365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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友人とのLINEチャットで思い出した「哀」しい友人関係の終わり。形あるものは変わっていくもの。

2021年5月16日(日)

朝からの曇り空は、午後になると雨に変わった日曜日。
本日も安定のステイホームでした。

家にいると、毎日やることはほぼ同じで、基本的には家事の隙間に自分の好きなことをするのですが、週末は家族もいるのでなかなかマイペースとはいきません。

あれやこれやと横槍を入れられながらも、今日は少しだけ古い友達とLINEでチャットをしていました。
10代の半ば頃から付き合いのある、とても古い友人です。

ちょっと離れたところに住んでいるので、会えるのは年に数回。そして電話やLINEで近況報告をし合うのも、数えるほどしかありません。

それでも友人関係は変わることなく続いていて、それは私にとってはとても稀なことです。
よほど相性がいいのでしょう。。。

若い頃は行動範囲も広く、あちらこちらへ顔を出す機会も多かったので、当然のことながら「友達」と呼べるような人もたくさんいました。

しかし、そんな関係のおそらく98%はすでに消滅しているのが現状です。

自分から関係を絶った人もいれば、向こうから離れていった人もいます。

50も過ぎれば、それは普通のことでは?と、私は思っていますが、どうなのでしょう。





年齢によって、付き合う人も変わり、その交友関係が変わってしまうのも、その時々で自分にとって一緒にいて心地よいと感じる人を選んでいるせいです。

友達は古ければいいというわけではない。私はそう思っています。
確かに長い付き合いの方が、お互いのことをよく理解している分、ベターであるのはわかります。しかし、人は変わります。

特に女性の場合は結婚する相手、また子供によって、その人生がガラリと変わってしまうもの。

言い換えれば、格差が生まれるといってもいいでしょう。

自分よりも下だと思っていた人間が、いつしか遙か上の方にいた。。。

そんな場合は、そこに妬みといったマイナスの感情が生まれることも珍しくありません。

これは双方にとって、あまりよい関係とは言えません。

私にもそんなことが原因で疎遠になった友人がいました。
10代の頃から30年以上の長い付き合いをしてきた友人です。
若い頃はお互いの家に泊まり、一緒に国内海外など旅行もしました。結婚してからも家族ぐるみでの付き合いをし、子供達までもが幼馴染と呼んでいいくらいの関係でした。

そんな長年の関係が崩れたのは、格差の逆転によるものでした。





若い頃、比較的裕福な家庭の子息と結婚した友人は、とても贅沢で余裕のある生活をしていました。
一方、リュックサック一つ分の荷物しか持っていない外国人と結婚した私は、学生だった夫を養うために自分も働き、贅沢することもなく質素に生活していました。

それが40代半ばを過ぎた頃、気づけばその格差が逆転していました。

友人の家庭は旦那さんの病気や義父母との不仲などで、経済的な傾きが出てきてしまったため、友人は朝から晩までパートに出る生活を余儀なくされることになりました。
贅沢をしていたために、安心できる財産もないと、人伝に聞きました。

一方で、我が家は夫も頑張って安定した収入を得られるようになり、私は好きなことをして日々の生活を楽しめるようになっていました。
(とはいえ、そんなお金持ちといいうわけではないのですが 笑)

やがて友人からは、妬みともとれるような発言が聞かれるようになったのです。

「そのレベルで都心の一等地で暮らすなんて、舐めてない?」

「平凡な子供にいくら教育費をかけても無駄じゃない?」

「いつまでもそんな暮らしは続かない」

そんなことを平気で口にするようになったのです。

ここまでは私も聞き流していました。

物事がうまく運んでいる時は、とても優しかった友人だったので、気持ちが少しささくれ立っているのだろうと思ったからです。
生活や気持ちの余裕を取り戻した時は、きっと前のようになるだろうという期待が、まだその頃にはありました。

しかし、付き合いを断ち切ることになる、決定的な出来事が起こったのです。





それは私の病気です。
40代の半ばに2度の手術を受けました。
一度目はそれほど大した病気でもなかったのですが、二度目は今生きていることが幸運であると思えるほどの大病でした。

その時、友人からお見舞いに来たいという連絡を受けたのですが、術後間もなくで身体がとても辛かったこと、そして親しい友人以外には病気のことも知らせていなかったので、一人の例外もなくお見舞いなどは断っていました。

しかし、その友人はどうしても「この日に行く!」と譲りません。

無理と言っているにも関わらず、なぜそんなに来たいのか?

私はそう尋ねました。

そして帰ってきた答えをきいて、「もうダメだな」と思ったのです。

その友人が言った言葉は忘れません。

「だって、お見舞いって、面白そうじゃない?それに私はその日しかダメなんだから合わせてくれてもいいでしょ?」

私の病状を詳しく知りながらも、そんな言葉が出てくるということは、順風満帆だった私が病気によって不幸になったということが、嬉しかったのかと思えたのです。

「人の不幸は蜜の味」

そんな言葉が思い浮かびました。

のちに別の共通の友人から聞いた話では、「お見舞いにもくるなって、何様⁉︎」と憤慨していたそうです。





こんな経験をしたせいか、友達付き合いに古い新しいは、まったく関係がないと思うようになりました。

付き合いが長いとか短いとか、お金があるとか、ないとか、美人だとかそうでないとか、そんなことは友達を選ぶ基準にはなりません。

自分に付属するものひっくるめて判断しがちですが、自分という人間だけをみて付き合える人であればいいと思えるようになりました。

ただ、そんな関係を断ち切ってしまった人たちとの出会いが、悪縁であったとは、今は考えていません。

長い人生の中、そのステージごとに必要な関係だったはずです。
実際に、その友人ともたくさんのいい思い出があります。たくさん助けてもらったり、お世話にもなりました。その逆も然りですが。。。

どんな友人関係でも、一度でも「友達」であったのなら、そこには悪いことだけがあるわけではないのです。

ただ、人は変わっていくものです。その考え方も生活も、一生同じままという人はいません。

だからこそ、どんな出会いも、無駄な出会いなど一つもないのです。

自分にとって、そのステージで必要であった出会いだったと思っています。

自分も含め、人間は変わっていくものです。人間のみならず、形あるものは変わっていくものなのです。。。

だからこそ、いまある関係を、今この時に大切にしていこうと思ったのでした。。。





ちなみに今日は、アメリカの女優であるデブラ・ウィンガーさんの生まれた日です。

その昔、私がまだ10代の頃、若くて素敵だったリチャード・ギアさんとデブラ・ウィンガーさんが共演した『愛と青春の旅立ち』という映画がありました。

男の子みたいな帽子を被った、工場勤務の女の子を演じていたデブラは、とても魅力的でした。リチャードじゃなくても、すり寄っていきたくなります。。。

とても好きな映画で、当時は何度となく観ては、デブラのその美しくも強さをたくわえた姿に憧れたものです。

とにかく美しいうえに、可愛らしさも持ち合わせ、ふわふわの茶褐色のカールヘアーも真似したいくらいに素敵でした。。。

2000年以降に公開された『デブラ・ウィンガーを探して』という映画で久しぶりにデブラを観た時、変わらないお姿に、やっぱり「好きだわ。。。」と思ったものです。

現在66歳。かつての美しさ、若さは失われていますが、私はいつまで覚えています。あの頃のデブラを!