365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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どんな些末なことに対しても後悔を残さない、丁寧な生き方は「喜」

2020年10月10日(土)

今日も朝から雨の東京。
どうやら台風はそれて、完全に上陸の恐れはなくなったようです。

一安心。

私は今日も終日家に閉じ籠っていますが、家族は違います。
夫はふらふらお出かけ、長女は久しぶりのバイト、そして次女は学校から予備校へと、なにやら忙しい様子。
他人事ながら(他人ではないけど)、天候は気になります。


一人閉じ籠っている私ですが、今日は家にいるべき理由がありました。

・予約しておいたお菓子が宅配便で届く。

・正午からお菓子の予約電話をしなければならない。


この二つの用事のため、家を空けることができなかったのです!

まさにお菓子に支配されています。。。


それもこれも、すべては「後悔」しないためです。

どんな小さなことでも、やりたかったこと、やろうと思っていたことを逃すと、後々後悔することになります。

「後悔」とは人によってかなり感じ方が違うものともいえます。

過ぎたことはクヨクヨせず、きれいさっぱり忘れて前に進める人。

後悔がいつまでも心の中に残り、それが澱のように溜まってしまう人。

私はいつだって「後ろは振り返らない」と、自分に言い聞かせて生きてきました。

後ろにも目がついているからでしょ?

などと、友人からは笑われていますが、ついているわけではありません。ただ、ちょとばかり小賢しいだけです。





とにかく、そのおかげで数々の失敗にもめげず、自分の中ではわりと上出来と思える今を生きていますが、それは「後悔を残さない」ということに、並々ならぬ情熱を持ってきたからなのです。

「後悔」というのは、やらなかった後悔と、やってしまったばかりに失敗した。。。という後悔があります。

私の場合はやらなかったことによって、その後悔が心の中で黒い霧のようにモヤモヤと自分の心を曇らせることがわかっているのです。
つまり、後に残る後悔です。

だからこそ、いつも一か八かでやってみるのです。その結果、失敗も数知れず。。。
もう、安易になんでもやろうとせずに、やらない選択というのもしてみるべき。。。
そう思っていた時期もあります。

しかし、それは私にとっては間違っていました。

それは、やったことによって生じる後悔は、やらなかった後悔よりも遥かに軽症で、すぐに忘れられるということが、長年の経験で分かってきたのです。

ただし、これは人によって答えは違うように思います。
人の性格、持って生まれた資質は千差万別。そうしたことを加味すれば、どうしたら後悔を残さずにすむか?その答えもまた異なるということなのです。

どうしたら、自分にとって最善の方法を知ることができるか?と言えば、やはり自分で経験するしかないでしょう。

失敗しても、後悔しても、一度経験することで、自分の心がどんなふうに揺れ動くか、よくわかるはずです。

自分のことは自分が1番よく分かっている。

よくそんなことを言う人がいますが、案外わからないものです。しかし、経験することによって、自分自身をより知ることができます。





人生とはまさに「選択」の連続です。
どちらの道をとるか?
それによって、自分の運命は変わるのか否か?

そんなことは誰にもわかりません。神様でさえ、人間のそんな些末に頓着はしていないでしょう。

ただ、見えない未来に、なんの保証もない未来に対して、私達はなんのヒントもなく、ただ予想だけで選択をしなければいけないのです。

その結果、自分が幸せになるか、不幸になるか、その責任すら自分に課せられるのですから、生きるとは大変なことです。。。

ただ、自分が責任を負うのなら、自分で生きる道を決める「自由」があるということです。

自由に選択した結果の後悔なら、ありがたく受け入れ、さっさとポイ捨て。
どんなにたくさんの後悔に見舞われようが、私にとってはやったことに対する後悔は、ゴミ同然です。

そうとはいえ、後悔など誰もしたくはありません。それは私も同じことです。

そのためには、どんな些細なことでも、きちんと考えて選択すること。
ミスをしないよう、全力を尽くすしかありません。

全力を尽くすというのも、ものすごく大層な感じですが、自分自身が「やれるだけはやった」と、感じられればOKなのです。

だからこそ、私は家にいたのです!


この雨の中、配達をしてくれる業者さんから、いち早くお菓子を受け取ること。

そして、かつてのチケットピア並みに繋がらないであろう、人気菓子の電話予約を制するために。





お菓子案件は、人の人生を語るほどの一大事ではありませんが、この小さき一つ一つのことを丁寧に選択していくことこそ、意味があるのです。

私達の一日は言ってみれば小さな出来事の集合体のようなものなのですから。

人というのは慣れる生き物です。その一つ一つをおざなりにしていると、やがてそれが習慣となり、細かいことに目がいかなくなるものです。

お掃除に例えれば、大きなゴミばかりを拾っているうちに、塵や埃が薄っすらと積もって、やがてひどい汚れに変化すると言った感じでしょうか。

それと同じで、些細なことでの後悔を繰り返していると、それに慣れてしまうのです。

慣れてしまえば、そもそも後悔を感じるほど心に痛手を負うこともないだろう。

そう考えられる人は、それでOKです!

しかし、そうでない人もいます。
どんな小さなことでも「悔しい」と後悔してしまう私のような人間にとっては、その都度「悔しい!」とイギーッとなること自体がダメージになるのです。

こんなイギーッとなる瞬間を少しでも減らすために、私はたかがお菓子に全力を尽くすのです。


そんなわけでは、本日はたとえ小さな後悔もするまい!と、一日家でお菓子を待ったり、電話をしたり、その合間にブログを書いたりして過ごしました。

一人だったので、お腹は空いていたものの、お昼を食べ損なってしまったので、夕方には力尽きましたが、ちょうど帰宅した夫が、空腹のためにグッタリとしている私を見て、

「これはまずい!機嫌が悪くなる前にどうにかしなければ!」

そう思って逃げ出したと思ったら、近所のインド人のおじさんがやっているレストランから私の好きなマトンのカレーとナンを大量にテイクアウトしてきました。

そのおかげで、晩ご飯作りからも解放され、お腹も満たされ、よい気分で1日を終えることができました。

欲しかったお菓子も無事に予約完了、宅急便もこの悪天候の中、しっかりと届けて頂きました。

なにはともあれ、嬉しい一日でした。

Thank you





ちなみに今日は元ZELDAのヴォーカル、高橋佐代子さんの生まれた日です。

この名前を聞いて「ああ、あの人ね」とわかる人はそう多くないと思います。

私も最初は「?」聞き覚えはあるけれど、誰だったかしら?と思ったほどですから。
それほど遠い記憶だったのです。

まだ10代のはじめ、歳上の友達に連れて行ってもらったライブで初めて『ZELDA』を知りました。

ニューウェーブにカテゴライズされるのか?なんだかよくわからないジャンルの音楽で、戸惑ったのを覚えています。
そして、それを演奏していたのが、全員女性だったというのも驚きでした。

今でこそ珍しくはありませんが、80年代初頭は女性だけで構成されたロックバンドはとても珍しかったのです。

その中にいた一人が高橋佐代子さんでした。

黒いつばのあるフェルト帽子を被り、その脇から2本の細い三つ編みの髪が垂れていました。

服も真っ黒で、暗く揺蕩うような音楽に合わせ、声を張り上げたかと思ったら、突然裏返ったり、とても不思議で印象的でした。

私よりもいくつか歳上の人でしたが、その姿は少女のようで、可愛いなぁと思った記憶があります。

今の彼女の年齢から遡ってみると、当時まだ高校生くらいだったのでしょう。
どうりで他のメンバーと比較して可愛かったわけです。

懐かしさからググってみたところ、いまだに音楽活動は継続しているようですね。
しかも、娘さんまでが音楽の道に進んだと。。。

ここでもまた、時の流れを感じます。

青春とも言える十代のある一日を切り取った記憶は、最終的に自分の老いを再確認することになったのでした(泣)