365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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伊勢丹新宿で理性崩壊の「楽」

2020年10月5日(月)

今朝は目覚めたその瞬間から、「行くか、行くまいか」それだけが、何度も何度も途切れることなく頭の中を回り続けていました。

「迷う」とは、まさにこのこと!というくらいに迷いに迷い、久しぶりに迷うことの苦悩を味わった朝でした。

奇しくも外は雨が降ったと思ったら、曇ったり。天すらが迷っていました。


大したことではありません。

ただ、伊勢丹新宿へ行くかどうか、それだけです。。。

ちょうど好きな和菓子屋さんの催事が行われていて、先日も一度出向いたのですが、お菓子はしばらくお預けという己に課した決め事のため、なにも買わずに帰ってきたのです。

しかし。。。

それがいけなかったようです。


そもそも、デパ地下へ行ってお菓子を買わずに帰るのは、お風呂に入って身体を洗わずに出てくるのと同じ。
それほど気持ちの悪いことなのです。

催事の期間はたったの1週間。。。

刻一刻と残り少なくなる開催日。しかし、この数日間、つねに頭の片隅に、先日見たお菓子の数々がスライドショーのように、カチリカチリとその断片を見せつけてきます。

それでも昨日までは我慢しました。

一度でもあの場所に足を踏み入れたらどうなるのか?催事だけではすまないことが容易に想像できるので。。。

一度決壊した意思は、もうアウト・オブ・コントロール。もはや理性では抑え込むことが不可能になります。

わかっていたからこそ、この何日間もぐっと堪えていましたが、そこに考えが及べば及ぶほど、「行かない」という選択が愚かにも思えてくるのです。


なんといっても10年に一度ともいえる祭と言ってもいい催事です。次は2030年。。。そう思うと、たまらなくなってしまいました。

もし行かなかったことを後悔したら?
私は10年間、リベンジのチャンスを与えられず後悔し続けなければなりません。
なんという拷問でしょうか?
50を過ぎた中年に耐えられるのでしょうか?

しかし、自分に課した決め事の件があります。自分で一度決めたことを簡単に翻すのも、また後悔の一つとなるでしょう。


「私は行くべき?我慢するべき?」


仕事へ出かける支度をする夫の背中に問いかけます。


「もちろん!行くべきだよ」


夫は即答しました。


しかし、それはわかっていたことです。夫もまたそのお菓子が食べたいのです。

そして、わかっているからこそ、尋ねた私は、「夫が行けって言うなら仕方ないわね!」というエクスキューズだけが必要だったのです。
(excuse =口実、言い訳という意味)

こうして、立派な口実を得た私は、いそいそと朝霧払うが如く、10時前には伊勢丹新宿店の前に立っていたのでした。





それにしても、開店前から百貨店の前で待ってる人が多く驚かされます。
私は暇な主婦なのでそんなこともお安い御用ですが、世の中暇な人って結構いるものなんですね。。。

10時になると、うやうやしくとびらが開き、店員さん達に「おはようございます」と頭を下げられながら目的の売り場に進みます。
これがいつもながら、ちょっと恥ずかしい。。。

一人や二人でなく、それこそ何十人もの店員さんがご挨拶をしてくれるのです。こちらもひょこひょこと頭を下げながら、俯き加減に進みます。

「開店前から押しかけるだなんて、なにを急いで買うものがあのかしら?」

そんな店員さんの心の声を宿した視線(想像ですが)に耐えながら、催事エリアに到着です。

この数日間、私を悩ませ続けたお菓子達が、「やっぱりきたね。待ってたわよ」と語りかけてくるようです。

一つ一つが愛おしい。。。

これも、あれも、あっこれも、、、

止まりません。

見事に理性決壊、「食べたい」がとめどもなく溢れ出し大洪水です。

誰も止めてくれる人はいません。。。

娘が一緒のときなら、

「マミー!そんなに買っても食べるの大変だから、もうやめて」

必ずそう止めてくれます。まるで思い切り頬にビンタをするように、私の目を覚ましてくれます。

しかし、そんな娘もリモート授業があるため、同行していません。

私はお目当てのお菓子を全て購入。あまりに気合を入れすぎたせいで、少し疲れたので、スルーするつもりだった限定のシェイクを飲みました。

その甘さ、美味しさにすっかりパワーチャージを完了した私。

「せっかく来たのだから」

そんな新たなエクスキューズを引っ提げて、さらにあのキラキラとした伊勢丹の地下を歩き回ったのです。

いつも買うあのお菓子、季節もののお菓子、一度失った理性は簡単には戻りません。

まさに伊勢丹マジック!

おそらく、月末にクレジットカードの請求書を見て、あらら。。。やり過ぎたわね。と、理性を取り戻すことでしょう。





荷物はどんどん重量を増してきます。
これが「そろそろ終わりですよ」の合図です。

いかし、まだまだ終わりません。

仕上げは惣菜売り場です。お寿司、うなぎ、中華、豚カツ、天ぷら、焼鳥、おばんざい、サンドイッチ、オードブル、サラダ、なんでもあります。

今日はなににしようか?

売り場をとりあえず2周回ります。

決めました。

ランチはお寿司、夜は天ぷらとお蕎麦。サラダと明日の朝食用パンも。

これらすべてを収めると、手持ちのエコバッグは満員御礼。

肩にかけると、五十肩が悲鳴を上げるくらいの重さになっていました。

しかし、それとは裏腹に私の心は羽根のように軽い。

こんなに楽しい場所がこの世にあるだろうか?

伊勢丹新宿だけではありません。銀座の三越日本橋高島屋も渋谷のフードショーも、食べ物がたくさんあるところは、私にとっては幼い子供がはしゃぐサンリオピューロランドと全く同じ意味を持つのです。


帰宅すると、娘が玄関で私を出迎えてくれました。

大荷物で「肩痛いー!」と騒ぐのがいつものパターンなので、玄関で荷物を受け取ってくれるのです。

その顔には、「こんなに誰が食べるの?」と書いてあります。

心配はご無用です。
我が家には無限の胃袋を持つ外国人夫がいます。
どんなに甘いものであろうが、どんなにヘビーなものであろうが、その大きく強靭な胃袋によってすべて解決してくれます。

おまけに、「美味しいものをありがとう」と感謝までされるのですから!


とても疲れましたが、弾けるのはやはり気分がいいものです。
デパ地下は心の健康を保つのに大きく貢献してくれます。

食べることももちろん楽しいですが、この理性を崩壊させるという行為は、言い換えれば「魂の解放」です。

品行方正な「理性」という仮面を取り去り、下品なくらいに精神を解放してやること。
なんとも言えない爽快感があります。

その魂の解放とは、どこでどんな状況でするかによっては、大変なことになる可能性が大いにありますが、デパ地下なら安心です。

この歳になれば、クラブで踊り狂うとか、ラグビーでタックルしまくるとか、もうそんなことはできません。

そう考えれば、アラフィフ主婦が魂を解放する場として、伊勢丹新宿デパ地下はもっとも適した場所と言えましょう。

何はともあれ、お目当のお菓子も楽しむことができ、魂まで派手に解放し、とても楽しい一日となりました。





ちなみに、今日は居酒屋「和民」の創業者であり、参議院議員でもある渡邉美樹さんの生まれた日です。

そんなおめでたいお誕生日に、和民グループは居酒屋さんを焼肉屋さんに転換していくとの発表をしました。

コロナの影響で売り上げが低迷したことに加え、みんなとわいわい飲みましょうといった雰囲気でもありませんから、少人数でお友達や家族などと、食事ができる店へシフトしていくということなのでしょう。

接触型店舗というコロナの時代に即した新しい試みとして、無人レーンや配膳ロボットも導入されるといいます。

無人レーンとは回転寿司みたいな感じなのでしょうか?
それよりも私は配膳ロボットの働きに興味があります。
このロボットが有能であれば、もはや飲食業界は新たな道を進むことになるでしょうから。。。

一体どんな焼肉屋さんになるのでしょうか?

残念ながら私は「和民」というお店には行ったことがないので、どのようなお店であるかわかりませんが、イメージとしては若者の集うリーズナブルな居酒屋さんといった感じ?

無人レーンや配膳ロボットによって、人件費を削減し、その分お客様に還元?

ということは、またしてもリーズナブルな価格設定になるのでは?と期待できますね。

つまずいたり、行き詰まったりしたときこそ、あえて攻めていく。そんな匂いをいつだってぷんぷんさせている渡邉社長。
あの年代の方々は本当にバイタリティーがありますね。

そんなイケイケおじさんの新たなる焼肉ビジネスが成功すれば、この暗い社会を生きていく励みとなる人も多くいるはずです。
そして美味しいお肉を待ちわびている人も。

安くて美味しいお肉がいただけるのなら、私も一度行ってみたいものです。

騒音と奪われるであろう小籠包の未来に「哀」

2020年10月4日(日)

今日は日曜日だというのに、朝早くから街宣車が何やら叫びながら近所を巡回し、騒音を撒き散らしていました。
コロナ禍でしばらく静かだったのに、また戻ってきたようです。

いつもながら、怒鳴っているだけで、マイクは音割れし、なにを叫んでいるのかわかりません。。。

私にとっては、騒音よりも内容が聞き取れないことに苛立ちを覚えます。
日曜日の朝からうるさくするのなら、せめて「なるほど。。。」と、騒音を忘れるくらいにガツンと心に訴えかける言葉が欲しいものです。


さて、これが落ち着くと、午後は羽田へ向かう飛行機がひっきりなしに上空を飛んでいきます。

これは羽田飛行ルートの変更によるもので、新ルートとなった現在では午後3時を過ぎると、都心の上空をバンバン飛行機が通過していくので、気になって仕方がありません。

これがまたかなりの低空飛行で、飛行機のお腹が肉眼でも見えるくらいです。

当然のことながら、ものすごい轟音がします。その上安全性やそれに伴う不安、また地価の下落などを危惧し反対運動が起こっています。


街宣車と飛行機によってもたらされる騒音で、今日も静かな週末とはいい難き一日でした。。。

家にいてもうるさいので、ランチは外にしようと、夫と二人で中華料理を食べに行ったのですが、夫が私の小籠包を断りもなしに奪ったのです。

「親しき仲にも礼儀あり」そんな言葉も知らなかったのか⁉︎

私の言葉を重く受け止める気もなく、平気な顔で小籠包からしたたる肉汁を啜る夫にさらに怒りは膨らみます。

しかし、私が礼儀に対して怒りを訴えていることが、夫には通じません。夫にとっては、たかが小籠包一つの問題としてしか理解されないのです。

まったく!騒音はうるさいし、小籠包は奪われるし、たかが小籠包を食べられてしまったくらいで不機嫌になっていると思われるのも心外だし!

そんなスッキリしない気持ちのまま、早々に帰宅したのですが、ふとこんな生活を、私は一体いつまで続けるだろう?と思いました。





小籠包事件のようなことは、日常生活においては時々勃発しますが、総じて今の生活に不満はなく、結構楽しく過ごしてはいます。

しかし、ひょっとしてまた別の、もっとベターな暮らしがあるでは?とも思えてきたのです。

それというのも、今朝、アメリカにいる義兄(夫の実兄)とSkypeで話をしたときに、ふと同じような思いが頭をよぎったからです。

特別深刻な話などしていません。ただ、「今何してるの?」「最近、どう?」そんな他愛のない話だったのですが、話をしながら義兄は広い庭に植えた野菜やフルーツを採ったり、テラスの椅子にもたれてお茶を飲んだりと、リラックスした様子を見せつけてきます。

こんな様子を見ていると、あまりにも生活スタイルが違うなと感じたと同時に、そこで過ごしたいくつもの夏を思い出したのです。

子供達が小学生くらいまでは、よく夏休みに長期でアメリカに滞在していました。

そこはニューヨークやロスのような都会ではなく、自然の豊かなリベラルな雰囲気のステートでした。
街には小さな百貨店が一軒しかありませんでしたし、ファンシーなレストランなども多くありません。和菓子屋さんもなければ、美味しいフランス菓子の店もありません。つまり、私の好きなものが一つもないといってもいいような街だったのです。

しかし、そこでの生活で退屈を感じたことはなく、何にもない生活がむしろ心安らかであると感じていました。


アメリカ英語にはなかなか馴染めませんでしたが、日常会話程度の英語力があれば暮らすには不自由はありません。
食べるものも地産地消がメイン、オーガニックだらけで、その辺特にこだわりのない人間でも、なんだか健康な食生活が送れるかもといった期待を持ってしまったり。。。

一方でそこはやっぱりアメリカです。ジャンクもしっかり網羅され、特別ストイックにならずに済むという気楽さがあり、そこもまた気に入ったところです。

その街や人、食など、ライフスタイルが気に入って、本気で移住しようかと、物件探しをした年もあったほどで、その夏の日々を思い出すと、今の生活は果たしてベストなものか?と、そんなことを考えたのでした。。。

東京で生まれ育ったため、それまでは何にもない街では暮らせないと思っていました。実際にアメリカではなく別の国の田舎町で暮らした時は、あまりに暇すぎて、やっぱり無理。。。という経験もあったので余計にそう思っていました。

しかし、不思議とアメリカのその街では、とても穏やかに過ごすことができたのです。





この歳になると、さすがに楽天家の私でも、少しは老後の生活について考えることがあります。
私以上に脳天気な夫が相手なので、なかなか具体的なプランは出ませんが、選択肢の一つとして再び海外で暮らすというものもあります。

私は基本的にどこでも暮らせる気満々ですが、夫は私には無理だろうと言います。

確かに暮らす気はあっても、具体的にどこ?となると、思い浮かびません。
美味しいものがあって、総合病院があって、車なしで生活できるところ。

美味しいものはともかくとして、過去に大病を経験した身としては、施設の整った病院は不可欠です。
車も運転することは出来ますが、子供達から同乗拒否されるくらい下手なドライバーなので、できれば車の運転は避けたい。

こうなると、田舎暮らしは厳しいということになり、件のアメリカの街も無理ということになります。

色々と考えてみれば、結局はこの騒音にまみれた東京が自分の終の住処になるのだと漠然と悟り、ちょっと哀しくなりました。

それは、この場所や生活が嫌ということではなく、変化のない同じような日々を、この先何十年と過ごしていくという未来しか、思い描けないことに対する哀しみです。

もう一花パッと咲かせてやろうか?

そんな風には微塵も思いません。。。

何も起こらないこと、平凡であることは、私にとって悪いことではなく、むしろ幸せなことです。

ただ、騒音がうるさいとか、無神経な夫に小籠包を取られただとか、そんなロマンの欠片もない生活ではなく、もう少し心穏やかに過ごせる日々が、これから行く未来にあればと望んでいるだけなのです。。。





ちなみに、今日はミュージシャンであり、芥川賞作家でもある辻仁成さんの生まれた日です。

私にとって辻さんは作家の先生というより先に、『ECHOES (エコーズ)』のヴォーカルといった印象の強い方です。

ロックバンドのヴォーカリストが、突如『すばる文学賞』を受賞し、あれよあれよという間に作家先生となり、バンドが解散した後には芥川賞作家に登り詰めるという快進撃。おまけに二人もの美人女優と結婚、離婚を繰り返し、パリに移住したりと、思い切りセンセーショナルかつ多才な姿を見せつけられてきました。

現在ではパリでシングルファーザーとして、愛息と共に暮らしながら、変わらず文筆活動をする傍ら、バラエティ番組でお料理の腕まで披露してしまったりと、相変わらずの多才っぷり。

ビジュアルの線の細さからは想像もできないくらいに、ものすごいバイタリティのあるおじさんです。

辻さんの小説は全てと言わないまでも、過去にかなり読みましたが、とても心に響く作品が多く、これはミュージシャンではなく、やはり作家が正解でしょ!と思ったものです。

デビュー作の『ピアニシモ』や江國香織さんとの共著である『冷静と情熱の間』、『二十八光年の希望』は、今でも断捨離されることなく私の本棚に並んでいます。

還暦は過ぎましたが、まだまだ若い辻仁成さん。これからも心が揺さぶられるような素敵な物語をたくさん世に送り出して欲しいと願っております。

DNAの奇跡に「喜」

2020年10月3日(土)

今日も暑いくらいに日差しの強い、よいお天気の東京でした。

家族がそれぞれ外出予定だというので、私も昨日逃したお菓子を買うついでに、少しふらふらしようと、久しぶりにウォーキングに出かけました。

40分ほどウォーキングをし、お菓子屋さんをのぞいてみると、開店前にも関わらず整理券を配布していました。
それを一枚いただいて、これで目的を達成したも同然!と、ようやく心に溜まった昨日からのモヤモヤを払拭したのでした。

どんな小さなことでも、目的を達成した時の晴々とした気持ちは、なんとも言えない爽快さがあります。
だからこそ、「目的をはっきりさせましょう!」ということが言われるのかも知れません。

私の場合は「目的」などという立派なことではなく、「欲求」ですが。。。

欲しいと思ったものは、あらゆる手を尽くして、なんとしてでも手に入れようと考える、ちょっと厄介なところが私にはあります。

もちろん、世の中には手に入らないものもあります。
ただ、自分の身の丈に合ったものを求めている限りは、大方手に入るものだと思っています。

若い頃から欲しいものは必ず手に入れる!そう思って、なりふり構わずそれを実現してきたせいか、今でも往生際悪く生きています。

最近は歳のせいか、以前ほどの貪欲さは薄れ、「仕方ないか」と諦めることも覚えました。
そして、そんなふうに諦められることが、どれだけ心安らかでいられるかも知りました。
歳をとって楽になることもあるのです。

そんな風に安心していましたが、思わぬところで余波が発生していることに気づいたのです。

それは我が子達です。

この娘達、かつての私のように、欲しいと思ったものは、なんとしてでも手に入れようと、あの手この手で自分の思いを通すことに、日々必死になっています。

そして手に入れては、また新たな獲物目掛けて猪突猛進。。。
見ていてもあまりに度が過ぎるので、

「少しは諦めることも覚えなさい」

そうもっともらしい顔で嗜めるのですが、思えばそれはかつての私の姿そのものです。

誰が教えたわけでもありません。むしろ、自分を反面教師として生きていって欲しいと願っているくらいなので、私とは似ても似つかない人格となるよう育ててきたつもりです。

しかし、そんな私の願いに反し、成長するうちに、2人ともがどんどん私のようになっていきます。

親の姿を見て育ったからといって、同じような人間になるわけではありません。
多少の影響はあるでしょうが、むしろ見ていて感じるのは、私から受け継がれた遺伝子というものです。


欲しいものは、なんとしてでも手に入れようと足掻く、その行動パターンなど、細かいところまで観察すると、DNAがそうさせているとしかおもえません。

あのスッポン並みの執着心、そして秋の長雨のごとき往生際の悪さは、紛れもなく私なのです。

彼女達の中に見るそれは、間違いなくこの母のDNAと言って間違いなさそうです。

諦めることができないということは、いつも心の中に空のエコバッグを持ち歩いているようなものです。手に入れた物を入れるためだけに持っているバッグは、その中が満たされなければ用をなさないのです。

バッグを満たすために、全力で手を伸ばし続ける気苦労は、安心とは真逆にあるもので、私が散々経験してきたことなのです。

親としては、そんな生き方はして欲しくないと思っていますが、こればかりは仕方がないと諦める他ないでしょう。





DNAとは不思議なものです。

まさに、丁と出るか、半と出るか、博打のようなものです。

丁(偶数)が前記のようなものであるなら、奇跡ともいえる半(奇数)が出ることもあります。

今日、偶然街で会った娘の姿を見た時、改めてそれを感じました。

それは、私がウォーキングから戻る途中の出来事でした。
向いから鮮やかなグリーンのワンピースを着た若い女の子が歩いてきました。

「おきれいね。若いっていいわぁ〜」

などと見ていると、その女の子がこちらに向かってひらひらと手を振ってくるではありませんか。

思い切り眉をしかめてフォーカスを合わせてみると、それは我が娘だったのです。

私はど近眼で、普段は眼科医が許すギリギリ過矯正コンタクトを使用していますが、ウォーキングの際は、コンタクトよりも度の緩い眼鏡を使用しているので、遠くがよく見えませんでした。。。

手前味噌ですが、外で見る娘は輝くばかりに美しく、これが本当に私の身体から出てきた人間なのか?と、自分でも出産時の記憶を掘り起こしてみるほどです。

成人してからは、私よりも高価なものを身につけ、私よりもずっと美味しいものを食べている娘に、「100年早い!」などと嫉妬半分お小言を言っていますが、この若さと美しさがあれば、そうなるのは必然かと、なんとなく納得してしまいました。

しかし、残念なことに、私に似ているわけではありません。私はごくごく普通の中年女です。

つまり、これは遠く離れた外国の遺伝子がミックスされたことによる悪戯のようなものなのです。

「ハーフ」と呼ばれる、外国人とのミックスは、今では珍しくありませんので、普段はあまり娘の容姿に注視することもないのですが。。。

今はテレビを見ていても、ハーフタレントをたくさん見かけますが、みなさんおキレイです。
先日も毒舌ハーフタレントの女の子とすれ違いましたが、目を見張るほどの美人さんでした。

「おっ!ここにもDNAの奇跡がいるわね」などと心の中で思いながら、ついついその美から目が離せませんでした。
一点凝視を決め込むとは、気持ち悪い人だわと思われたことでしょう。

我が家の娘も然りです。
あれは私の遺伝子などではなく、明らかにDNAの不思議が生み出した奇跡なのです。

私が差し出したのは、きっとハンバーグを作る際に加えるナツメグくらいのものでしょう。
透明感のある白い肌に亜麻色の髪、薄い瞳の色と整った顔立ち。さらに、腰位置の高さや膝下の長さなど、私的要素はどこにも見つけることができません。

よく、お友達から「お嬢さん、本当にキレイね」などとお褒めいただくのですが、その際に「私に似てるかしら?」と尋ねると、みなさん決まって、「雰囲気が」とか「仕草が」など、抽象的な言葉で誤魔化そうとします。

つまりは似ていないのです。

やはり私はナツメグで、肉や玉ねぎといったメインの素材はすべて夫側遺伝子によりもたらされたものなのです。

自分の子供を褒めていただければ、それは悪い気はしませんが、正直言えば、自分のことを褒めていただいた方が、よほど嬉しいです。

私の友人にやはりハーフの娘を持つ人がいるのですが、その人に至っては、自分の娘の美しさに本気で嫉妬して、常に敵視しているため、親子関係もあまりよくないといいます、

私はナツメグであると自覚しているので、娘に対してそのような感情をもったことはありません。むしろ、子供を授けてもらっただけで、幸運であると思っています。

このDNA、丁と出るか、半と出るか?

結果的には勝ったり負けたりといったところでしょうが、一際美しく成長した娘の姿を見るのは、ナツメグにとっても嬉しいものなのでした。。。





ちなみに、今日は女優である石田ゆり子さんの生まれた日です。

石田さんと言えば、もはや「アラフィフの星」といえるほど、中年女子憧れの存在ではないでしょうか。

元々美しい方ですが、加えてあの少女のような仕草と透明感は、我々中年女子が喉から手が出るほど欲しているものです。

芸能人は若い頃から時間もお金もかけ、メンテナンスをするのが普通です。それはビジュアル自体がビジネス、飯の種となるからであり、それは至極当然のことです。

しかし、50も近くなれば、さすがにメンテナンスバッチリだけでは、補正できなくなってくるものです。
スポットライトでギリギリ姿が見えるくらいまで真っ白にし、光でシワから何から何まですっ飛ばしてしまう女優さんも多くいます。

しかし、石田さんはそんなアーティフィシャルな小細工もせずに、時に目の下のクマを見せ、目尻のシワもこれが可愛いのよ!とばかりに露わにします。

同じアラフィフのシワなのに、同じクマなのに、何故こうも違うのか⁉︎

この説明のつかない自然美は、まさに先天的素材のよさという以外思いつきません。

これはいくら憧れようが、真似をしようが、到底手の届かないものと受け入れるが身のためです。

どんなにアンチエイジングに時間やお金を費やしたとしても、持って生まれた素材のよさには太刀打ちできません。

石田ゆり子」にはなれないのです。

それでも、石田ゆり子さんをウォッチングするのは決して無駄にはなりません。

あの透明感は無理だとしても、多少の清潔感を意識する気付け薬くらいにはなるはずです。

石田ゆり子さんのインスタでもたまにのぞけば、少しでも小綺麗なアラフィフでいるためのモチベーションにはなることでしょう。

前日のミスに祟られた「哀」

2020年10月2日(金)

今朝はいつもよりも忙しない朝でした。
娘がいつもより1時間早く学校へ行くというので、6時前にはお弁当と朝食の用意を完了しなけらばいけなかったからです。

いつも、家族が起きてくる2時間以上も前から一人で起きているので、特段いつもより早く起きる必要もないのですが、その時間は私にとって、のんびりと寛ぐ大切な朝時間なのです。

今日はそんな朝時間を短縮し、さっさと洗濯掃除など、家事も一通り済ませてしまいました。
これで、後の時間は完全なる自由です。


自由となると、すぐにデパ地下などへ行ってしまうのが、これまでのパターンでしたが、あまりにお菓子ばかり食べているので、メインブログの投稿が追いつかず、備忘録としてはかなり穴が空いた状態です。
これは都合が悪いと、すべてのお菓子をブログ記事として投稿するまでは、新しいお菓子は買うまい!という、過酷な決め事を自分に課すことにしていました。

しかし、そんな舌の根も乾かぬうちに、今日は密かに本日発売のお菓子をいの一番に買いに行こうという思いが、それとなく頭の隅にありました。

たまたま販売している店舗が近所にあるので、お財布だけポケットに入れ、マスクをして、まるで起き抜けのような格好で行くことのできる場所です。
ちょこっとコンビニにでも行く感覚で、話題のお菓子をゲットしてこようと画策していたのです。


ところが8時頃、今日2度目の朝食であるカレーうどんを食べている時、娘の担任の先生から突然電話がかかってきました。
うどんが伸びてしまう危機感を感じながらも電話をとると、用件は提出した大学共通テストの書類に不備があるという一大事でした。

3年前に上の子の大学受験で経験したにも関わらず、ミスをするとは。。。
これは完全なる私のケアレスミスです。

国立一本槍受験を目指す娘にとっては、これを受験できなければ大問題。

「今すぐ、行きます!」

学校はタクシーを飛ばせば10分程度の場所にあるので、大急ぎで支度を整え、家を出ました。

さすがに、本日発売のお菓子のことは頭から飛び出してしまいました。。。





学校で滞りなく必要なものを提出し、ことなきを得たのですが、その際に担任の先生が、こちらのミスにも関わらず「わざわざすみません」「ご足労おかけして申し訳ありません」と、何度も「ごめんなさい」を連発するので、ちょっと戸惑ってしまいました。

自分に非があってもそれを素直に認めることなく、常にディフェンス全開の姿勢で言い訳から入る外国人ばかり相手にしてきたせいでしょうか、日本人は自分のミスでもないのに、こうして謝るのは何故なのだろう?などと、つまらないことを考えながら、学校を出ました。


この時、すっかりお菓子のことを忘れていた私は、大慌ててざわついていた気持ちを落ち着かせるために、カフェでゆっくりお茶を飲みました。

そして、その後にたまたま通りかかったドンキホーテに迷い込んだのです。

ここにはお菓子の大袋がたくさんあります。普段はデパ地下でお菓子を調達していますが、コンビニスイーツだろうが、スーパーのお菓子だろうが、なんでも食べる雑食系スイーツおばさんです。ドンキホーテのお菓子も例外ではありません。

夫がおつまみがわりに食べるお菓子など、大きなエコバッグいっぱいに買い物をし、テクテクと歩いていると、突然思い出したのです!

本日発売のお菓子⁉︎

時計を見ると正午を少し回った時間でした。思いのほか、長くドンキホーテでフィーバーしていたようです。。。

11時が開店時間なので、まだ余裕だろうと、ちょうど通り道だったこともあり、そのお店に寄ってみたところ、なんと売り切れ⁉︎

聞いたところによると、開店15分で売り切れたというではありませんか!


はぁ。。。


ものすごく落ち込みました。

お菓子に限らず、私は自分が計画した通りに物事が運ばないと、とても気に病むという融通のきかないところがあるのです。

帰る道すがら考えました。

何故、このような事態になったのか?

遡れば昨日の朝です。まるでドラマ『24時間』のように、時計を巻き戻すと、ことの発端は昨日娘の付き添いで病院へ行き、それと同時進行でお菓子のネット販売に参戦したことにあります。

この一件で、普段は放任している怠け者の脳味噌を酷使してしまいました。
普段あまり動かない人がいきなり運動をするととても疲れるのと同じで、私の過保護な脳味噌もかなり疲れてしまったようです。
私は自分の中にほんの少しだけある集中力や判断力といったものを使い果たしてしまったのです。

何か大切なことをする時には必ず必要となる能力が失われ、それが完全チャージされない状態のまま新たなことに着手したのがいけませんでした。。。

あるべきものが抜け落ちた状態のまま、大切な書類をチェックしたせいで、本来であればあり得ないような単純なミスを犯してしまったのです。

さらには、この重大なミスが今朝の予定を狂わせるという事態を引き起こし、最終的に大切なお菓子の入荷日を忘れるという結果に至った。。。

めでたく原因解明です。


本来、女性はマルチタスクであるといいます。私もそれを疑ったことはありませんでしたが、身の回りにあるもの、起こること全てを上手にコンプリートするためには、心身両方の体力が必要であると、この度初めて知ることとなりました。


本日販売のお菓子を逃し、「哀」となった今日ですが、帰宅してみると、お取り寄せしていたお菓子が届いていました。
このお菓子は、世界中にある無数のお菓子の中で、「今一番食べたいお店のお菓子」として、この半年あまりトップの座に君臨し続けているお店のものです。

それが今日届くとは⁉︎


人生、山あり谷あり。。。


谷底に転落したと思ったら、次の瞬間にはお山の天辺です。

思えば、この人生そんなことの繰り返しでした。

お菓子云々などという生優しいものではなく、もうこの人生が終わるかもしれない、そんなふうに悲観する出来事もありました。。。

しかし、本当に悪いことばかりではありません。
悩んだり、落ち込んだりすることもありますが、それでも生きていれば必ず心が明るくなるような出来事にも出会えるものです。

諸行無常。。。

物事は常に移り変わっていくもの。

今日が最悪だと思っても、それは永遠に続くものではありません。

だから、、、

またチャレンジしてみましょう。

明日の朝は、今日逃したお菓子を絶対にゲットします。





ちなみに、今日はイギリスのミュージシャンであるSting(スティング)さんの生まれた日です。

Sting といえば、あの『Every Breath You Take』、邦題ですと『見つめていたい』で知られるPOLICE(ポリス)です。


この歌は今でも歌詞を暗唱できるくらい、過去に何度も歌わされた曲でちょっと思いいれがあります。
イギリスに渡ったばかりの頃、女教師が授業のたびにこの曲を流し、「さぁ!みんなで歌うわよ!」と、強制的に合唱させられた曲なのです。

まだ純粋だった若かりし頃の私は、「これも英語のお勉強のうち!」と、一生懸命に歌いましたが、今にして思えば、その女教師はスティングさんのファンで、ただ彼の曲を四六時中聴いていたかっただけなのかもしれません。


私がロンドンへ渡った頃、すでにポリスは閑散していましたが、スティングさんはソロでも大変な活躍していました。

中でも『English Man In New York 』は代表的な一曲と言ってもいいでしょう。

ロンドンの小雨降る、フォギーな街をひとり歩きながら、この『English Man In New York 』を、

「ジャパニーズガール イン ロンドン〜」

と、字余り上等とばかりに、替え歌を作り、ルンルンと歩いた頃が懐かしく思い出されます。

そんなスティングさん、もう69歳ですって⁉︎

自分も歳をとるわけだなと、つくづく時のうつろいを感じるのでした。。。

ヤマカンとタイミングで勝利した「喜」

2020年10月1日(木)

今日からいよいよ10月に突入しました。今年も残すところ3ヶ月と思うと、新しい手帳のことに始まり、クリスマスディナーの丸鶏の大きさ、大晦日の蕎麦は何割蕎麦か、さらには正月のお節はいくらのものにするかなど、数々の重要事項が頭に浮び、妙な焦りを覚えます。

どれだけ気が早いのか?と思われるでしょうが、アラフィフにとって、月日は光の速さに匹敵するスピードで過ぎていくのです。

ボヤボヤしてはいられません。。、


そんな10月の始まりですが、東京では「都民の日」ということで、学生などは祭日モードです。

あいにく朝から雨模様。低気圧の影響か若干の寝不足か、子供のお弁当を作らずに済む気楽さからか、爽やかとはほど遠い、とても気怠い目覚めでした。しかし、主婦にお休みはありません。

嘘です。休もうと思えば休めますが、今日は朝から娘を病院へ連れて行く予定があったので、のんびりしていられないだけでした。

もう一つ、心に引っかかっていた案件がありました。
それはお菓子です。





このブログを始める3年以上前から書き続けている『お菓子を巡る暮らしの雑記帖』というメインブログがあるのですが、そちらを見ていただければわかるように、私の生活は日々お菓子を食べることで成り立っていると言っても過言ではないほど、お菓子を食べまくっています。

当然、そんなお菓子は自分で調達するのですが、これが時に憂鬱なほどに困難を伴う事態となることがあるのです。

人気のお菓子、生産量の少ないお菓子などは、激しい争奪戦が繰り広げられることがよくあります。
お店まで足を運ぶのなら問題はありません。どうせ暇なのですから、どんなに早朝であろうが、開店前から並べは済むことです。
問題はネットでのお取り寄せです。


今時の若者は物心ついた時からネットとはお友達。我が家の子供達を見ても、小学生の時にはすでにiPhoneを持ち、パソコンを弄りまわしていました。
そんな若者と比較すると、こちらにはハンデが生じます。

なんと言ってもポケベルエイジ、パソコンではなくワープロ育ちですから。。。

タイピングひとつとっても、そのスピードは雲泥の差であり、ネットでの購買競争となると、かなり不利になることは過去の経験から重々承知しているのです。


今日は中部地方にある某洋菓子店が、月に一度お菓子の注文を受け付ける日でした。

私はその店のクッキーが大好きなので、新作が出ると購入するのですが、先月は外出していたため、争奪戦に敗れました。
新宿三丁目のカフェで参戦した4Gでの戦いでは、最初から勝ち目がないことはわかっていました。。。

次のチャンスを!とかたく心に誓ったのですが、その次のチャンスが今日だったのです。。。


自分の予定なら当然変更できますが、娘を病院へ連れて行くという突発的なものでは避けようがありません。

なぜ、それが今日なのか⁉︎
なぜ、お菓子の販売日と重なるのか⁉︎
恨めしい気持ちでした。

しかし、受験生である娘はいつも忙しく、都民の日である今日は、彼女にとっても病院へ行く唯一のチャンス日です。

高校3年生にもなれば、一人で病院くらい行けるだろう。当然そう考えるところですが、我が家行きつけのクリニックでは、18歳未満の学生は親同伴でないと診察はしてもらえないというルールがあるのです。

想像するに、外国人が多いエリアのせいでしょうか、責任問題が生じる可能性のある事案については、非常に神経質なのかもしれません。

そんなわけで、私とって月に一度、しかも今回は限定のハロウィン物が出るという唯一のチャンスである日に、娘の病院がかち合ってしまったのです。





お菓子VS子供

どんなに子供じみた母親でも、当然子供の用事を優先しないわけにはいきません。。。

そこでさらに作戦を練りました。

販売時間はサーバーの負荷を避けるため、特定されておらず、◯時から◯時までと決められた4時間内でゲリラ的に発売されるという、出し抜け戦法が適用されています。

つまり、その4時間の間、サイトにかじりついていない限りは、いつ販売が開始されるかわからないということです。

よし、運次第では誰にでもチャンスはありそうだわ。これはトライする価値あり。

私は運だけはいい人間です(前回はしくじりましたが)。

病院内でスマホをいじるのは、ご法度なケースが多いですが、幸いなことにこのクリニックでは、誰もがスマホを手にしています。スマホどころかマッカー(カフェなどでアップルPCを使用している人)までいるので問題はなさそうです。

こうして私は娘を連れ病院へ行きました。
待合室で待っている時もそのサイトを監視です。
ここからは、もはや「運」。

カートが開かぬまま、時間は過ぎていきます。

診察中にオープンしたら、完敗だ。。。
同じ画面をリロードしていると、ようやく娘の名が呼ばれました。

ここでスマホをバッグの中に収め、医師の話にもっともらしい顔で頷いているとき、ある閃きがありました。

10月といえばハロウィン!

10月31日。。。

これを時間にすると10時30分です。

わかったわ!今日の販売時間はその時間に違いない!

なんの根拠もないただの閃きでしたが、私は自分のヤマカンに従うことにしたのです。

その後、ちょうど診察が終わり、お会計の待ち合い室に腰を下ろしたのがちょうど10時30分少し前でした。

すかさずサイトを開いてみると!!!

販売が開始されていました。

脱兎の如くお目当てのお菓子をカートに入れ、購入決定へ向かいます。

購入手続き途中で、名前を呼ばれでもしたら、これまでの策も水の泡です。
いつもは、早くー!などと思うのですが、今日ばかりはゆっくり会計しておくれ!です。

サーバーはそれほど重くなく、4Gでも問題ないスピードです。

そして、とうとう「ありがとうございました」の文字と共に、確認の自動メールが届いたのでした。

次の瞬間、お会計のカウンターから名前が呼ばれました。

おお!なんというグッドタイミング!

ヤマカンが当たったわ。。。

ぴったりではなかったけど、ほぼ当たったと言ってもいいでしょう。

そして、何よりも診察中やお会計時などを避けることができたというタイミングのよさ!

運もいいけれど、感もいいと信じて疑わず生きてきましたが、そのエビデンスをまた一つ、クッキーと共にゲットしたのでした。

子供と天秤にかけては当然勝ち目はなしと、半分ダメ元のトライでしたが、


過剰な期待はしない。

できることはやる。

そして、運を天に任せる。


そんな、思えば我が人生そのものといったやり方で、欲しいものを手にしたのでした。

物事を深く考え過ぎず、できることは全力でやり、あとはどうとでもなれ。

そんな大雑把な生き方でも、50を過ぎたいま、これと言った不満もなく、なかなか幸せに暮らせている。

これからもそれは変わらないでしょう。

とりあえずは、また新しいお菓子が届く喜びをかみしめた一日でした。





ちなみに、今日はフリーアナウンサーであり、現在は衆議院議員小泉進次郎さんと結婚し一児の母となった、滝川クリステルさんの生まれた日です。

滝川さんはフランスと日本のミックスということから、同じミックスの子を持つ母として、「斜め45度」の頃から注目していました。

あの美貌で三カ国語を操り、「お・も・て・な・し」で、和の心とインターナショナルの融合を体現させて見せたクリステル。。。

挙げ句の果てに、元内閣総理大臣である小泉純一郎氏の次男で、これまた「セクシィー」な言動で注目の進次郎氏を射止めたという、大金星を上げたのです。
まさに天晴れといってもいいでしょう。

個人的には次男よりも、俳優である長男の孝太郎氏の方が好感が持てるので、こちらと一緒になってくれていたなら、さらに株が上がっただろうと思うのですが。。。
そう思うのはおそらく私だけか⁉︎

それはさておき、お子さんも生まれて幸せなのと同時に、今後も様々なことがあるでしょうが、違う国の血と文化を持って生まれた者の代表の一人として、輝いた姿を見せ続けて欲しいと思うのでした。

衣替えの「楽」

2020年9月30日(水)

早いもので今日で9月も終わりです。
明日からはもう暦の上では神無月、英語で言えばOctober 。そして、衣替えの月でもあります。

今朝、起きるととても寒くて、何か羽織るものはないかと探しましたが、秋冬に着られるものはまだ収納の中。
仕方がないので、プルプルと小さく震えながらお弁当を作ったのでした。

まだまだ暑い日があるだろうと油断していましたが、いきなりのカウンターパンチを食らった朝でした。
幸いなことに今日は秋晴れの良い天気ということで、早速衣替えをしました。


衣替えと言っても、所有している服はそう多くないので、割と簡単に済んでしまいます。
ここ数年、断捨離と称して余計だと思われる服はその都度処分していたので、秋冬物はトップスを入れ替える程度です。
アウターなど嵩張るものは、クローゼットの中にハンガーにかけて収納してあるので、扉を開けばすぐに着られます。


それにしても、私はいつからこんな質素な人間になったのか。。。





若い頃は人並みに溢れ返るほどの服を所有していました。
当時はデザイナーズブランドが全盛期で、国内海外のブランド問わず、誰彼もがブランドの服やバッグなどを身につけているような時代でした。

今から思えば、二十歳にも満たない子供が、なんという贅沢を!と思います。
しかし、当時本人にその自覚はありませんでした。日本においては、それが普通のことだったからです。

この認識が崩れたのは、海外へ出た時でした。旅行と違い、現地で暮らすということは、その土地で暮らす人々の価値観を共有するということです。

そこでは、年若い娘が何十万もするような服やバッグを身につけることは、普通ではありませんでした。
ブティックへ入っても、扱いは当然よくありません。お金のあるなしではなく、若いというだけで、それを身につける資格さえ与えてもらえないといった雰囲気がありました。


当時周りにいたヨーロピアンの友人達も、いつもTシャツにジーンズ、スニーカーという質素な格好をしていました。
しかし、そんな質素な出で立ちでも、何故かあちらの方がすると素敵に見えるのですから、ズルイものです。

とにかく、そんな友人達と過ごすうちに、私も以前のような激しい物欲にとらわれることが少なくなりました。

数年後に帰国したときには、かつての友人達が「どしたの⁉︎」というくらいに、野性味たっぷりな女になっていたのです。

その後、結婚し子供を持つようになると、再び少しはお洒落をしてみようという気になってきました。
人並みに小綺麗な服を着てと、また東京モードに戻り、もう年齢的にも許されるだろうと、再度ブランド品なども所有するようになりました。


しかし、ここで2度目の転機が訪れたのです。
40代になり、2度も立て続けに病気をしたのです。しかも、2度目の病気のときは、かなりの大病で、初めて己の死というものを意識した時でもありました。

そんな経験をしてからでしょうか、欲というものが消えていったのです。
ただ、健康で笑って暮らせればそれで御の字。そう考えるようになりました。





今でもそれは変わりません。
断じてミニマリストではありませんが、物を所有することに、それまでのような満足感を得られなくなっていたのです。

どんな物を身につけようが、幸せのレベルには大差がないと思うと同時に、自分が本当に求めているものは果たして何なのか?マテリアルで自身の幸せを買い集めることはできない!など、そんな悟り切ったことを語るようになっていました。

これで頭を丸坊主にし、白く長い髭でも生えていたら、まるで俗世の欲にまみれた後に改心した修行中の仙人もどきです。

とにかく、再び生きる権利を与えられた私には、自分が快適に暮らせるものさえあれば、それで充分だったのです。


洋服にしても、かつてのものは処分し、今は春夏は白か薄いベージュ、秋冬は黒かグレーの服しか着ません。
そしてデザインも同じようなものを何枚か揃えるか、基本的には同一デザインで白、グレー、黒の色違いを揃えるという、まるで面白味のない選び方をしています。

アップルの故スティーブン・ジョブスではありませんが、今日は何を着ていこうか?と朝からファッションショーをするのが面倒なのです。
決まっていれば、迷うことなく着替えるという行為を簡単にクリアできます。

ブランド物のバッグなども、状態のいいものは娘に全て譲り、あとは処分しました。

唯一、アクセサリーや腕時計など、宝飾品だけは現在も使用しています。
これはある意味保険でもあります。もしもお金に困ったときは、すかさず現金化できるために手元に置いているのです。





我が家の夫は未だに物欲全開で、一緒に買い物などへ行くと、あれもこれもとショッピングを楽しんでいます。男のくせに買い物が大好きなのです。
自分ばかりが浪費しているようで気がひけるのか、私にも「何か欲しいものがあれば買えばいいのに」と言います。

金の延棒でも買っていいのなら買いますが、服やバッグならいりません。それに必要なものは言われなくても買っています。つい先日も靴を買いました。
お菓子だって、欲しいだけ買っていますからね。

きっと、かつてあった物欲は全て食欲へと移行したのでしょう。昔から食欲は旺盛でしたが、ここ数年はもはや食欲以外の欲は全て消滅したか?というくらいに、食べることだけが楽しみになっています。

あれれ。。。?

何にも欲しいものはない!などと大きなことを言いましたが、前言撤回です。
私は毎週のようにデパ地下でフィーバーしているではありませんか⁉︎

食欲も「欲」の一つです。仙人どころか、食に関しては非常に強欲な人間です。

嘘を言ってすみません。。。


いずれにしても、衣替えをしても、太りすぎて着られる服がない!などということになると、欲しくもない服を買うことになるので、それだけは要注意

今回はコロナ太りはしたものの、なんとか秋までには戻すことができたので、今シーズンはクリアです。

私の衣替えは、寒くなったらこれが着られる!という「楽しみ」ではなく、簡単に終わったわという「楽」な衣替えなのでした。





ちなみに、今日はイギリスのミュージシャンであったMarc Bolanマーク・ボラン)の生まれた日です。

いまのお若い方にとっては、よほどグラムロックなどに傾倒していない限りは、きっとご存知ないミュージシャンだと思います。
それこそ、私がマーク・ボランの音楽に出会ったとき、すでに彼はこの世にいませんでしたから。

私にとってブリティッシュロックの入口はエルビス・コステロでしたが、その後デヴィッド・ボウイをしるところとなり、その流れでのTレックスマーク・ボランでした。

ビジュアル的にグラムロック系の方々のメイクなど、それがあの美しかったボウイでさえ、あまり好みとは言えませんでしたが、あのメロディアスでポップな音楽に10代の多感だった少女はすっかり夢中になりました。

横浜銀蠅命!な硬派なクラスメイト達から、「そんなの聴いてて面白いのか?」と、まるで変人でも見るような視線を送られていたのを思い出します。
いじめのようなことをしていた不良でさえも、極端な異端児は薄気味悪い存在だったようです(笑)

私が20代でイギリスへ渡ったのも、この音楽を肌で感じてみたいという、心の隅にあった願望を数年後に実現させたものだったのです。

今では全く聴くことなくなったマーク・ボランですが、今日久しぶりにTレックスを聴きました。

ただ、悲しいことに10代の頃のような熱狂を自分の中に感じることはありませんでした。

40年近くも経過していれば、感受性というアンテナも老朽化したのでしょう。。。

チューリップの球根を植える「楽」

2020年9月29日(火)

ここのところ毎日よいお天気が続いています。
あまり天気に気分を左右される方ではありませんが、スッキリとした秋晴れの日は気持ちよく、活力も出てきます。


今日はようやくチューリップの球根を植えました。

しばらく前に夫が買ってきたものです。
花束のプレゼントならまだわかりますが、球根を贈るなど聞いたことがありません。
しかし、長年連れ添った夫にはわかるのです。私が喜ぶのはどちらなのかが。

今年の猛暑で、ベランダ花畑計画(ベランダに並べたプランターに色とりどりの花を咲かせる)が思うようにいかないどころか、毎年しっかり咲いていた花さえ枯れる始末。

多肉植物には水をあげ過ぎたせいで根腐れさせと、もうにわかガーデナーはやめたわ。。。と、すっかり不貞腐れていたのですが、夫はベランダに花が咲いているのを見るのが好きだったようです。

「また、なにか種を植えたら?」

などと、持ちかけてきていましたが、こんなに暑くちゃどうせまた枯れるわよ。と、ベランダガーデニングを片付けてしまっていたのです。

ところが。。。

枯れたと思っていた金木犀が、なんと息を吹き返し、新しい青々とした新芽を古い幹から芽吹かせ始めたのです。

おお!なんという生命力!

これに気をよくした私は、枯れる寸前に採取しておいた「金の成る木」の葉を植えて、根付くのを待つことにしました。

そしてコスモスは時期を逃したから、冬にはどんな花を咲かせることができるだろうか?と、再びベランダお花畑計画に乗り出したのでした。

そんな時に夫がもってきてくれたのが、チューリップの球根でした。






大きすぎて持て余していた鉢植えに、球根を植え、話しかけます。

「冬の寒さに耐え、来年にはピンクか黄色のチューリップを咲かせておくれ」

何色の球根を買ったのだか、パッケージもありません。ただ裸の球根だけもらったのです。そして夫自身もチューリップということ以外は知らないといいます。
きっとどこかの園芸店でセール品として並んでいたのでしょう。

しかし、それは全く問題ありません。

何かを育てる醍醐味とは、その変化と成長の度合いを日々確認できるということ。そして、とりあえずの「ゴール」が用意されていることです。

このチューリップが何色であろうが、芽が出て、伸びて、蕾ができ、それが膨らみ、やがては花を咲かせる。そして、枯れる。

そのプロセスをつぶさに観察することこそ、私の求めるところなのです。

クライマックスはもちろん開花した時ですが、それがだんだんと萎れ、終わりを迎えたときこそが、ゴールの時。

まさに感無量となる瞬間です。

「育てる」という行為は、とても難しいものですが、それ以上にやりがいや喜びがあったりもします。

花でも子育てでもそれは同じ。
いいことばかりではないけれど、試行錯誤しながら進むプロセスの中で、とんでもない喜びを得ることもできます。

私はそろそろ子育て卒業なので、今度はのんびりと花や木でも育てながら楽しもうと思ったのでした。





ちなみに、今日は韓国人俳優であるウォンビンさんの生まれた日です。

「ビン」といえば、いまやヒョンビン。しかし、こちらはウォンビンです。

昔々、まだ韓流の大波がこの日本に押し寄せる前、そよそよと打ち寄せている程度だった頃でしょうか、友人が「この人のファンなの」と見せてくれたのがウォンビンさんでした。

韓流にはまるでうとかった私には、よくわからなかったのですが、その後「韓流四天王」の一人に数えられる存在となり、「韓国のキムタク」と言われるくらいの人気者となったそうです。

最近、遅ればせながら私も韓流ドラマを楽しむようになりました。コロナ禍の自粛期間中にどっぷりとハマりました。

しかし、人気のドラマにもはやウォンビンさんはいません。「四天王」と謳われた他の方々の姿も見えません。

世代交代という言葉が頭に浮かびます。
どんな世界でも、その時代を代表する顔は変わるもの。
ましてや、回転率の異常に早いと思われる韓国芸能界では尚更でしょう。

今更ながら、「ウォンビンのいま」を調べてみたところ、やはり目立った活動、つまりドラマや映画への出演はあまりないようです。

イケメンな若者を観るのも福眼ですが、男性にとっては40代も素敵な年齢です。
ウォンビンさんの全盛期を完全に逃した、乗り遅れた韓流ドラマファンにも、もう一度チャンスを!
ちょっと大人な姿を再び見せて欲しいものです。

追記
9月29日は韓国の旧暦によるもので、新暦だとウォンビンさんのお誕生日は11月10日になります。
プロフィールなどを見ると、ウォンビンさんの場合はどちらも出てきますが、今回は旧暦としましたので、あしからず。。。