365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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許すことができなくても、時間が解決してくれる「楽」

2020年10月31日(土)

月日が経つのは早いものです。。。
今日で10月も最後となり、今年も残すところラスト2ヶ月となりました。

世間では「ハッピー、ハロウィン〜」と盛り上がる日ですが、私にとってはただの10月最後の日です。

子供達は出かけましたが、私は特に何をするでもなく、大きな土鍋いっぱいに作ったおでんをひたすら食べて過ごしました。


一昨日の夫婦喧嘩はまだ尾を引いています。
と言いますか、私が執念深くも根に持っているだけで、夫の方はどうやら穏便に済ませたいと、いつものように平謝りしています。

しかし、ここで簡単に心を開いては、「こんなもんか」と軽く受け取られかねないので、私は寝ている姿しか見せません。

眉間に皺を絶やしてはならぬと、必死で険しい顔で寝続け、夫がちょこっと出かけたすきに、おでんを食べまくっていました。


普段、私は家族の誰よりも早く起き、誰よりも遅く寝ているので、これは我が家にとっては異常事態です。

いつも動き回っている人間が、突如まったく動かなくなる(本当はこっそりおでんを食べているのですが)。。。

この変化に夫は危機感を募らせ、娘に「マミーは大丈夫だろうか?」と探りを入れてきたそう。

しかし、娘たちは私の手先であり優秀なスパイです。
手助けはしないとばかりに、さっさと出かけてしまいました。





さて、どうしたものか?

許すというのは、簡単なようで難しいものです。

許すことで自分も救われる。

それはよくわかります。
いつまでも心に怒りや蟠りを抱えているのは、その本人にとっても苦しいものです。
許すことで心の重荷を解き放ち、相手も自分も楽になれると。。。

しかし、私は神でも仏でもありません。そしてかなり執念深き蛇のような一面も持ち合わせています。

そう簡単に許してしまっては、自分自身のプライドのなさを嘆き、今度は怒りの矛先が自分に向いてくることでしょう。

怒りのコントロールとはなかなか難しいものです。。。


許すとはその怒りを手放すことだとも言われます。

しかし、怒りは手放せても、新たに湧き上がる思いもあるのです。

怒りの感情も一つではありません。そこには悲しみや悔しさなど、他の感情も混在しています。

それら全てを手放すことが許すということなら、私にとってそれはとても難しいことです。

人を許すことは、自分を許すこと。

そんなことが言われるのは、執着する心を解き放つことこそが、許すという意味になるからなのでしょうか。。。





理屈ではわかっていても、どうしても許せないということもあります。

私のようにくだらない夫婦喧嘩はお話になりませんが、人生を台無しにされるようなことがあれば、おいそれと許すことなどできません。

それこそ報復でもしない限りは、腹の虫が治らないというくらいの怒りもあるでしょう。
さらにはそれ以上の怒りも存在します。。。

そんな時、「許す」ことの意味など、詭弁であると思うはずです。

私にもそんなことの一度や二度は過去にありました。

しかし、今では怒りもわだかまりも全て消えています。

なぜかといえば、それは「時間」です。

「時間が解決してくれる」

よく聞く言葉ですが、これは本当です。

どんな怒りも悲しみも悔しさも、時間の経過と共に薄れ、やがて自然と消えていくのです。

無理に許そうなどとは思わないことです。
そんな聖人君子になる必要はありません。

ただ、その苦しみに耐えていくうちに、いつか忘れられる時が必ずきます。

永遠であるものなどこの世には存在しません。
物事は常に移り変わり、自分もまた変わります。
そうしているうちに、かつてあった激しい怒りや悲しみは、跡形もなく消えていきます。
事実は消えませんが、自分の中にわだかまっていた感情が消え、楽になれる日が必ずくるものです。

昨日までの私の怒りや悲しみも、少しの時間の経過によって薄れてきています。

まだ一緒におでんを食べようとまではいきませんが、私の心もまた楽になってきているようです。





ちなみに今日は、「曲線の女王」と呼ばれた世界的建築家、ザハ・ハディドさんの生まれた日です。

ザハさんの名を一躍有名にしたのは、東京オリンピックに向け新たなデザインが募られた国立競技場のコンペでしょう。

もちろん建築関係界隈では十分に知名度のある方だったでしょうが、そんな世界とは無縁である私にとっては、初めて聞くお名前でした。

私が知る建築家といえば、丹下健三氏や黒川紀章氏、安藤忠雄氏、隈研吾氏あたりしか存じ上げておりませんでしたので。

国立競技場のコンペで見事選ばれたザハさんですが、のちに予算オーバーが原因とかで白紙撤回されたりと一悶着ありました。

このあたり、最初から予算ありきではなかったのか?予期せぬ資材の高騰等、いろいろな理由は囁かれていますが、そんなことは想定内ではなかったのかと、素朴な疑問が湧いてきたりもしました。
なんとなくそれ以外の事情があるような。。。そんな臭いもするので、その辺は言及しないでおきましょう。

そして、結局のところはザハさんのデザインとはかけ離れた国立競技場が出来上がり、正直ガッカリ。。。
おまけに新型コロナで東京オリンピックも延期となり、まるでドミノ倒しのようにバタバタオリンピックの様相を呈しています。。。


それはさておき、彼女が過去に手がけた建築物を見ると、大胆でありながら、女性的とでも言いますか、さすが「曲線の女王」という異名をとるだけに、素晴らしい作品ばかりです。

あの、古き良き時代の流線形コルベットのような美しき曲線美を配した、胸躍るような近未来的なデザイン。
あれが出来たら、さぞ素敵だろうと思っていたので、誠に残念でなりません。

デザインのみならず建築物としての機能、つまりあんなとんでもない形をしていながらも、倒壊しない設計であるとか、私からしたら人間技とは思えません。

まるでミステリーサークルやナスカの地上絵のように、もしや宇宙人の作ったものではないか?と思ってしまうほどです。

それほどの才能を持ったザハさんですが、残念ながら2016年にお亡くなりになっています。
まだまだこれから活躍が期待されていた、稀有な才能を持った女性建築家です。
国立競技場を見るたびに、「残念」の言葉しか浮かびません。。。

自分を守る術を改めて考えられた夫婦喧嘩の「喜」

2020年10月30日(金)

今日はどうしても欲しいものがあって、朝から渋谷へ出かけました。

愛用しているゼブラの4色ボールペンの替え芯です。

黒だけがいつもなくなるので、他の色がなくなるまで黒い替え芯を買い続けます。

物は最後まで使い切る精神です。可能な限り無駄はだしたくありません。


「どうしても欲しいもの」とはいえ、朝霧払ってまで買いにいくほど、今がいま!と必要なものではありません。

それなのに朝早くから出かけたのは、家から出たかったからです。

昨夜、夫とくだらないことで口論をしました。口論とは言っても、私はほとんど黙っていて、夫が一人で騒いでいたようなものですが。。。

外国人というのはすぐムキになるので面倒です。自分こそが王様なりとでも思っているアングロサクソン様は、自分の言動は絶対であり、非は全て自分以外にあるとばかりにまくしたててくるのです。

20年以上にもなる結婚生活で、このようなことは初めてではありませんし、言ってみればいつものパターンとも言えます。

口論の発端となった原因もくだらないことですし、夫が怒り狂っている様子も滑稽にしか見えません。

夫婦喧嘩としては、なんら深刻でも特別なことでもないのですが、何故なのか昨夜から私の心にはヒューっと冷たい風が吹いているのです。

今更気付くのが遅い。。。

そう思いますが、もしかしたら私は自分とはまったく相性の良くない相手と結婚したのかもしれない。。。

それどころか、結婚自体するべきではなかったのでは?

そんなことを思ったのでした。

若い頃、私は結婚をしたいとも、子供が欲しいとも思っていませんでした。

それなりに収入もあったので、自分一人で好きなことをして生きていくというビジョンしかありませんでした。

しかし、魔がさしたのか、結婚という未知の生活に好奇心を揺さぶれたのか、気がついた時には2人の子供を持つ主婦となっていました。





夫との口論の中で、私は無職の主婦で夫の支えなしでは生きていけないと思われていることがわかりました。

それがとても心外でした。。。

夫婦の役割分担として、私に家事育児の全てを担って欲しい、そう専業主婦になることを望んだのは夫の方です。

その通り、私は外で働くことはやめました。もう20年以上前のことです。

もしも、仕事を続けていたら、きっと今の夫と同等くらいに稼ぐことができただろうと思っていました。
しかし、子育ては想像した以上に楽しく、試練に満ちた修行のようなものでもあり、それはそれで仕事で稼ぐことよりもやり甲斐があったなと感じているので、後悔はありません。


問題はなぜ夫は今になって、そんなことを言い出すのか?

20年以上ものブランクがある50歳を過ぎた女は、もはや夫と同等の収入を得ることは無理なのは誰もがわかることです。

それを今になって、夫はそれをまるで人質にするように、遠回しの絶対服従を求めてきたように思えたのです。

夫は私の貯金の額を知りません。

不動産など資産となりうるものの詳細も知りません。

いまでも、自分一人養う程度なら稼げる術があることも知りません。


それは、長年に渡る夫の無関心故なのだと気付きました。

夫は私が家を出ることなど、まったく想像できないのでしょう。
出て行ったところで、生活できるわけなどないと。。。

私が今と変わらぬ生活を、それ以上に快適な生活が送れるとは、夢にも思っていないはずです。

それを思うと、馬鹿にされたものだなと、心に冷たい風が吹くのです。

家を出ようなどとは思いません。
夫が自分の稼ぎなしでは生きていけないだろうと思っているのなら、好きなだけ人の稼いできたお金を遣ってあげましょう。

そうすれば、自分のお金には手をつけなくて済みます。

夫婦といっても他人同士です。
信頼はあれど、必ずしもそれが100%とは限りません。

お互いに、いつどこでどんな裏切りに遭うかわからないのです。

万が一の時のために、しっかりとしたプランと準備は必要不可欠であると改めて思いました。

家の中にいると悶々としてしまいそうですが、活気のある街を歩きながら考えていると、前向きに物事が考えられるようになります。

些細な夫婦喧嘩がきっかけとなり、自分を守る術について、あらためて考える機会が得られました。

喧嘩は褒められたことではありませんが、ポジティブに考えれば、新たなアイデアをもたらすきっかけとなりました。
それはそれで喜ばしいことだったのかなと。。。





ちなみに今日は、女優である仲間由紀恵さんの生まれた日です。

とてもお綺麗な方で、まるでかぐや姫のような黒髪ロングの仲間さん。私はとても好きな女優さんです。

他にも華やかな女優さんはたくさんいますが、この方のような上品で落ち着いた雰囲気を持った方はなかなかいませんね。

長年外国人と暮らしているせいか、歳を重ねるごとに、「日本」らしいものに美しさを見出すようになってきました。

そんな点でも、仲間さんはまさに「日本の女優さん」としての美を体現してくれています。

美人なだけではなく、演技もシリアスからコミカル、悪女まで、何をやらせてもハマるという味のある方でもあります。

結婚なさり、双子のママとなられた仲間さんですが、これからも素敵な姿をお茶の間で拝見したいと思っております。

一寸先は闇の人生をどう生きるか?子供達の進路選択に「喜」

2020年10月29日(木)

今日は珍しく朝からひとりでした。
普段、夫と次女はそれぞれ仕事、学校と朝から出かけますが、大学生の長女は未だにリモートでの講義なので、コロナ以降はほぼ家にいます。

今日は講義がないからと、昨日から友達の家に遊びに行っていて、そのままお泊まりだったので、とても久しぶりに朝のひとり時間を持つことができました。


大学生に限らず、今年は多くの学生が新型コロナのために、当たり前のように期待していた学生生活を送ることができないでいます。

高校3年生の次女は、最後の運動会や学園祭がなくなりました。
リモート授業のため、友達と一緒に過ごす時間も持てず、本来の学園生活を謳歌できないことでかわいそうだなと思っていましたが、本人はケロリとしています。

学校行事に関しては、これまで毎年経験してきたのだから、一度くらいなくなっても悲観するようなことではないと言います。

でも、最後の運動会、学園祭でしょ?

そんな言葉にも、最初でも最後でも同じ。できないものは仕方ない。コロナが相手なんだからさ。

むしろ、学校へ行かないことで、受験の準備ができると、プラスに考えればいいでしょ!と。

そう、あっさりしたものです。





大学生の長女はと言えば、長い春休みに入る前に新型コロナの流行が始まったため、今年はほとんど学校へは行っていません。

大学によりけりなのでしょうが、娘の学校では早々に後期もリモートと決まり、未だにパソコン講義を受けています。

しかし、通常よりもレポートなど課題提出が多く、学校へ通うよりも大変だとこぼしていました。

しかし、それ以外は特に悲観した様子はありません。

今年は就職活動などにも影響は出ているようで、その辺の情報は友人知人などと情報共有していたようで、自分なりに進路の変更を決めたようです。

王道からは外れるけれど、ちょっと賭けをして、別の道を行くことにした。

などと言っていたので、きちんとリクルートスーツを着て、就職活動しようという路線からは、自ら外れることにしたようです。

もしや、それが茨の道になるかもしれない。

そう言いましたが、娘は揺るぎません。

ここまで新型コロナに揺さぶられたら、もうこれまでの常識は通用しないし、王道を行けるのは、限られた優秀な人だけ。それもかなり少数になるだろうと。
そんな予測を立てたようです。

私は子供達に上場企業など、安定とされる企業への就職を特には望んでいません。

好きにすればいいと思っています。

その代わり、王道へ行った人以上の成果をあげるくらいの気持ちでなければ、人と違う道へは行くべきではないと言っています。

法を犯さない限り、どんなことでも好きな仕事をして、自分で稼ぐことがでればそれで私は満足です。


私が子育ての真っ只中にいた頃、唯一目標としていたのが、子供を自立させることでした。

親の手を離れた時、自分の住む家、自分の着る服、自分の食べるものを、誰の世話にもならずに賄えるようになること。

つまり、しっかりと自分の足で立って、自立した人生を送れるようにすることが目標でした。

いい学校に入って、一流企業に就職してといったことは、まったく頭にありませんでした。

今もそれは同じです。

娘の進路に対しては、一切の口出しはしません。

次女の大学受験も、滑り止めなし、本命の国立一本勝負という無謀な試みも、内心では「無理かも」と思いながら、好きにすればいいと言っています。





人と同じ道を行ったからといって幸せが約束されるわけではありません。

人生は長いのです。その間、山あり谷あり、登ったり、落っこちたり、嵌ったり、転んだり、、、

誰もがそんな道を歩かねばならないのが人生というものです。

いい大学に入学したり、企業に就職したとしても、それで一生安泰というわけではありません。
人によっては、そこが思ったような所ではなく、そこで働くこと自体が苦痛となり挫折してしまう人もいます。


私が子供達にアドヴァイスしているのは、

自分が幸せだと思える人生に必要なのはなにか?

そして、その中で最も重要だと思うものを明確になさいということです。

それを道標に行くべき道を定めればいいと。


人生の目標を大学や企業へ入ることとせず、どんな時でも自分にとって何をすることが、どこにいることが幸せであるかを考え、そこを目標にしろということです。

人と違った道を行くことは、怖さもあります。その先に何があるかわからないのですから、不安もあるでしょう。
共に横を歩く人がいなければ、孤独を感じることもあると思います。

それでも行く価値はあります。
もしもその道の先に何もなかったとしても、その道中でさまざまな景色を見ることができるからです。
それが「学び」になり、本人次第では先の人生において大きな武器となる可能性だってあるのです。

一寸先は闇。。。

人生の厳しさ、無慈悲など、、、
これから嫌というほど経験していくでしょう。

しかし、その時に「こんなはずではなかった」と絶望するのではなく、まだまだ他に道はある!と、進んでいく気概と強さを持つことができるのなら、どうにでもなると話しています。

子供達が選ぼうとしている進路は、私が普段言っていることを理解した上での選択であると思って、黙って見守っていくつもりです。

もう私の子育ても最終段階のようです。
自分の手を必死に伸ばし、幸せを掴み取ろうとしている子供達の姿を見て、もう私にできることは、ほとんどなくなったのだと、嬉しく思うのでした。。。





ちなみに今日は、映画監督や演出家として知られる高畑勲さんの生まれた日です。

火垂るの墓』や『おもひでぽろぽろ』そして『かぐや姫の物語』を始め、多くのアニメーション映画の脚本、監督を務め、テレビアニメの演出なども手がけてきた方です。

私は特にアニメオタクではありませんが、高畑勲版『かぐや姫の物語』が大好きで、何度も観ました。

あの躍動感のあるアニメーションが、なんとも悲哀を感じさせ、『かぐや姫』という昔から馴染み深いストーリーがまた違ったものに生まれ変わったような気がしたものです。

静と動が同居したような作品と言えばいいのでしょうか。静かだけれどその内は激しく、観るものに何かしら訴えかけてくるものがあります。

本当に素晴らしい才能です。

残念ながら2018年にお亡くなりになっていますが、残された作品の数々は、今でも生き続けています。

目には見えないものの存在を認めて、エネルギーチェンジする「楽」

2020年10月28日(水)

今日は朝から病院でした。
新型コロナのせいで、夏くらいまではガラガラだった病院も、現在はまた元の姿に戻っています。

大学病院ともなると、とにかくたくさんの人がいます。行くたびに、これほどの人が病を抱えているのだなと驚くほどです。

現在は定期的な検診、問診などのために、年に数回通うだけになりましたが、病気を抱えていたときは、とても暗い気持ちで待ち合い室の椅子に座っていたことを思い出します。

そのせいでしょうか、どんなに新しく近代的な病院でも、どこか空気が違って感じます。
そこは明るいのに日差しが差し込んでいるというのに、なんとなく空間がどんよりとした色に見えるのです。





ここ一年くらいは、それほど顕著ではありませんでしたが、それまでは病院へ行くたびに具合が悪くなっていました。

検診などで大きな病院へ行くと、必ず帰る頃には激しい頭痛や耐え難いほどの倦怠感で、帰宅後はずっと横になっているような状態でした。

最初は検査で疲れた?と思っていましたが、普段頭痛などほとんど起こさないのに、病院へ行くたびに激しい頭痛や吐き気に見舞われるのです。

元気に病院へ行き、具合が悪くなって帰ってくるという、なんとも皮肉な状態です。

さすがに度重なると、なにか原因があるのではないかと、主治医に相談したりしましたが、特に悪いところもなく、疲れているのでは?と、ロキソニンを処方してもらっていました。

不思議なことに、近所の小さなクリニックなどでは、このようなことは起こりません。





この世には目には見えないものがたくさんあります。
私たちが普段使っているWi-Fiなどもそうですし、ラジオの電波も電子レンジの電磁波も目には見えません。

それと同じように、人から発せられる「気」のようなものも、目には見えないけれど、そこにあるのではないかと思うことがあります。

なぜか光り輝いているように見える人、

威圧感を感じさせられる人、

暗い影を纏ったような人、

悪意が身体から滲み出ているような人、

とても漠然としたものですが、目には見えないものが身体から放出されていると感じられることがよくあります。

人間には「五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)」というものが備わっています。

それに加えて、第六感と呼ばれる五感では説明のつかない「感」というものも。。。

スピリチュアルな話とは全く別で、人間には本来備わっていた「感」の一つです。

私がこの第六感を信じているのは、過去にそれで命拾いした経験が何度もあるせいです。

なんとなく胸騒ぎがする。。。

なんとなく嫌な雰囲気。。。

なんとなく嫌な場所。。。

この人は笑っていても裏には悪意がある。。。


例をあげたらキリがありませんが、根拠はないけれど、見過ごしてはいけないという気にさせられるのです。

それはきまって警戒すべき時に頭に浮かんできます。

もちろんそれが100%正しいことばかりではありませんが、その見えない「感」に従うことで、右へ行くか、左へ行くか、物事を選択するときの大きな材料になります、





目に見えないものの力が働いている時、そんな第六感に響いてくることがあるのではないでしょうか。

病院へ行くと具合が悪くなるというのも、病院という場所柄、悲しみや絶望を抱えている人も多いでしょう。
ウキウキと喜びに溢れて病院に来る人は、おそらくいないでしょうから。。。

大きな病院というのは、それだけ重篤な病を抱えている人が多くいるものです。
私も入院中はその雰囲気に耐えきれず、朝夕と病室を抜け出したものです。

あれだけ多くの患者さんが同じ場所にいれば、そこに渦巻く感情はどれほど大きなものになるか。。。

病院へ行くたびに具合が悪くなったのも、自分の抱えている不安に加え、目には見えないマイナスのエネルギーみたいなものを感じ、過剰反応してしまったのでは?とも思います。


最近はそれほどつらくなることも少なくなりました。
なるべく明るい気持ちを維持しようと、よほど具合が悪くなければ、病院の帰りに気分転換の寄り道をするようにしています。

銀座の百貨店に寄って、あれこれ見たり、気に入ったものがあったら買い、美味しそうなお菓子を抱えて帰る頃には、すっかり気持ちが明るくなり、そのせいか気分もよくなっていたりします。

素敵な服や靴、バッグを買ってウキウキとしている人、美味しそうなケーキーに目を輝かせている人など、そこには喜びというプラスのエネルギーが溢れています。

そんな中に身を置いて、身体にまとわりついたマイナスエネルギーを払い落とし、プラスのエネルギーをチャージしてくるのです。

何の根拠もありませんが、いずれにしても心を明るくしていることは大切なことです。

「笑う門には福来る」

その言葉通り、明るい雰囲気の場所にいれば楽しい気分にもなりますし、それほど悪いことはないだろうと思います。

今日もデパ地下で大好きなお菓子を買って帰りました。

そのおかげで(?)、身体はとっても楽です。





ちなみに今日は、英国のロイヤルバレエ団、元プリンシパルバレリーナ吉田都さんの生まれた日です。

吉田さんがロイヤルバレエにいた頃、私もちょうどロンドンで暮らしていました。

日本ではバレエ公演のチケットは高額ですが、イギリスではピンからキリまでで、誰でも楽しめるものでした。

一番安かったもので、当時5ポンド。日本円にすると約1200円程度でした。

あの頃、よくそんな安いチケットを求めてたびたびロイヤルバレエの公演を観に行っていたのですが、その時に吉田都さんが出ていたのです。

当時、まだプリンシパルではなく、後ろで踊る群舞の一人でした。

日本人のバレエダンサーがいると、初めて公演を観に行ったとき、遠い席からでも一目で吉田さんの姿を認めることができました。

なぜなら、体型がほかのバレリーナとは全く違っていたからです。

バレエという芸術において、アジア人はやはり不利なのだろうか。。。
そんなことを考えていたのをはっきりと覚えています。

しかし、のちに吉田さんはこのロイヤルバレエ団のプリンシパルにまで上り詰めたのです。

繊細な表現力、確かな技術、たおやかな身のこなし、日本人だからこその個性と、精神力の強さを思い知らされました。

あの群舞にいた頃の姿を思い出すと、そこにどれだけの努力と苦労があったのだろうかと思います。

あの時感じていたアジア人としても劣等感は、吉田さんの偉業によって見事に打ち砕いていただきました。

老後のライフプランB、晴耕雨読の日々を想像する「楽」

2020年10月27日(火)

今日もすこぶる良いお天気の東京でした。
こんな日に家に居るのももったいないなと、銀座にでも買い物へ行こうかと思っていましたが、どうも腰が重くて持ち上がりません。。。
ここ2日ほど外出せずにいたせいで、家でのんびりすることの快適さに慣れてしまったようです。

メイクもせず、体を締め付けるものが全くない部屋着のまま、好きな時に飲み食いをし、疲れたらゴロンと横になり、エンタメが欲しければ本もあるしNetflixもあります。

まさに極楽、極楽。。。

しかし、この晴天を無駄にするのも惜しい。。。
まさに究極の選択を迫られた朝でした。

子供のお弁当を作りながら、どうしたものかと考えていたとき、突如思い出したのが花の苗です!

通販でいくつか買ってみた苗が昨夜届いていたのでした。

これは天からの啓示です。
出かけずに、花の苗を植えよ。。。

夫と子供達を送り出すと、早速ベランダに出て、ゴム手袋をつけ、畑を耕すおばさんの如き、プランターの土を均し、苗を並べて植えました。

長い梅雨とこの夏の猛暑でベランダの花を全て枯らせてしまい、すっかり殺風景となっていたベランダにまた生命の息吹を植え付けたのです!





人は歳をとると「土いじり」に走ると言いますが、これはあながち嘘とも言えません。

若い頃は花といえば切り花。薔薇の花束でもあれば、チラリとくらいは視線をよせることはありましたが、野に咲く花など見向きもしませんでした。
ましてや、自分がガーデニングの真似事をしようなどとは、考えたこともありませんでした。

しかし歳をとると、変わるのです。。。

毎日水やりをして、きちんとお日様を浴びているかなど気を配り、いわゆる「育てる」という行為がたまらなく楽しく感じるのです。

そうして自分の手で綺麗に咲かせた花を見るのも、なんともいい気分にさせてもらえます。

これが茄子やトマトなど野菜であれば、さらに充実感は増すことでしょう。

しかし、そこには手を出しません。
私は自分の食べる野菜はプロの農家さんが作った美味しいものを食べたいので、ろくな栄養価も期待できない自作のベランダ栽培の野菜は作る気もしません。

しかし、もしもこれがちゃんとした畑であったら?

案外、夢中になって野菜作りに励んでしまうのではないかとも思います。





老後もこのまま都心での生活が濃厚かと、当たり前のように考えていました。
もしも経済的な問題が生じたら、プランBとして海外で暮らすという選択肢もあります。

新型コロナ以降、東京など都会を脱して、地方への移転を希望する人が増えているとも聞きます。
政府や企業もそれを推奨するような動きもなきにしもあらずといった空気になってきています。そうなると、これまでとはまた違ったライフスタイルを選択できる可能性も出てくるということです。

社会がどう変わろうが、やはりプランAは生まれ育った東京で老後を過ごすこと。それが一番簡単で安心感があるので。

しかし、プランBに関しては、ちょっと考え直す余地がありそうです。
海外移住よりも日本の地方で暮らす方が、自分の理想に近ければ、そちらを選択する可能性もありということです。

この日本の片隅で小さいながらも畑を耕し、趣味で野菜を育てながら、晴耕雨読の日々を送る。。。

野菜だけでなく、ついでにニワトリを何匹か飼って育ててみようか。
毎朝産みたて卵を食べるのも美味しそうだ。

春の日には『アルプスの少女ハイジ』のように、干草のベッドで昼寝を楽しむ。

秋には落ち葉で焼芋を焼いて食べよう。

スイーツが食べたければ、自分で餡子を炊き、小麦粉で練った皮で包み、蒸して田舎饅頭でも作れれば上等。

近くに川か海があれば、釣りをしてもよさそうだ。

目に浮かぶのは、どんどん野生化し顔中日焼けで真っ黒、シミだらけになったモンペ姿の自分。。。(笑)

しかし、それもまたありかもしれない。
これまでとは全く違った第二の人生というのも、安心感からは見放されそうだけれど、違った経験を得るという楽しみもありそうです。

思うが易しで、現実はそれほど簡単ではないでしょうが、あれこれ想像を膨らませると、案外楽しいかもしれないなどと、思えてくるのでした。。。





ちなみに今日は、デュラン・デュランのメンバーで、ミュージシャンのサイモン・ル・ボンさんの生まれた日です。

デュラン・デュランといえば、1980年代に人気を博したイギリスのロックバンドです。

私は特別なファンではありませんでしたが、当時はMTVなどでかなり露出度が高かったので、観る機会も多かったのです。

その中でもサイモンは、ヴォーカルという位置であったため、私もよく覚えています。

それから約20年後。。。
デュラン・デュランのことなどすっかり忘れた頃のことです。都内某所の住宅街でサイモンを見かけたことがありました。

その時、外国人夫と一緒にいたのですが、目の前から歩いてくる同じ外国人に微笑みかけている夫に、「お友達?」と尋ねたところ。。。

「誰かわからない?デュラン・デュランのサイモンだよ」

よくよく見れば確かにサイモンです。

夫に聞いたところによると、当時サイモンは都内にスタジオを持っていたらしく、界隈をよく歩いているとのことでした。

あの十代の頃に見たサイモンとは当然外見も違います。自分が歳をとったように、サイモンも同じように歳を重ねているのですから当然です。

都内を歩いていると、よくTVで見かけるような人とすれ違うことが多いものですが、このサイモンとの遭遇は、かつて竹下通りでマイケル・モンローと遭遇した時ほどの驚きはありませんでした。

ただ、私の青春とも言えるひと時、確かに彼らの音楽があったのです。

そんなことを思ったら、なんとなくしみじみとした気持ちになりました。

サイモンも今日で62歳。。。
還暦も過ぎたのですねぇ。

奥様である元スーパーモデルのヤスミンさんとの間に娘さんが3人、そしてお孫さんまでいるおじいちゃんになっていたサイモンなのでした。

「喜怒哀楽」では括れない感情を無視して気楽にいこうの「楽」

2020年10月26日(月)

今日もよいお天気の東京。気持ちのいい一日でした。
お天気がいいと、朝からお洗濯をしまくってしまうのは、主婦の習性でしょうか。無理矢理にでも洗濯物を探し出し、ベランダを洗濯物で一杯にしたくなります。

そんなこんなで一通り家事を済ませれば、しばし自由な時間です。
本当なら友人達と会う予定でしたが、急用で参加できない人がいたため、今日の集まりは延期となりました。

ちょっとまとまった時間ができたので、外出はせずにブログです(笑)

このブログも始めてからすでに1ヶ月以上が経ちました。
暇に任せて過去の投稿などを、ランダムに読み返したりしていたのですが、自分でこのスタイルを考えたとはいえ、なんとも厄介なことを始めてしまったなと(笑)

それは、この日記を書き始めてから、しばしば頭を悩ませていることがあるせいです。





いつも日記として好きにその日の出来事を一つだけブログに書き、最後にタイトルをつけているのですが、「喜怒哀楽」という4つの感情に収めるには無理のある感情が生まれるということがあります。

喜びでもなく、怒りでもない、哀しみでも楽しみでもない。それ以外の感情です。

なぜ、この言葉を作った人は4つの感情のみを選んだのでしょうか。

マイナスの感情に関しては、わりと「怒」とか「哀」で片付けることができます。プラスの感情も然りで、多少無理をすれば「喜」と「楽」に括れないことはありません。

困るのは、それほどでもない「グレー」な感情です。

まさに、この「困った」のように。。。

他にも「不思議」とか、なんとなく薄ぼんやりとした感情は、この四つのカテゴリーどれにも当てはまらないのです。

しかし、ブログのタイトルに掲げているくらいなので、その禁を破り、新カテを作るのは邪道ではないかと、なんとか視点を変えて書いてみたり、試行錯誤しております。

普段、すべての物事は思うほど複雑ではなく、視点を変えれば驚くほど単純であることがほとんどであると思ってきましたが、感情というものは、それほど簡単なことではないのだなと感じます。





最近、HSPという言葉をよく耳にします。
Highly sensitive parsons の略で、つまりは「とっても繊細な人」という意味になるかと思います。

見るもの、聞こえてくるものなど些細なことが気になったり、対人面でも相手の心情が気になって仕方なかったり、それ故に心が疲弊してしまうという気質のことです。
これは病気ではなく、あくまでも「気質」であるといいます。

気質とは成長過程における人格形成も影響する部分はあるかと思いますが、大方は持って生まれた先天的なものと考えられます。

これは子育てをしていてもわかりますが、同じ環境下で、同じ人間が同じような方針で育てても、その気質には大きな違いがあります。

生まれたての赤ちゃんを見ればわかります。ほとんど泣かずよく眠るとても育てやすい子供と、昼夜問わず四六時中泣いている眠りの浅い子供もいます。

こればかりは親の努力でどうにかなるものでもありません。

だからこそ、あまり細かいことにこだわっていては身が持たないと、楽天的に子育てなどをしてきましたが、そうできるのも「そうできる気質」を持っているからです。

こんな私でさえも、白黒つかぬグレーな感情を抱えることがあるのだから、繊細な気質を持つ人の心中は、どれだけ様々な感情が入り乱れているのか、想像しただけでしんどくなります。

ああ、だからこそこの四文字熟語を作った人は、あえてグレーな感情が入り込まないように、物事をよりシンプルに考えられるようにと、この4つの感情によって明確化しようとしたのでは?などと思えてきました。

物事を深く考えることも、繊細であることも、決して悪いことではありません。
その辺りが欠落しているが故に、数々の失敗や後悔をしてきた身からすると、むしろ自分には必要なものであると思います。

しかし、そのせいで心が疲弊し、挙句に病んでしまったら、それはそれで辛いでしょう。

人間何事もほどほどがよいということでしょうか。
ブログも然りで、あまりあれこれ考えず、多少は当初の趣旨から離れたとしても、気にせずに楽しめばいいのかなと思った次第。

自己満足日記として、これからも楽しみながらゆるりと続けていきましょう。





ちなみに今日は、マツコ デラックスさんの生まれた日です。

説明するまでもなく、毎日のようにお茶の間でお見かけする人気者ですが、コメンテーターやコラムニスト、エッセイスト、司会など、肩書きは色々あるようです。

マツコさんは今のように民放で活躍する以前、MX TVのコメンテーターをしていた頃から知っていましが、その頃に比べると、最近はなんだか優しくなった印象を受けます。

今日で48歳におなりなので、お歳のせいでしょうか。角が取れた?

当時、子供達から、

「マツコってマミーみたい」

そう言われていました。

体型ではありません(笑)

マツコさんのコメントが、私の物言いに似ているらしいのです。

なるほど、マツコさんの番組などを観ていると、その意見に共感してしまうことがしばしばあります。

何故なのかと考えたとき、唯一の共通する部分が「昭和的考え方」というものが基準になっているのでは?と思いあたりました。

私の方が若干年上ではありますが、同じ昭和の時代に青春を過ごしてきたという背景が、想いを同じくしているように感じます。

時代が変わっても変われない自分。

変わりたくないと思っている自分。

変わるべきなのだろうけれど、それができない自分。

マツコさんを見ていると、そんな自分と重なってきたりもするのです。。。

そろそろ健康にも留意しなければならないお年頃です。あの脂肪がある意味、商売道具になっているとも言えるでしょうが、成人病などのリスクもあります。
身体にはくれぐれも気をつけて、昭和の人間としての悲哀というものを、これからも見せて欲しいと願っています。

ブログのネタは尽きないものの、書けないもどかしさが「哀」

2020年10月25日(日)

今日は朝からとても良い天気でした。
こんな日こそ、ウォーキングにでも出かけたいところですが、この1週間は外出続きでお疲れだったので、家でゆっくり過ごすことにしました。

しかし、そう思っていたのは家族も同じようで、珍しく全員在宅。。。

こうなると、ゆっくりできないのが主婦です。主婦は365日休みがないと言いますが、本当にその通りで、家出でもしない限りは完全に家事などから解放されることはありません。

我が家の場合は、夫婦の役割分担として、夫は外でお金を作り持ってくること。私は中での生活を整えること。そう決めているので、今日も余計なことは考えずに、自分の役割を粛々とこなすのみでした。

時々、「なぜ私は毎日毎日動いてばかりいる?」などとイラッとすることもありますが、24時間働き通しというわけではないので、自分の時間配分が悪いことも原因です。

家事というのは要領次第でかなり時間の短縮ができるものなので、イラッとする前に改善点を見つけるべきだと思ったりもするのです。。。





最近は時間があくと、ブログを開くことが多くなりました。欲張って3つも作ってしまったので仕方ありません。。。

特に毎日更新しようと決めているわけではありませんが、他に大した趣味もなく、やっていて一番面白いのがブログなので、暇さえあればブログの下書きを開いてしまいます。

よく、「ブログに書くネタがない」という声を目にしますが、ただ戯言を書いているだけなので、書くことがなくて困ったことはありません。

モチーフを高級デパートで買ってくるとなると、なかなか大変ですが、道端に落ちている空缶で十分!と思っていれば、容易く手に入ります。
ブログネタもそれと同じで、大層なことを書こうと思えばあれこれ迷ってしまうものですが、戯言程度であれば、毎日であろうが、書くネタには困らないものです。

しかし、この戯言には問題があります。
それはあまりにありきたりなせいで、雨後の筍のごとく、次から次へとニョキニョキと顔を出してくるところです。

そんな戯言も時間の空いたときに書けばいいのですが、時々なにかをしているときに、突然「これだけはブログに書いておきたい」
そんな自分にとっては金色に光るタケノコが、ニョキッと顔を出すことがあります。

街を歩いているとき、友人と食事をしているとき、お風呂に入っているとき、、、
そいつは突然、やってくるのです。

私の場合は料理をしている途中、そんな金のタケノコが頻繁に姿を現します。

一人キッチンで黙々と作業をしていると、自然と考え事をしているのでしょう。
思い浮かんだ事柄をコロコロと頭の中で転がして、遊んでいると、なにやら書いておきたいトピックが突如形作られるのです。

こんな時、とても困ります。

例えば、天ぷらなどを揚げているときは、途中でやめるわけにもいかないので。。。

麺類を茹でているときも同様で、時間の超過は許されません。

仮に、中断できる作業の途中であっても、一度書き始めると、食事の時間に間に合わなくてなってしまいます。

こんなもどかしい思いを抱えながら、日々料理をしているのです。

あとで書けばいい?

ダメなのです。ブログに限らずどんなことも妙案が浮かんだら、すぐにメモを取らないと忘れます。。。

「忘れてしまうようなことは、たいして重要なことではない」

そんな風にも思います。実際そうなのでしょう。

しかし、重要なことだけがブログを書く上で大切だと思ったら大間違いで、案外くだらないことほど、書いていて面白かったりするのです。


苦肉の策で、いくつかしていること。

まず、天ぷらを揚げながらでも、片手でスマホを操作して、文章ではなくキーワードをいくつか羅列しておくこと。

これだけでも、あとで見返すと、「ああ、あのことね!」と、思い出す材料にはなります。

手が濡れている時などは、キッチンに常に用意してある、ヨレヨレになってもいいメモ帳&濡れてもいい安物のボールペンで、書き出し数行だけ書いておきます。
昭和世代なので、手書きの方が早かったりします(笑)

あとは、まるでお経を唱えるように、心の中でその事柄を考え、ぶつぶつと反復し続けます。
そして、料理が一段落したところで、一気に書いたり、なんてこともあります。





ネタ忘れはこれで解消できていますが、もう一つ大きな問題。。。

それはブログを書いている途中であろうが、トイレに入っているときであろうが、容赦なく襲ってくる「マミー!」の声です。

何かを尋ねたい時、聞いて欲しいことがある時、相談したいことがあるとき、ただ世間話がしたいだけのとき。。。
話しかけてくる理由は様々ですが、家族が4人揃えば、3人から終日の「マミー攻撃」を受けることになります。
こればかりは、どんな手立ても回避法もありません。。。

ブログを書いているときに、これをされると一向に進まず、それこそなにを書きたかったのだか忘れてしまうことさえあります。

こんなことが繰り返されると、時に不機嫌になったりもしがちですが、夫や子供達の話に耳を傾けるのも仕事のうち。。。主婦として、妻として、そして母親としての役目です。

ブログはイライラしながら書くものではありません。どんな時も、自分の好きなことは、楽しくやりたいものです。

とは言いながらも。。。

今この瞬間も鳴り止まぬ「マミー!」コール。。。

好きな時に好きなことができないのも、ちょっぴり哀しいものです。。。





ちなみに今日は、画家であるパブロ・ピカソさんの生まれた日です。

大昔の画家としては比較的裕福であったピカソさん。我々が日頃目にする彼の絵といえば、その画風はなんだかのほほんと、まるで子供のお絵描きみたいです。

しかし、実はすごい画力を持っています。若干15歳で描いた『科学と慈愛』という作品を見ればわかります。

あの子供のお絵描き画風も、完璧な基礎があってこそ出来上がるものなのでしょう。

絵のみならず、例えば音楽やダンスなどでも、クラシックという基礎を持った人は、たとえモダンに移行しても、適応することができるといいます。

やはり、何事にもおいても基礎を固めることは大切なのだとわかります。

基礎を作るのは、概して同じことの積み重ねで、決して目新しい刺激があったりするものではありません。

しかし、そんな積み重ねによって強固に固められた基礎は、容易に崩れるものではないのでしょう。

基礎をおろそかにしてはなりませんね。

ところで、ブログの基礎ってなんなのでしょうかね。。。