365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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アクセスアップの「喜」

2020年9月19日(土)

今日から彼岸入り、そして4連休の始まりです。
連休といっても仕事を持っているわけでも、小さな子供を抱えているわけでもないので、いつもと変わりない土曜日でした。

本当はお彼岸になると買いに行く『とらや』さんのおはぎ目当てに出かけるつもりでしたが、娘から進路のことなどで話しかけられ、進路相談をしているうちに、なんだか出かけるのが面倒になってきて、家にいることにしました。

彼岸入り=おはぎ

脳内にしっかりと刻まれた甘くエモーショナルな思考は、おはぎを食べないことには消えるはずもなく、暇さえあればネットでおはぎの画像を見ては、新規開拓に勤しんでいました。

今日の私にはどんな高級クッキーやチョコレートも、この甘い乾きを癒すことはできない。。。

そんな感じで、自分の怠惰な決断を思い切り後悔して過ごしていたのですが、夜になってちょっと嬉しいことが一つ。

いつものように、晩ご飯の後片付けをした後、ブログでも書こうかと開いてみると、本日のアクセスが爆上がりしていたのです。

3つあるブログのうちのメインブログです。他のブログはこのブログも含め、ほとんど見る人のいないブログなので。

このメインブログは『お菓子を巡る暮らしの雑記帖』といって、日々食べたお菓子をひたすら紹介するという、独断と偏見に満ちたお菓子の備忘録です。

丸々3年もやっているので記事数は1000を超えています。そのうち全てがお菓子の記事ではありませんが、おそらく8割以上はお菓子関連でしょう。

たまに特定のお菓子がテレビなどで取り上げられることがあります。そんなとき、興味を持った人が検索をしてそのブログにたどり着き、アクセス数を上げるという事象は過去にたびたびありました。

しかし、今回はその上げ幅に目を見張るものがありました。

1時間のアクセス数が、通常のざっと10倍です。


今年に入ってから、Googleのアップデートという鎌が振り下ろされ、個人ブログの評価は思い切り降下しました。

そのせいでアクセス数半減という憂き目にあってきましたが、アクセスはあれば嬉しいけれど、なければないで困ることもありません。

サブブログなど1日数十アクセスしかありませんし、このブログに関しては、もはや公開もしていない状態なのでアクセスはゼロです!

それでも、毎日毎日つらつらと書いているのは、ブログが楽しいからに他なりません。

正直、どちらでもいいのですが、アクセスがあるということは、そのブログが面白いと評価されていことと同義であるとも思うので、やっぱりアクセスがあれば励みにもなります。

Googleアドセンスに言及するとすれば、月に何十万アクセスもない限りは、やっていないも同然なので、アクセスと関連付けて考えてもあまり意味はないかと。。。
そんな感じです。

さて、それはともかくとして、このアクセス爆上がりの原因が気になるところ。

もしかしたら、誰かにいたずらされたのでは?と、別の可能性も考えられます。

こんな時はいつもアナリティクスで確認するようにしています。

その結果。。。

思った通り、過去にアップしたある和菓子についての記事にアクセスが集まっていました。
きっとテレビかなにかで紹介されたのでしょう。

アクシデントがあったわけでもなく、単純に過去記事がヒットしたという理由にホッと胸を撫で下ろしたと共に、やはりアクセスのグラフがグーンと上昇するさまを見るのは嬉しいものだと思ったのでした。

そんな出来事があっても、私のおはぎ脳は以前として膠着状態です。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。
涼しくなってきたので、明日はぶらぶらおはぎでも買いに行ってきましょうかね。





ちなみに、今日はモデルの故山口小夜子さんが生まれた日です。

早いもので山口小夜子さんがお亡くなりになられ、13年も経つのですね。

モデルとして、世界にジャパンビューティーをしらしめた功労者でもあります。

あの切れ長の独特のメークに真っ赤な口紅。そして、あの創造的なウォーキング。

最近は「私を見て!」と自身をアピールするためにランウェイを歩いているようなモデルさんを多く見かけますが、山口小夜子さんのウォーキングは、いかに服を美しく魅せるか(見せるか)を追求したものでした。
その動き一つ一つは、まるで衣ずれの音がさらりさらりと聞こえてくるような、その生地の質感まで伝わってくるような、幻想的な動作の連続でした。
まるで蝶々が舞うように歩く姿は、ジャパンビューティーを体現するにぴったりのウォーキングでした。

のちに舞踏家、勅使河原三郎氏などと舞台に出ていたのを何度か鑑賞に行きましたが、それはそれは美しかったです。きっと表現することに対して貪欲だった方なのでしょう。

このような方が若くしてお亡くなりになられたのは、本当に残念を通り越し、ショックでもありました。

若かりし頃、憧れた人。

日本人としての美の基準を植え付けてくれたのは、紛れもなく彼女の存在でした。

写真集を開いてみると、時を止めた山口小夜子という人の美に、懐かしさと物悲しさが押し寄せてきました。

今でも時折YouTubeなどで山口小夜子さんのウォーキングを観たりしています。
生きている、動いている山口小夜子さんが見られる喜び。

今夜は彼女の姿を観ようと思います。