365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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読者登録した覚えがないのに読者になってしまっていた不思議。それもまた「楽」

2021年1月19日(火)

お天気は悪くないけれど、風の強い寒い一日でした。

しかし、今日もまたステイホームだったので、暖かい部屋の中でのんびりです。

新型コロナでは、変異ウィルスの市中感染が始まったのでは?などと怖いお話があったりで、ますます外に出るのが躊躇われるようになりました。

そろそろ美容院にも行きたいと思っていましたが、どうせステイホームなら、多少は見苦しくても構わないかなと思ったり。。

ただ、白髪頭になるのは、自分でも耐えられません。

白髪染めは不要不急なのか?

判断に迷うところですが、感染リスクは少しでも少ないに限るということで、自分で毛染めをしてみることにしました。

どうせ時間もたっぷりあります。それに、もしも上手くできなかったとしても、ステイホームなので誰に見せるわけでもありません。
ノー プロブレムです。

そんなわけで、「バーバー自分」にて白髪染めをしてみました。
なかなか上手くできましたが、自分でやるのはやはり大変ですね。。。

無事に毛染めを終えると、他には特にやらなければならないことも、やりたいこともありません。

暇なのでブログ記事の整理(下書きに入れっぱなしの書きかけ記事など)をしようかと、久しぶりにチェックをすることにしました。

しかし、そこで「はれ?」と思うことを発見したのでした。。。





はてなブログ』では読者登録という機能があり、気に入ったブログを登録しておくと、更新された際にお知らせがくるようになっています。

あまりたくさん登録しても読みきれないと思い、最小限の登録しかしていないので、どのブログを登録してあるかは、全て把握しています。

ところが、これまで何度かあったことなのですが、登録した覚えのないブログの「読者」にいつの間にかなっているということがあります(笑)

自分がとうてい興味を持たないであろうことがトピックとなったブログばかりで、一体なぜ⁉︎ と不思議でなりません。

本当になぜだか、ぜんぜん理由がわからないのです。

考えられることといえば、寝落ち寸前につらつらと他の方のブログを読んでいて、寝ぼけて「登録」ボタンをタップしているのかもしれない。。。

と、それくらいしか思い当たることがありません。

理由はなんであれ、自分がポチッとしたからこその読者登録です。
しかし、全く興味のないブログをわざわざ登録してまで読むというのもどうなの?という思いもあり、申し訳ないけれど、「読者をやめる」べきかと思うのですが、自分のミスで登録したのに、また登録をやめるというのもなぁ。。。と、悩んでしまうのです。





人によっては、読者登録者数にこだわりを持つ人もいます。
そんな人にとっては、突然の登録解除はあまりいい気持ちはしないでしょう。とりわけ、ブログを始めたばかりの人であればなおさらです。

そうはいっても、全く興味のないことを受け入れたふりをするのも違うと思うのです。

とりあえず、登録したままにしておいてもいいかなと思いますが。。。

もしかしたら、私のように読者登録者数には頓着しない人かもしれません。
そうであったとしたら、間違えて登録したものなど、さっさと解除したらいいじゃないの!と、思うはずです。

同じことをしていても、人はそれぞれ考えが異なります。それが難しいところですが、考えても答えが出ないのなら、とりあえず解除かなと。。。

ブログの継続率はとても低いらしいので、あまり難しく考える必要もないのかとも思います。そのうちブログ自体をやめてしまうかもしれません。自分も含めて。。。

しかし、よーく考えてみると、何かのミステイクだとしても、他生の縁かもしれません。

まったく興味がないことに興味を持つ、また新しい世界を知るチャンスであったかもしれません。

とにかく、これからはそのようなミステリーを作り出さぬよう、寝ぼけブログはご法度としましょうと一度は思いましたが、未知なる世界への入口と考えれば、それもまた楽しいものかもしれません。

さて、どうしたものか。。。
結論は出ません。





ちなみに今日は、シンガーソングライターである松任谷由実さんの生まれた日です。

デビューしてから、もう50年近くなりますが、未だに第一線で活躍しているユーミン
我らバブル世代にもお馴染みのアーティストで、誰しもお気に入りの一曲というものを持っているのではないでしょうか。

小学生の時、友人の家に遊びに行った際、お姉さんから聴かせてもらったのがユーミンでした。
その時、なんとなく日本っぽくないなぁ。。。と思ったのを覚えています。なぜかは分かりませんが。

特にファンというわけではありませんが、大人になってからは友人に誘われて苗場プリンスのコンサートにも出かけたことがあります。

あのユーミンが、今でもこんなに小さなところでライブを⁉︎

そう驚くほど、観客との距離が近く、ライブ自体もとても楽しいものでした。

今年で67歳になるそうですが、あのアニメキャラのようなプロポーションは健在です。
年齢をまるで感じさせない、ある意味でアニメチックなユーミンですが、その才能は枯れることはないでしょう。

これからも、私達中年の胸を震わせるような、楽曲を届けて欲しいと思います。

月曜日の憂鬱。束縛の始まりではなく、何かを心待ちにできる日と思う「楽」

2021年1月18日(月)

今日は月曜日。一週間の始まりです。
いつも月曜日が来るたびに、ホッと嬉しい気持ちになります。

しかし、月曜日が嫌いだったり、憂鬱に感じる人も多いでしょう。
自由に過ごした終末が終わり、仕事や学校など、月曜日は束縛の始まりです。

私にとっては全く逆で、週末は主婦として在宅している家族の世話を焼かねばなりません。
しかし、月曜になれば家族は仕事や学校へ出かけ(コロナ禍では違いますが)、基本的にはひとりの時間を持つことができます。

自由の始まりです。

今朝も4時ごろから起きていたので、早くから洗濯や掃除など、朝のうちに家事を片付けてしまいました。

ここから、さて今日は何をするか?

このコロナ禍では家の中にいることがほとんどなので、大したことはできませんが。。。

ちょっと寒かったのですが、腰痛もすっかり消えてなくなったので、教育費の振り込みなどをしに、9時を待って家を出ました。

朝一の銀行はほとんど人もなく、ガラガラでした。おまけに振り込みなど、ものの数分で終わってしまいます。
あっという間に用事終了。。。
せっかく家を出たのに、そのまま帰るのももったいない気がします。

とはいえ、ふらふらと遊びに行くわけにも、お友達を誘い出すのも気が引けます。
何よりも、コロナが怖いし。。。

とりあえず、スーパーへ行って、ゆっくりお買い物。朝一だと人がほとんどいないので、とても快適です。

買い物の後は、荷物も多いし、何処かへ行くアテもないので、素直に帰りました。

後はいつもの通り。

食べたいものを作って食べ、韓流ドラマを観たり、本を読んだり、ネットで美味しそうなお菓子を物色したり。。。

そんな風にして、気ままに過ごしました。





幼い頃、一番嫌いだったのは日曜日の夕方でした。
サザエさん』が始まると、また明日から学校かぁ。。。と、うんざりした気持ちになったのを、今でもよく覚えています。

月曜日の朝になれば、気分も変わるのか、学校へ行ったら行ったで、お友達と遊んだりできるしと、それほど憂鬱になるようなことはなかったのですが。

社会人になった後も、きっと楽しいことがたくさんあったせいでしょう。月曜日が辛いという気持ちにはなりませんでした。

とても仕事が好きだったのか、今週はこんなこと、あんなこと、やるべきことがたくさんある!と逆に活力が湧いてきていたほどです。

心待ちにすることがあれば、月曜日も決して悪い日ではないということです。
思うに、いつもとは違う「新しいこと」と出会えるかもしれない。。。
そんな期待があるからこそ、束縛の始まりである月曜日も、憂鬱に感じることがなかったのかもしれません。

いつもと同じ退屈な一日をまた一週間過ごすのかと想像したら、きっと月曜日に対する感じ方も変わっていたでしょう。

月曜日が辛いと感じている人は、楽しくなるような予定を入れておくといいかもしれません。


ただ一つ、月曜日に感じるネガティブな思いがあります。
それは「時の流れ」。もう一週間終わり、また新しい週になったのかと、時の流れの速さを感じさせられるのがあまり好きではありません。

歳をとればとるほど、時間が早く過ぎていくように感じます。
毎日が楽しければ楽しいほど、時間はあっという間に過ぎ去り、自分の人生の時間もそれだけ短くなるということを、いやでも意識させられるのです。

物事はとらえようによって、ポジティブにもネガティブにもなるものなので、どうにかこの「時の流れ」に対する憂鬱を払拭するような理由はないものかと思っていますが、なかなから思い当たりません。

きっと、今は目に見える形で「成果」のようなものが得られない生活だからなのかと思います。

どんなに時が早く流れても、自分が何をしたか、目に見えるものがそこにあれば、時間を有意義に使うことができたのだからと思うこともできるのでしょう。

しかし、今はそれがありません。。。

美味しものを作って食べても、胃袋の中に消えていきます。
韓流ドラマをどれだけ観ようと、一旦は頭の中にとどまっても、またすぐに消えてしまいます。

これは、なにかクリエイティブな作業でもするしかないのでは?などと思いますが、不幸なことにやりたいことができる状況ではありません。





まったく新型コロナという厄介な感染症のおかげで、あらゆることが滞ってしまっています。

こんなに時の流れに対して悲観的な思いを抱いているというのに、それに追い討ちをかけるようにコロナです。さらに時間を無駄にしているような気になってしまいます。

本当なら、ひとりで旅を満喫し、先々で美味しいものを食べ、旅行記がてらブログを書いたりと、第二の人生を満喫する計画を立てていました。

ところが、このコロナの影響で近くのデパ地下でさえも気軽に行けない状況になってしまいました。
県を越えての旅行など、もってのほかです。

一体いつになったら、終息するのか。。。
まったく先が見えません。

やはり、なにか楽しみにできることがないと、人は憂鬱になるものなのです。

きっと、月曜日の憂鬱もそういうことなのかもしれません。

「月曜日になれば静かに自分の時間を過ごせる」

私にとって、そんな楽しみがあるからこそ、月曜日を心待ちにできるのでしょう。

なんて、週末以外は、月曜日も火曜日も平日はみんな同じですが。。。

一週間のうち5日間も気ままに過ごせる身の上を、幸せだと思わなければいけませんね。





ちなみに今日は、お笑いタレントであり、映画監督でもあるビートたけしさんの生まれた日です。

昭和世代にとっては「ツービート」というコンビ名で漫才をしていた印象が強く、その社会風刺を題材とした、ちょっとブラックなお笑いがとっても面白いなと思ったものです。あんまりお笑いは観ませんが。。。

そんなたけしさんですが、昨今では映画監督としての活躍も素晴らしいものがあり、海外の映画祭で数々の賞を受賞しています。

日本から一歩外へ出れば、「Takeshi Kitano監督」な訳ですが、日本ではそんな様子をおくびにも出すことなく、お笑いタレントを貫き通すところに、この人のおもしろさ、強さがあるのかなと思います。

何をしても、何を言っても「たけしだから。。。」と、観ている人に思わせてしまう、タレントとして、また人間としての魅力に溢れた稀有な才能を持った方といえましょう。

新型コロナ感染の不安に加え、震災のリスクも思い出され、最後は運に任せるしかないのかと思う「哀」

2021年1月17日(日)

今日は阪神淡路大震災から26年目に当たる日です。
月日が経つのは本当に早いものだなと思います。

あの朝のことは今でもよく覚えています。

まだ20代であった私は、気ままな海外生活をしていて、時折小金を稼ぎに日本に短期帰国するという出稼ぎ労働者のような生活をしていましたが、そんな帰国中に起こった震災でした。

東京にいたので、直接の被害はもちろんありませんでしたが、バイト先の会社でもみんな落ち着かず、仕事もせずに朝からずっと目も覆うような惨状をニュースで観ていたのを思い出します。

その後、出会った多くの神戸、大阪の方々からも、当時の様子を聞いては、どれほどの被害であったのかを知ることとなりました。

東日本大震災が起こったとき、ちょうど阪神淡路大震災を経験した神戸出身の方と一緒だったのですが、その時に彼女が言ったのは、「直下型じゃないから。落ち着いてください」でした。

関東では東京直下型地震のリスクがよく語られていたので、咄嗟にそんな言葉が出たのかもしれません。

私にとっては東京が壊滅するんじゃないかと思うほどの恐怖でしたが、その方はとても冷静でした。

その時は震源地がどこかもわからず、東北地方があのような状態になっていることも分かりませんでしたが、彼女の「身を守ることだけを考えましょう」という呼びかけに、少し冷静になれたものです。

一度経験した人は強いなと思いました。





このようにまるで他人事のように語っていても、日本に住んでいる限りは、どこであろうと大地震のリスクは常にあります。

昨日、夫が「このコロナ禍でだけは、せめて大きな地震が起きないことを願う」と、言っていました。

避難所生活での感染拡大、医療現場の逼迫、加えて経済活動の停止。。。

それを想像しただけで、この国はどうなってしまうのだろうかと不安になりました。

しかし、どんなに心配しようが不安な気持ちでいようが、天の決めたことには抗うことはできません。

できる備えをしておく。それくらいしか私達にできることはないのだと思います。

我が家でも地震の備えはしてあります。
家は賃貸マンションですが、引越しの際は常に耐震性の強い小規模な低層住宅を選ぶようにしています。

今のところに決めたのも、オーナーさんの、「特にお洒落ではないけれど、とにかく地震にだけは強く作ってあるの」
そんな一言で決めたようなものです。

避難所へ行かない前提で、必要と思われる備蓄はしてあります。

水、食料品、衛生用品、簡易トイレ、医薬品、毛布など、最小限必要だと考えられるものは、備えています。

それでも、最終的には「運」に左右されるのかなという思いもあります。

いつどこでそんな震災に遭うかは誰にもわかりません。
安全なとこにいるか否かは、時の運とも言えます。

思い出すのは、「自分の身を守ることだけ考えましょう」という言葉です。

まずは身を守り、そのあとは最悪の事態の中で生き延びるためにできることをする。

実際に体験したことがないので、想像の域を出ませんが、さまざまなシチュエーションを想定して、頭の中でシュミレーションしておくのも必要だと思っています。

ここのところ、話題は新型コロナ一色で、震災のリスクも薄らいできていました。

今日は改めて、そんなことを考え直す日となったのでした。。。






ちなみに今日は、イギリスのヘアードレッサー、実業家としても知られるヴィダル・サスーンさんの生まれた日です。

ヴィダル・サスーン』といえば、日本でもヘアーセット用品が販売されていたりするほど有名な美容院ですが、なんと言ってもその名を世に知らしめたのは、「サスーンカット」と呼ばれる新しいカットの技法でしょう。

スタイリングなしで、洗いっぱなしでそのままお出かけできてしまうサスーンカットの基本はボブカットです。

この「wash and go 」を私は90年代のロンドンで体験しました。

当時、黒髪のショートボブスタイルだったことから、街を歩いていると、よく美容師さんや、サスーンの美容学校に通う生徒さんなどから声をかけられました。

「髪を切らてほしい」というカットモデルのお誘いです。
美容院代の節約になると、あらゆる人からサスーンカットを施されたわけですが、これほどに技量の差が出るものか⁉︎と驚くほどで、本当に技術の高い人がカットすると、1ヶ月以上もスタイルが崩れることなく、まさに「ウォッシュ・アンド・ゴー」でOKだったのです。

日本からも多くの若き美容師さん達が、このサスーンカットを学びにきていました。
カットをしてもらいながら、思い切り日本語で話せることが嬉しかったのを覚えています。
とても懐かしい思い出です。

50代となったいまでは、歳のせいか髪の艶も失われ、かつてのようなツヤツヤボブスタイルは無理になりました。サスーンカットとは無縁になりましたが、スタイリング機器などでは未だにサスーンのお世話になっています。

大学入学共通テストの日。受験は人生のゴールではなくただの通過点。人生は長く厳しく「楽」しいものなり。

2021年1月16日(土)

今日は4月なみの陽気と、とても暖かくよいお天気の一日でした。

受験生にとっては、大学入学共通テストが今日からスタートしました。

我が家の娘も早朝から張り切って起きてきて、「今日頑張れば、一つクリアーだ!」と上機嫌。
緊張感のかけらもありませんでした(笑)

今年の受験は「センター試験」から「大学入学共通テスト」に変わったのに加えて、新型コロナというイレギュラーな事態も起こったりと、なかなか波乱含みです。

自粛により学校や予備校、塾などが休校になったり、思った通りに受験勉強が進まなかった子もたくさんいたのだろうなと想像します。

これでいざ、合格したとしても、普通のキャンパスライフを送れるかどうかもわかりません。

ちょっと可哀想だなと思っていましたが、当人はまったく意に介していないようで、とにかく早くこの受験を終わりにして、好きなことを思い切りやりたい!と、やる気満々です。

あまりにもポジティブ過ぎて、逆にそんなお気軽でいいの?と、心配になりますが、ストレスを抱えて、鬱々と愚痴られるよりはいいかなと思っています。





ある意味、人生の分岐点とも言える大学受験です。多くのお子さんが、志望校目指し、寝る間も惜しんで頑張っていることかと思います。

しかし、大学受験はあくまでも通過点であり、ゴールではありません。
人生を左右する一因にはなるけれど、それで人の一生が決まるわけでもないということです。

もちろん、努力の末に希望の大学に合格できればそれにこしたことはありません。
そこにたどり着くまでどう過ごしたかプロセスも大切ですが、結局は結果ありきなので。

しかし、たとえ大学受験で自分の希望通りの学校からご縁をいただけなかったとしても、悲観するには早過ぎます。

それで人生が終わるわけではなく、幸か不幸かまだまだ先に道は続いているのですから。

我が家の長女も第一志望の大学からはふられてしまいましたが、自分の不勉強を棚に上げて「この学校とは所詮、ご縁がなかったということ」と、まったく落胆することなく、第二志望の大学へ進みました。

結果的に、長女にとってはそちらの学校の方が合っていたようです。これは実際に通ってみなければわからないことでした。

何が吉となるかは、結果が出るまではわからないものです。





希望する大学から合格を頂けたとしても、将来の安泰が約束されるわけではありません。
残念ながら、その先にはまだまだ険しい道が続いているかもしれないのです。

希望する職につけず、したくない仕事を嫌々する人生になる可能性もあります。 

結婚したくてもできない、また逆に辛い結婚生活を送ることになる人もいるでしょう。

子供が欲しいのに恵まれない。また子供がいることで問題を抱えることもあります。

経済的余裕のある暮らしができるかもわかりません。

突然の病や、やがて訪れる老いの問題などなど。。。

想像しただけで暗くなってしまうようなことが、長い人生の中ではたくさんあります。

もちろん悪いことばかりではありません。
好きな仕事につき、経済的にも安定し、結婚する、しない、子供を持つ持たないに関わらず、楽しく人生を送っている人もたくさんいるでしょう。

つまりは、自分の人生をよりよく生きるためには、さまざまな選択をし、時に努力をし、泣いたり笑ったりしながら、進んでいかなければならないということ。
そして、それが人生というものなのだろうということです。

すべて自分の望み通り、計画した通りにいくわけではありません。
実際、新型コロナの影響で人生の計画が大きく狂ったという人もいるでしょう。

どんなに自分が努力しても、必ずしも報われることばかりではありません。時に理不尽な理由によって悪い方に転がってしまうこともあります。

逆に宝くじに当たったように、突然棚からぼたもちで幸運が舞い降りることもあります。

人生、何が起こるかわからないもの。。。

そう考えれば、大学受験ごときでジタバタしなさんな。

そんな風に思います。





娘にもいつも言ってきました。

大学受験で人生が決まるわけではないからねと。
そこがゴールであると勘違いしてしまうと、その結果のみに振り回されることになります。

ゴールではなく通過点だと思えれば、たとえその道を行くことができなくても、別の道を通っていくという選択肢も生まれます。

私は長女の時も、今回の次女の進路に関しても、まったく口も手も出しませんでした。

どうしたいかは、自分が一番よくわかっているはずだから、自分で行きたい道へどうぞという姿勢でいました。

私が行き先を決めてあげたからといって、その子の人生が素晴らしいものになるかはわかりません。
いくら自分の子供のこととはいえ、責任をとれないようなことはできません。

自分の選択による結果であれば、責任は全て自分にあるので、結果がどうあれ受け入れることもできるでしょう。

親ができることは、子供が成長するに従って少なくなってきます。
それは、ある意味で子育ての答えなのかなとも思っています。

「自分のことはなんでも自分でマネージできる人間に」

そう思って幼い頃から、子育てをしてきましたが、いま私がやるべきことはないと思うのなら、子育ては半分成功したようなものです。

もちろん、進路を決める上で相談にものりますし、できることはしてあげつもりではいます。
経済的な面においても、心配することなく学べるよう、最大限できる範囲で投資しているつもりです。

それ以外の最も大切な「人生の選択」は、親の役目ではありません。

18歳にもなれば、自分で考える力はついています。将来、自分がどんな人生を送りたいのかを決めるのは、親の仕事ではないと私は思っています。





何はともあれ、無事に大学入学共通テストを終え、娘もホッとしたようでした。
出来のほうは、「まあ、まあ」とのことで、100%満足とはいかなかったようですが、それが自分のしてきたことの結果です。
潔く次に進むしかありません。

気持ちはすっかり共通テストから離れ、今夜は部屋でゲーム三昧です(笑)

しかし、まだまだ終わりではありません。本番は2ヶ月後の3月に控えています。

さらに言えば、たとえ受検が終わっても、まだまだ先には険しい道が続いています。

なにがあっても挫けず、明るい気持ちで頑張って欲しいと思っています。

今日はちょっと過保護かしら?と思いつつ、私も暇なので受験会場まで送っていきましたが、たくさんの親御さんが会場前にいました。やっぱり、大切な日なので心配なのですね。。。

帰りはカフェでモーニングを食べました。
お客さんもほとんどなく、閑散としているのは土曜日の朝だからでしょうか。

外に出たついでに、買い物も済ませてしまおうと渋谷で途中下車するつもりが、駅はいつも通り大勢の人。。。
緊急事態宣言中でも変わらない人出のようで、やっぱりコロナが怖いので大人しく帰りました(笑)





ちなみに今日は、KPOPの人気グループ『BLACK PINK』のキム・ジェニさんの生まれた日です。

いつも人選が古いので、今回は若い人にしてみました(笑)

『BLACK PINK』といえば、いまやKPOPの女性グループの中では一番⁉︎というくらいの人気グループです。
50代の私でも知っているくらいですからね。

メンバーは4人ですが、私はこのジェニさんが一推しです。

コケティッシュな魅力とでもいうのでしょうか、可愛らしいお顔なのに、ちょっと生意気そうなキツイ表情。それが好きなのです。
若い女の子なら、素直で可愛らしい子よりも、ちょっと生意気なくらいが面白くて興味がわくのですよね〜(笑)

韓国の『CHANEL』ではイメージモデルをつとめていて、ファッションアイコンとしても、彼女が着た服はあっという間に売り切れという人気ぶりだと聞きました。

何年もの練習生時代を過ごして手にしたスターの座。
頑張った結果といえましょう。

人はみんな自分の都合で生きている。人に期待しない生き方が自分を守るという「哀」

2021年1月15日(金)

新型コロナウイルスが日本で発見されてから、今日で一年になるそうです。
早いものだなと思いますが、この365日の間、事態は改善されるどころか、どんどん悪化しています。

今日も東京では2000人を超える新規感染者が出たとの事ですが、都心部の繁華街では人が減る気配もありません。

人の意識を変えるのが、いかに難しいことか、改めて感じます。

コロナとは関係なく、人間関係など他者との関わりに悩む人は多いものですが、この状況を見て、改めて人間関係で悩むことは何の得にもならないなと感じています。

他人からだけではなく、家族間においてもそれは同じで、こちらがどんな言葉を投げかけようが、何をしてあげようが、相手にはまったく響かず、虚しい思いをするようなこともあります。

所詮、人間は自分の都合で動く。

そういうことなのだと思います。

相手を変えようとすること、変わってくれることを期待するのは無理なこと。

それくらいの諦めがなければ、少しでも感受性のある人は、傷だらけになってしまいます。

思いやりや助け合いを説く人もいますが、ほとんどは高みの見物だからこそ出てくる言葉です。
いざ火の粉が自分のところへ飛んできたら、きっと真っ先に逃げ出して素知らぬ顔をするでしょう。





人に思いやりを持ちましょう。

人には優しくしましょう。

幼稚園の頃から、たびたび聞かされてきた言葉です。

多分、誰もが心の奥底に、そんな他者を労る気持ちを持っているのだと思います。

それでもいざとなれば、やはり自分が一番可愛いものです。

私とて同じ。自分の身を犠牲にしてまで、他者を助けようなどという余裕はありません。

他者を思いやれないことが悪いことだとは思いません。人はみんなそれぞれの事情を抱えて、辛い時代を生きているのですから。

ただ、できないことを口にするものではありません。
人を期待させるようなことを言って、手のひら返しをしては余計に人を傷つけることになります。

偽善ほど忌々しいものはありません。

大人になると、偽善を身体中に貼り付けているような人を見ることが多くなります。

そうした人のほとんどは、それが偽物の善だとは気付いていなのでしょう。

そうでないとしたら、善の対局にある悪というものと無縁で生きてきたのか。。。

本物の善がないかと言えば、それもまた皆無ではありません。
私もこれまで、多くの人から本物の善を与えてもらってきました。
しかし、本物の善は、言葉よりも先に施されるものです。

本物の善を他者に与えるのは、与える余裕があるからです。
人を助ける物理的、心理的な余裕があるからこそ、施せる善です。

だからこそ、期待をしてはいけなのです。





善も悪もすべて、その人の都合によって、与えられるか否か変わるのです。
それは自分が知り得ない領域です。

手の平返しとは言葉が悪いですが、どんな人も自分の都合によってその言動は変わります。

だからこそ、悪い意味ではなく、他者には期待しないことです。
それが自分の身を守ることにもなります。


なにができるのかと言えば、結局は他者に期待することなく、自分自身の人生を粛々と生きていくこと。

それだけしかないような気がします。

自分を守れるのは自分だけ。
寂しいけれど、そうやって他者に期待せず、それを当たり前として生きれば、悩みも落胆も少なくなるでしょう。

こんなことを書くと、「なにかあった?」と思われそうですが、今日も一日家にこもっていたので、なんにもありません(笑)

ただ、夕方のニュースで街に集う多くの人をライブカメラで観たとき、これでは当然コロナも減少しないのだろうなぁ。。。などと思っていて、そう思ったのはなぜなのか?などと暇に任せて考えていただけなのでした。。。

明日は娘のセンター試験。。。ではなく、「大学入学共通テスト」でした。
いまだ、部屋にこもって足掻いているようですが、今夜は早寝をして万全の体調で臨んで欲しいと母は思っております。





ちなみに今日は、作家である落合恵子さんの生まれた日です。

ティーンになったばかりの頃、落合さんの著書『スプーン一杯の幸せ』を読んで以来、片っ端から彼女の本を読んだものです。
そこで知った「自立」というワードに大きな影響を受けたのです。
私は決してフェミニストではありませんが、自分の足で立ち、歩いていくことの大切さを教えてもらいました。

そんな『スプーン一杯の幸せ』をすっかり忘れてしまった数十年後、今度は『クレヨンハウス』と出会いました。

そこは表参道の裏通りにある、落合恵子さん主宰の児童書籍専門店で、オーガニック食材を用いたレストランも併設されていました。

子供達が幼い頃、絵本を探しに行ったり、ついでにこの店でランチをしたり、とても楽しく過ごした思い出があります。

フェミニストの草分けのような落合さんの著書に感銘を受け、あれだけ繰り返し読んだにも関わらず、数十年後には平日の昼間に、専業主婦として小さな子供の手を引いてクレヨンハウスにいる自分って。。。
人生とはわからないものだなと思ったものです。

今でも変わらず執筆活動を続けている落合さんですが、最近は少しトピックも変わり、老いや介護などについて書いた本も出版されています。

ちらりと読んでみましたが、内容云々以前に、私は落合恵子さんの書く文章が好きなのだとわかりました。

あれほど夢中になったのは、女性の自立に対する興味ではなく、実のところ文章演習といった観点からだったのかもしれません。

それならフェミニストにならなかったのも納得です(笑)

スマホアプリでなく、紙の手帳でスケジュール管理をする「楽」

2021年1月14日(木)

今日の東京はよいお天気でした。
しかし、予定はなにもありません。。。

毎朝、テーブルの上にスケジュール帳を開いておきます。
そこに書き込まれた予定を見て、一日どう動くか、頭の中で時間割を作るのが長年の日課になっています。

出かける予定だけでなく、好きなお菓子の発売日、またお取り寄せしたお菓子の配達される日なども書いてあります。

重要な案件であれば家族の予定も少しだけ書いてあることもあります。

朝、お茶を飲みながら、そんな手帳を眺めるのが習慣になっていますが、子供たちからは、「スマホで管理したら?」といつも言われます。

常々「荷物は少なければ少ないほどいい」と、小さなバッグに最小限のものだけを入れて出かける私が、スマホで兼用できるのに、わざわざ手帳を持って荷物を増やすことにも矛盾を感じると言われます。

確かにその通りです。
そう思って、スマホでのスケジュール管理を試みたこともあるのですが、どうもしっくりこなくてやめました。

しっくりこないとは、使いづらいというのではありません。
ただ、単に楽しくないのです。





細かいことを言えば、他にも理由はあります。

まず、時間刻みで動くほどの予定がありません。仕事もしていない、世話のかからない年齢になった子供を持つ専業主婦は、正直言えば時間を持て余しているといってもいいくらいです。

遊びの予定など、入れようと思えばいくらでも入りますが、ここ数年は一日に一件のみ。タイトにあこちこち渡り歩くような予定は組まないようにしています。

その方が人に会うのも時間を気にせずにゆっくり会うことができますし、どこか出かけたついでにと、余った時間でデパ地下やお菓子屋さんにぶらりと行くこともできます。
余裕があればその時の気分で好きなことができるというわけです。

その程度の予定なので、わざわざスマホで管理するほどのことでもありません。
手帳すら持たなくても大丈夫なくらいの予定しかはいっていないのです。

家のリビングにあるカレンダーにも、家族それぞれの予定が書き込んであるので、それを見ればスケジュールの把握は十分にできてしまいます。

それでも毎年手書きの手帳を買ってしまうのは、手書きが好きということに尽きるかと思います。

ポンポンと指先でタップするよりも、手で一文字一文字書いた方が、しっかりと心に刻まれるのか、よく覚えていることができる気がするのです。

アナログ世代にとって、スマホは簡単に使いこなせる機器ではありません。やっと慣れたと思ったら機種変などで、また操作方法が変わったりと、面倒なものです。
あちこちタップしてその画面にたどり着くのに比べたら、紙の手帳をパッと開けば済む方が数倍も楽なのです。

何よりも、単純に手書き文字で埋まった白い紙を見るのが好きなのかも知れませんが。

紙の手帳は市販させているものでも無数にあります。各々のライフスタイルによって、さまざまなタイプを自由に選ぶことができます。

私はいつも確定した予定を書く欄、to do リストのように、その日にやるべきことが記入できる欄があるものを選びます。

それに加えて、ちょっとしたメモをとるスペースのあるものを使用して、予定表+雑記帳のような使い方もしています。

なるべく自由に書ける余白があって、なおかつコンパクト。

手帳に関しては結構なこだわりがあるので、毎年10月頃になると、あれでもない、これでもないと、手帳探しに出かけます。





今年の手帳は例年よりも大きめです。とはいえ、手の平に収まるくらいのものですが。

このコロナ禍で、すっかり外出の機会も少なくなり、きっとその流れは当分続くだろうと思ったので、持ち歩きを想定しませんでした。

実際、例年ならばお正月気分もすっかり抜けた今頃は、そろそろ集まりましょうか?と、友人とのお付き合いに手帳の紙面が埋まってくるころです。

しかし、今年は違います。これまで定期的に入っていたお友達とのランチやお茶の約束は一つも記入されていません。

それはとっても寂しいものですが、こんな状態がずっと続くわけではないでしょう。

諸行無常。。。

物事は常に移り変わっていくものです。
このコロナもやがて終息する日がきて、コロナ以前のように食事や旅行などを好きなように楽しめる日がくると思っています。

その時には、きっと今は隙間だらけの紙面も、たくさんの文字で埋まることでしょう。

いま、書いてあるのは、趣味であるお菓子のことばかりですが、たったそれだけでも、楽しみに心待ちできることがあるだけ幸せです。

毎朝、紙の手帳を開いては、さてさて今日は?と、その日起こる楽しい出来事を頭に巡らせると、とても楽しい気分になるのでした。。。





ちなみに今日は、アメリカの女優、フェイ・ダナウェイさんの生まれた日です。

いつもながら人選が古いため、お若い方は「誰?」と思う方もいるでしょうが、映画ファンならすぐ「クライド!」とお分かりになるでしょう。

あの名作『Bonnie and Clyde(俺たちに明日はない)』のクライドを演じた女優さんです。

世界恐慌時代のアメリカで、実存したカップルの強盗行脚を描いた映画ですが、ボニーを演じた若き日のウォーレン・ベイティの素敵なことったら!

ボニーも最高に格好よかったですが、私はなんといっても黒いベレー帽を被ったクライド(フェイ・ダナウェイ)に魅了され、十代の頃はクライドを真似て、髪を長めのボブにしてベレー帽を被ったりしていたほどです(笑)

衝撃的なエンディングもさることながら、主人公達の魅力が多く語られる映画でもありました。

映画のタイトルは日本版になると、途端に陳腐になるものが多いものですが、この『俺たちに明日はない』は、このストーリーの全てを言い尽くすかの如く秀逸です。

久しぶりに思い出した映画ですが、「いい映画だったなぁ」とつくづく思います。
最近、そんなふうに思う映画ってなかなかないんですよね。。。

若い頃にクライドを知ってよかった。。。
たとえ今、感化されたとしても、あのベレー帽はもうかぶれません。
似非絵描きのおかしなおばさんにになってしまいますから。。。

なんでも若い頃にやっておくべきです(笑)

韓流ドラマに阻まれる早寝早起き習慣。睡眠不足対策は早朝鑑賞で!の「楽」

2021年1月13日(水)

昨夜、遅くまで起きていたせいで、今日は眠い一日でした。

年が明けてから、これまでのリズムが狂ってしまっているようで、就寝時間も定まりません。

理想は11時までには就寝し、起床は朝4時から5時の間ですが、実際は起きる時間は変わらなくても、寝る時間が後ろ後ろに押してしまっています。

長いこと早寝早起きを習慣としてきましたが、最近は無理に規則正しい生活をしなくてもいいのでは?と思うようになりました。

このコロナ禍で子供達の生活も変わりました。大学生の長女はずっとリモート講義なので、朝早くから通学することもなくなりました。
次女も大学受験を控え、学校への登校はなくなり、予備校のみです。

つまり、これまでのように朝から子供を起こしたり、朝食を食べさせたりする必要がなくなったのです。

夫も半分リモート、半分出社と、朝はのんびりなので、我が家の朝はグッと遅くなったと言えます。

なにがあろうとも、生活がどう変わろうとも、私が早起きをすることは変わりません。

たとえ夜中の3時まで起きていたとしても、4時から5時の間には必ず起きます。
早く就寝したときは、長年の習慣で自然と目覚めますが、さすがに睡眠時間が2時間程度になると、目覚ましが鳴らなければ起きられません。

しかし、早起きをする必要がないときでも、必ず目覚まし時計をセットして、いつもと同じ時間に起きるのです。

なぜそこまでして早起きにこだわるのか。
とくにやることもないのに睡眠を削るのは「無駄な早起き」であると、夫にも言われます。

なんのためなのかと言えば、それは「自分でそうしようと決めたことだから」としか言えません。
とくに理由はなく、言ってしまえばただの「自己満足」です。

そうすることで、自分がきちんと生活しているという安心感が欲しいのかも知れません。





早起きをするメリットはきっとあるのだと思いますが、当たり前のようにしているためか、それほど得をしているような実感はありません。

強いて言えば、寝坊をしないで済むというくらいでしょうか。

どんなに寝過ごしたとしても、普段4時ごろから起きていれば、普通の人が起きるくらいの時間には再び目覚めるものです。

朝から出かけなければならない時でも、慌てて支度をしなくて済む。余裕を持って出かけることができる。

メリットとして思い浮かぶのはそれくらいのことです。

このコロナ禍の緊急事態宣言下では、朝から出かける用事もありませんし、一体何のために早起きをしているのだか。。。といったところですが。。。

そのために睡眠不足に陥り、なんとなく気分が優れなかったり、不調を感じたりすることもありますが、なかなか早起きをやめることができません。

朝は用事がなければ何時まででもグーグー寝ている夫からすれば、私は「おかしい」そうです(笑)

人の顔を見れば「もっと寝なさい」と言います。
朝、仕事に出かける時も「少し寝なさい」というのが決まり文句になっています。

しっかり睡眠をとらないと、免疫力が落ち、コロナに感染するリスクも高くなると、最近はなるべく多く睡眠をとるように心がけてはいますが、うまくいきません。

早起き習慣を変えることなく十分な睡眠時間を確保するためには、早く寝るしかありませんが、近頃それを阻むものがあり困っています。





それは、韓流ドラマです(笑)

かつて『冬のソナタ』で韓流ブームが起こった時も、「そんなのどこが面白いの?」と、まったく興味を持っていなかったのですが、昨年の3月頃からでしょうか、コロナで外出もままならず、退屈しのぎに片っ端からNetflixを観ていたとき、出会ってしまったのです。

まるで、バブル期に流行ったトレンディードラマのような、「そんな偶然ある?」「こんな素敵な人いる?」「ここまでの悪人なんている?」「こんな物事うまくハッピーエンドになる?」という、あまりに都合のいいストーリーやスピーディーな展開に思わず夢中になってしまったのでした。

以来、時間ができるとあのドラマ、このドラマとあれこれ観ているのですが。これがまた中毒性があり、一度観始めると止まらなくなるのです。

長いものだと1話約1時間のドラマが80話以上も続くなど、観ても観ても終わらないストーリーに、「一体どれだけ時間が必要なの⁉︎ もう家事なんてやりたくない!」と、一日中観ていることのできない我が身の上を嘆いたり。。。

そう、立派な韓流おばさんになってしまったのです。。。

貴重な睡眠時間を、この韓流ドラマに譲り渡してしまうせいで、睡眠時間はさらに削られるのです。

ここで葛藤が生まれます。

これは睡眠を削ってまですることか?

でも、楽しいし、観たいんだからいいじゃない?

そんな風に気持ちは行ったり来たりしていました。





昨年、友人たちと会った際、就寝時間が話題に登ったことがありました。

私が、韓流ドラマのせいで、睡眠不足になっている。などと話したことが発端ですが、そこでもまた「早起きしなきゃいいじゃない」と一刀両断されました。

それはそうですよね。。。

みんな、子育てが一段落した年代の友人たちです。
子供の世話から離れ、今は夜寝る時間も朝起きる時間も「適当に」だそう。

驚いたのは、朝4時ごろまでずっとNetflixなどで映画を観ていて、起きるのは午後2時ごろだという人が数人いたことです。

「そんなことでいいの⁉︎ 怠惰な生活だなと自分で嫌にならない?」

思わず身を乗り出してしまいましたが、当人たちはケラケラと笑っています。

「別に怠惰だっていいじゃない!やっと子育てから解放されたのだから、好きにやるわ」

そう言います。

確かに。。。誰に迷惑をかけるわけでもなし。好きなことをして、楽しく過ごしているのなら、それは恥ずべくことではありません。

◯◯でなければいけない。

◯◯しなければいけない。

そんな縛りはもう必要ないのだなと思いました。

自分で自分を縛り付けていることって、案外多いのかも知れません。
実際はそれほど深刻になるようなことでもないのに、勝手に自分で自分に縄を打って窮屈にさせていることが。

「きちんと生活しなくちゃ」と、思うよりも、楽しく暮らすことの方に気持ちを傾けるべきだと、最近は思うようになりました。

とはいえ、そうそう簡単に長年の習慣は変えられません。

そこで考えました!

「無駄な早起き」と言われていた早朝に、韓流ドラマを観ることです。

夜はなるべく早く寝て、早朝からがっつり鑑賞する。
これは実際に何度かやってみたのですが、なかなかいいもので、朝の退屈な時間を有意義に過ごしていると感じられます(笑)

しかし、たまにやってしまうのです。夜、寝る前に「ほんのちょっとだけ。1話だけ」と観てしまうと、ズルズルズルズルと、何話も観てしまい遅くなってしまうということが。。。

昨夜はまさにそれでした。。。

今夜こそは早寝します。明日の朝を楽しみに。。。





ちなみに今日は、直木賞作家である阿刀田高さんの生まれた日です。

10代の頃、人生でもっともたくさんの本を読んでいた頃、この方の作品をたくさん読みました。

今のようにスマホのなかった昭和の時代、読書は時間の有り余った若者にとって、もっとも近しい娯楽でした。

背伸びをして難解で風変わりな長編作品もたくさん読みましたが、一方ではサラッと読める娯楽性の高い短編もよく手に取っていました。

中でも、時間潰しに最適だったのが、ショートショートといわれる短いストーリーでした。

当時、そのショートショートの第一人者が阿刀田高さんだったのです。

待ち合わせの喫茶店、電車での移動中など、阿刀田高さんののブラックユーモア満載のショートストーリーを楽しんだのを懐かしく思い出します。

思わずニヤリ。。。としてしまうようなオチ。きっと今読んでも充分楽しめる作品ばかりでしょう。

韓流ドラマばかり観ていないで、昔の半分でいいから読書時間を取り戻したいものです。。。