365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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DNAの奇跡に「喜」

2020年10月3日(土)

今日も暑いくらいに日差しの強い、よいお天気の東京でした。

家族がそれぞれ外出予定だというので、私も昨日逃したお菓子を買うついでに、少しふらふらしようと、久しぶりにウォーキングに出かけました。

40分ほどウォーキングをし、お菓子屋さんをのぞいてみると、開店前にも関わらず整理券を配布していました。
それを一枚いただいて、これで目的を達成したも同然!と、ようやく心に溜まった昨日からのモヤモヤを払拭したのでした。

どんな小さなことでも、目的を達成した時の晴々とした気持ちは、なんとも言えない爽快さがあります。
だからこそ、「目的をはっきりさせましょう!」ということが言われるのかも知れません。

私の場合は「目的」などという立派なことではなく、「欲求」ですが。。。

欲しいと思ったものは、あらゆる手を尽くして、なんとしてでも手に入れようと考える、ちょっと厄介なところが私にはあります。

もちろん、世の中には手に入らないものもあります。
ただ、自分の身の丈に合ったものを求めている限りは、大方手に入るものだと思っています。

若い頃から欲しいものは必ず手に入れる!そう思って、なりふり構わずそれを実現してきたせいか、今でも往生際悪く生きています。

最近は歳のせいか、以前ほどの貪欲さは薄れ、「仕方ないか」と諦めることも覚えました。
そして、そんなふうに諦められることが、どれだけ心安らかでいられるかも知りました。
歳をとって楽になることもあるのです。

そんな風に安心していましたが、思わぬところで余波が発生していることに気づいたのです。

それは我が子達です。

この娘達、かつての私のように、欲しいと思ったものは、なんとしてでも手に入れようと、あの手この手で自分の思いを通すことに、日々必死になっています。

そして手に入れては、また新たな獲物目掛けて猪突猛進。。。
見ていてもあまりに度が過ぎるので、

「少しは諦めることも覚えなさい」

そうもっともらしい顔で嗜めるのですが、思えばそれはかつての私の姿そのものです。

誰が教えたわけでもありません。むしろ、自分を反面教師として生きていって欲しいと願っているくらいなので、私とは似ても似つかない人格となるよう育ててきたつもりです。

しかし、そんな私の願いに反し、成長するうちに、2人ともがどんどん私のようになっていきます。

親の姿を見て育ったからといって、同じような人間になるわけではありません。
多少の影響はあるでしょうが、むしろ見ていて感じるのは、私から受け継がれた遺伝子というものです。


欲しいものは、なんとしてでも手に入れようと足掻く、その行動パターンなど、細かいところまで観察すると、DNAがそうさせているとしかおもえません。

あのスッポン並みの執着心、そして秋の長雨のごとき往生際の悪さは、紛れもなく私なのです。

彼女達の中に見るそれは、間違いなくこの母のDNAと言って間違いなさそうです。

諦めることができないということは、いつも心の中に空のエコバッグを持ち歩いているようなものです。手に入れた物を入れるためだけに持っているバッグは、その中が満たされなければ用をなさないのです。

バッグを満たすために、全力で手を伸ばし続ける気苦労は、安心とは真逆にあるもので、私が散々経験してきたことなのです。

親としては、そんな生き方はして欲しくないと思っていますが、こればかりは仕方がないと諦める他ないでしょう。





DNAとは不思議なものです。

まさに、丁と出るか、半と出るか、博打のようなものです。

丁(偶数)が前記のようなものであるなら、奇跡ともいえる半(奇数)が出ることもあります。

今日、偶然街で会った娘の姿を見た時、改めてそれを感じました。

それは、私がウォーキングから戻る途中の出来事でした。
向いから鮮やかなグリーンのワンピースを着た若い女の子が歩いてきました。

「おきれいね。若いっていいわぁ〜」

などと見ていると、その女の子がこちらに向かってひらひらと手を振ってくるではありませんか。

思い切り眉をしかめてフォーカスを合わせてみると、それは我が娘だったのです。

私はど近眼で、普段は眼科医が許すギリギリ過矯正コンタクトを使用していますが、ウォーキングの際は、コンタクトよりも度の緩い眼鏡を使用しているので、遠くがよく見えませんでした。。。

手前味噌ですが、外で見る娘は輝くばかりに美しく、これが本当に私の身体から出てきた人間なのか?と、自分でも出産時の記憶を掘り起こしてみるほどです。

成人してからは、私よりも高価なものを身につけ、私よりもずっと美味しいものを食べている娘に、「100年早い!」などと嫉妬半分お小言を言っていますが、この若さと美しさがあれば、そうなるのは必然かと、なんとなく納得してしまいました。

しかし、残念なことに、私に似ているわけではありません。私はごくごく普通の中年女です。

つまり、これは遠く離れた外国の遺伝子がミックスされたことによる悪戯のようなものなのです。

「ハーフ」と呼ばれる、外国人とのミックスは、今では珍しくありませんので、普段はあまり娘の容姿に注視することもないのですが。。。

今はテレビを見ていても、ハーフタレントをたくさん見かけますが、みなさんおキレイです。
先日も毒舌ハーフタレントの女の子とすれ違いましたが、目を見張るほどの美人さんでした。

「おっ!ここにもDNAの奇跡がいるわね」などと心の中で思いながら、ついついその美から目が離せませんでした。
一点凝視を決め込むとは、気持ち悪い人だわと思われたことでしょう。

我が家の娘も然りです。
あれは私の遺伝子などではなく、明らかにDNAの不思議が生み出した奇跡なのです。

私が差し出したのは、きっとハンバーグを作る際に加えるナツメグくらいのものでしょう。
透明感のある白い肌に亜麻色の髪、薄い瞳の色と整った顔立ち。さらに、腰位置の高さや膝下の長さなど、私的要素はどこにも見つけることができません。

よく、お友達から「お嬢さん、本当にキレイね」などとお褒めいただくのですが、その際に「私に似てるかしら?」と尋ねると、みなさん決まって、「雰囲気が」とか「仕草が」など、抽象的な言葉で誤魔化そうとします。

つまりは似ていないのです。

やはり私はナツメグで、肉や玉ねぎといったメインの素材はすべて夫側遺伝子によりもたらされたものなのです。

自分の子供を褒めていただければ、それは悪い気はしませんが、正直言えば、自分のことを褒めていただいた方が、よほど嬉しいです。

私の友人にやはりハーフの娘を持つ人がいるのですが、その人に至っては、自分の娘の美しさに本気で嫉妬して、常に敵視しているため、親子関係もあまりよくないといいます、

私はナツメグであると自覚しているので、娘に対してそのような感情をもったことはありません。むしろ、子供を授けてもらっただけで、幸運であると思っています。

このDNA、丁と出るか、半と出るか?

結果的には勝ったり負けたりといったところでしょうが、一際美しく成長した娘の姿を見るのは、ナツメグにとっても嬉しいものなのでした。。。





ちなみに、今日は女優である石田ゆり子さんの生まれた日です。

石田さんと言えば、もはや「アラフィフの星」といえるほど、中年女子憧れの存在ではないでしょうか。

元々美しい方ですが、加えてあの少女のような仕草と透明感は、我々中年女子が喉から手が出るほど欲しているものです。

芸能人は若い頃から時間もお金もかけ、メンテナンスをするのが普通です。それはビジュアル自体がビジネス、飯の種となるからであり、それは至極当然のことです。

しかし、50も近くなれば、さすがにメンテナンスバッチリだけでは、補正できなくなってくるものです。
スポットライトでギリギリ姿が見えるくらいまで真っ白にし、光でシワから何から何まですっ飛ばしてしまう女優さんも多くいます。

しかし、石田さんはそんなアーティフィシャルな小細工もせずに、時に目の下のクマを見せ、目尻のシワもこれが可愛いのよ!とばかりに露わにします。

同じアラフィフのシワなのに、同じクマなのに、何故こうも違うのか⁉︎

この説明のつかない自然美は、まさに先天的素材のよさという以外思いつきません。

これはいくら憧れようが、真似をしようが、到底手の届かないものと受け入れるが身のためです。

どんなにアンチエイジングに時間やお金を費やしたとしても、持って生まれた素材のよさには太刀打ちできません。

石田ゆり子」にはなれないのです。

それでも、石田ゆり子さんをウォッチングするのは決して無駄にはなりません。

あの透明感は無理だとしても、多少の清潔感を意識する気付け薬くらいにはなるはずです。

石田ゆり子さんのインスタでもたまにのぞけば、少しでも小綺麗なアラフィフでいるためのモチベーションにはなることでしょう。