365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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実の親兄弟とはいえ、仲良くできる人ばかりではない。されど血は水よりも濃い「哀」

2020年11月18日(水)

今日もよいお天気の東京ですが、なんと新型コロナ感染者数が500人近い数字となり、ちょっと驚いた一日でもありました。

このまま感染者数は増えていくのだろうと想像しますが、再度経済が滞るような緊急事態宣言による自粛などには、なかなか踏み切れないのではないかと思っています。

そんな新型コロナ蔓延とは別の理由で、今週はずっとステイホームを余儀なくされ憂鬱な気持ちで過ごしています。

本来なら今週はお友達とのランチの予定がいくつか入っていたのですが、一件どうしても外せない約束以外は、すべてキャンセルしました。

憂鬱なのはお友達と遊びに行けなくなったからではありません。
「お家の事情」といえばいいのでしょうか。実母が数日前より我が家に滞在しているせいです。

家族の都合によって、自分の生活自体を否が応でも変えられてしまうという理不尽さ故の憂鬱というわけです。

お姑さんならまだしも、実母に対してこのような感情を抱えるのは、なかなか理解してもらえることではありません。

ただ、私は自分の親兄弟という存在が、愉快だと思えません。

昔からよくあることなので、もう諦めていますが、実母はいつでもこちらの都合は無視。自分こそがいつも気遣われる存在であり、子供ならそれに従うのが当然という人です。

突然「明日そちらへ行きます。何日間かお世話になりますので」と、連絡が来るのです。

「予定がある」と言っても、「そんなことを言われても困る」と、こっちの方が困っているとも想像できないようです。

親しき中にも礼儀ありという言葉など、親兄弟の世界ではないも等しいものなのです。





昔、ある社会学者の方が、家族について語っていたことがあります。

親兄弟とはいえ、すべての家族と気が合うわけではない。

中には自分と反りが合わない、価値観が違いすぎる家族もいるのが当たり前。

それを聞いた時、なるほど。。。と思ったものです。

唯一、価値観を同じくした父が亡くなって以降、私は自分の親兄弟とは、なるべく距離を置きたいと思って暮らしてきました。

若い頃から家族に寄りかかるのも、寄りかかられるのも嫌だと、早くに家を出ましたが、いま自分が親になってみると、改めてその気持ちが強くなりました。
たとえ親子であろうと、依存し合う関係が健康的であるとは思えないのです。

「家族で助け合う」

確かに理想的ではありますが、それは双方向であって初めて機能するものです。

もしも、一方だけが寄り掛かり続ければ、それは助け合うのではなく、一方に負担を強いることになります。

厄介なのは、それが経済的な負担ではなく、メンタルでの依存という点です。
経済的な負担ならばお金を渡せば済むことですが、相手が自分の存在を拠り所にして、精神的苦痛までもシェアしようとしたら、どうでしょうか?

不平不満や愚痴を吐き出したり、何か事が起これば否が応でも相手を巻き込んできたり、人の人生に無理やり介入させられるのは、精神的にとても苦しいものです。

そんなことから逃れるために、家族と距離を置こうとしても、それは私の一方的な思いであり、双方が同じ気持ちでなければ、実際は距離を置くなど無理なことなのです。





「血は水よりも濃い」などと言いますが、それはある意味で的を得ているなとつくづく思います。

他人であれば自分と反りの合わない人間と生涯に渡り付き合う必要はありません。不愉快なことでもあれば、簡単にその関係を断つことができます。
しかし、親兄弟との縁はそうそう簡単に切れるものではありません。

肉親との絶縁というのも珍しい話ではないかと思いますが、実際にそれをしようと思うと難しいものがあります。

拒絶できないのは、わずかに残っている肉親への情というものです。それはほんのわずかでも、大きな負の塊となって、心の片隅に居座り続けるのです。

その負の塊はどんなに憤りを覚えようが、その縁を断ち切ろうとした瞬間、「親兄弟を捨てる」という罪悪感を伴って襲いかかってきます。
情という曖昧な感情に心を揺さぶられ、責められ、結局最後は自分の方がその罪悪感に耐えられなくなるのです。

どんな理不尽な仕打ちをされようが、育ててもらった恩、親子として生まれてきた縁がまるで足枷のようにつきまとい、どちらかが死ぬまで、それはそれは延々と続いていくのです。

母親ももう80を過ぎました。一歩一歩死に向かって生きているその姿を見ると、無碍にもできず、今はただ好きなようにしてもらっていますが、その代わり自分の心がどんどん擦り減っていくように感じます。

自分がそんな思いをしているからこそ、子供たちを絶対に自分の人生に巻き込んではいけないと思っています。

物理的にも精神的にも、子供達に依存することなく、私は私、子供達は子供達と、それぞれの人生を楽しく生きることを望んでいます。

私が自分の親兄弟に対してこのような感情を抱くに至るまで、色々なことがありました。

「とてもおとなしくて、優しそうなお母様よね」

母に対しては、誰もがそう言います。しかし、そのおとなしく優しいところが人が傷つけることがあるとは誰も想像できないのでしょう。

大声で人を怒鳴りつけたり、乱暴な振る舞いをする人だけが脅威ではありません。
まるで真綿で首を絞めるように人を傷つける人もいるのです。





家の中のことは他人にはわからないものだと言いますが、その家には歴史があり、さまざまな出来事が折り重なり、今を作り上げているのです。

とても抽象的な表現になってしまい、なんだか意味がわからない。。。
そう思うでしょうが、今日の投稿はストレス解消です。

ブログを書こうとしてもイライラがつのり、思うように書けません。
自分の家なのに、自分の居場所を失ったように感じて、落ち着きません。

実母が来て以来、ずっとそんな調子なので、気持ちを紛らわすために、一日中料理をしています。

思惑はともかく、母は自分のためにご馳走をたくさん作ってくれていると思っているようですが。。。

そんなことに抵抗する気力さえありません。

今は嵐が過ぎるのをただじっと耐えて待つ時だと、怒りや虚しさを抑え込んでいるだけです。

そんな私を気遣い、腫れ物に触るように接する夫や子供達のためにも、不発弾のごとくじっと地中でおとなしくしているつもりです。





ちなみに今日は、歌手である城みちるさんの生まれた日です。

若い方はご存知ないでしょうが、『イルカにのった少年』です!

いわゆる昔のアイドル歌手といったところ。

幼い頃、家族で出かけた鴨川シーワールドで、飛び跳ねるイルカをバックに熱唱した城みちるさんさんを見たことがあります。

それは私にとって生まれて初めて見た歌謡ショーというものでした。今で言うところの野外ライブです(笑)

別にファンでもなんでもないのですが、アイドルというのは素敵なものだなと思った記憶があります。

今から思えば、キラキラとした水飛沫やイルカが城みちるさんを素敵に見せることに一役買っていただろうと想像します。

しかし、『イルカにのった少年』ですからね!

ちょっとググってみたところ、未だに歌手としてあちこちでライブ活動をし、『イルカにのった少年』を歌いまくっているようです。

すごいですね。46年前に大ヒットとなった一曲が未だに糧となっているだなんて。
まだまだ63歳の城みちるさん、これからも「イルカになったおじさん」。。。
じゃなくて、「イルカにのったおじさん」として頑張ってください!