365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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人はみんな自分の都合で生きている。人に期待しない生き方が自分を守るという「哀」

2021年1月15日(金)

新型コロナウイルスが日本で発見されてから、今日で一年になるそうです。
早いものだなと思いますが、この365日の間、事態は改善されるどころか、どんどん悪化しています。

今日も東京では2000人を超える新規感染者が出たとの事ですが、都心部の繁華街では人が減る気配もありません。

人の意識を変えるのが、いかに難しいことか、改めて感じます。

コロナとは関係なく、人間関係など他者との関わりに悩む人は多いものですが、この状況を見て、改めて人間関係で悩むことは何の得にもならないなと感じています。

他人からだけではなく、家族間においてもそれは同じで、こちらがどんな言葉を投げかけようが、何をしてあげようが、相手にはまったく響かず、虚しい思いをするようなこともあります。

所詮、人間は自分の都合で動く。

そういうことなのだと思います。

相手を変えようとすること、変わってくれることを期待するのは無理なこと。

それくらいの諦めがなければ、少しでも感受性のある人は、傷だらけになってしまいます。

思いやりや助け合いを説く人もいますが、ほとんどは高みの見物だからこそ出てくる言葉です。
いざ火の粉が自分のところへ飛んできたら、きっと真っ先に逃げ出して素知らぬ顔をするでしょう。





人に思いやりを持ちましょう。

人には優しくしましょう。

幼稚園の頃から、たびたび聞かされてきた言葉です。

多分、誰もが心の奥底に、そんな他者を労る気持ちを持っているのだと思います。

それでもいざとなれば、やはり自分が一番可愛いものです。

私とて同じ。自分の身を犠牲にしてまで、他者を助けようなどという余裕はありません。

他者を思いやれないことが悪いことだとは思いません。人はみんなそれぞれの事情を抱えて、辛い時代を生きているのですから。

ただ、できないことを口にするものではありません。
人を期待させるようなことを言って、手のひら返しをしては余計に人を傷つけることになります。

偽善ほど忌々しいものはありません。

大人になると、偽善を身体中に貼り付けているような人を見ることが多くなります。

そうした人のほとんどは、それが偽物の善だとは気付いていなのでしょう。

そうでないとしたら、善の対局にある悪というものと無縁で生きてきたのか。。。

本物の善がないかと言えば、それもまた皆無ではありません。
私もこれまで、多くの人から本物の善を与えてもらってきました。
しかし、本物の善は、言葉よりも先に施されるものです。

本物の善を他者に与えるのは、与える余裕があるからです。
人を助ける物理的、心理的な余裕があるからこそ、施せる善です。

だからこそ、期待をしてはいけなのです。





善も悪もすべて、その人の都合によって、与えられるか否か変わるのです。
それは自分が知り得ない領域です。

手の平返しとは言葉が悪いですが、どんな人も自分の都合によってその言動は変わります。

だからこそ、悪い意味ではなく、他者には期待しないことです。
それが自分の身を守ることにもなります。


なにができるのかと言えば、結局は他者に期待することなく、自分自身の人生を粛々と生きていくこと。

それだけしかないような気がします。

自分を守れるのは自分だけ。
寂しいけれど、そうやって他者に期待せず、それを当たり前として生きれば、悩みも落胆も少なくなるでしょう。

こんなことを書くと、「なにかあった?」と思われそうですが、今日も一日家にこもっていたので、なんにもありません(笑)

ただ、夕方のニュースで街に集う多くの人をライブカメラで観たとき、これでは当然コロナも減少しないのだろうなぁ。。。などと思っていて、そう思ったのはなぜなのか?などと暇に任せて考えていただけなのでした。。。

明日は娘のセンター試験。。。ではなく、「大学入学共通テスト」でした。
いまだ、部屋にこもって足掻いているようですが、今夜は早寝をして万全の体調で臨んで欲しいと母は思っております。





ちなみに今日は、作家である落合恵子さんの生まれた日です。

ティーンになったばかりの頃、落合さんの著書『スプーン一杯の幸せ』を読んで以来、片っ端から彼女の本を読んだものです。
そこで知った「自立」というワードに大きな影響を受けたのです。
私は決してフェミニストではありませんが、自分の足で立ち、歩いていくことの大切さを教えてもらいました。

そんな『スプーン一杯の幸せ』をすっかり忘れてしまった数十年後、今度は『クレヨンハウス』と出会いました。

そこは表参道の裏通りにある、落合恵子さん主宰の児童書籍専門店で、オーガニック食材を用いたレストランも併設されていました。

子供達が幼い頃、絵本を探しに行ったり、ついでにこの店でランチをしたり、とても楽しく過ごした思い出があります。

フェミニストの草分けのような落合さんの著書に感銘を受け、あれだけ繰り返し読んだにも関わらず、数十年後には平日の昼間に、専業主婦として小さな子供の手を引いてクレヨンハウスにいる自分って。。。
人生とはわからないものだなと思ったものです。

今でも変わらず執筆活動を続けている落合さんですが、最近は少しトピックも変わり、老いや介護などについて書いた本も出版されています。

ちらりと読んでみましたが、内容云々以前に、私は落合恵子さんの書く文章が好きなのだとわかりました。

あれほど夢中になったのは、女性の自立に対する興味ではなく、実のところ文章演習といった観点からだったのかもしれません。

それならフェミニストにならなかったのも納得です(笑)