーを浴び、ランチを食べたところで力尽きました。。。





帰宅した夫に、そんな話をしたところ、

「何故そんな面倒なことを?花が欲しければ切り花を買って飾れば楽でしょ?」

などと、また安直なことを言って、私をムッとさせてくれました。

確かに切り花なら、花瓶に移し、あとは毎日お水を変えるだけで済みます。

しかし、それでは成長の過程を楽しむことはできません。
いつの間にか、蕾ができ、それが膨らみ、やがて花を咲かせる。。。

そんなプロセスが楽しいのに!

こんなふうに思うようになったのは、私が歳をとったせいなのかもしれません。

若い頃は夫の言うように、切り花を買ってきて飾っていました。
ところが今は、切り花は貰うことばかりで、自分ではまったく買わなくなったことに気づいたのです。

花の鉢植えを眺め、手入れをし、その成長を毎日見守る。。。

それはいま、私が暇だからこそできるのかもしれません。





若い頃はそんな余計なことにかまけている時間はありませんでした。
いいえ、時間的にやろうと思えばできないことはなかったでしょう。ただ、そんな気持ちの余裕がなかったのです。

これは暇人になったというより、心に余裕ができた証拠と言ってもよさそうです。

「園芸が趣味です」と言えるほどのことでもなく、いまはいわゆる「マイブーム」といったところで、丁寧な暮らしを実践するほどの心の余裕があるわけではありません。

このコロナ禍だからこそ、ベランダを花で飾り、新しい芽が出たり、花が咲いたりするのを見て楽しんでいるだけなのかも知れません。

やがてコロナが落ち着けば、また気持ちの余裕を失うほど、あれこれとやってみたい!
そんな気持ちが、心の奥底に眠っています。

いつになるかわかりませんが、それまでは「園芸」を楽しんでみようと思っています。





ちなみに今日は、漫画家のくらもちふさこさんが生まれた日です。

まさに昭和を代表する漫画家の一人と言えましょう。
10代の頃、私が最も好きだった少女漫画家さんです。

くらもちふさこさんの描く漫画は、当時の王道少女漫画とはちょっと違った、独特の世界観がありました。

なんとなくシニカルな雰囲気なのに、愛が必ず存在している。。。
子供だった私はずっとそんな風に感じていました。

内容のみならず、画風も大好きで、特にあれほど魅力的な「手」を描ける人は、いまだにいないのでは⁉︎
そう思うほどです。

数々の名作があり、どれか一つを選ぶなんて無理!と思いつつ、やっぱり『おしゃべり階段』が一番好きかも。。。

もう一度、読み返したくなりました。

やっぱり鄙びた温泉宿で少女漫画を読み耽る夢は実現させなければ!
そう、思うのでした。。。