365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

Sponsored Link

英語での家族団欒。会話についていけない錆びきった語学力に「哀」

2020年11月15日(日)

今日の東京は朝から晴天。
なかなか気持ちのよい一日でした。

今日は珍しく朝から家族全員が揃っていました。
新型コロナの自粛ムードが薄らいでからというもの、みんながみんな「今日はオフ日」というのはなかなか珍しく、その人口密度の高さにちょっとやりにくさを覚えた一日でもありました。

こんな日は、家族の食事の用意やら、その他諸々、何かしらの用事で呼ばれるたび、自分のしていることを中断しなければならないので、なかなか自分だけの世界にこもることができません。

なによりも、普段は家族が出払った静かな環境にいるせいか、そのガヤガヤとした話し声が耳について、なんとも落ち着かないのです。





我が家は夫が英語を公用語とする国の人間なので、夫と次女は英語で会話をします。
長女は英語よりも日本語の方が楽だと、父親に対しても日本語で話します。

しかし、家族全員が集まると、よく話す夫と次女が会話の中心になるため、食卓などでは英語での会話が主流となり、いささか私の分が悪くなるのです。

長女は日本語の方が得意とは言え、生まれてからずっと聴き続けてきた言語なので、問題はありませんが、私にとってはちょっとキツイ状態です。

なんせ英語を学んだのは30年前のこと。しかも、当初の目標が「理不尽な目にあった時、相手を論破できる英会話」という目標を掲げ、英会話のお勉強に励んでいたため、いささか隔たった語学力しか持ち合わせていません。

日常的に困ることはありませんが、現在でも最も力を発揮できるのが夫婦喧嘩英会話という有様なので、家族での平和な食卓英会話に私の英会話力はまったく適していないのです。

子供達が幼い頃はまだよかったのですが、成長した現在では、とうに私の語学力を超えてしまっています。

ちょっと難しいidiom(慣用句)や、最近流行りのスラングなんかを連発された日には、もう無理です。。。

「え?どういう意味?」

などと聞き返そうものなら、

「えっ?わからないの?」

と、真面目に驚かれ、余計に惨めな気持ちにされられるのです。

決して馬鹿にしているわけでもなく、純粋に私が理解できないことに驚くのです。
これは馬鹿にされるよりも遥かにショックです。

そんな時、悔し紛れに勉強し直そうか?などと頭を過ぎることはありますが、よくよく冷静になって考えてみれば、たいして意味がないように思えてくるのです。

何事においても言えることですが、明確な目標がなければ熱は入らないものです。モチベーションを保つことも難しく、結局は中途半端で終わってしまいます。

私の英語も然りで、かつては理不尽な外国人達から身を守るという明確な目標があったため、一日何時間でも、それこそ寝る間も惜しんで勉強できました。

しかし、今は特に英語を上達させる必要性も感じません。
英語を話す機会といえば家庭内だけ。海外旅行程度なら日常会話程度で十分に事足ります。

わざわざ家族との会話を楽しむために、勉強しようなどとは思いません。
わからなければ、日本語にスウィッチすればいいだけのこと。

それでも英語を話し続けるというのなら、逆ギレ&開き直りというお決まりの戦術で、「ここは日本なの!日本語で喋ってよ!」と、捲し立てれば済むのです。





最近は日本にいる外人さん達も、非常に日本語が達者な方が増えているように感じます。

しかし、我が家の夫のようなアラフィフあたりの外国人になると、何十年日本で暮らしていようが、ほとんど日本語が話せないという人も珍しくありません。

我が家の夫は若い頃に強制的に日本語を学ばせたので、日本語での日常会話程度なら問題ありませんが、読み書きは無理です。
多分小学一年生レベルでしょう。

私達日本人が海外へ出れば、当然その土地の言葉で生活するものですが(日本人コミュニティーエリアは別として)、日本ではとりわけ英語を母国語する人間には優しい国なのです。

多少の不便は感じるとしても、英語でもなんとか生活ができてしまうので、わざわざ難解な極東の国の言葉など覚える必要はないのです。

しかし、これは危機感がなさ過ぎます。

私は海外で暮らしていたころ、不足の事態が起こった際には、最低限の語学力は必要であると実感しました。

実際にテロや小規模な鉄道火災などの現場に居合せたことがあり、そんな時は流れてくるアナウンスを理解し、周りの人とコミュニケーションを取り、助け合うことで難を逃れたという経験があります。

日本でもいつそんな状況に置かれるか、その可能性はゼロではありません。
日本はテロなどの対象にはなりにくい国というイメージですが、古いところではオウムの地下的テロなどもありました。

また、この国は地震の多い国でもあります。東日本大震災の時のように、全ての交通機関がストップし、半ばパニック状態になったことも忘れてはいけません。

そんな不足の事態に陥った際、その国の言葉が話せるというだけで、どれだけ心強いだろうかと思うのです。

だからこそ、我が家の夫には、読み書きまでは強制しないけれど、自分の身を守るために、日本語でコミュニケーションを取れるくらいの語学力は身につけよと、勉強させたのです。





結局のところ、私にとって語学とは自分の身を守るため、生きるために必要なものという認識しかないようです。。。

家族団欒で会話に遅れをとったとしても、それが生死に関わるわけではありません。

ちょっとプライドを傷つけられる程度のことなのです。
この歳になると、下手なプライドを持つことほど馬鹿らしいことはないと思うようになります。

そうなると、ますます勉強への士気も下がります。。。

英語が好きだから、英語で仕事がしたいから、外国人の恋人と英語で話したいから etc

若い人であれば、そんな目標を持つ人も多くいるでしょう。そして、そんな人は脳がスポンジのように柔軟なうちに、しっかりとお勉強すればいいと思っています。

何事もできないよりは、できるに越したことはないので。。。

若い頃にしっかり身につけた語学力は、錆びつきはしても完全に失われることはありません。

もちろん使わなければ忘れていきます。そしてどんどん語学力は低下します。それでも消滅はしません(笑)

私の英語もすっかり錆びきっていますが、今のところ夫婦喧嘩では問題なく昔取った杵柄で夫を打ち負かすこともできているので、緊急性はありません。

家族の会話についていけないのは、哀しくも悔しいものですが、勉強し直すことの面倒臭さに比べれば、大したことではありません。

週末が終わり、また月曜の朝がくれば、コロリと忘れてしまえる程度のことなのですから。。。





ちなみに今日は、アイドルグループAKB48のメンバー、峯岸みなみさんの生まれた日です。

AKBやらなんとか坂やら、もはや私にとってはあまりに大所帯過ぎて、誰が誰だかわかりません。。。

ごく稀に、乃木坂の白石麻衣ちゃんのように、類稀なる美しい女子ならばすぐに覚えることもできますが、「クラスにいる3番目に可愛い子」あたりだと、もうダメです。

しかし、峯岸みなみさんはしっかり覚えています。
かつてスキャンダラスを起こした際、丸坊主になった女の子として、私の記憶にしっかりと刻まれたのです。

今時、野球部男子でさえ、不祥事で丸坊主になんて時代ではありません。。。
あっ、元から丸坊主か?

とにかく、その責任の取り方が丸坊主とは、そのラディカルな判断を自分でしたとしたら、これはなかなかすごい子だなと思ったのです。

髪は女の命ともいいます。それをバッサリとしただけでなく、その姿を公共電波に乗せるというど根性。すごいです。。。

現在ではすっかり髪も伸び、また元の女の子に戻りましたが、彼女の顔を見るたびに、丸坊主姿が蘇ってくるのでした。