365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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衣替えの「楽」

2020年9月30日(水)

早いもので今日で9月も終わりです。
明日からはもう暦の上では神無月、英語で言えばOctober 。そして、衣替えの月でもあります。

今朝、起きるととても寒くて、何か羽織るものはないかと探しましたが、秋冬に着られるものはまだ収納の中。
仕方がないので、プルプルと小さく震えながらお弁当を作ったのでした。

まだまだ暑い日があるだろうと油断していましたが、いきなりのカウンターパンチを食らった朝でした。
幸いなことに今日は秋晴れの良い天気ということで、早速衣替えをしました。


衣替えと言っても、所有している服はそう多くないので、割と簡単に済んでしまいます。
ここ数年、断捨離と称して余計だと思われる服はその都度処分していたので、秋冬物はトップスを入れ替える程度です。
アウターなど嵩張るものは、クローゼットの中にハンガーにかけて収納してあるので、扉を開けばすぐに着られます。


それにしても、私はいつからこんな質素な人間になったのか。。。





若い頃は人並みに溢れ返るほどの服を所有していました。
当時はデザイナーズブランドが全盛期で、国内海外のブランド問わず、誰彼もがブランドの服やバッグなどを身につけているような時代でした。

今から思えば、二十歳にも満たない子供が、なんという贅沢を!と思います。
しかし、当時本人にその自覚はありませんでした。日本においては、それが普通のことだったからです。

この認識が崩れたのは、海外へ出た時でした。旅行と違い、現地で暮らすということは、その土地で暮らす人々の価値観を共有するということです。

そこでは、年若い娘が何十万もするような服やバッグを身につけることは、普通ではありませんでした。
ブティックへ入っても、扱いは当然よくありません。お金のあるなしではなく、若いというだけで、それを身につける資格さえ与えてもらえないといった雰囲気がありました。


当時周りにいたヨーロピアンの友人達も、いつもTシャツにジーンズ、スニーカーという質素な格好をしていました。
しかし、そんな質素な出で立ちでも、何故かあちらの方がすると素敵に見えるのですから、ズルイものです。

とにかく、そんな友人達と過ごすうちに、私も以前のような激しい物欲にとらわれることが少なくなりました。

数年後に帰国したときには、かつての友人達が「どしたの⁉︎」というくらいに、野性味たっぷりな女になっていたのです。

その後、結婚し子供を持つようになると、再び少しはお洒落をしてみようという気になってきました。
人並みに小綺麗な服を着てと、また東京モードに戻り、もう年齢的にも許されるだろうと、再度ブランド品なども所有するようになりました。


しかし、ここで2度目の転機が訪れたのです。
40代になり、2度も立て続けに病気をしたのです。しかも、2度目の病気のときは、かなりの大病で、初めて己の死というものを意識した時でもありました。

そんな経験をしてからでしょうか、欲というものが消えていったのです。
ただ、健康で笑って暮らせればそれで御の字。そう考えるようになりました。





今でもそれは変わりません。
断じてミニマリストではありませんが、物を所有することに、それまでのような満足感を得られなくなっていたのです。

どんな物を身につけようが、幸せのレベルには大差がないと思うと同時に、自分が本当に求めているものは果たして何なのか?マテリアルで自身の幸せを買い集めることはできない!など、そんな悟り切ったことを語るようになっていました。

これで頭を丸坊主にし、白く長い髭でも生えていたら、まるで俗世の欲にまみれた後に改心した修行中の仙人もどきです。

とにかく、再び生きる権利を与えられた私には、自分が快適に暮らせるものさえあれば、それで充分だったのです。


洋服にしても、かつてのものは処分し、今は春夏は白か薄いベージュ、秋冬は黒かグレーの服しか着ません。
そしてデザインも同じようなものを何枚か揃えるか、基本的には同一デザインで白、グレー、黒の色違いを揃えるという、まるで面白味のない選び方をしています。

アップルの故スティーブン・ジョブスではありませんが、今日は何を着ていこうか?と朝からファッションショーをするのが面倒なのです。
決まっていれば、迷うことなく着替えるという行為を簡単にクリアできます。

ブランド物のバッグなども、状態のいいものは娘に全て譲り、あとは処分しました。

唯一、アクセサリーや腕時計など、宝飾品だけは現在も使用しています。
これはある意味保険でもあります。もしもお金に困ったときは、すかさず現金化できるために手元に置いているのです。





我が家の夫は未だに物欲全開で、一緒に買い物などへ行くと、あれもこれもとショッピングを楽しんでいます。男のくせに買い物が大好きなのです。
自分ばかりが浪費しているようで気がひけるのか、私にも「何か欲しいものがあれば買えばいいのに」と言います。

金の延棒でも買っていいのなら買いますが、服やバッグならいりません。それに必要なものは言われなくても買っています。つい先日も靴を買いました。
お菓子だって、欲しいだけ買っていますからね。

きっと、かつてあった物欲は全て食欲へと移行したのでしょう。昔から食欲は旺盛でしたが、ここ数年はもはや食欲以外の欲は全て消滅したか?というくらいに、食べることだけが楽しみになっています。

あれれ。。。?

何にも欲しいものはない!などと大きなことを言いましたが、前言撤回です。
私は毎週のようにデパ地下でフィーバーしているではありませんか⁉︎

食欲も「欲」の一つです。仙人どころか、食に関しては非常に強欲な人間です。

嘘を言ってすみません。。。


いずれにしても、衣替えをしても、太りすぎて着られる服がない!などということになると、欲しくもない服を買うことになるので、それだけは要注意

今回はコロナ太りはしたものの、なんとか秋までには戻すことができたので、今シーズンはクリアです。

私の衣替えは、寒くなったらこれが着られる!という「楽しみ」ではなく、簡単に終わったわという「楽」な衣替えなのでした。





ちなみに、今日はイギリスのミュージシャンであったMarc Bolanマーク・ボラン)の生まれた日です。

いまのお若い方にとっては、よほどグラムロックなどに傾倒していない限りは、きっとご存知ないミュージシャンだと思います。
それこそ、私がマーク・ボランの音楽に出会ったとき、すでに彼はこの世にいませんでしたから。

私にとってブリティッシュロックの入口はエルビス・コステロでしたが、その後デヴィッド・ボウイをしるところとなり、その流れでのTレックスマーク・ボランでした。

ビジュアル的にグラムロック系の方々のメイクなど、それがあの美しかったボウイでさえ、あまり好みとは言えませんでしたが、あのメロディアスでポップな音楽に10代の多感だった少女はすっかり夢中になりました。

横浜銀蠅命!な硬派なクラスメイト達から、「そんなの聴いてて面白いのか?」と、まるで変人でも見るような視線を送られていたのを思い出します。
いじめのようなことをしていた不良でさえも、極端な異端児は薄気味悪い存在だったようです(笑)

私が20代でイギリスへ渡ったのも、この音楽を肌で感じてみたいという、心の隅にあった願望を数年後に実現させたものだったのです。

今では全く聴くことなくなったマーク・ボランですが、今日久しぶりにTレックスを聴きました。

ただ、悲しいことに10代の頃のような熱狂を自分の中に感じることはありませんでした。

40年近くも経過していれば、感受性というアンテナも老朽化したのでしょう。。。