365の喜怒哀楽

1日2トピック型日記

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ストレスとラーメンにもたらされた「苦」

2020年10月14日(水)

今日は朝から気乗りのしない予定がいくつか入っていました。
人間生きていれば、やりたくないことをやらなければならないこともあります。

それは決して珍しいことではなく、残念ながら何度も経験しなければならないことです。

避けて通ることができることもあります。しかし、避けていては状況が変わらない、つまり前進できないという場合は、嫌々でもやらねばなりません。

どれだけ経験しようが、嫌なものは嫌で、考えると胃にストレスという名の鉛でも打ち込まれたように重苦しくなります。

嫌いなこと、快くないこと、面倒なこと、不安なこと、全てをまるごと背中に背負い込んだような、救いようのない日と言ったらいいでしょうか。

しかし、そうしたことは、いざ済んでしまえば、「な〜んだ、訳はなかった!」と思えることもあります。それは結果がよかったときに限り、改善の兆しが見えないような足踏み状態の時は、当初の重苦しい気持ちを、しばらくは抱えて過ごすことになります。

こうした気持ちを放置することは、目には見えないけれど、心身の大きなダメージを与えているような気がします。

そこで必要なのが気持ちの切り替えです。

全快せずとも、少しでも暗い気持ちに光がさせば、それだけ憂鬱の重量は軽くなるもの。





気乗りのしない用事を済ませ、なんとかファーストステップをクリアしたものの、依然としてストレスを抱えているのを自覚していたので、帰り道はいつもと違ったことをしようと寄り道をしました。

すなわち、気分転換。

さて、なにをしようか?

ちょうどお昼を過ぎたところで、お腹が空いていたので、まずは腹ごしらえです。

いつもと違うことなら、普段は絶対に食べないものにしよう!

ラーメンだわ。。。

普段、私はラーメンを食べません。

もちろん食べたことはあります。若い頃は飲んだ後のラーメンはお約束でした。

しかし、子供が産まれてからはほとんど食べた記憶がありません。

それは、ラーメンの熱いスープで子供が火傷を負うリスクをなくすための危機管理が発端ですが、そんなことを数年続けているうち、ラーメンを食べるという習慣も失われていました。

いま、ラーメンを食べることは、私にとっては冒険といえるくらいにレアな行動です。
つまり、勇気がいるのです。

久しぶりのラーメンで冠水によるダメージにこの胃腸が耐えられるか?

ラーメンの持つ暴力的なまでのカロリーに、代謝が打ち勝つことができるのか?
(つまり、太らないか。。。)

オフィス街のランチタイム、サラリーマンという猛者達を相手に、席取り合戦に勝利することができるか?

そんなくだらないことに心を奪われることで、憂鬱から離れられそうな気がしました。

さて、どこの店で食べるか?
今日の目的は「美味しいランチ」ではなく、「ラーメンを食べる」です。

味よりもストレス軽減が目的のため、最初に目についたチャイニーズレストランに入りました。

お一人様だったせいか、すんなりと席に案内され、メニューを睨みます。

エビチリ、青椒肉絲、酢豚。。。

食べたいのはそれらです。

しかし、初志貫徹、目的達成のため、シンプルに普通のラーメンを食べることにしました。

周りを見渡すと、OLさんでしょうか、「わたし、食べても太らない体質なんです!」とでも言いそうな、細くて素敵なお嬢さんが、ラーメンを啜りながら餃子を摘んでいました。

よし!私もラーメン餃子だ!

ついつい自分の胃弱も忘れ、気がつくと、ラーメンと餃子をオーダーしていました。

ほどなくすると、もうもうと湯気を立てたラーメンと餃子が一気に運ばれてきました。

うぐ。。。

せめて、餃子を先に、その後に大御所のラーメンを連れてきてくれれば怯むこともないのに。。。

しかし、ランチ時はどこも忙しいもの。贅沢は言えません。

まずは餃子をお一つ。焼き立てが功を奏してか、まずまず。

しかし、ラーメンを一口啜ると、、、

ふがぁ?

見た目はとても濃厚な色濃いスープなのに、出汁の味がない。。。

茶色いお湯に太めの麺がゆらゆらしているだけ。。。

具材は薄い焼豚一枚と、青菜、海苔。

食べ切れる自信を途端になくしました。

しかし、私は出されたものは完食する主義です。途中で気絶でもしない限りはネバーギブアップ!

お酢とラー油の海に泳がせ、塩辛さで武装させた餃子とラーメンを交互に口に運ぶことによって、ラーメンの味をリセットさせながら、一心不乱に食べました!

日頃から「美味しくないものは、たとえ米粒ほどでも胃袋に入れたくない!」という信念のもとで生きているというのに、「出されたものは絶対に残しません」という別の信念が横並びとなり、まさに盾と矛状態に陥っていたのです。

しかし、今日はそんなことに頓着していられませんでした。

全て完食し、水まで飲み干して、大きく盛り上がったお腹を抱えて店を出たのでした。。。

あまりにも美味しくないものを食べてしまった後悔から、帰りには前から食べてみたかったマロンパイを買って帰りました。

お腹が落ち着いたら、今日のお三時のおやつに食べよう!

「ラーメン」という目標も達成したし、おまけに餃子まで完食。食べたかったスイーツも買ったしと、まるで金銀銅のメダルを一度に獲得したような気になり、朝よりはずっと足取りも軽くなったのでした。





ところが。。。

家に着くころになると、危惧していたとおり、胃もたれと喉の渇きが猛烈に襲いかかってきました。

胃がシクシク痛み、下腹の辺りまで差し込んでくるような激痛。
おまけに飲んでも飲んでも全く癒されない喉の渇き。。。

夜になるまでそんな調子で、グッタリと消耗してしまいました。

帰りに買った楽しみにしていたスイーツも結局は自分の口には入らず。。。

「なんでラーメンなわけ?おまけにOLの真似して餃子までつけるとか?歳を考えなさいよ」

なとど失礼なことを言う夫が、私のマロンパイを次々と胃袋に落としていくのを、ただ恨めしく見ているしかありませんでした。


ここで、「今日はとんだ一日だったわ」とは思わないことが大切です。

「ラーメン」は正解だったのです。

このダイレクトな肉体的苦痛は、心的ストレスを忘れさせるほどに強く作用し、朝の憂鬱な気持ちを粉々に打ち砕く結果となったのですから。

つまり、当初の苦痛はよりインパクトの強い苦痛によって上書きされたのです。

肉体的苦痛はそれが去れば忘れてしまえるものです。
私にとっては、心に痛手を負うよりは、よほど楽なことなのです。


なにもせずに、心が暗くなったまま過ごすくらいなら、多少荒療治でも気分を変えるためになにかする。

いつも、そんな風にしてストレスという厄介なものから逃げ回っているのです。


「生きることとは苦しみに他ならない」


仏教ではそんな教えもあります。
苦しむことが前提の生であるなら、これはごくごく当たり前のことで、いわば憂鬱案件もラーメンによる胃痛も修行のようなもの。

期待せず、ただ淡々と苦しみを乗り越えていく。。。
それが自分に与えられた役目であり、生きる意味である。

そんなことを心で唱えながら、いまもシクシクとうずく胃痛に耐えています。

どうか、明日には治っていますように。。。





ちなみに今日は、女優である永作博美さんの生まれた日です。

この方、今年で50歳ですって⁉︎
とてもそう見えませんね。

このようなベビーフェイスの方は、いわば年齢不詳といいますか、たとえ目尻にシワが寄っても、ほとんど劣化を感じさせることなく、いつまでも可愛らしい雰囲気でいられるのが羨ましいところです。

若々しく見えるだけでなく、性格も良さそうに見えるのが、またなんともずるいところ。。。

実際の永作博美さんがどんな性格なのか、まったく存じ上げてはおりませんが、どう見ても意地悪なおばさんには見えません。

私からすると、このような方は、まさに神からの祝福を受けて生まれてきたといえます。
以前、このブログのお誕生日コーナーでも出てきた石田ゆり子さんなどもそのタイプです。

天然。生まれながらにもった資質と言えましょう。

同じアラフィフ世代としては、このような方を見るたびに「ちっ!」と舌打ちしたいほどの嫉妬にかられたりしますが、女優と同列に並ぼうというところが、そもそも図々しいことです。

勝手に張り合うな!と、己をいましめ、「爪の垢でも煎じて飲みましょう」くらいの謙虚さがなければ、人からは可愛い人とは思ってもらえないのです。。。