365の喜怒哀楽 〜 50代主婦の暮らしブログ

喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだり、日々の出来事を綴る日記。

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子供に依存しない生き方を理想とする中で見た老いのリアルに心揺らいだ「哀」

2020年12月4日(金)

今日の東京は快晴。少し暖かく感じる一日でした。とはいえ、もう12月なので、それなりに寒かったりしますが。。。

昨日からまた以前にボヤいたことのある「お家」の事情が勃発しております。


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今日は母親の付き添いで病院でした。小さな日帰り手術をするとのことで、いつものようにこちらの都合かえりみず手術日が決められ、当然とばかりに付き添いを求められたのです。

自分の予定は全てキャンセルしました。
この先もどうなるかわからないので、12月中は他の予定も白紙に戻しました。

子が親の面倒をみるのは、当然のことなのでしょうか?

海外にいる夫の両親は二人とも健在ですが、我が家の夫含め、子供達はてんでんばらばら海外在住のため、子供達の世話になることもできません。
しかし、欧米の方にとってそれは当たり前のことなのか、愚痴の一つもこぼすことなく、たまに連絡をとると「この前、心臓の手術をしたよ!」などと、こちらが心配になる程、嬉々として報告するのみです。

義父から一つだけお願いされているのは、自分が亡くなった際には、残された義母の悲しみを癒す手伝いを少しだけして欲しいということです。
海外に散らばる子供達の元を旅行して回り、少しだけ一緒にいることができれば気晴らしになるだろうからと。

それ以外は、別に会いに来る必要も葬儀に参列する必要もないといいます。
時間やお金は自分の人生に使いなさいと言ってくれています。

何から何までおんぶに抱っこを求める私の母親とは大違いです。。。





あちらの方は幼い頃から子供に自立を促す教育をしますが、それは自分自身も自立して生きる姿を見せることなのかなと思います。

どんなに老いても、人に寄りかかることをよしとせずに生きている姿を見ると、私もそうなりたいと強く思います。

以前もこの日記で書きましたが、なにかと子に依存してくる親を突き放すのは容易なことではありません。
できないことはないでしょうが、そこには「親の面倒も見ない薄情な子供」という常識によって、自分自身が大きな罪悪感を抱くことになるからです。

親のために自己を犠牲にするのが当たり前なのか。疑問に思いますが、それを犠牲と思うことがそもそも薄情なのか。
どんなに考えようが、結局は自ら湧き上がってくる罪悪感に耐えきれず、黙って従うしかないのです。

他人であれば遠ざけることもできますが、肉親ゆえの情からは逃れられません。

私が独りでいることを好むのも、こうしたしがらみに縛られ続けてきたせいもあります。

どんな人間と親子の縁を結ぶのかは神のみぞ知るで、自分で選ぶことはできません。
これも与えられた宿命と思うしかありません。

罪悪感に苛まれて生きるよりは、そんな宿命を受け入れて、これも自分に与えられた役割であり、生かされている意味であると考える方がずっと楽なのだろうと思います。





病院で母と同じ年齢の女性に声をかけられました。

「優しいお嬢さんね。お母様が羨ましい」

一人で病院に来ていたその女性は、不安だったのでしょう。
本来なら手術を受けるべきだけれど、怖くて決心がつかないといいます。

そんな女性に向かって、母は嬉々として、

「全然痛くありませんでしたよ。きっと大丈夫」

そう言っていましたが、女性が恐れていたのは手術による痛みではなく、一人で抱えることになる不安に対してではないかと、私は思いました。

「私も同じような年齢になったら、そのおばあさまのように、一人で頑張れる年寄りになりたい」

そう思いましたが、実際に自分がその年齢になった時、もしかしたら不安に耐えきれず、今の母のようになるのではないかという思いが、ちらりと脳裏を掠めました。

昔から誰かを頼ることを当たり前として生きてきた母親に、ずっと苦々しい思いを抱いてきました。

自分はたとえ老いたとして、絶対に子供に迷惑をかけるような親にはなりたくない。

ずっとそう思い続けてきました。今でもその思いは変わりませんが、一人で軽く足を引きずりながら、診察室へ入っていく女性の後ろ姿を見ていたら、これまで自分が想像してきた「老い」という別の現実を見た気がしました。

それでも、これまでのことはなかったことにはできません。母親への思いも変わりませんが、ほんの少しだけ「老い」に免じて、母親の弱さを受け入れる努力はしてみようと思ったのでした。





ちなみに今日は、元大食い女王であり、現在はグルメコメンテーターとして活躍するギャル曽根ちゃんの生まれた日です。

小柄で可愛らしい印象のギャル曽根ちゃんですが、そんな姿からは想像できないほどの大食いです。

食べたいものが山ほどあるのに、胃弱のためにそれも叶わない私にとっては、それだけでも羨ましさいっぱいですが、加えて太らないって、どういうこと⁉︎

まさに私が喉から手が出るほど望んでいる「奇跡の体質」なのだと思います。

あれほどでなくてもいいから、せめてギャル曽根ちゃんの半分くらいでも食べることができれば、きっと私の人生は今よりももっともっと楽しいものであったでしょう。

今度生まれ変わってきたときは。。。

そんな問いに、「風天の寅さん!」とか「スナフキン!」、「ファン・ビンビン!」などと言っていますが、真剣に答えるとするなら、やっぱり「ギャル曽根ちゃん!」ということになるかもしれません(笑)