365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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「運がいい人」について。誰もがラッキーパーソンになれる脳内自動変換説の「喜」

2020年11月5日(木)

今日は一日家で過ごしました。
昨日も終日外出、また明日も外出予定なので、あまりふらふらしてばかりいると、さすがに主婦の役割をまっとうできないので、今日は家事の日としました。

そんな家事の合間、私は暇ができるとパトロールと称して、ネットでお菓子屋さん巡りをしているのですが、入手困難と言われるお菓子も、割と運よく購入できてしまうことが多いのです。

今日もまたタイミングよくというか、運よくも、争奪戦といわれるお菓子を難なくゲットしました。

この「運がいい」という意味合いの言葉、私は頻繁に使います。

「運がよかったわ!」
「やっぱり運があったのね」

もう「運がいい」の連発です。

しかし、実際にそう感じることが多いので、そう口から出るのも仕方ありません。

自らラッキーパーソンを宣伝しているようなものだからか、周りの人からも「あなたは本当に運がいいわね」などと言われます。これはある種の洗脳といってもいいのかも知れません。





この「運がいい」発言も度が過ぎると、自分だけではなくごく近しい人間にまで伝染するようになります。しかも、その感染力はかなり強烈です。

一番近しい人といえば、やはり家族でしょう。新型コロナも今や家族内感染の割合が半数近くにも上るといいます。
それと同じで、いつも密に接している家族という存在は、何かというとその影響を与え合うことになるのです。

「運がいい」も然りで、我が家の子供達も、何かにつけて「運がよかった!」と口にします。
時にそれは運というよりも、それ以外の要素が大きいのでは?と思うこともしばしばですが、それは決して口にはしません。

「運がいい」発言とは、すなわちポジティブ思考の表れですから、水を差すようなことを言って、ズドンとネガティブになられても面倒だからです。

客観的に見ると「運がいい」と思っている人間は、頭の中で都合のよい脳内自動変換システムを持っているようなものではないかと思えてきます。

よくある例えですが、怪我をしたとき、

「こんなことになって運がなかった」

そう思うか、

「この程度で済んで運がよかった」

そんなニ通りの考え方があります。

「運がいい」と思っている人にとっては、どんな悲惨なことでも、それがとんでもなく最低最悪の結果にでもならない限りは、「運がよかった」と脳内変換されるのです。

逆に「運がない」と思っている人は、怪我をした事実だけが変換されぬまま伝わるため「運悪く怪我をした」とダイレクトに受けとる。。。と、そんなところではないかと。

以上のことをふまえると、脳内変換さえなされれば、すべての人が「運のいい人」になり得るということになります。

これが遺伝であるのか、親による洗脳の如き刷り込みかは定かではありませんが、気づけば家族みんながこのシステムを有するようになっていました。





ただし、この脳内自動変換システムを作動させるためには、ある種の条件が必要となるのではないかと考えています。

それは、「運がいい」と思える根拠のようなものが、少なからず用意されていることです。

わかりやすい言葉で言えば、「準備」「心構え」「努力」あたりでしょうか。

過去を振り返り、よくよく考えてみれば、何もせずに幸運だけが降って湧いてくることばかりではありませんでした。

運を掴むためのきっかけを常に探し、少しでもそんな糸口を見つけたら、あの手この手でそれを掴む努力をしてきた末、運を掴んだとも言える気がします。

もちろん、何もせずに本当の意味でラッキーだったということも皆無ではありません。
しかし、9割方はそんな都合のよいものではなかったでしょう。

例えば、空から数量限定で美味しいお団子が落ちてくるかも知れないという情報があるとします。そんな時、私はそれをいち早く手に入れるため屋根に登ります。

落ちてこないこともありますが、落ちて来れば確実に地上にいる人よりも早く食べられます。

たまたま下を歩いていて、落ちてきたものを食べたのなら、100%運がいいと言えますが、わざわざ屋根に登っていくという努力を考えると、それは運だけではないのです。

普段から注意を払い、もしも少しでもチャンスがあるならと、それこそ手ぐすね引いて待っているからこそ、「幸運」と出会うことも多いのかも知れないと思うのです。

自分ででき得ることをした結果であれば、例え思うような事態にならずとも、それは「運がよかった」と良し悪しに関わらず、脳が自動変換してくれるのでしょう。

もしも「自分は運が悪い」そう思っているのなら、脳内自動変換システムを作動させるため、ジタバタしてみるのもいいかもしれません。

50も過ぎ、ゆったり暮らしていこうと心がけていますが、いまだに「運がいい」などと豪語しているということは、私もまだジタバタしているということなのかも知れません。

いずれにしても、この脳内自動変換説が当たらずも遠からずであるとしたなら、試してみる価値はあるのではないでしょうか。

誰もが「運のいい人」になることができるなんて、とっても喜ばしいことではありませんか⁉︎

但し、これはあくまでも私説です。
心理学者でもカウンセラーでもない、なんでもない主婦の言うことなので、その辺りご承知おきくださいませね。






ちなみに今日は、アメリカの劇作家兼俳優でもあるサム・シェパードさんの生まれた日です。

私が初めてこの方を知ったのが、1984年に製作された『パリ、テキサス』という映画でした。
監督のヴィム・ベンダースが大好きだったことから出会った映画でしたが、これがものすごくよかったのです。

そして、この映画の脚本を手掛けたのがサム・シェパードさんでした。

この方、劇作家でありながら、その長身、イケメンなルックスからか、時折俳優としてもチラチラと映画の中に出てきたります。

有名なところでは『ペリカン文書』『マグノリアの花たち』『ヒマラヤ杉に降る雪』などなど。
他にもたくさんの映画に、チラッチラッと顔を出してくる方でした。

残念ながら3年ほど前にこの世を去ってしまいましたが、若い頃のサムは本当に素敵だったな。。。と、昔を懐かしく思い出したのでした。。。