2021年3月1日(月)
日中は春のようにポカポカとよいお天気だった今日、朝から次女の卒業式に参列していました。
このコロナ禍で果たして普通の卒業式が行われるのか、しばらくは未定であったこと。
また娘の受験日が2日に分かれていたので今日になる可能性もあったため、式自体に参加できないことも想定されていました。
この時点で、私の中では「卒業式には参列しない」という図が出来上がっていたのですが、蓋を開けてみれば、参列できるという状況になっていました。
すっかり行かないつもりだったので、いきなりそんな状況になっても気持ちが向きません。
正直、卒業は本人のもので、私が行っても行かなくても。。。などと思ったり。
自分の卒業式の時もそうでしたが、全く知らない、おそらくは入学式の時に一度顔を見ただけのおじさん、おばさん達の話を延々と聞くのは、一体誰のため?と冷めた気持ちになってしまうのです。
しかし、仕事で参列できない夫から「一生に一度のことだから行ってあげるべき。いけるものなら自分が行きたい!」と言われてしまいました。
当の娘はどうかと言えば、
「コロナ禍にわざわざ来る必要ないよ。来て何するの?座ってるだけだよ」
そんな調子です。。。
迷った末、やはり参列することにしました。
夫がその姿を見たがっているのなら、代わりに撮影係として行こうと思ったのです。
長女の卒業式以来、3年ぶりの式典でしたが、変わりませんね(笑)
私が卒業式をした昭和の時代から比べても、全く変わりません。世の中はこんなに変わってしまったのに、そこはまるで時間が止まったように何もかもが驚くほど同じでした。
学校長のご挨拶から始まり、来賓のご挨拶、在校生、卒業生代表による送辞や答辞、君が代歌って、みんなが涙する。。。
この一連の流れも、話す内容もどこかで聞いたようなものばかり。
もっと面白い演出はないのかな。。。と、正直退屈でした。
しかし、そう思っている人ばかりでありません。
そこかしこから聞こえて来る鼻を啜る音。
決して花粉症のせいというわけではありません。
泣いているのです!保護者達が。
そっとハンカチで涙を拭う保護者に囲まれ、思ったのは、
「やっぱり卒業式では泣けない!」
でした。。。
昔々、アイドルだった時代の斉藤由貴さんが『卒業』という曲を歌っていました。
「卒業式で泣かないと、冷たい人と呼ばれそう。でも、もっと大事な瞬間に涙はとっておきたいの」
これを聞いた時、泣かないと冷たい人と呼ばれるのね。ということ、そして私は「泣かない」のではなく「泣けない」のだと思ったものです。
悲しくもなく、寂しさもない。
私にとっての卒業とは自由へのチケットと同じようなものでした。
今は亡き尾崎豊さんが『卒業』と言う曲の中で言った、
「この支配からの卒業」
それに近い感情だったような気がします。
なにぶん自分が卒業してから何十年にも経つので、その記憶はかなりぼんやりとしたものですが、卒業式が終わった時の喜びは覚えています。
これからは自由だ!
納得のいかない数々の常識やルールに従う必要もない。
「先生」という肩書きがあるだけの、尊敬できない大人に価値観を押し付けられることもない。
制服という個性を隠した鎧を纏わなくていい。
そんな晴々とした気持ちでした。
泣くなどとんでもない。嬉しくて万歳三勝したいくらいでした。
すでに社会人を含め、学校以外の課外活動で得た沢山の友達がいたので、学校以外の居場所でこれからは存分に楽しめるというワクワク感の方が優っていたのです。
そんなに嬉しい日に、どうしたら涙が出るというのでしょうか⁉︎
あっ、嬉し泣きというのはあるかもしれません。
問題児だった友人は、無事に卒業できたことで、両親に負い目を持たずに済んだ、叱責や蔑みから回避できたと嬉し涙を流していましたっけ(笑)
そんなわけで、卒業式に泣いた経験がありません。。。
せめて娘の晴れ姿をみて「泣けるか⁉︎」と思いましたが、無理でした。
私はそんな泣けない女ですが、娘の方はどうかと式の間中観察していましたが、泣いている様子はありません。
それどころか、静かにしていなければいけない時は、退屈そうに指をモジモジといじったり、キョロキョロ周りを見渡していたり。
時折、私に視線を向けて、ニヤリと目尻に皺を寄せてみせたり。。。
クライマックスの卒業生代表による答辞では、昨日の受験疲れが出たのか、うつらうつらしていました。。。
式が終わってからも、抱き合って泣く友人たちをよそに、式典で飾られた花が綺麗だと、撮影していたりと、泣く様子はまったくなし。。。
これって、遺伝子の為せる技なのでしょうか。それとも、こんな親の元で育ったため?
ちょっと複雑な気持ちになっている私に大量の荷物を「悪いけど持って帰って!」と預けると、制服を着て遊べる最後の日だから!と、友人達と連れ立って遊びに行ってしまいました。。。
「いいの⁉︎ 普通は家族で食事に行ったりするものなんじゃない⁉︎」
他のお母様にそんなことを言われたりしましたが、特別な日であるならば、どう過ごすかは自分で決めればいいと思っていました。
自由を獲得し、自分の意思で物事を選択し実行するということを楽しみつつ、そこには必ず責任というものがワンセットでくっついてくることを学んでもらわなければいけません。
ちょっと変わったところのある子なので、在学中は何度も何度も先生から連絡をいただきました(笑)
個性が強すぎて、それを素晴らしいと言ってくれる先生がいる一方で、けしからん!と避ける先生もいたり。。。
それでも、親の責任として、お世話になった先生方全員に挨拶をしてきました。
たびたびのご面倒を申し訳ありませんでした。。。
辛抱強くご指導くださり、ありがとうございました。感謝致しております。
6年間という長きに渡り、お世話になりました。。。
そんな感じで、あちこちでコメツキバッタのようにぴょこぴょこしていたせいか、あまりに頭を下げ過ぎて、帰りには軽い鞭打ち症状?というくらい首が痛くなりました。親の責任とは重たいものです。。。
何はともあれ、これで一段落です。
一つ一つ私の役目が終わっていきます。
娘も慣れない日本の学校で、よくぞ頑張ったと思いますが、私も頑張りました。
学費をせっせと稼いできた夫も頑張りました。
やはりこの喜ばしい日に、泣くことはできない!と改めて思った卒業の日でした(笑)
ちなみに今日は、ロシアの菓子職人、バレンティン・F・モロゾフさんの生まれた日です。
『モロゾフ』といえば誰もが知る有名な洋菓子店ですね。
名前からもこの方が現在の『モロゾフ』の創設に関わったことはわかりますが、その後日本人共同経営者との間で悶着あったようです。。。
調べてみて初めて知った事実でした。
結局、モロゾフさんは自身のお名前になっている『モロゾフ』を離れ、『コスモポリタン製菓』を設立。高級チョコレートを日本に普及させる立役者となりました。
バレンタインデーにチョコレートを贈るという慣例を生み出したのもこの会社だとか。
古くからあるお菓子屋さんなどでは、日本人同士でもお家騒動的などの話は耳にしますが、遠いロシアから日本に渡り、事業を起こし、名だたるブランドに育て上げるには相当の苦労があったことと想像します。
残念ながら『コスモポリタン製菓』はすでに廃業となっていますが、モロゾフさんのお名前はいまも美味しいお菓子と共に残り続けています。