365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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老後の生活を考え、お金についての気づきを得た「喜」

2020年10月16日(金)

今日の東京は一日中どんよりとしたお天気で、少し寒かったので、今シーズン初めてジャケットを羽織りました。

一昨日からの胃痛も思ったより早く落ち着いて、ホッと一安心したところで、タイミングを見計らったように、お友達からランチのお誘いメールが入りました。

昨日までの苦しみは何処に。。。喉元過ぎればで、いそいそと出かけたのでした。

待ち合わせより少し早めに家を出て、百貨店に寄り、昨日までの苦痛に耐えた自分にご褒美を授けるべく、アクセサリーを買いました。

そういえば、娘が靴を欲しがっていたなと、冬用のブーツもついでに。
下の娘とはサイズが同じなので、あわよくば私が履いてしまおうという算段です。

あまり派手に買い物をすると、夫も真似をして買い物に走るので、あくまでも「子供のもの」とする必要があります。

我が家の夫は私のお金の遣い方にはあまり興味がないようで、「家計が破綻しない限りは好きにして」と、非常に寛大です。

しかし、私があまり買い物をすると、「うちにはお金があるのだな!」と、激しい勘違いをして、お金を遣いまくろうとするので、要注意なのです。





お金に対しては、とても能天気な私達夫婦ですが、50も過ぎれば少しは老後のことも視野に入ってきます。
入れたくはありませんが、勝手に入ってくるので、考えざるを得ません。

今は年金だけでは生活できないと言われていますが、もともと「私達が受給する頃には貰えない」などという話は、何十年も前から言われてきたことなので、その辺りは想定内。はなっから期待はしていません。

払っているのだから、貰えるものは1円たりとも逃すつもりはありませんが。。。

年金はお小遣い程度と考え、では生活費をどこから捻出するかといえば、貯蓄、あとは持っているものを全て売り払い現金化するか、それくらいしか思い浮かびません。

ちょっとしたパートをするという手もありますが、ずっと働いてきた人ならともかく、65歳過ぎてから働き始めるとなると、これはこれで難しそうです。

私が企業の経営者なら、長年使われてこなかったアンティークなど使おうなどとは思いません。

ギーギーうるさいだけで、全く回らない時計のように役に立たないのは想像できますからね。

なんと言ってもポケベル、ワープロ世代です!少し上のお友達になると、タイプライター検定だのなんだのと言い出すくらいなので、まったくお話になりません。

絶望的です。。。

それなら、50代の今のうちから働き始めては?

などと、考えることもあります。

今日もランチの席でそんなことが話題になりました。

ところが、類は友を呼ぶで、みんな私と同じように能天気なのか、

「いまさら遅いわよ。50代になって社会から必要とされると思う?」

「人のお金(夫の稼いだお金)で暮らせる道が残されているうちは、とことん行くわ!」

「いざとなったら、山奥で自給自足の生活するわよ」

「どこかでスポンサー見つけてきて、細々と商いでもやるわ」

などと、ちっとも真剣に考えていません。

これは俗に言うところの「バブル脳」と言うやつでしょうか。。。

「人生なんとかなるもの」

そんな考えがいつも根底にあるのです。

一度染み付いた「金は天下の回りもの」思考は、この令和の時代になった今でも、我々の心に、まるで竹の根のように、強固に張り巡らされ、どんなに時代が変わろうが、揺らぐことはないのです。





結局、今日も「なんとかなるわよ」で終わり。。。

バブル崩壊リーマンショックも経験したけれど、みんな普通にこうやって生きてるじゃない!

と、まるで自分が不老不死であるかのように嬉々として大笑いしている我等。

時代がどう変わろうか、常に運は自分の味方をしてくれていた。
きっとこれからも、死ぬまでずっとそうであろうと根拠のない自信に満ち溢れているのでした。。。


お友達と別れ、帰る道すがら、ふと思いました。

誰にでも訪れる「老い」に、そしてこの冷え冷えとした社会に、私達が目を向けられる日がくるのでしょうか。

気づいた時には手遅れだった。。。

そんなことにならないように、少しでも貯蓄を増やさねば!

よし!抜け駆けだ。
豊かな老後を目指して、1円でも多く貯蓄を増やすのだ!

いつも必ず寄って散財するデパ地下に背を向けて、颯爽と雑踏の中を歩いている時、、、

また、ふと思いました。。。

もしや、みんなもこうして、心の内では何かしらの算段をしているのかもしれない。。。

あれほど、ちゃっかりした連中が、なんのプランもないなどとは考えられない!

これは抜け駆けどころか、置いてきぼりを食わないように、しっかりと老後の生活を考えなければと。。。


帰宅すると、すでに夫は仕事を終え、家でのんびり晩酌中でした。

そこで、今日あった老後不安の話をしてみたところ、、、

「大丈夫!大丈夫!なんとかなるから」

。。。。。。。

バブル脳以上の能天気、根無草体質の外国人。

この人の泥舟に乗るのは危険かもしれない。。。

やはり自分の老後は自分でプランニングするに限る!

お金についての気づきで、デパ地下散財を免れたよい一日でした。





ちなみに、今日は初代内閣総理大臣伊藤博文氏の生まれた日です。

ファーストトピックがお金のお話でしたが、こちらもお金です。


昭和世代にとって、お札といえば一万円、五千円札は「聖徳太子」、千円札が「伊藤博文」そして、五百円札(今はなき札!)は「岩倉具視」というお三方。

子供にとって、紙のお金(お札)は特別なものでした。お菓子を買いに行くのも、お小遣いも、いつも100円玉や50円玉でしたから。

しかし、年に一度、聖徳太子伊藤博文岩倉具視と出会えることがありました。
子供にとって一年に一度のビックイベント、お年玉です!

この時、一番私の元に多くきてくれたのが伊藤博文氏でした。
たまにケチな叔母が岩倉具視氏を連れてきたりしたことはありますが、それと同時に酔っ払った叔父が大盤振る舞いで聖徳太子を授けてくれることもありました。

子供だった私にとって、聖徳太子はまだまだ遠い存在でした。
そんな羨望は令和の時代になっても尾を引き、未だに一万円札を「聖徳太子一人、二人」などとカウントしまうことがあります。
これが通じるのは、まさに年寄りだけですが。。。

それに比べると、やはり伊藤博文は最もしっくりとくるお札だったのです。

とにかく、貰った聖徳太子伊藤博文、そして岩倉具視など数人を、白いビーズのあしらわれたポシェットに詰め、大切に持ち帰ったのを思い出します。。。

それに比べると、今はいささかお金に対するリスペクトが薄れているのかもしれません。

そうでなければ、「おあし」と呼ばれるが如く、私の財布から札が次々と姿を消すこともないでしょう。

これはいけません。

お金は大事なものなのですから、きちんとしまっておかねば。。。

幼き頃を思い出し、お金は大切にしなくちゃ。。。と、改めて思ったのでした。